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空の妖精  作者: 道豚
135/190

原因


 白っぽい小さな部屋の小さなベッドに博美は寝ていた。体にタオルを掛けて静かに寝息を立てている。

「ぶ~~~ん……」

 窓を閉めてエアコンをかけている部屋に小さくエンジンの音が聞こえて来た。

「(……ん?……ここは何処だろ……)」

 ゆっくりと博美が目を開ける。

「(……知らない部屋だ……)」

 上体を起こして博美は部屋を見渡した。壁は木でなくプラスチックで出来ているようで、やや殺風景だ。寝ているベッドの反対側に小さな台所がある。

「(……随分小さなお家だな。 ベッドと台所しかない……)」

 博美はベッドから足を下ろし、端に座った。

「(……って、ブラのホックが外れてる!……)」

 胸の揺れる感覚に、博美は締め付ける物がない事に気がついた。

「(……まさか!……)」

 慌てて股間に手を当てる。

「(……ん……べ、別に何ともないみたい……)」

 ちゃんとジーンズは穿いているし、ショーツもずれていない。安心したところで博美はTシャツを捲り上げ、手を背中に回してブラのホックを留めた。

「(……んっで、此処は何処なんだろ?……エンジンの音が聞こえるみたいだけど……)」

 気が付いてからずっと小さく飛行機のエンジン音が聞こえている。

「(……出てみようかな。 僕の靴は何処にあるんだろ? 外かな?……)」

 博美は立ち上がると、キッチンの横にあるドアに手を掛けた。ドアノブは簡単に回り、外に向かってドアが開く。下を見るとスノコが置いてあり、博美の靴も揃えてあった。

「……って、これ笠井さんのキャンピングカーじゃない。 中ってこんなになってたんだ」

 スノコに乗って振り返ると、それは何時も笠井が飛行場に乗ってくる大きなキャンピングカーだった。

「(……なんで僕はここで寝てたんだろ?……えっとー あっ! 「ミネルバⅡ」が落ちたんだっ……)」

 博美は慌てて靴を履き、キャンピングカーを回り込んだ。

「(……えっ? みんな普通だ……)」

 操縦ポイントに小松が立って練習をしていて、ピットには夫々スタント機が置いてある。そして其処此処でクラブ員が談笑している。それは普段の飛行場となんら変わらない風景だった。

「(……夢を見てたのかな?……)」

「おっ! やっと起きたか」

 博美が呆けていると加藤が談笑の輪から離れて歩いてきた。

「残念だったな。 気を落とすなよ」

 加藤は博美の肩に手を乗せた。

「んっ? 何のこと? ……そう言えば、ブラのホックが外れてたんだけど……康煕君じゃないよね?」

 首を傾げ、博美が加藤を見る。

「えっと……すまん、俺が外した。 気を失ってたからな。 苦しいだろ?」

 胸には触ってないから、と加藤が目線を逸らした。

「かっ……勝手に外さないでよ。 康煕君のすけべー ……って、気を失ってた? なんで?」

「おまえ、記憶喪失か? 「ミネルバⅡ」が落ちたショックで気絶しただろ」

「えっ! 「ミネルバⅡ」が落ちた? あれって夢じゃ……(なんで、なんで……夢じゃなかったら……)」

 脚に力が入らなくなり、博美は座り込みそうになった。

「おっと。 大丈夫か?」

 加藤が素早く抱きとめる。

「うそだ……だってみんな何時もの様子じゃない」

 博美は加藤にしがみ付き、顔を伏せた。

「やあ、気がついたかい。 残念だったね」

 優しい声は安岡だった。

「安岡さん「ミネルバⅡ」は? 大丈夫ですよね」

 加藤に支えられたままで博美が安岡を見た。

「見るかい? 殆どの部品は回収出来たようだよ」

 安岡はチームヤスオカのワンボックス車に向かって歩き出した。




 ワンボックス車の横に敷かれたビニールシートの上に「ミネルバⅡ」は置かれていた。それなりの形に主翼と胴体を組み合わせてはいるのだが、主翼の直前で機首が折れ、その部分に付いていた主脚メインギヤは外れている。その機首もいたるところに割れが入り、触るだけで分解しそうだ。主翼を見ると前縁部がほぼ全長に渡って砕けている。胴体後部と尾翼は無傷なようだ。

「(……そんな……夢じゃなかったんだ……)」

 「ミネルバⅡ」の傍に博美はひざまずいた。キャノピーから胴体後部をゆっくりと撫でる。

「(……ミネルバちゃん……ごめん。 僕の所為だよね……怖かったよね……痛かったよね……)」

 博美の頬を涙が伝った。

「……残念だが「ミネルバⅡ」はもう使えない。 エンジンやメカは外しておいたから、このまま火葬してもいいんだが……博美ちゃんはどう思う?」

 安岡が横に立って尋ねた。

「……修理は出来ないんですか? 殆ど回収できたんですよね……」

 博美が安岡を振り仰いだ。

「出来ない。 正確に言うと、しても仕方が無い。 胴体は樹脂でガチガチに固めればなんとかなるかもしれない。 重くなるけどね。 問題は主翼だ。 見ての通り前縁が砕けている。 設計図が無い以上、翼形(断面形状)が再現できないんだ。 外観は同じようでも、全く別の飛行機になってしまう。 つまり「妖精の秋本」の「ミネルバⅡ」はこの世から消え去ったんだよ」

