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空の妖精  作者: 道豚
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インバーテッド ローリングサークル

 ホテル2階の会議室に一人の少女と十数人の日に焼けた男が集まっていた。教室程度の広さの室内にはテーブルが「ロ」の形に置いてあり、片側にはホワイトボードと投影用スクリーン、そしてパソコンが用意してある。

「全員集まったようだな。 それじゃアンノウンのプログラムを決めるぞ」

 ホワイトボードの前に立ち、成田がマイクを握っている。

「まず演技選択順を決める為、くじ引きだ。 10位の田倉君から引いてくれ」

 成田が箱を取り出した。

「あっ! 言い忘れたが、秋本博美君にも参加してもらうから」

 影のトップだな、と成田が付け足す。

「おまえら覚悟しろよ」

 「にやにや」と成田は部屋を見渡した。




「さあ、始めるぞ。 持ち時間は一人2分だ。 不味いときは俺や安岡さんが修正をする」

 模型の飛行機を持って成田が宣言した。スクリーンにはパソコンの画面が投影されている。

「一番は……本田君だ」

 成田は手に持った飛行機で本田を指した。

「はい。 それじゃ……フィギュアM 3/4ロールズ を……」

 これは二つのストールターンを繋いだ演技だ。ホワイトボードに成田がアレスティ記号を描き、スクリーンにもそれが表示された。

「……うっ!……」

「……いきなりか……」

「……奴はストールターンが得意だもんな……」

     ・

     ・

     ・

 いきなりの高難度の演技に会場がざわつく。

「次……種子田君」

 何もないように成田が次の選手を指名した。

「……インメルマンターン……」

 成田が図形を書き足す。

「高い高度の正面水平飛行で抜けるぞ。 次は上から始まる演技だぞ。 間違えるなよ」

 模型飛行機を高くかざして成田が言った。

「……ダブルインメルマン フルロール……」

 指名される前に次の選手が発言する。

「よし。 次……」

 再び成田がホワイトボードに追加した。

     ・

     ・

     ・

「(ふわー いろんな演技があるんだー おもしろーい。 割とスナップロールが多いかなー?)」

 次々決まっていく演技に、博美は頭の中でスティックワークをしていた。

「次は……秋本君か。 博美ちゃん、何を入れる?」

 ついに博美の番がきた。

「えーーっと。 それじゃ……インバーテッド ローリングサークル 一回転」

 これまで出てないから、と博美が口に出した。

「おい! ちょっと……」

「……それは無いぜ……」

「……止めてくれー……」

「……出来るんか?」

「……終わった…………」

     ・

     ・

     ・

 部屋中から絶望や抗議の声が上がる。

「煩いぞー 静かにしろ。 抗議は俺の許可を得て発言しろ!」

 成田がマイクに叫んだ。流石に会場が静かになる。

「あの…… えっと…… 駄目ですか? 上手いこと高い高度だから安全かなっと…… 背面スタートだから舵の使い方が違いますけど……」

 あまりの抗議の声に博美が小さく答えた。

「いいや、全然問題ないぞ。 面白いじゃないかー ここでローリングサークルか…… はっはっは」

 ホワイトボードに描かれている演技を最初から眺めて、成田が笑い出した。

「いいぞ、いいぞ。 これは良い。 腕の無い奴は点が取れないな…… よっし、採用だ」

 ホワイトボードに成田がローリングサークルを書き足した。

「ところで、ロールは内回り? それとも外回り?」

 右旋回中に右ロールをするのが内回りで左ロールをするのが外回りだ。同じローリングサークルと言っても舵の使い方が変わる。

「内回りでお願いします」

 さして考えることもせず博美が答えた。

「……言った……」

「……そっちか……」

「……俺、この演技はパスする……」

     ・

     ・

     ・

 会場内がお通夜の席のように静まり返った。




 選手権大会決勝の朝、これまでと同じように博美はチームヤスオカのワンボックス車で会場に向かっていた。

「フィギュアM…… エレベーター引いて、3/4ロールして、ストールターン。 また3/4ロールしてインバーテッドループ。 また3/4ロールして、ストールターンして。 はあ……3/4ロールして、引いて。 やっと終わり? 長いよー こんなの覚えるのー?」

