安産体型
「もうすぐお爺ちゃんが出るから、博美、お風呂に入りなさい」
明子と博美、光が座卓の周りに座って話をしていると、明美が奥からやって来た。
「えー まだ早いよ」
6時になったばかりで、まだまだ日は高い。
「何言ってるの。 5人居るんだから、皆が入り終わるのに時間がかかるのよ」
ほらタオル、と明美が博美に畳んだタオルを渡した。
「そうや。 博美、お婆ちゃんと一緒に入ろうか」
思いついたように明子が口を挟んだ。
「えっ! お婆ちゃんと? どうして?」
いきなりの言葉に博美が「ぽかん」とする。
「小さい時は一緒に入りよったけんど、近頃は入ってなかったろう。 久しぶりに入りとうなったが。 女同士やき良えやろう?」
「う、うん。 良いけど……」
明子に押し切られるように返事をすると、博美は着替えを取りに奥の部屋に行った。
湯船の中で、博美は明子が髪を洗っているのを眺めていた。
「(お婆ちゃんも、意外と大きいんだー)」
髪を洗うために前屈みになっている事で、明子の胸は重々しく下がっている。
「(……これ大きくなるのかな……)」
博美は目線を下げて自分の胸を見た。お湯の中、という事もあり博美の胸は真っ直ぐ前を向いている。
「(……重力を無視してるもんな……)」
しかし、お湯から出ても前を向いている事は博美がよく知っていることだった。
「なに見ゆうが。 心配せんでも博美も大きゅうなるちや」
何時の間にか洗い終わった明子が見ていた。
「なるかなー」
「なるなる。 明美も中学校の頃はそう心配しよったけんど、ちゃんと大きゅうなたがやき」
にこにこして明子は湯船に入ってきた。
「けど、ほんま博美は色が白いちや。 腕も白いと思うたけんど、それでもちーっとは焼けちょったがやね。 お腹なんか真っ白で透きとおっちゃーせんか?」
お湯を透かして明子が博美を見た。
「贅肉も無うて、括れちゅう。 お婆ちゃんは肉が付いちゅうきに、うらやましい」
明子が手を伸ばして博美の脇腹を触った。
「ちょ、ちょっとお婆ちゃん、くすぐったい」
博美が腰をくねらせる。
「おまん、お尻が大きいがね。 服着ちょった時は分からんかったけんど。 こればー大きかったら良えわ」
明子の手が脇腹からお尻に向かった。
「えーー 僕、お尻が大きいのは嫌だ。 なんか重そうなんだもん」
湯船の中で博美は明子との距離をとった。
「なに言いゆうが。 子供生むに楽やに。 安産体型、言うろう」
女はお尻やで、と明子が微笑んだ。
博美が風呂から上がり居間に行くと、夕食のおかずを肴に豊久が一人でビールを飲んでいた。
「おう、上がったか。 皆が揃うまでゆっくりしちょき」
博美が来たことに気づき、豊久が言う。
「お爺ちゃん、おかずが無くなっちゃうよ?」
博美が風呂に入っている間に明美が用意したのであろう、から揚げや野菜の天麩羅が中央に置いてある。
「かまんかまん。 おまんらの分は残しちゅう」
言いながら豊久はビールを注ぐ。
「……やっぱり博美は女になったがやな……」
ビールの入ったコップに口を付けながら上目使いで博美を見た。
「……かわいいのう……」
豊久はビールを飲んだ。
「……俺の子供、孫はみんな女やった。 博美が初めての男やと思っちょったに。 女になってしもうた……」
コップをテーブルに置く。
「……酒を酌み交わす、ってのは俺には出来んかった、ちゅうことやなー」
豊久はビール瓶を取ろうと手を伸ばした。
「お爺ちゃん、ごめんね。 こればっかりは仕方がないんだ」
伸ばした先にビール瓶はなく、博美がそれを持っている。
「でも、成人したら僕が一緒に飲んであげる。 だから今日は注ぐだけで勘弁して」
豊久の持つコップに博美がビールを注いだ。
「それに、飲んべの彼氏を連れてくるから」
えへっ、と博美が舌を出した。
「えへっ、うふっ、ふふっ……」
豆電球の明かりの下、部屋いっぱいの蚊帳の中で博美が思い出し笑いをしている。真ん中に明美、右側に博美、反対側に光が寝ていた。
「な~に、博美。 気持ち悪いわねー」
明美が横を向く。
「うふっ。 お爺ちゃんにビール注いであげたんだよね。 そしたら「ぶわー」って泡が出てね。 お爺ちゃんったら大急ぎで口を付けたんだよ。 口の周りが泡で真っ白でサンタさんみたいになっちゃってー おかしかった」
明美の方を向いた博美がくすくす笑う。
