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空の妖精  作者: 道豚
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悔しい!


 チームヤスオカのワンボックス車から張られたタープの下、ピクニックテーブルに博美は突っ伏していた。「 ミネルバⅡ」は既に分解されて車の中にある。

「(うーーーー 悔しい! なんであんな事になったんだろー)」

 着陸した後、それまで遮断されていた情報が脳に流れ込んできた。そしてその中には前半の不甲斐ないフライトがあり、博美は自己嫌悪に打ちのめされたのだ。




「なーにやってんだ? もう飛ばしたのか?」

 悔しさに博美が「ぐねぐね」と身悶えていると、頭の上で声がした。

「くねくねして、トイレか?」

「そんなはずないでしょ!」

 がばっと上体を起こし、博美は振り返った。そこに居る人間を確かめると、立ち上がり、襟を持って捻りあげる。

「こ・お・き・く・ん。 いったいどうしてこんなに遅かったの? もう僕は飛ばしちゃったよ」

 博美は渾身の力を込めて、八つ当たり気味に加藤の首を絞めた。

「悪い悪い。 井上さんのレガシィが高速の上で止まっちゃったんだよ。 生憎と携帯が園外で連絡もできなかったんだ」

 力一杯絞めているはずなのに、加藤は平然と話している。

「悔し~ なんで喋れるの? 樫内さんが絞めたら気絶するくせにー」

「んっ? 全然絞まってないぜ。 樫内さんは柔道ができるんだろう? 博美は素人だからな」

 にまにましながら加藤は博美の手を握って首から外した。

「ふんっ! もういいよ。 もう飛ばしたから康煕君はお役御免だね」

 博美は再びテーブルに伏せてしまう。それを見て加藤はピクニックテーブルの反対側に回ると椅子に座った。

「んで、どうだった?」

 テーブルに肘をつき、手に顎を乗せて加藤が聞く。

「ん…… 言いたくない……」

 組んだ腕の中に顔を埋めたまま博美が言った。

「という事は、上手く行かなかったってことだな」

 加藤が「ふっ」と息を吐いた。それを聞いて博美が顔を上げる。

「そうだよ! なんか訳が分からないうちに演技が終わっちゃったんだ。 お腹が痛いのは治ってたのに…… もう悔しい!」

 体をぐねぐねくねらせ、地団太を踏むように博美が脚をばたつかせる。

「チームの皆や安岡さんがせっかく用意してくれたのに…… その期待に答えられなくて……」

 博美の大きな目に涙が光る。

「お父さんの「ミネルバⅡ」はもっと素敵に飛ぶはずなのに……」

 またまた博美は腕の中に顔を突っ込んでしまった。




「フライト順を確保してきたぜ。 午後になっちゃたけどな。 っと、どうしたんだ?」

 井上が加藤と博美を探してチームヤスオカの車まで来た。タープの下に置いてあるテーブルの椅子に二人が居る。

「なんだ、なんだ。 泣いてるのか?」

 井上の声が聞こえているはずなのにテーブルに伏せたまま博美は動かない。

「失敗しちゃったみたいなんです。 それが悔しいらしくて……」

 今は横に座って博美の頭を撫でていた加藤が答えた。

「ああ、そうらしいな。 今、新土居君から聞いた」

 井上は博美の前に座った。

「博美ちゃん。 随分緊張してたそうじゃないか。 初めての大舞台だ。 誰だって緊張するさ。 でも後の方では上手く飛んだんだろ。 それで十分じゃないか」

 手を伸ばして井上は博美の頭を撫でる。

「俺だって、真鍋さんだって、誰だって始めて出たときは緊張したんだ。 結局は慣れるしかないんだよ。 博美ちゃんは最後には実力が出せたんだろ? 大したもんじゃないか」

「でも…… 折角出られるようにしてくれた安岡さんに申し訳ない……」

 顔を伏せたまま博美が言った。

「そのことだけどな。 安岡さん、こうなることは予想してたようだぜ。 どうやら博美ちゃんにプレッシャーの掛かった状態でのフライトを経験させたかったんだろ。 だから成田さんに頼んだんだ。 成田さんもそれを知っていて、それでもOKしたんだな」

「本当ですか?」

 博美が顔を上げ、真っ直ぐ井上を見る。

「ああ、だから大丈夫。 責任を感じる必要は無いぜ。 明日からも気楽に行こう」

「はい。 でも如何したら良いか…… 気楽になんて無理です」

 博美は目を伏せた。

「慣れだよ、慣れ。 真剣にならないことだよ」

「こんなことに慣れられるんでしょうか……」

 なかなか納得できない博美だった。




 井上の運転するワゴン車の助手席に博美は乗っている。井上のフライトが午後になったので、博美は手術をした岡山の病院に診察に行く事にしたのだ。

「レガシィが止まったって聞いたんですけど…… これってレガシィじゃないですよね」

 以前はよく乗せてもらったので、博美は内装が違うのに気がついていた。

「ああ、これはレンタカーだ。 レガシィは修理に出してきた。 ほんとまいったぜ。 いきなり止まるもんだから、加藤君に路肩まで押してもらったんだ。 しかも携帯が園外だろ。 電話機の所まで歩いて行ってJAFを呼んでな。 修理工場まで運んでもらって、そこからレンタカー会社にタクシーで行って、飛行機を積み替えるのにまた修理工場まで行って…… ほんと疲れた……」

