日本選手権公式練習2
係員に名前を書いてもらい、博美はチームヤスオカの車に戻るため歩いていた。始動用具の入ったボックスや送信機、そして肝心の「ミネルバⅡ」をピットに運ばなければならないのだ。
「なに? この人たち……」
駐車場まで来て見ると、ワンボックス車の前には黒山の人だかりが出来ていて、博美は車に近寄れない。
「これが「ミネルバ」かー……」
「違う「ミネルバⅡ」だろ……」
「伝説だよな「妖精の秋本」……」
「ラダーの大きさが半端じゃないな……」
「意外と薄翼なんだな。 これで速度の抑制が出来るんか?……」
「ラダーの後ろを見てみろよ。 あれだけ開いてればブレーキになるかもな……」
・
・
・
皆、口々に「ミネルバⅡ」の感想を言っている。おそらくは新土居達が「ミネルバⅡ」を組み立てているのだろう。おじさんの中に分け入るのは博美としては遠慮したい。仕方なく博美はタープを張っているのと反対側から車に乗り込み、タープの側に出ることにした。
「おおーーー!」
人だかりから歓声が上がる。それも当たり前、ファッションモデルが観衆の前にドアから出てきたようなものだ。
「可愛いーー」
「妖精ちゃーん」
・
・
・
車から張り出したタープを馬蹄形に取り囲んでいた男達から掛け声が掛かった。カメラを向ける者さえ居る。
「森山さん、これって……」
とりあえずその辺は無視をして、博美は「ミネルバⅡ」を組み立てている森山に声をかけた。
「ああ、博美ちゃん。 ご覧の通り、皆さん「ミネルバⅡ」に興味があるんだよ。 勿論博美ちゃんにもね」
コネクターを差し込む手を止めて森山が顔を上げた。
「えーっと「ミネルバⅡ」は分かりますが、なんで僕?」
こくっと博美は首を傾げる。
「今月号のラジコン雑誌に博美ちゃんの記事が載っただろ。 今や博美ちゃんは有名人だよ。 アイドルだね」
「ええーーー! アイドルですかー」
周りのざわめきに負け無い叫び声が博美から発せられた。
篠宮が「ミネルバⅡ」を肩にかけて運び、その後ろを博美が送信機ボックスを持って歩いている。そしてその後ろには森山が始動用具や燃料の入ったアルミボックスを運んでいた。
「あそこです。 彼処に真鍋さんが見える」
博美が篠宮に指差して教えた。
「ああ、分かった」
篠宮は頷くと其方に向かって歩き出す。
「あのー 新土居さんは? さっきから見えないんですけど」
まさか迷子って事はないよなー と博美が気になっていた事を振り向いて森山に聞いた。
「新土居さんは営業の仕事に回ってるよ」
重いアルミボックスを持ち直しながら森山が答える。
「えっ! 営業? 新土居さんって仕事に来たんですか?」
ぽかんと博美が口を開ける。
「それもあるよ。 俺も後から安岡模型のテントに行ってメンテの仕事に入るから。 後は篠宮くんと居てね」
トップ選手が集まる日本選手権の会場はメーカーの宣伝にもってこいであり、駐車場の一部は展示会場の様になっている。其処には新しいエンジンや飛行機、ラジコン装置がそれぞれのメーカーのテントに置かれていた。そしてユーザーへのサービスとしてメンテナンスも行われている。当然安岡模型のテントもそこに有り、今は新土居がユーザーの対応をしていた。
「新土居さんって何の仕事でしたっけ?」
やっと真鍋の居るピットまで来て、やれやれと博美が送信機ボックスを下ろす。
「新土居さんは完成機の製造だよ。 そこの係長なんだ。 で、来年の飛行機の注文を取るのが今日の仕事だね」
森山もアルミボックスを下ろした。
「来年の飛行機をもう頼むんですか?」
「シーズンの終わる秋には新しい飛行機が欲しいからね。 皆んな早く頼むよ。 マニアの人は毎年新しい飛行機を用意するんだ」
うーんと森山が背伸びをした。
「それじゃ、俺は仕事に行くから。 博美ちゃんの飛ばすときは見に来るけど、何番めに飛ばすの?」
「えーっと、7番めだったと思います」
「んっ。 それじゃ1時間ほどしたら帰ってくるね」
じゃ、と右手をあげると森山は歩いて行った。
整備スタンドに乗せた「ミネルバⅡ」の傍らに、博美はパラソルを立てて座っている。チラチラと視線を受けるが、博美はもう気にするのを止めていた。目の前の滑走路からは10~12分置きにスタント機が飛び立っていく。それらはパターンの練習だったり、エンジンの調整だったり、プロポの調整だった。
「さーて、そろそろ用意するかな」
隣のピットにチェアーを置いて座っていた真鍋が立ち上がった。
「そろそろですね」
何処からか篠宮がやって来た。
「ああ、あと二人だ」
真鍋は燃料ポンプのチューブを整備スタンドに乗せたスタント機「ギャラクシー」の給油口に差込みスイッチを入れる。一瞬の空転の後、ポンプは軽快な音を立てて燃料を汲み始めた。
「えっと、ホルダーと助手ってどうなってるんですか?」
準備を始めたのを見て、博美も近くに来た。たしかにここに居るのは篠宮と博美だけで、助手をする人間が居ない。
「篠宮君がホルダーだ。 これは前から頼んでいる。 助手は…… どうすっかな…… 井上君に頼んどいたんだが、まだ来ないな」
困ったな、と真鍋が腕組みをしてポンプを見ている。