 安岡がゆっくりとかぶりを振った。

「……それじゃ、それじゃ……設計図さえあれば直せるんですね。 探します。 きっと見つけます。 だから持って帰ります」

 博美は「ミネルバⅡ」に向き直った。

「……ミネルバちゃん。 きっと直るからね。 一緒に帰ろうね……ミネルバちゃんはお父さんの大事にしてた飛行機なんだ。 僕は捨てたりしないよ」

 博美は再び「ミネルバⅡ」を撫でた。




「ところで、落ちた原因らしきものを見つけたよ」

 タープの下に移動したところで安岡が博美に告げた。

「博美ちゃんはフライトコンディションを使ってるよね。 今送信機をチェックしたらね、切り替えるとエレベーターがリバースになるんだ。 数値も変だしね……何か心当たりは無いかな?」

「いえ、全然……夕べは机の上で充電しただけです。 ……んっ? そう言えば……チェックでスイッチを入れたときに「スイッチ異常」の警報が鳴りました。 フライトコンディションがノーマルになってなかったんです。 そんな事があっただけです」

 人差し指を顎に当て、博美がタープを見上げる。

「ふむ。 それは送信機として正しい動作だね」

 安岡も首を傾げた。

「……ひょっとしてだけど、送信機のプログラムにエラーがあるかもしれない……一度メーカーに出すのがいいかな。 機体から外したメカも整備に出すことになるから」

「はい、そうですね。 お願いします……」

 博美が頷く。

「……それで「ミネルバⅡ」は如何すればいいんでしょうか?」

「水が入ってしまってるからね、店の倉庫でゆっくり乾燥させよう。 狂ってしまっては修理が大変だからね。 暫く入院ってところだね」

 安岡がテーブルの上で指を組み、博美を正面から見た。

「落ちた原因にはもう一つあるんだ。 分かるかい? これは博美ちゃんにとってこれから重要になってくることなんだが……」

「もう一つですか……僕にとって重要? 何だろう……」

 何時に無い真剣な言葉に博美が姿勢を正した。

「説明しよう。 博美ちゃんにとっては耳の痛い事かもしれないがね」

 普段は優しい安岡の目が厳しく光った。

「博美ちゃんは、確かに飛ばすのが上手い。 天才だろう。 しかし最近、それに慣れているんじゃないかい? 来年からのパターンを自分で研究しない、なんてのもその表れだよね。 こう言っては何だが、天才は博美ちゃん一人じゃない。 君も見ただろう? 選手権のトップ4人を。 彼らもまた天才なんだ。 そういう天才が更に努力をしてトップを目指している。 それが選手権なんだ。 しかも日本選手権の上には世界選手権がある。 そこには各国の天才が集まっているんだ。 分かるかい。 彼らは自分の才能に溺れてなんかいない。 努力して、努力して、工夫して……如何すれば減点を減らせるか研究して……そうして選手権に出るんだ。 博美ちゃんは如何かな? 努力してるかな。 研究してるかな。 ……僕にはそうは見えないんだ。 エンジンの不調は森山君に任せ。 集中するときは加藤君に頼み。 新しいパターンは誰かが飛ばすのを見て覚えようとする。 そうして慣れきったパターンを飛ばして……言うなれば遊んでいる。 勿論、ラジコンは趣味だ。 遊びだ。 でもね、選手権でトップになろうとするなら、遊びではなくなるんだ。 博美ちゃんは残念ながら其処が分かってないようだ。 僕が言わなかった、ていうのもあるかもしれない。 でも選手権を見て分かって欲しかったんだ。 言われるより、自分で分かるほうが心にしっかり刻まれるからね」

 安岡はコップにペットボトルのお茶を注いだ。

「……というのが、原因で……」

 一口飲んで安岡は続ける。

「……博美ちゃんは慣れすぎてるんだ。 簡単にパターンが出来ることにね。 それが進んで、飛行機って物に慣れすぎてるんだ。 飛行機は僅かなミスや不調で危機的状況に陥るんだよね。 その為にプリフライトチェックをするんだが……今回、博美ちゃんはフライトコンディションがノーマルの時だけチェックした。 もし切り替えてチェックしていればエレベーターがリバースになっている事に気が付いたはずだ。 飛ばす前に直せただろうし、送信機を取り替えることも出来ただろう」

「……それじゃ……それじゃ「ミネルバⅡ」が落ちたのは……」

 博美が安岡を見つめ返した。

「……そう。 リバースになっていた原因はさて置き、落ちたのは博美ちゃんのミス、って事だ」

 安岡が大きく頷いた。

「……そんな、そんなー……僕の所為で……僕が天狗になってた所為で……」

 博美の目に涙が光る。

「……ごめん……お父さん、ごめんなさい……お、おとうさーん……」

 博美が顔を手で覆った。

「……ううーー……ごめんなさい……ごめんなさい…………」

 博美の指の間から涙がテーブルに落ちた。





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