テニス部合宿1
8月も終わりに近い水曜日、博美は今朝もベッドの上に服を広げている。
「(……制服……テニスウェアー……アンダースパッツ……汗止めのリストバンドとヘアバンド……)」
広げているのは部活で使うものだった。
「(……えーっと……ショーツとブラ……ソックス……短パンとTシャツ……)」
さらに着替えまで用意する。
「(……タオル……歯ブラシと歯磨き……日焼け止め……)」
まるで旅行に行くようだが、然も在りなん今日からテニス部の合宿なのだ。高知市街から南に一つ山を越えた所に在る複合スポーツ施設での合宿なので、施設内のホテルに泊まることになっている。
「ひろみー 遅くなるわよ」
ドアの外から明美の声がした。
「はーい。 用意できたよー」
バッグを持って博美は部屋を出ると階段を下りた。一旦学校に集まるので制服を着ている。
「忘れ物は無い? 財布は持った?」
「えっと、忘れた……」
あわてて博美が部屋に戻る。
「あんた、ラケットは?」
普通ならバッグのサイドポケットからグリップが見える筈が、博美の持って来たバッグからは何もはみ出してない。
「あはは……忘れてたー!」
部屋の中から大きな声が返ってくる。
「博美。 あんた何しに行くの?」
「忘れたんだもん。 仕方が無いじゃない」
ラケットを持って博美が階段を下りてきた。
「部活の合宿でしょ? ラケットを忘れるなんて……」
遊びに行く気かしら、と明美は呆れながら博美を見送った。
総勢25人の合宿参加者を乗せて、マイクロというにはやや大きいバスは海岸沿いを西に向けて走っている。テニス部の女子は4年生のマネージャーを含み5人居るが、全員バスの前の席に座っていた。
「ねえねえ、この辺よ。 崇さんのお家」
浦戸湾を跨ぐ橋がもう直ぐ、という辺りで窓際に座った樫内が博美の肩を突いた。
「ああ……崇さん、すこしの間待っててね」
うっすらと頬を染めて樫内が囁く。
「なになに? それって樫内さんの彼氏?」
真ん中に座っているマネージャーの北添がそれを聞きつけた。
「えー! 樫内さんって彼氏居るの? だれだれ?」
北添えの声に三年生の浜口が反応した。
「いやん、恥ずかしくて言えなーい。 機械科4年の篠宮さん、だなんて」
「しっかり言ってるじゃない。 私は知ってたわよ。 二組のバカップルで有名でしょ」
浜口の隣の清水が呆れて口を出す。
「清水さん。 バカップル、って何ですか?」
博美は分からないようだ。
「人前でも「いちゃいちゃ」する、破廉恥なカップルのことよ。 秋本さん、知らなかったの?」
北添が清水の代わりに答えた。
「あっ! 因みにもう一組は秋本さんと加藤君だから」
すかさず清水が割り込んでくる。
「自覚が無いのは恐ろしいわ」
「えー! 僕達ってそんな風に見えます?」
博美が北添越しに清水を見た。
「見えるどころか、その物じゃない。 いつも一緒にいて、何処かしら触りあってるし。 並んで歩けば胸を腕に押し付けてるし。 休みの日は同じ場所に行ってるし…… 見てるこっちが恥ずかしいわ」
このリア充が、と清水が睨む。
「でさ、あんた達、どこまで行ったの? まさか最後までは行ってないよね」
まあまあ、と浜口が清水を宥めながら聞いてくる。
「やだー 先輩。 最後までなんてー」
頬を押さえながら樫内が身をくねらせた。
「私は待ってるのに、なかなかしてくれないんですー」
「……わ、私なんか彼氏居たことないのに……」
清水が「わなわな」震え始めた。
「し、清水さん。 これは縁だからね。 きっとこれから出会いがあるから。 大丈夫よ」
北添が大慌てで清水の手を取った。
「先輩ー そうですよね。 きっと、きっと出会えますよね?」
浜口も二人の手に自分の手を重ねた。
「………………」
前方で繰り広げられる赤裸々なガールズトークに、後方に座っている男子達は居た堪れない思いをしていた。
案内板に従って、バスはスポーツ施設の中に入った。街路樹が両側に植えられた道をゆっくりと走り、やがてバスはホテルの前に止まる。
「さあ、着きましたよ。 みなさん、一緒にチェックインしましょう」
北添が立ち上がり、振り返って皆んなを見渡すと、先頭に立って降りていく。
「ありがとうございました」
運転手にお礼を言って、博美が続いた。
「どういたしまして。 楽しい話が聞けて面白かったよ」
中年の運転手がにっこりした。
「……聞かれてた……先輩、聞かれてました」
ステップを降りたところで博美が北添に耳打ちをする。
「まっ、そうでしょうね。 諦めなさい」
北添が「よしよし」と博美の頭を撫でた。
「あー! 先輩。 秋本さんに触っていいのは私だけですよ」
続いて下りてきた樫内が大声を出す。