「そう言えば、あんた彼氏を連れてくるって言ったんだって?」
明美が呆れている。
「えーー お姉ちゃん、加藤さん紹介するの? すごーい」
光もまだ起きていたらしい。
「んっ? そんな事言ってないよ」
博美が目を丸くする。
「お爺ちゃんが言ってたわよ。 飲んべの彼氏を連れてくるって言ったって」
明美が半眼になった。
「あれは違うよー 冗談のつもりだったのに。 第一、康煕君は未成年だよ。 飲んべのはず無いじゃない」
博美がタオルケットから手を出して顔の前で左右に振った。
「あんたねー お爺ちゃん、本気にしてたわよ。 博美に男が出来たって言って」
はあ、と明美が息を吐く。
「明日、ちゃんと言っときなさいよ。 お爺ちゃん、ショックで寝込むかもよ」
「うん、それはいいけど……なんて言えば良いの? 彼氏が居るのはほんとだし……飲んべかどうか分からないって言えば良いのかな?」
「そうじゃなくて、連れてはこないって言うの」
おやすみ、と明美が目を閉じた。
「うん。 おやすみ」
博美も目を閉じる。山の中の家はクーラーがなくても涼しく、博美はすぐに夢の世界へと旅立った。
朝日に照らされた山の中の家から一人の老婦人が出てきた。それまで我が物顔で遊んでいた小鳥たちが大慌てで飛び立つ。
「(……まだ開けんが良かろうか……)」
閉まった雨戸をちらっと見ると、彼女は庭を横切っていった。
「……んっ? 朝?」
そのころ家の中では博美が小鳥の声に目を覚ました。
「……知らない天井だ…… なんちゃて♪……へへ」
知らない筈はない。幼い頃から毎年一回は寝ている部屋だ。自分で言った言葉に恥ずかしくなった博美はタオルケットを頭から被った。
「(……そして、胸を触って「あるっ!」 あそこを触って「ないっ!」って言うんだよな……)」
何処で仕入れた知識なのか? 博美はタオルケットの中で「にまにま」する。
「なーに。 博美、起きたの?」
博美がごそごそ動いた所為だろう、明美が目を覚ました。
「うん。 起きちゃった」
博美がタオルケットから顔を出す。
「そお。 もう起きる? お母さんはもう少し寝てたいけど」
いつも一人で家を切り盛りしている明美にとって、実家は年に一度ゆっくり出来る場所なのだ。
「うーん……起きようかな」
タオルケットを捲り、博美は立ち上がった。うーん、と背伸びをする。
「ちょっと庭に出てくるね」
蚊帳を捲ると博美は部屋を出て、そのまま玄関に向かった。
「うわー 眩しー」
空気が澄んでいる所為もあり、外は光に溢れている。博美は玄関から出たところで目が眩んだ。
「んー お婆ちゃんかな?」
目を細めて庭の端を見ると、誰かが居る。博美はそちらに歩いて行った。
「おはよう、お婆ちゃん。 わー 今年も野菜が出来てるんだ」
行ってみると、そこに明子がいて、ナスやキューリなどの野菜が足元のカゴに入っている。
「おはよう。 これがお婆ちゃんの楽しみやから。 近くに店もないし、買うたら高いきに」
下がっているトマトを触りながら明子がにっこりする。
「僕が取って良い?」
「良えよ」
明子がハサミを博美に渡した。博美はハサミを持つと、左手で赤くなったトマトを支えてヘタを切る。
「お婆ちゃん。 何個いるの?」
博美はもう3個目を切っている。
「大きいきに、一人半分でええやろ。 5人おるがやき、3個でええ」
「んじゃ、これで終わりだね。 ねえ、朝ごはんは何?」
博美がそおっとカゴにトマトを入れた。
「ナスの入った味噌汁にしようと思うちょるけんど。 博美らーは卵焼きも要るろう?」
カゴを持って明子が歩き出す。
「お手伝いして良い?」
「んまー 博美が手伝うてくれるが? そら嬉しい」
明子に肩を抱かれて博美は玄関を潜った。
「いただきまーす」
朝食のテーブルに5人が揃っている。中央に切ったトマトを置き、それぞれにはナスの味噌汁と卵焼き、そしてご飯が配られていた。
「ねえ、私とお姉ちゃんは何でオムレツなの?」
光と博美の前は卵焼きでなくオムレツが置かれている。
「それ、僕が作ったんだ。 お婆ちゃんって凄いよ。 オムレツだって出来るんだよ。 教えてもらったんだ」
味噌汁椀を持ち上げながら博美が言った。
「おっ! 博美が作ったがかや。 お爺ちゃんにも分けてくれんろうか?」
豊久がそれを聞きつけた。
「良いよ」
博美が箸で切り分け、豊久の卵焼きの隣に乗せた。