 いや、これまでと少し違っている。それは博美がA4のプリントを見ながら小さな模型を空中で動かしていることだ。

「頑張れ頑張れ。 決勝に出てくる選手はみんなやってるぜ。 目慣らしが間違えたらシャレにならないだろ」

 森山が助手席から声をかけた。

「しかし、アンノウンって二つあるんですよ。 二つとも覚えなきゃならないのは、大変だ」

 博美の横に座って、同じプリントを見ている加藤がそれに反応した。当然、助手の加藤も覚えておかなければならないのだ。もっともプリントを見ながら助手をすればいいので、博美ほどは切羽詰っては無い。

「もう、黙ってて! インメルマンターン…… これはいいや。 ダブルインメルマン…… 上からはいるんだ。 えーっと、フルロールだから…… 後のループはインバーテッドっと」

 一生懸命博美が模型を動かす。

「(学校の勉強もこれぐらい頑張ってやればいいのにな)」

 横目で博美を見ると、加藤はプリントに目を落とした。




 会場は昨日と違って風も弱く、雲一つ無い良い天気だ。しかし飛行機を組み立てた選手は空も見ずにそれぞれ模型を持ってアンノウンを覚えていた。

「安岡さん、覚えましたか?」

 本部テントの中で奥山が聞く。

「いやー 年だね。 なかなか覚えられなくてね」

 模型を持った安岡が苦笑いをした。アンノウンを覚えなければならないのはジャッジも同じなのだ。

「いやいや、若くても覚えるのは大変ですよ。 しかし、このローリングサークルは見ものですね。 これで順位が決まるかも」

 ジャッジの中では比較的若い吉村が言う。

「そうだねー 博美ちゃんも、空気を読まずによく入れたものだ。 それを採用する成田君もたいがいだけどね」

 あの人は面白ければいいんだから。という安岡の言葉に三人は笑いあった。




「……アワーグラスをして……ハーフスクエアループ。 ってこれただの垂直上昇だよね」

 ワンボックス車から張られたタープの下、博美はプリントを見ながらアンノウンを覚えるのに余念が無い。ノウンプログラム一回目の井上の助手が終わってから、ずうっと此処に座っているのだ。

「……高い位置の背面飛行で抜けるっと。 ローリングサークル 内回り。 えーっと、次は……」

「博美。 もう直ぐ出番だぜ」

 競技の進み具合を見に行っていた加藤が帰ってきた。

「んっ、分かった。 ねえ康煕君、覚えた?」

 返事をしながらも、博美はプリントから顔を上げない。

「ああ、大体はな。 助手はプリントを見られるから問題ない」

 言いながら加藤は椅子に座った。

「いいなー これってサングラスに投影、なんて出来ないのかなー」

 溜息をつきながら博美は加藤を見る。

「それってルール的にどうなんだ? まあ、不可能では無いだろうけどな。 今無いのは仕方ないさ」

 それより行くぞ。 と加藤が立ち上がった。




 今日の競技が始まって既に2時間経っている。夏の太陽はもうかなり高く、影の長さも短い。その太陽に照らされるエンジン始動ピットに置かれた「ミネルバⅡ」の前にしゃがんで、博美はスターターを握っていた。

「……あの、エンジン掛けられるんだな……」

「……怪我しなきゃいいけど……」

「……いつも誰かに任せてたのになー 流石に今日はセルフか……」

     ・

     ・

     ・

 遠巻きにして見ている選手達が心配顔で博美を見ている。井上や篠宮はアンノウンを覚えるのに忙しいのだ。その為機体ホルダーは予選11位で朝一番にノウンの目慣らし飛行をした長田選手に頼んでいた。

「秋本さん。 用意はいいですか?」

 タイムキーパーが博美の横に立った。

「はい。 いつでも良いです」

 プロペラを始動位置に回しながら博美が答える。

「はい。 スタートします」

 ストップウォッチを押してタイムキーパーが離れた。博美はプラグの電源を入れ、スターターをスピンナーに押し付ける。大排気量のエンジンを回すため、スターターはトルクが大きい。反トルクで回されそうになるスターターを握り締めて博美は点火するまで耐えた。

「ブンッ・ポロポロポロ……」

 少し燃料がエンジンに入っていたのだろう、一瞬高回転で回った後、エンジンは静かにアイドリングを始めた。博美は機体の横に移動してプラグの電源を外し、スロットルを上げた。

