設計図
国道沿いにその喫茶店は在った。今は初老と言って良いマスターが脱サラして始めたその喫茶店は、近所の常連に支えられて20年ほどそこで営業していた。
「博美ちゃーん。 コーヒー」
雨の降っている今日も朝から居座っている常連客の一人がカップを差し上げて博美を呼ぶ。
「はーーい」
博美は返事をすると、
「マスター、横井さんお代わりだそうです」
カウンターの中で新たにコーヒーをドリップしてるマスターに伝えた。
「ほい、分かった。 そろそろじゃないかと思っとったんだ。 はいこれ」
すぐにコーヒーカップがカウンターに置かれる。
「はい、横井さん。 これ三杯目ですよ。 飲みすぎ」
博美はコーヒーを運ぶと、空になったカップを取り上げた。
「なんのなんの。 此処のコーヒーは薄いから何杯でも飲めるんじゃ。 なあマスター」
新しいコーヒーを一口飲んでその紳士はマスターに声をかける。
「そんな事はないが。 うちのコーヒーは此処らじゃ一番美味しいがやき。 横井さん、耄碌して味も分からんようになったがやないかえ」
マスターがカウンターの中から返事をする。
「俺はまだ65ぜよ。 おまんと5歳しか違わんがやき、なんで耄碌せんといかんが? ほんま失礼な奴や。 なあ博美ちゃん」
「え、え、ええええっと。 そ、そうですね」
いきなり話を向けられ、博美が慌てた。
「博美ちゃん。 そんな年寄りは放っちょき」
マスターも博美に声をかける。
「え、え、え……」
二人を交互に見て博美は動けなくなった。
からんからん、とドアに付けられたベルが鳴った。この場から逃げ出せる、と博美がドアを見る。
「あれー 新土居さん、いらっしゃいませー」
入ってきたのは新土居だった。おぼんを抱えて博美は駆け寄る。
「珍しいですねー ここって初めてですよね。 一人ですか?」
どこでもどうぞ、と博美が店内に案内した。
「いや、森山君も来るよ。 彼女連れでね」
あのリヤ充が、と新土居はドアを見た。つられて博美がドアを見た時からんからん、とドアが開く。
「わーー! 本当だ。 純子さんだ」
入ってきたのは篠宮の従姉妹の純子だった。すぐ後ろから森山も入ってくる。
「はーい。 博美ちゃん、久しぶりー 元気そうね。 相変わらず可愛いわねー」
純子が右手を高く上げた。
「純子さんも元気ですねー 本当に森山さんと付き合ってるんですね」
こちらにどうぞ、と博美が新土居の座った席に呼ぶ。
「そうなのよー 何でかしらねー 私も不思議だわ」
森山が引いた椅子に純子が座る。
「わっ! 森山さん、優しいー 良いなー」
それを見て博美が歓声を上げた。
「けっ! 見せ付けやがって」
新土居があっちを向いて毒づく。
「新土居さん、そんなこと言ってるとー 自分に返ってきますよ。 きっと新土居さんにも彼女が出来ますって」
博美がそれを聞いて諭した。
「んで、何にされます?」
「コーヒーのオススメってあるかな?」
博美の問いかけに森山が訪ねてきた。
「それならマスター特製のブレンドがいいですよ。 くせがなくて飲みやすいんです」
ねっ、と博美がマスターの方を向くと、マスターが親指を立てた。
「それじゃそれを」
と言う森山に合わせて「私も」「俺も」と純子と新土居が答えた。
「でも、よく此処が分りましたねー 僕って何も言ってないですよね」
午後も3時を過ぎて、客は新土居達だけになっている。博美はマスターに断って一緒のテーブルに座っていた。
「こういうサイトがあるんだ」
新土居がスマホを博美に見せた。
「えっとー 喫茶店のウエイトレスを見て楽しもう@高知? 何ですかこれ。 怪しいー」
「いやいやいや、けしてそんなに変なサイトじゃないから。 美人のウエイトレスを見かけたら皆んなで書き込もう、ってだけだから」
ジト目で見る博美に新土居が慌てる。
「それに写真は貼れないようになってるから」
新土居が画面をスクロールさせた。
「んで、ここに書いてある」
「んー っと。 山田の国道沿いにある「ぶどうの樹」にすんごい美人ウエイトレス発見……」
指された所を読んで、博美が新土居を見た。新土居は「ニヤッ」とすると更にスクロールする。
{…美人確認。 これは凄い……}
{……新情報。 妹によると彼女モデルらしい……}
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「という訳さ。 これは博美ちゃんに間違いないって分かるよね」
書き込みの最後のあたりは殆どが博美の事に費やされていた。
「最近になって新しい人がちらちら来るなって思ってたら……こんなのがあったんだ……」
ふーっ、と博美が息を吐いた。
「僕を見に来てたんだ。 まっ、それだけならいいけど……ストーカーなんかが居たら嫌だなー」
「その辺はどうだろ。 このサイトの奴らは大人しいけどな」
新土居が首をかしげる。
「それって、やっぱり危ないわよ。 博美ちゃん、帰りは遅くならないようにしてね」
純子は心配顔だ。
「そうだ。 良い事思いついたぜ」
新土居が何かをスマホに打ち込みだした。
