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空の妖精  作者: 道豚
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運動量=質量×速度


 博美の操縦で「ミネルバⅡ」が滑走路の中央にゆっくりと着陸した。ブレーキは付いていないのでエンジンを止めても慣性力で転がっていく。

「ふー……」

 完全に止まるまで見届けると、博美は後ろに立っている加藤に倒れ掛かった。

「おい、如何したんだ?」

 慌てて加藤が支えるが、博美はそのまま座り込みそうになる。

「ごめん、疲れた… 力が入らない…」

 送信機からも手を離して、博美は加藤に体を預けてしまった。

「…って、しょうがない」

 加藤は博美の膝と背中に手を回し軽がると持ち上げた。二人が始めて出会った時以来の「お姫様だっこ」だ。

「うふ♪」

 その時と違うのは博美が単純に喜んでいることだった。そのまま加藤はチームヤスオカのワンボックス車に行き、博美を後部座席に寝かせた。

「ねえ、秋本さん大丈夫?」

 その様子を見て樫内が覗き込んだ。

「うん、大丈夫だよ樫内さん。 着陸して気が抜けたら眩暈がしただけだから」

 博美の声は意外と元気に聞こえる。

「ゆっくり飛ばすことで、過度の緊張をしたんだろう」

 様子を見に井上もやって来た。

「俺も昔はよくそうなったもんだ。 いずれ慣れてくる。 少し休めば大丈夫だ」

「すみません。 助手しなくちゃいけないのに…」

 シートに寝たままで博美が言う。

「すこし後に飛ばすことにするから。 良くなったら出ておいで」

 右手を上げて井上は飛行機の元に行った。

「でもさ、加藤君って平気で秋本さんを「だっこ」するのね。 ひょっとしていつもしてるの?」

 樫内はさっきの「お姫様だっこ」が気になるようだ。

「いや、二度目かな? 最初は足首を捻挫した時だった」

 加藤は平然と答える。

「俺のグライダーを見つけてくれたときに岩から落ちたんだったな」

「へー 何時の頃よ」

 樫内の顔が険しくなってきた。

「3月の中ごろ? 初めて会ったときだ」

 加藤は樫内の様子に気が付かないようだ。

「あんたねー そんなに前から秋本さんと会ってたの? 高専に入る前じゃないの」

 言うが早いか、樫内は加藤の襟を掴み、首を絞めた。久々の「送り襟締め」だ。

「樫内さん。 そろそろ康煕君が窒息するかも」

 数分後、博美は今だに樫内が首を絞めているのに気が付いた。

「がはっ! ゲホゲホ…… お、おまえなー」

「あらっ? おかしいわねー まだ生きてるわ」

 自由になった加藤が睨みつけるが樫内は気にも留めない。

「それよりもさー 秋本さん。 捻挫してだっこしてもらったんだって?」

 樫内は加藤の側を離れ博美の寝ているワンボックス車に入ってきた。

「良い事聞いたわ。 うふふふ…… 篠宮さんに… へへへへ…」

「樫内さん? よだれ垂れてる…」

 清楚な表情が消え、呆けた顔の樫内がそこに居た。




 30分ほどして博美が車から出てきた。軽く見渡し、井上の所に歩いてくる。

「井上さん。 すみませんでした。 もう大丈夫です」

 井上に向かって「ぺこり」と頭を下げた。

「おー 大丈夫か? 無理するなよ。 それでも良い経験になっただろ?」

 練習をしている真鍋を見ていた井上が優しく答える。

「良い経験ですか?」

 博美は倒れたことが良い事だとは思えない。

「良い、と言うのはちょっと違うかもしれないがな… こんな事にもなるってことが分かっただろ? これも練習中だから出来ることなんだ。 博美ちゃんはまだまだ色々経験を積まないとね」