「ゴーーーーー……」

 フルスロットルのまま、博美が混合気の調整をする。

「ポロポロポロ……」

 再びスロットルを閉じるとエンジンは安定してアイドリングで回り始めた。

「……上手いじゃないか……」

「……あんな可愛い娘がエンジンの調整するってのは……なんか良いね」

「……飛ばすだけじゃ無かったってことか……」

     ・

     ・

     ・

 滑走路に運ばれる「ミネルバⅡ」と操縦ポイントに歩いていく博美を交互に見て、集まった選手達は感心していた。




 ゆっくりと「ミネルバⅡ」がセンターに近づいてくる。風が弱いこともあって、博美は出来る限り遅く飛ばしているのだ。

「フィギュアM 3/4ロールズ」

 加藤が後ろで教える。

「うん」

 博美は小さく答えた。センターの少し手前「ミネルバⅡ」が機種を上げ垂直上昇姿勢をとる。わずかのポーズを見せると、3/4ロール(90度ごとに一瞬のポーズを見せながら270度ロールする)をして更に上昇。天辺でストールターン(止まった状態で横に180度向きを変え真下を向く)をする。垂直降下のポーズを見せると再び3/4ロール、更に降下してインバーテッドループ、二度目の垂直上昇、三度目の3/4ロール、ストールターン、垂直降下、四度目の3/4ロール。引き起こして「ミネルバⅡ」は水平飛行に移行した。

「……上手い。 ストールターンの高さが同じだ……」

「……上りと下りでロールレートが一緒じゃないか……」

「……あのストールターンは成田と同じだ……」

     ・

     ・

     ・

 一つ目の演技から観客が目を見張った。本田の選んだこの演技は係数5と難易度が最高クラスなのだ。それを博美はぶっつけ本番でほぼノーミスでやってのけた。

「インメルマンターン」

 加藤が次の演技を教える。

「んっ」

 軽く頷き、博美が風上サイドで「ミネルバⅡ」を大きく宙返りさせた。頂点でハーフロールをして高い高度の水平飛行に移る。

「ダブルインメルマン フルロール」

 加藤が直ぐに次をコールした。

「うん」

 返事をしながら博美は「ミネルバⅡ」がセンターを超えるまで水平飛行を続ける。センターを少し越したところでエレベーターダウンにより「ミネルバⅡ」はインバーテッドループに入った。ちょうど180度宙返りをしたところで一回転ロール、低い高度の背面飛行に移る。そのままインバーテッドフライトをセンターに対して対称の位置まで行うと再びインバーテッドループ。高く上った「ミネルバⅡ」は演技を始めた高度まで到達した。すかさず一回転ロール、まるで演技など無かったかの様にセンターを通り過ぎていった。




 アンノウンに含まれる演技は離着陸を入れて19個ある。そして今「ミネルバⅡ」は16個目、博美の選んだ「インバーテッド ローリングサークル 内回り一回転」の演技を始めた。高い高度のインバーテッドフライトでセンターに来た「ミネルバⅡ」はゆっくりと右にロールを始める。それと同時に右に旋回もしていく。機体の傾斜が少ないときはラダーでコースを変え、傾斜が増えて主翼が垂直になった時にはエレベーターがコースを変える役目をする。その時はラダーを使って機首を持ち上げ、高度を保たなければならない。このラダーとエレベーターの複合操作がとんでもなく難しいのだ。

「……凄い……」

「……どうなってるんだ……」

「……ラダーとエレベーターの操作に継ぎ目が無い……」

「……無理だ……」

     ・

     ・

     ・

 博美は一回転の旋回を、一回転のロールをしながら丸く描いてみせた。




 アンノウンプログラムに使われる演技は、予め登録された何十種類かの演技から選びます。

 自己流の勝手な演技は使えません。

 演技は繋がり(前の演技が背面飛行終了なら背面飛行スタート等)が重要ですので、審査委員長が審査します。

 自分が得意で、他人が不得意な演技が入れられたら有利ですので、駆け引きが行われるはずです。


 こういったアンノウンプログラムが決まる過程は、何故かネットに殆ど出ていません。2001年ごろの情報を元に書かせていただきました。


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