「さあ、これで大丈夫だ」
新土居が博美にスマホを見せる。そこには今書き込まれた情報があった。
{……最新情報。 彼女には彼氏が居る。 しかも相手は華長の加藤だぜ。 おまえら手を出すなよ。 翌日には土佐湾に浮いてる事になるぜ……}
「な、何これ!」
博美が新土居を睨んだ。
「僕の個人情報じゃない。 新土居さん、酷い!」
「ほんとほんと、個人情報だわ。 ちょっと常識が無いんじゃない?」
横から純子も覗き込む。と……
{……まじか!……}
{……俺の夢が……}
{……華長の加藤だって……おまえら、マジやばいぞ……}
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次から次へと書き込みが増えて行く。それを見て博美と純子が新土居を見た。
「どうだい。 ほんの僅かな情報で効果抜群だろ」
新土居は「ドヤ顔」だ。とその時、店の周りから車のエンジンがかかる音が沸き起こった。何台もの車が走り去っていく。
「…………」
純子と博美が顔を見合わせた。
「……ひょっとして……」
「……博美ちゃん、多分そうよ……」
「……あんなにストーカーがいたの!」
博美が青い顔で肩を抱いて震えだした。
「大丈夫よ。 みんな行っちゃったわ。 でもやっぱり夜は気をつけてね」
純子が博美の肩を上から抱いた。
「でも、新土居さんのお陰ね。 ストーカーを追い散らせたんだから」
純子が新土居を見た。新土居はそっくり返るほど胸を張っている。
「へへん……中学時代の加藤君のお陰だけどね……」
凄かったらしいよ、と新土居は小さく呟いた。
バイトが終わり、博美は新土居の車で家に送ってもらった。朝から雨だったので、土曜日と言うこともあり行きは明美に送ってもらっていたのだ。
「ただいまー」
「お邪魔します」
「はーい。 お帰り、博美。 いらっしゃい、新土居さん」
店を出る時に電話をしていたので、博美が玄関を開けると明美が立っていた。
「さあさあ、どうぞ」
明美が新土居にスリッパを出す。
「新土居さん、こっちです」
博美はさっさと上がって光輝の部屋の前で呼び、ドアを開けた。
「うおっ! これは凄い……」
新土居は部屋に入るなり飛行機の置いてある棚の前に行った。無言で端から飛行機を見始める。
「(……ふふっ……皆んな同じ反応だ……おもしろーい)」
これまで来た事のある井上や安岡と同じ行動をする新土居に博美は笑みが零れた。やがて新土居は「ミネルバ」の所に来た。隣には一機分の空きがある。ゆっくりと新土居は振り返った。
「……ここに「ミネルバⅡ」があったんだね」
博美に向ける顔はいつになく真剣だ。
「……はい……」
博美が頷く。
「……そうか……うん、大丈夫だ。 俺がきっと直す……」
新土居が自分に言い聞かせるように呟いた。
「それで「ミネルバ」を使うのはいいんだね」
棚の上の「ミネルバ」に手を伸ばして新土居が聞いた。「ミネルバⅡ」が壊れてしまい、博美が練習するのに「ミネルバ」を使おうというのだ。今日、新土居が来たのも「ミネルバ」をヤスオカに運ぶためもあったのだ。
「はい。 「ミネルバ」を使います。 もう絶対落としません」
博美の目に決意の光が灯る。
「OK それじゃ……」
新土居が「ミネルバ」の胴体を棚から下ろした。博美は受け取ると整備スタンドに乗せる。新土居は続けて主翼に手をかけた。
「……っと、何かあるぜ……」
折りたたまれた大きな紙が胴体の載っていた所にあった事に新土居が気がついた。それを取り出すと新土居は広げる。
「……うっ!……こ、これは……「ミネルバ」の設計図だ……しかも「ミネルバⅡ」の設計図でもある!」
新土居は博美も見られるように設計図を床に置いた。
「……これが……これが「ミネルバ」の設計図……これ、お父さんの字だ……」
性格を表すようにきっちりと描き込まれた設計図は、もう何年も経っているはずなのに掠れもなく、今描かれた物のようだ。
「……これ、尾翼が二重になってる……」
よく見ると、水平尾翼が上下に二枚描かれていて、垂直尾翼は大きさの違う二つが一緒に描かれている。
「この小さい垂直尾翼が「ミネルバ」で大きい方が「ミネルバⅡ」だよ。 水平尾翼はどっちが「ミネルバⅡ」か分からない。 でも実物があるんだから……比べれば分かるはずだ」
新土居が指差しながら説明する。
「でも、今大事なことはそれじゃない。 この設計図から分かることは「ミネルバ」と「ミネルバⅡ」は主翼と胴体、特に機首部が同じだってことだ」
新土居が博美を見た。
「そ、それじゃ……」
博美も新土居を見る。
「そう。 「ミネルバⅡ」が直せるってことだぜ」
新土居がウインクをした。
「バ、バンザーーーイ! い、ぃやったーーーー!」
博美が飛び上がった。
「これで直る。 「ミネルバⅡ」が直る! 新土居さん、そうですね。 直るんですね」
博美が新土居に抱きつき、胸を押し付けた。
「(……やわらか~い……)」
新土居はぴょんぴょん飛び跳ねる博美の感触を楽しんでいた。