「ふふん。 秋本さんはテニス部全員の物よ。 独り占めはいけないわ」
北添が博美を抱え込んだ。
「あー! 北添先輩。 ずるいー 私も私も」
浜口もやって来て抱き付いた。
「おーい! 北添さん。 いい加減にしてチェックインしようぜ」
さっきから続く女子たちの痴態にウンザリした様子で部長の杉浦が声をかけた。
「俺達は合宿に来たんだぜ。 マネージャーとしてしっかりしてくれよ」
はあ、と溜息をついて杉浦はホテルの玄関に向かった。
博美たちは鍵を受け取ると一旦男子達と別れて3階の部屋に来た。
「んっ まあ普通の部屋ね」
入るなり樫内が鼻の上に皺を作る。12畳の部屋の真ん中に座卓が置いてあり、正面には窓があった。隅のほうに冷蔵庫、その反対隅にテレビがある。
「お嬢様には物足りないかしら?」
北添がさっそく座卓の上に有る茶器でお茶を入れ始めた。
「えっ? 樫内さんって何処かのお嬢様だったの?」
北添の言葉に博美が反応する。
「あら、秋本さん知らなかったの? 彼女、高知市内では有名な……」
「先輩!」
樫内の大声が北添の言葉を遮った。
「ああ、ごめんごめん。 言わないほうがよかったのね」
北添が慌てて謝る。それに対して樫内が頷いた。
「中途半端でごめんね。 まあいずれ分かるわ」
北添は博美に対しても謝った。
少し休憩した後、テニスウェアーに着替えた博美たちはホテルのロビーで男子と合流した。
「外に出て準備運動だ。 行くぞ。 ああ北添さんは先に行ってくれ」
杉浦が全員揃ったところで言った。
「はい。 先に行って準備しますね」
北添がバッグを持って歩いていった。それを見送って部員達がホテルの前の広場に輪を作る。
「いち、に、さん、し……」
「ご、ろく、しち、はち……」
全員で号令を掛けながら屈伸をしたり関節を伸ばしたりする。
「さあ、軽くランニングでコートに行くぞ」
軽く汗ばんだところで杉浦が言う。部員達25名が2列になってホテルの外に向かって走り始めた。ホテルの前の車道を渡ると赤茶色に塗装された歩道が続いている。杉浦を先頭に部員達が元気良く走っていった。
「ここだ。 このCコートが今回借りた場所だ」
400メートルも走っただろうか、杉浦がテニスコートで止まった。
「(……はあ、近くてよかった……)」
博美がほっと息を吐く。
「(……ひろーい。 いったい何面あるんだろう?……)」
今居るCコートに4面ある。A、B、C、と走ってきたのだから、全て同じだとすればそれだけで12面あることになる。
「……ん? あっちにも在るみたい。 んじゃ16面あるってことかー)」
さらに先のほうからボールを打つ音がしていた。
「それじゃ始めるぞ。 午前中は基礎練習だ。 むこうから4年生、3年生、2年生、と使う。 1年生と女子はこっちを使ってくれ」
杉浦が簡単にクラス分けをする。
「悪いけど、樫内さんも午前中はこっちで頼む。 午後からは上級者と混ざってもらうから」
コートに向かう樫内に杉浦が声をかけた。
「はい。 私は構いません」
樫内が頷く。
「それじゃ頼んだ」
杉浦は上級生の方に走っていった。
広い総合スポーツ施設のテニスコートの其処彼処からボールを打つ音が響いてくる。
「ねえ、Cコートでも何処かの高校が練習始めたみたいね」
博美たち高専テニス部が使っているCコートの隣のDコートでも高校の合宿が行われていた。
「そうね。 ねえ、男子が多くない? 女子が4人みたいよ。 何処の高校かしら」
女子は少ないので、コートの半分を使っている。
「何処かなー ちょっと分からない……ねえねえ。 あの娘可愛いわねー」
「えっ? どの娘、どの娘」
「ほらー あのワンピース着てるショートカットの娘よ」
「わーー ほんと可愛いー お人形さんみたい。 足長いわねー」
休憩している女子が集まってきた。
「1年生かしら。 まだ始めたばかりって感じね」
「そうね。 でも一人上手な娘が居るわね」
「うん、上手ね。 うっわ、今のボレー あんな角度で打てる物?」
「さっきからミスが一つも無いわよ」
「私、あの娘見たことあるかも。 去年全中に出た樫内さんじゃない?」
「えっ! ベスト8まで行った高知期待の星?」
練習を中断して女子が集まる。
「あの可愛い娘と樫内さんって仲が良いのねー あんなにくっついて話をしてる。 あーー! 頭を撫でたー」
「きゃーー あんな可愛い娘に触れるなんて……う、羨ましい」
「きっと良い匂いがするわよ。 わたしも嗅ぎたいー」
一人が走り出した。
「まていっ! おまえら何してんだー 練習中だろうが!」
引率の教官が走ってきた。
「たるんどるぞー ランニング、コート10週!」
集まっていた女子達は慌ててコートの周りを走り出した。




