共同作業
森山はワンボックス車を堤防から河川敷に降りる道にゆっくりと進めた。降りたところからは舗装していないので、大きな穴が開いているのだ。しかも梅雨時とあって其処彼処がぬかるんでいたり水が溜まったりしている。
「わー 凄い道。 ねえ秋本さん、ここって洪水になったりしないのかな?」
酷く荒れた道を見て樫内は心配になった。
「大丈夫だよ。 ここは台風でも来ない限り浸水しない。 梅雨の雨ぐらいじゃ全然問題ないね」
博美にされた質問に篠宮が横から答えた。
「でもな、やっぱりぬかるんでいるから……よっと」
運転席で森山がシフトレバーの横にあるもう一つのレバーを動かした。
「こうして4輪駆動にしておかないと動けなくなることがある」
ラジコンの飛行場は多くの場合、河川敷などの舗装されてない道の先にある。チームヤスオカのワンボックス車のように大きな車は、後輪駆動だけではぬかるみに入って出られなくなることがあるのだ。そのためこの車はパートタイム4輪駆動だった。
「安岡さんなんかはベンツでぶっ飛ばして来るけどね」
あの人はお金持ちだから、 と森山が笑った。
葦の茂った中をしばらく進むと飛行場が見えてくる。丁度飛行機が離陸していった。
「あれ、私の「アラジン」だ。 康煕君がもう来てるんだ♪」
上昇していく飛行機はピンク色がメインの可愛いカラーリングだった。
「あの飛行機って秋本さんのなの? 可愛いわねー」
「でしょ。 お父さんが作ってくれたんだよ」
樫内が光輝の作った飛行機を褒めてくれて、博美は嬉しくなった。
「すごく飛ばしやすいんだ」
「んで、それを加藤君が使ってると… あいつ図々しいわねー」
車はさらに飛行場に近づき、操縦している加藤が見えてきた。
「んっ? 私が進めたんだよ。 だから康煕君は図々しくなんかないんだから」
加藤のことを悪く言われて、博美は少し「むっ」とした。
「ごめんごめん。 そうよね、知らずに人を責めちゃいけなかったわよね」
以前、勘違いから博美に意地悪をした事を思い出し、樫内は素直に謝る。
「私って思い込みが強いのよね。 ごめん、許して」
「うん、いいよ」
博美もそんなに怒っているわけではない。
「でも、樫内さん今日は特別に素直だね。 やっぱり篠宮さんが居るからかな?」
博美の囁きに樫内が無言で首を縦に振った。
車が止まるや否や博美は飛び出して行った。
「康煕君おはよう。 早かったんだねー」
そして「アラジン」を操縦している加藤の側に立った。
「おお、おはよう。 井上さんが朝早かったから早く着いちまった。 今日はスタントの練習だから、俺はこれ一回だけで遠慮するつもりだ」
チームヤスオカのワンボックスが来たのに気が付いていた加藤は、いきなり博美が現れても驚いた様子を見せない。
「ぶー ちょっとは驚くかと思ったのにー このこのっ!」
腹癒せに博美は加藤の脇腹を突いた。
「ばかっ! よせよ… おわっ!」
流石に物理的刺激には耐えられず加藤が身を捩り「アラジン」も大きく蛇行した。
「おーー 危ねー なんてことするんだ! 落ちるかと思ったじゃないか」
「えへへー これも突発的な事態への練習だよ。 なんちゃって♪」
「おまえなー ぜんっぜん悪いと思ってないだろ」
「うんっ? 思ってるよ」
「軽い、言葉が軽い」
いつものように痴話喧嘩を始める二人は、周りからの生暖かい視線に気が付いていなかった。
着陸した「アラジン」を博美が回収して戻ってみると、チームヤスオカのワンボックス車からは既にタープが張られていて、その下にはテーブルと椅子がセットされていた。テーブル上で篠宮が「マルレラep」を組み立てている。
「うん、そのまま支えていてね」
樫内が主翼を支え、篠宮がサーボに繋がるコードを接続していた。
「意外と軽いんですね。 こんなに大きいのに」
フルサイズのスタント機は主翼の長さが2メートルにもなる。 立てると樫内より何十センチも高くなるのだ。
「そうだね、全体で5キログラム以下で作らなくちゃいけないんだ。 この大きさでこの重量にするのは大変だよね。 新土居さんの「腕」がいいんだよ。 はいOK。 離していいよ」
繋いだコードを所定の場所に押し込み、篠宮は主翼を胴体に取り付ける。
「なんだか良い雰囲気ですね」
ワンボックス車のリヤゲートを開けて中のボックスを取り出していた森山にそおっと近寄り、博美が囁いた。
「ああ、さっきからああして共同作業してるよ。 相手の居ないこっちの身にもなってほしいもんだ」
恥ずかしくて見てられねー と森山がため息を吐いた。
博美の「ミネルバⅡ」と森山の飛行機も組み立て、チームヤスオカの三人と樫内、それに加藤と井上がタープの下に集まった。
「それじゃ、始めるか」
皆が集まった事を確認し、井上が話し始めた。