「あのー 僕でよかったらしましょうか?」
それなら、と博美が言う。
「いいかい。 博美ちゃんがいいなら、願っても無いことだ。 井上君の秘密が見られるな」
うれしいね、と真鍋が微笑んだ。
篠宮が「ギャラクシー」を離陸位置に運んで行き、博美は操縦ポイントに居る真鍋の後ろに立った。
「(うん。 気流は安定してる。 怪しいサーマルも無いな)」
周りをぐるりと見渡し、博美は真鍋の飛行機を見た。井上の「ビーナス」より胴体のボリュームがある「ギャラクシー」は落ち着いた音を立ててアイドリングをしている。
「今のところ気流は安定してます。 サーマルも在りません」
篠宮が滑走路に飛行機を置くのにあわせて、博美が真鍋に告げた。
「ん。 ありがと」
真鍋は頷くとスロットルを開け「ギャラクシー」を離陸させた。
「(へー 井上さんとは大分違うんだ)」
助手として集中して見ていると、真鍋と井上は飛ばし方が違う。
「(真鍋さんって…… 未来の飛行機の動きが読めるの? ずれる前に修正してる……)」
井上は飛行機の動きを見て、それを修正する。その為、審査員より早くズレを見つけようと、とんでもなく集中している。真鍋は次に飛行機がどう動くのか分かってるかのように、予め修正舵を切っていた。
「(ひょっとして、これが経験の差? 真鍋さんって何年ラジコンしてるんだろう。 っと)真鍋さん、小さなサーマルが滑走路から上がりました」
風上サイドの演技「ハンプティ・バンプ」の最中に博美はサーマルに気が付いた。次はセンター演技「キューバン・エイト」で係数が高い。もしサーマルに当たって姿勢が乱れると減点が大きくなる。
「OK どうかな? 当たるかな?」
演技中にもかかわらず、平然と真鍋が聞く。
「おそらくは当たりません。 でも風が変わります」
サーマルが地面を離れると、その場所に向かって風が吹き込む。今回はパイロットの立っている場所と飛行機の飛んでいる場所の間でサーマルが上がった。その為、パイロットと飛行機はまるっきり反対の風を受ける事になる。パイロットが自分に感じる風で 修正舵を使うと、飛行機は大きく姿勢を崩す事になってしまう。
「分かった。 気をつけよう」
言ったと同時に、真鍋の周りの空気が変わった。井上の様に集中をしたのだ。
「(うわっ! 真鍋さんも出来るんだ)」
突然息苦しくなり、真鍋のモードが変わったのに博美も気がついた。
「ギャラクシー」はゆっくりとセンターを通過し、徐に機首を上げ、宙返りを始める。機首の角度に合わせてエンジンの音が大きくなり「ギャラクシー」は大きく宙返りをした。頂点の前後45度、合わせて90度を使って緩横転をして、背面飛行になり45度で降下する。この時にはすでにエンジンはスローになっていて「ギャラクシー」は降下姿勢にもかかわらず加速しない。センターを通過すると再び、ただし今度は逆宙返りをする。1回めと同じ様にスローロールをして45度で降下。1回めの宙返りと同心円を描いて水平飛行に移った。
「(凄い。 風で流されるのを綺麗に修正してる)」
横風を受けて宙返りをする飛行機は、風の影響で進行方向が変えられてしまう。それを修正する為にエルロンを切り続け、適時ラダーで進行方向を直す必要がある。しかしそれは姿勢の狂いを審査員に見せる事にもなる。
「(これって審査員に分かるものなのかな?)」
真鍋が集中力モードから抜け出し、博美は「ほっ」と息をついた。
着陸した「ギャラクシー」を篠宮が回収してきた。
「ありがと、ありがと。 けっこう遠くまで転がっていくね」
それを見て真鍋が謝った。アスファルト舗装の滑走路は抵抗が小さく、ブレーキの付いてないラジコン機はなかなか止まらないのだ。
「そうですね。 まあ、今のルールは壊れさえしなければ0点にはならないんですから、蛇行させてブレーキにしても良いかもしれませんね」
整備スタンドに「ギャラクシー」を乗せながら篠宮が言った。
「ああ。 他の選手の様子を見てやってみるよ」
燃料ポンプを繋ぎ、真鍋は機体から燃料を抜き始めた。
「あの、真鍋さん。 さっきのキューバンエイトですけど……」
後ろから博美が声をかける。
「はい。 ああ博美ちゃん、助手ありがとね。 ほんとサーマルが見えるんだねー キューバンエイトの時は助かったよ」
立ち上がって真鍋が振り向いた。
「ええ…… で、そのキューバンエイトですけど、あの修正は審査員に分かるんでしょうか?」
「ああ、あのやり方ねー うん、分かると思うよ。 審査員もフライヤーなんだから。 どんな修正をすれば良いかなんて知ってるよね」
真鍋は事もなく言う。
「えっ! それじゃせっかく修正したのに減点ですか?」
「うん、減点だね。 でもね、あれだけ小さな修正だから1点て所じゃないかな。 もし修正しなかったら3点は減点されるから、ずっとましなんだけどね」
しかたないよね、と真鍋は笑った。
「(うーん、修正しても減点。 しなくても減点。 だったら減点の少ない方って事かー 先手を取って判断しないといけないんだ)」
博美はスタントの世界の奥深さを見せられた気持ちになった。




