テニス部合宿2
「たるんどるぞー ランニング、コート10週!」
「えっ!」
突然聞こえた大声に、博美がきょろきょろと、その発生源を探す。
「(……あっ! 隣?……)」
博美は隣のDコートとの間のフェンスから何人かの女子が走り始めたのに気が付いた。何か怒ったような小父さんが立っている。
「ねえねえ。 あの人って何だろね? いきなり大声出して……」
博美が隣に居る樫内を見た。
「んー あの人って多分、隣で合宿してる学校の教師じゃない? 「たるんどるぞー」なんて言ってたから」
「なになに。 秋本さん、どうしたの?」
浜口もやって来た。
「えっと、あそこの小父さんが急に怒鳴ったから、何かなー って」
博美が小さく指を刺す。
「あっ、あの人は先生よ。 去年も合宿が同じ時期になったから知ってる。 よく怒鳴ってるわ」
短期なのね、と口を隠して浜口が言った。
昼食はホテルまで帰って、レストランで取ることになっている。博美達は一先ず用具を片付け、ホテルまで歩いていた。
「ねえ、ねえ。 あなた達って何処の高校?」
一緒になって歩いているDコートで練習していた生徒が清水に話しかけた。
「高専だよ。 今日から合宿なの。 あなた達は?」
三年生である清水にとって、高校生なら同級生か下級生だ。特に敬語を使う必要はない。
「ふうん、高専なんだ。 私たちは追手前。 男子は校内で合宿で、女子はここなの」
話しかけてきた生徒も敬語を使わない。
「えっと、何年生? 三年生は引退してるわよね」
浜口が横から訪ねる。
「二年生。 三年生は春で引退してる。 そちらは?」
「私らは三年生で、そっちの二人は一年生。 高専は五年生まであるから三年は引退しないの」
浜口が少し前を歩いている博美と樫内を指差した。
「えっとー それじゃ先輩でしたね。 なんかタメ口で済みませんでした」
その生徒が慌てて謝り、
「あの……彼女って樫内さんですよね。 全中に出た」
目線を前を歩く二人に向けた。
「うん、そうよ」
上手いよね、と清水が答える。
「で、ですね。 もう一人の娘は?」
「んっ? あの娘はこの春から始めたばかりよ」
「それは分かります。 名前が知りたいなー って」
可愛いですよね、とその生徒が言う。
「可愛いよね。 彼女は秋本さん。 女の子なのに機械科なのよ」
変わってるよね、と清水が微笑んだ。
レストランに来てみると、既に昼食の用意がしてあった。博美たちは配膳の終わっているテーブルに着く。
「いただきまーす」
北添の合図で全員が箸を持った。
「いただきまーす」
なぜかしら追手前の生徒達も同じテーブルに着いている。
「……お醤油取って……」
「……わー 御飯多すぎー 誰か要らない?……」
「……あっ! これ意外と美味しい……」
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ワイワイと騒がしく食事が進む。
「ねえ、そこに情報誌があったよ」
早く食べ終わった生徒がレストラン入り口から町の情報誌を持って来た。
「あー 最新号じゃない。 見せて見せて」
まだ食べているにも関わらず、別の生徒がそれを取った。
「今月号にも出てるかな?」
右手に箸を持ったまま左手でページを捲る。
「なになに。 何の記事?」
隣から雑誌を持って来た生徒が覗き込んだ。
「美容室。 すっごい美人のモデルさんが載ってるんだ。 ……っと、あったー」
見つけたページを開いてみせる。
「うっわー なにこの人。 ほんとに人間? 生きてるの? 人形じゃない?」
そこには他の紹介記事より大きな枠にショートボブの美人が載っていた。
「凄いよねー 同じ日本人とは思えないもんね。 でね、この人って高知の人なんだよ」
「うそうそ。 高知にこんなモデルさんがいる訳ないじゃない。 もし居たって、すぐに中央に行っちゃうよ」
「それがねー バスセンターで見た人がいるって話よ」
「ねえねえ。 何て人」
「名前だけ分かってるんだって。 HIROMIって言うの。 後は秘密なんだって」
HIROMIという言葉に、博美がぴくっ、とする。
「それでね、最近じゃショートボブの人が増えたんだって。 ニュースで言ってたよ」
「そう言えば、あの娘もショートボブだわね」
雑誌から顔を上げて、その生徒が博美を探す。
「ねえ、樫内さん。 なんか僕の名前が聞こえたんだけど」
隣でお茶を啜る樫内に博美が囁いた。
「あら、秋本さんは可愛いんだから話題に上がるのも当然よ」
樫内がにこっ、とする。
「んじゃなくて、HIROMIの方だけど……」
樫内の返事に博美は困惑している。
「なーんだ、それなら簡単。 こうすればいいの」
樫内が大きく息を吸った。
「この娘がHIROMIよ!」
樫内の声がレストラン中に響き渡った。
「……ファイト、ファイト! 届くよ……」
「……ナイショッ……」
「……あー 惜しい……」
「……諦めない!……」