「あと3週間で日本選手権が有る訳だ。 もう細かいテクニックなんかは練習する暇が無い。 どちらかと言うと精神面の鍛錬をした方がいい。 それで、今日は最初のフライトに全神経を集中して飛ばす。 当然だよな、本番は一回しか飛ばせないんだから。 2度目のほうが上手く飛びます… なんてのは論外だ。 飛ばす順番も目慣らし飛行をする博美ちゃんからだ。 いきなり朝一番に夫々の地区予選を勝ち抜いてきたメンバーの前で飛ばすんだ。 失敗しました… では許されない」
井上は皆の顔をゆっくりと見渡し、最後に博美に視線を向ける。
「でも博美ちゃんなら「にっこり」笑いかければ許してくれるだろうけどな」
井上はウインクをしてみせた。
「まあ、冗談はともかくだ、本番は一発勝負だということを忘れるな。 それじゃ10分後にスタートだ」
井上の言葉に頷くと、全員が夫々の飛行機のもとに散っていった。
一番最初に飛ばすことになった博美は、さっそく「ミネルバⅡ」に燃料を入れ始め、それと平行してエンジン始動用具をセットした。
「燃料…OK。 エルロン…OK。 エレベーター…OK。 ラダー…OK。 送信機のスイッチ位置…OK」
燃料が入ったところで、博美はいちいち口に出しながらプリフライトチェックをする。
「秋本さん。 何してるの? 独り言?」
いつのまにか傍に来ていた樫内が、ぶつぶつ言いながら飛行機の周りを回る博美の行動を不思議がった。
「うん、独り言だよね。 飛ばす前に飛行機の確認をするんだけど、確実にするために口に出すんだ。 井上さんから教えてもらったんだよ」
チェックの終わった博美が背伸びをしながら答える。この背伸びも井上の真似だ。
「博美、助手は俺か?」
加藤が後ろから声を掛けてきた。
「そうだよ。 康煕君じゃなきゃ、誰なのさ」
とうぜんでしょ、っと博美が振り返り言う。
「それじゃホルダーは?」
「あっ! そうか… 誰がホルダーするんだろう?」
加藤の疑問に博美も首を傾げた。
「俺がしよう」
突然の声に驚いて見ると、今来たばかりの真鍋が立っていた。
「真鍋さん。 いいんですか? 真鍋さんも選手ですよね」
選手なのに、と博美は不思議に思う。
「問題ない。 くじ運によっては出来ないかもしれないが、その時は井上がすればいい」
真鍋はニヤリとした。
「ホルダーは堂々と滑走路に入っていけるんだ。 地形や風を知ることが出来るんだぜ。 役得じゃないか」
真鍋は「ミネルバⅡ」の後ろにしゃがみこんで胴体と主翼に手を掛けた。
「テイク・オフ」
博美の離陸宣言と共に「ミネルバⅡ」がゆっくりと滑走路を走り始めた。スピードが出過ぎないように博美はスロットル開度に神経を使う。
井上に「今日の課題だ。 風が弱いから出来るだけゆっくり飛ばすんだ」と言われたのだ。
「(このくらいかな…… 引いて見るか)」
普段より遅い速度で滑走する「ミネルバⅡ」がセンターを通過するとき、博美はエレベーターを引いた(上げ舵にした)。「ミネルバⅡ」は尾部を下げると上昇を始める。
「(浮いた… でも… これって失速すれすれじゃないかな? 左右の安定が悪いし、エルロンの効きも良くない…)」
「おい、大丈夫か? 失速しそうだぜ」
後ろから加藤の声がする。
「うん、ちょっと危ないね。 もう少し開けよう」
加藤も同じように感じている事に安心して、博美はスロットル開度を増やした。
「(これなら大丈夫だね)」
少し速度を上げた「ミネルバⅡ」は安定して上昇していった。
演技の最中も博美は井上に言われたことを守り、ゆっくりと飛ばしていた。フルスロットルにするのは機首が上を向いた時だけで、わずかでも下を向いていればスロットルを閉じる。水平飛行でもエンジンの回転を抑えているので、非常に静かなフライトだ。
「ふわー なんだか飛行機がバレエを踊ってるみたい。 あのうるさかったエンジンの音が音楽に聞こえるし… エンジンをかけたときはうるさかったのに、飛んでるときは静かなんですね」
すこし離れた所で見ている樫内が、隣に居る篠宮に言った。実際、エンジン調整でフルスロットルにしたときの音に驚き、樫内はワンボックス車の後ろに隠れたのだ。
「あれが博美ちゃんの上手なところだよ。 無駄にエンジンの回転数を上げないんだ。 演技の正確なところと、エンジン音による音楽… 空の妖精って言われるだけのことはあるよね。 今日は風が弱いから、まだ他の人と差がつかないけど、風が吹いたら独壇場になるよ」
空を見上げながら篠宮が説明する。
「風が強いとどうなるんですか?」
「飛行機が風に流されるから、演技の形が崩れるんだ。 それに乱気流があると「ぐらぐら」揺れる。 でも博美ちゃんはそこを上手く修正して、まるで風が吹いていないかのように見せるんだ。 これは天性のものがあるよね」
篠宮の言葉には諦めのような、憧れのような響きがある。
「篠宮さんたちは出来ない?」
樫内は聞いてみた。
「僕は出来ない。 でも出来るように努力はしている。 そして出来る人がチャンピオンになるんだ。 彼女はこのクラブで一番チャンピオンに近い存在だね。 同じ時を過ごし、彼女がチャンピオンになるのを見られるのは素晴らしいことだ」
その為には裏方でもなんでもするよ、と篠宮は笑った。