「これは美味い。 博美は料理が出来るがかえ? もう嫁さんに行けるが」
さっそく一口食べると、豊久が言う。
「彼氏も居ることやし」
「お爺ちゃん。 僕は未だ結婚なんて考えてないからね」
慌てて博美は豊久の妄想を止めた。
豊久の運転する軽トラックの助手席に博美が座っている。これから山の上の畑までスイカを見に行くのだ。
「博美はまだラジコンしよったがかえ」
博美は「エルフ」の機首をジーンズに包まれた膝で挟んで支えている。
「うん。 止めてないよ。 お父さんと一緒に飛ばしてたんだもん。 止められないよ」
顔の前に来る尾翼を避けて横を向いた博美が答える。
「そうか。 そうやなー」
豊久が「うんうん」と頷いた。
「エルフ」が軽快に山肌を掠めて飛ぶ。斜面を吹き上げる風は軽い「エルフ」を簡単に持ち上げ吹き飛ばそうとするが、博美によってそれはねじ伏せられ「エルフ」の運動エネルギーに換えられていた。
「上手いのー そんな所を見たら男の頃と変わらんがや」
草刈の手を休めた豊久が腰を伸ばした。十分なエネルギーを持った「エルフ」は今、大きく宙返りをしている。
「まだまだ僕なんてたいしたことないよ。 この間日本大会を見てきたけど、凄かったんだから」
博美が謙遜して見せるが、「エルフ」は背面飛行中だ。下面フラットの翼形(翼の断面形状)でラダーオンリー(補助翼が無い)の「エルフ」で背面飛行をするのは尋常でないテクニックが必要なのだ。
「そうかそうか。 頑張らんといかんなー」
だが、そんなことは露とも知らない豊久は相槌を打つと草刈を再開した。
「うん」
エルロンが無いにも関わらず「エルフ」はロールを始める。
「(ふふ♪)」
飛行機を飛ばしていると、ご機嫌な博美だった。
今朝取ったキューリの酢の物やトマト等をおかずに素麺のお昼御飯を食べた後、博美たちは帰り支度を始めた。
「あの酢の物、美味しかったね。 流石はお婆ちゃんだね」
ジーンズを脱ぎながら博美が言う。
「あれは私が作ったんだよ」
その横から光が答えた。
「お婆ちゃんに習いながらだけど」
「ほんと? 凄いじゃない。 んじゃ、帰ったら教えて」
Tシャツも脱いでブラとショーツだけになった博美が光を見た。
「おーい、スイカは何個持っていくぜよ? ……っと着替えよったがかえ」
豊久が障子を開けたところで止まった。
「おー ちゃんと娘になっちゅうが。 スタイル良えのう」
「お爺ちゃん!」
光が博美の前に立った。
「お姉ちゃんの裸は見ちゃ駄目なんだよ! お婆ちゃーん!」
光が明子を呼ぶ。
「なんかねー っつ、あんた何しゆうぜよ! 孫の着替えを覗いて。 こっちに来や!」
豊久は明子に引き摺られていった。
「お爺ちゃん、大丈夫かな?」
光の後ろから博美が尋ねる。
「んー 多分、そんなに酷いことにはならないと思うけど」
光が首を傾げた。
「でもさ、お姉ちゃんも「きゃー」ぐらい言いなよ」
「別にお爺ちゃんに見られたぐらい、どおってことないけど。 小さい頃からいっつもだし」
博美はのんびりしたものだ。
「お姉ちゃんは、もう子供じゃないの。 男に裸を見せたらいけないのよ」
お爺ちゃんだって男だから、と光が諭した。
「お爺ちゃん、頬っぺたが腫れてたみたい。 どうしたのかしら」
運転席で明美が首を傾げる。
「えっ、そ、そうだったかな……」
外を向いたまま博美が答えた。
「こう、なんて言うか…… 抓られたみたいに」
「お婆ちゃんだよ。 きっと抓ったんだ」
後ろから光が割り込んできた。
「お爺ちゃんね、私達が着替えてるところに来てね、お姉ちゃんの裸を見たんだよ」
お婆ちゃんを呼んだんだ、と光が楽しそうに言う。
「そう。 んで、博美はなんて言ったの?」
信号で止まっていることを良い事に明美が博美を覗き込んだ。
「んっ? 別に何にも言わなかったけど」
相変わらず博美は外を見ている。
「ひ・ろ・み あんた「きゃー」ぐらい言いなさいよ。 乙女の嗜みよ」
「だ、だってー 男同士じゃない。 気にならなかったんだもん……っあ! 僕、女だった……」
今になって見られたら不味いことに博美は気が付いた。
「最近、指導が甘くなってた見たいね。 帰ったら「びしびし」鍛えないといけないわね」
にやっ、と明美が口角を上げた。
「べ、別に一度失敗しただけじゃない。 ねえ、勘弁して……許して……」
スイカ三個と野菜をお土産に、明美の車は軽快に坂を下っていった。