 もううんざりだ、と井上が零す。

「大変だったんですね。 すみません。 疲れてるのに送ってもらって……」

「いやいや。 これは約束してたからね。 元より承知の事だ」

 せっかく岡山の近くに行くのだから、と診察に行く事を博美は井上に頼んでいたのだ。井上は博美がなんの手術をしたのか知っているので、こんな時は都合がいい。

「それでどうなんだ? 体の調子は。 最近は不調の事がないみたいだな」

 あんまり会ってないけどね、と井上が続ける。

「うーん…… そうですねー 調子はいいですね。 生理の時の体調もあまり悪くならないし。 って言っても男の人には分からないですね」

 えへへ、と博美が照れ笑いをした。




「(えーっと、ここかな?)」

 いくつかある待合室の一つに博美はやって来た。病院の前で降ろしてもらい、井上と別れて博美は一人で来たのだ。女性が何人か椅子に座って、それぞれ本などを読んでいる。博美はきょろきょろと空いた席を探した。

「(あそこが空いてるかな?)」

 本を開いた長身で長い髪の女性が座っている隣が空いている。

「(うわー 金髪だよ。 ロシアの人かな? えーと、ロシア語では挨拶ってどう言うんだろ?)」

 外国語が不得意な博美は、その女性の容姿を見てそこに向かう足が止まってしまった。

「(綺麗…… 素敵な足……)」

 柔らかな素材のロングスカートから僅かに覗く足首は白くて細っそりとしている。っとその時、顔を上げた女性が博美を見た。彫りが深く、鼻筋の通った男性的な美人だ。

「どうぞ」

 女性は少しハスキーな声で博美を誘った。

「は、はい。 すみません」

 ドキドキしながら博美は隣に座る。

「(背が高いなー 髪からいい匂いがする)」

 ついつい博美は横顔を見てしまう。

「間違ってたらご免なさい。 あなた5月に手術した?」

 本を閉じ、その女性が博美の方を向いた。

「えっ! そ、そうですけど…… お姉さん、どうして知ってるんです? と言うか、日本語が話せるんですね」

「んっ? ……ぷっ……うふふ。 私は日本人よ。 なんだと思ったの?」

 小さく笑うと女性は博美を覗き込んだ。

「それにね、私は法律的にはお兄さんなのよ。 うふふ、あなたほんと写真より可愛いわね。 とても男だったなんて信じられない。 それで今は法律的にも女の子なの?」

 男だ、と言われて驚きながらも博美は目の前の人物をじっくりと見た。背は高いが、女性でもそれぐらいの人は居るだろう。肩幅は確かに広いようだが、日本人離れした容姿により違和感がない。胸は博美と同じくらいだろうか、Cには届かないようだ。ウエストはしっかり括れていて、ヒップに向かって綺麗なカーブを描いている。

「こんなにスタイルが良くて、男の人だなんて信じられません。 それに僕のこと、なんで知ってるんです?」

 初めての人に自分の秘密が知られているのが博美には不思議だ。

「ありがとう。 これはね、努力の賜物なの。 やっぱりスタイルが悪くっちゃね。 で、知ってるわけはね、この待合室が「そういう」人の場所だから」

 さり気なく女性は周りを見渡した。博美も釣られて見渡す。

「それって…… ここに居る人たちは男の人だって事ですか? 信じられない」

「そうよ。 皆さんGIDの人たち。 既に工事済みのね。 あ、勿論あなたみたいな分化疾患の子も居るかも」

「工事済み?」

 場違いな言葉に博美は「きょとん」とする。

「あそこの手術をすることよ。 大変な手術だからそんな風に言うのかな? あなたもしたでしょ」

 女性は博美を見て「にっこり」した。

「あなたの手術のことを知ってるのはね。 ほんとはその日は私が手術するはずだったの。 でも緊急だからって事で譲ったのよ。 そのとき写真だけは見せてもらったから知ってたったわけ。 でさ、私はユキって言うんだけど、あなたは?」

「えっ! そうだったんですか…… すみません、そんなことがあったんですね。 ユキさんですね、僕は」

「ちょっと待って。 偽名でいいわよ。 ユキも本名じゃないから」

 ユキと名乗る女性が慌てて博美を止める。

「私たちは、もともと男でしょ。 だいたい男っぽい名前なのね。 だから殆どの人は偽名っていうか通称名を名乗ってるの。 でないとばれるでしょ」

「えっ! えっと…… えっとーー」

 いきなり偽名と言われても博美は何も思いつかない。

「(博美っていうのは女の名前で通用するよね。 普通に使ってるし。 まあいいや) それじゃ博美です」

「博美ちゃんね。 よろしく。 で法律的にも女の子?」

 ユキの質問が最初に戻った。

「はい、遺伝子が女だと分かった時にお母さんが手続きしてくれました」

 遺伝子が女だという事で、裁判所も即刻判断をしてくれたのだ。お陰で高専に入学するときには法律的にも博美は女になっていた。




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