 井上が真鍋の方を見る。

「真鍋さんのフライトを見てごらん。 随分とゆっくり飛んでるだろ。 そうとう集中して飛ばしていると思うぜ」

 確かに今の真鍋は予選の時より遅い速度で飛ばしている。博美にもかなり無理をしているのが分かった。

「そうですね。 でも何故?」

「選手権本番では早く飛ぶと点が出ないんだ。 だから今はゆっくり飛ばして、それに慣れておくって訳だ」

「なぜ早く飛ぶと駄目なんですか?」

 やっぱり分からず博美が首を傾げる。

「あっちで説明しよう」

 井上がタープの下のテーブルを指差し、そちらに歩き出した。



「さて、理屈を説明しようか」

 博美の対面に座り、井上が話し出した。

「これは物理の問題なんだ。 運動量って分かるか?」

「はい、質量×速度ですよね」

 理数系の得意な博美は簡単に答える。

「そうだ、つまり運動量は速度に比例する」

「はい、そうなりますね」

 博美は頷いた。

「ところが、飛行機の姿勢を変える力は速度の二乗に比例するんだ」

 顔の前でてのひらを使って飛行機の動きを井上が見せる。

「ええと… 早くなるほど飛行機の反応が早くなる…」

 自分でも掌を動かしながら博美が言った。

「そうだ。 それが問題になる」

 井上が頷く。

「…何故? 早ければ早い。 おかしくないんじゃないですか?」

 博美が首を傾げた。

「演技は直線と円で出来てるよな。 ルールによると円の半径は一定でないといけないんだ」

 再び掌を飛行機に見立てて井上が動かした。

「人間がスティックを動かす速さは有限だ。 つまり、いきなり舵が動くわけじゃない。 よく考えてごらん、目標とする舵の角度に達する前から飛行機は反応するはずだろ」

「あっ! そうか。 早く飛んでいると、途中の舵角でも姿勢が変わる」

 博美が井上の目を見た。

「そういうこと。 円の半径が一定でなくなるんだ。 人間が乗ってれば、その方がいい。 乗り心地が良いからね。 でもラジコン機なんだから…」

「直線と円の繋がりがいきなりで良い。 ルールはそれを求めてる」

 井上の言葉を博美が繋いだ。

「分かった! 遅く飛ぶほど、その曖昧な部分が短くなるんだ。 そうだったのかー」

 博美は飛んでいる真鍋の飛行機に目をやった。

「これって、皆さん知ってるんですか?」

 声を潜めて博美が井上に聞く。

「トップフライヤーはおそらく知ってると思う。 理屈は分からずとも経験としてね」

 井上は「にやっ」とした。

「博美ちゃんだから教えたんだよ。 小松君は知らないだろうね。 教えたって飛ばせないんだから。 失速させるのが見えてるよ」

「僕は飛ばせると思って頂けたんですね」

 博美が「ふわっ」と笑顔になった。

「そういうこと。 それに博美ちゃんの欠点がそこにあるって分かったからね。 今のままじゃトップにはなれない。 どうしても最後の2点が取れないだろう」

 風が強ければ無敵だろうけど、 と井上が話を終えたとき、真鍋の飛行機が着陸した。




 博美を助手に付けて井上が飛ばしている。さっき説明したように井上もゆっくりと飛ばしていて、何時もの集中力により、あたりに息苦しさを振りまいていた。

「サーマルです。 右翼が当たるかも」

 風が弱く暖かな気候の所為で、時間が経つほどに地面が熱せられ、熱上昇風サーマルが彼方此方に発生するようになった。それを博美が井上に教える。

「んっ…」

 井上は頷くだけで返事をした。下手に声を出して集中を切らしたくないのだ。そう「ビーナス」は今にも失速しそうな速度で空に浮かんでいる。僅かなミスで失速して演技を台無しにしかねない。

「やあ、井上君。 頑張ってるじゃないか」

 博美の後ろから声がした。

「安岡さん。 おはようございます」

 博美が振り向くと安岡が立っていた。

「うん、しっかり速度調整が出来てるようだね。 大した集中力だ」

 井上のフライトを見て安岡が頷いている。

「今日はゆっくり飛ばすのが課題なんですよ。 今朝言われました」

「なぜそうするか分かるかい?」

 安岡が聞いた。

「ゆっくり飛ばすほうが演技が正確に成るんですよね」

 博美が答える。

「うん、そうだ。 それって自分で考え付いたのかな?」

「いいえ、井上さんから聞きました」

「そうか… ちょっと井上君は先走っちゃったかな。 出来れば博美ちゃんが自分で気づいて欲しかったんだけど…」

 安岡はかなり残念そうだ。

「まっ、聞いちゃったのはしょうがない。 後は実践するだけだな」

 先生が多すぎるかな、と安岡がため息をついた。




 篠宮が「マルレラep」を裏返しにしてアンダーカバーを外している。

「篠宮さん。 なぜ分解?」

 飛行場に付いてから一時ひとときも篠宮の傍を離れない樫内は、これから飛ばすのに? と不思議だ。

「分解じゃないよ。 ここにバッテリーを積むんだ」

 言いながら篠宮は少し離れた所に置いてあるアルミボックスを開けた。中には夫々が一本の羊羹ぐらいあるバッテリーが並んでいる。

「うわー 凄く大きい! ってバッテリー?」

 これまで飛んでいる飛行機はみんな液体燃料をポンプで入れていた。飛行機はエンジンで飛ぶものだと思っている樫内はバッテリーと聞いて分からなくなった。

「この飛行機はエンジンじゃなくてモーターで飛ぶんだ。 だからバッテリーを使うんだよ」

 ボックスからバッテリーを一本取り出し、篠宮はアンダーカバーの中にベルクロで縛り付ける。送信機と受信機のスイッチを入れ、プリフライトチェックをしてバッテリーのコードを繋ぐと篠宮はアンダーカバーを取り付けた。

「論より証拠。 回して見るね」

 「マルレラep」を表に返し、篠宮は再び送信機と受信機のスイッチを入れるとスロットルスティックをゆっくり上げた。

「ぷ~~~」

 気の抜けるような音を出してプロペラが回り始める。

「ぷっ! ふふふ♪」

 大きな音がする、と身構えていた樫内は変な音と共に静かに回りだした事に噴出した。

「やだー 篠宮さん! なにこれー」

「いや、スローで回してるから… 高速で回せばそれなりの音がするよ」

 言いながら篠宮がスティックを上げる。

「ヒューーーンーーーーゴーーーー」

「ひっ!」

 最高速で回る音に驚き、樫内は篠宮の後ろに隠れてしまった。




 篠宮の操縦で「マルレラep」が演技をしている。

「えーとー 次は…… ハンプティ・ダンプ?」

 なぜか樫内が助手に立っていた。

「ハンプティ・バンプだよ…」

 そしてその後ろに博美が立っている。

「(もう… 樫内さんったら、変なところで我侭なんだから)」

 樫内がどうしても篠宮の助手をしたいと言い出したのだ。皆が「無理だから」と止めたのだが、樫内が納得しなかったので、仕方なく博美がサポートすることになったのだった。

「(でも、意外と篠宮さん、上手く飛んでるなー)」

「(女の子が助手に付くのがこんなに楽しいものだったなんて…)」

 初めての体験に、篠宮は少し舞い上がっているようだ。

「(私が手助けしてるのよね。 うふふ… これも共同作業… 赤ちゃんが出来るのも… きゃ♪)」

 樫内は怪しいことを考えていた。




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