昼食が終わり、追手前高校の使うDコートでは午後の練習で女生徒の檄が飛び交っている。
「……ハアハア。 クッ!……」
何故かそれを受けてボールを追うのは博美だった。昼食時に博美がHIROMIだと樫内がバラした後、当然の如く博美は女生徒に取り囲まれたのだ。そして質問攻めにあい、
「女子が少ないなら私達と合同で練習しない?」
という言葉で、なし崩しに一緒に練習することになったのだった。因みに樫内は追手前のキャプテンと端のコートで試合形式の練習をしていた。
「……秋本さん、ファイッ! ラストだよ」
ネットの向こう側から最後のボールが左の隅に飛んできた。必死になって博美が走り、腕を伸ばして地面すれすれで救い上げることに成功した。
「ナイスショッ!」
ボールを打ち出していた追手前の二年生はそう言いながら、しかし簡単に逆サイドにボレーで打ち返した。
「……ハアハア……」
それを博美は呆然と見送るだけだった。
「意外ー こんなに可愛くて美人なのに、HIROMIがテニスしてるなんて。 あっ、ファイトー」
「走れ走れ、間に合うよー! ほんと、学生だったんだねー 秘密にしてる筈だわ」
「そのHIROMIっていうの止めて欲しいな。 そんなに特別な人間じゃ無いんだから」
コートサイドに戻り、檄を飛ばす生徒の横に並んだ博美を見て追手前の女生徒が話しかけてくる。そんな訳で、掛け声がお座なりに成ってしまっていた。
「こらー! お前ら何無駄口叩いてるんだー 真面目にやれー」
それを口うるさい教官が見逃すはずも無い。
「はいっ! すみませんでした」
だがしかし、そこは皆慣れていて優等生の返事をして口を噤むのだが、
「……綺麗な髪よねー 何か特別なことしてるの?……」
「ううん。 別に普通だと思うけど」
教官が居なくなれば、直ぐにお喋りを始めるのだった。
「フォールト」
博美の放ったファーストサーブがサービスラインを割る。
「……ハアハア。 ……クッ!」
博美のセカンドサーブはスライスだ。山形の軌跡を描いてライトサービスコートに弾んだボールは相手選手の強力なフォアハンドによりクロスに打ち返された。博美は必死に走るが、無情にもラケットは届かなかった。
「ゲームセット」
審判役の生徒が告げる。博美はお辞儀をしてコートから出て行った。
「秋本さんは入学してからテニスを始めたのよね? 中学校ではしてなくて」
コートサイドで皆の隣に並んだ博美に隣になった生徒が聞いてきた。
「はい。 入ってからです」
息を整えながら博美が答える。
「中学校では文科系の部活でした」
「ねえ、私も1年だから敬語でなくていいよ。 でも初めて四ヶ月にしては上手だし綺麗なフォームじゃない? 今のだって相手は2年なのに、良いとこまで行ってたもの」
今は1年生と2年生が試合形式の練習をしている。
「そんなことないよ。 1ポイント取れただけだし」
ファーストサーブの成功率が低いので、なかなか主導権が取れないのだ。
「サーブが入ればポイントが取れるんだから、サーブを重点的に練習すればいいのよ」
あとバックハンドもね、とその生徒が言った。
「ありがとうございました!」
Dコートの全員が並んで礼をする。午後の練習が終わったのだ。博美達高専の学生も一緒にホテルに帰ることになった。
「あー 終わったー おなかすいたー」
歩きながら博美がお腹を押さえて零す。
「えっ? あのHIROMIがお腹すいただなんて……」
近くを歩く生徒がびっくりして博美を見た。
「僕だってお腹空くよー」
「えっ! えっ! 僕?」
前を歩いていた生徒も振り返った。
「HIROMIって僕っ子? うっわー 凄い秘密知っちゃった」
その生徒は後ろ向きに歩きながら口角を上げた。
「別に秘密って訳じゃ無いんだけど……皆んなからはなおせって言われてるけど……っちょっとー 樫内さん止めてよ」
少し離れて追手前のキャプテンと話をしていたはずの樫内が博美の隣に現れた。
「んふふっ…… 僕っ子の秋本さんー」
高知テニス界の期待の星、とは思えない恍惚とした表情で樫内は博美にぶら下がる。
「えっ! 何時の間に…… もしかして、これが召喚術?」
樫内が現れた所為で博美の傍から押しのけられた生徒が目を見開いた。
「……えっ、えっ! 樫内さんが消えた…… もしかして異次元召喚?」
後ろの方から追手前のキャプテンの声が聞こえる。
「……おなかすいた……」
博美が小さく零した。
ホテルのロビーに入ると北添が居た。博美たち高専の女子は追手前の女子と別れてその前に集まる。
「お疲れ様。 男子が来るまでちょっと待ってね」
北添は優しく微笑んでいる。
「点呼を取ったらまずお風呂だから」
「えっ! お風呂……」
博美が「へたっ」っとその場に座り込んだ。
「ちょっと! 秋本さん、大丈夫?」
北添が慌てて駆け寄る。
「……おなかすいた……」
涙を浮かべて北添を見る博美だった。




