10話
春香がかざした手のひらを軽くスナップすると、それを合図にして火球が消える。そこには赤々と燃えていた痕跡とも言える余波はなく、まるで先ほどまでの光景は幻だったかのようだ。
「……なーんてカッコつけたけど、結局やってることは実はライターつけたのとそう変わらないんやけどね」
格好つけられていたのかどうかはともかくとして。
トトが促されるままに左手を構えたまま右手でナビゲートウィンドウを操作すると、開かれた画面には「水球」の文字とアイコン、いくつものボタンが。とりあえずはそのままでとの事で、何をいじることもなく決定を押せば、左手の先に先ほど見たものより小さいソフトボールサイズの水球が瞬時に形成される。
魔法という言葉からイメージするような、精神の集中やら呪文やら、身体から何かが吸い取られるような感覚やらというものはなく、それこそ春香が言ったようにライターをつけるのと同じくらいの盛り上がりの無さだ。
思わず「で、これってどうやれば飛ぶのさ?」と聞くと、「飛ばんよ?」とにっこりと返され、唖然とする。
「水球は初期状態やからね。飛ばしたいならそこの設定や。構えたあと"ショット"って言うと直線で飛ぶようにしたり普通に投げられるようにしたり、何かに当たるだけじゃなくて一定時間で破裂するようにしたり、球じゃなくて形を変えたり。いろいろとカスタマイズできるからなぁ」
とりあえず試しにと、殆どはデフォルト設定のまま射出機能だけONに。
「ショット!」
10m程離れたところに並んでいる、古びた鎧を着せられた剣術訓練用の的に向けて水球を撃つと、"どむっ!"とゴムタイヤを思い切り叩いたような音とともに鎧がわずかに凹み、弾けた水が飛び散る。
「おぉー」
反動も殆どないため実感は薄いが、それでも自分が魔法を撃ったのだと考えると少し感慨深いものがある。
「とりあえず危ないのはロックしてあるけど、それ以外のはいろいろと試してみるとええよ。画面からいちいち操作しなくても、気に入ったものはショートカットに登録すれば口頭で名前を言えば使えるようになるわ」
登録魔法一覧とでも言うべきだろうか、今の水球や火球、それ以外の諸々が一覧表示されている画面の半数以上がグレーアウトし、"LOCKED"の赤字が表示されるが、それでも100近い数が使用可能だ。
基本形であるところの<水球>から手のひらサイズまで小さく、代わりに10以上にまで数を増やした<水連弾>。それを紡錘形にして速度と射程に補正をかけた<水矢>。射出機能を外し、複数の円盤状の水塊を身体の周りに浮遊させる<水小盾>。それらの風属性版とでも言うべきか、圧縮された空気の塊によるほぼ同様の形態がすでに登録されている。火については使用可能なものが殆どなく、着火用の<発火>のような生活用の数種以外、土も防御用のもの以外は威力が高いためかほぼロック対象となっている。
一見種類こそあるように思えるが、ほぼ全ての魔法が基本形である"球系"魔法からの派生となる。設定可能なオプションは代表的なものだけ挙げても、「形状」「サイズ」「密度」「数」などなど。時間をかけて"球形"魔法をカスタマイズすれば、現在登録されている魔法はいずれも再現できる。リストに登録されているのは"魔法の一覧"ではなく、"魔法の設定の一覧"なのだ。
この時点でトトは少し勘違いをしているが、このような魔法の形態は決してこの世界の標準ではない。どちらかというと、最初に想像していた「精神集中をして」「呪文を唱えて」「身体の中にある何らかの力を消費して」顕現するのが本来のこの世界における魔法の形態である。
そしてそのような複雑な手間を踏む必要のある魔法という技能は、専門の教育を受けながら何年も修行して、ようやく数本の<火矢>を使えるようになるといった所だ。それさえも、今トトがやっているかのように連射など到底不可能で、一度使うのに短くても10秒程の詠唱が必要となる。
確かに極める事ができれば一人で一軍を制圧するというような物語のような事も実現できるようになる余地のあるものではある。しかし個人の先天的な才能に左右される割合があまりにも大きい事や、最低限の実用に耐えうるレベルまで熟練するだけで年単位の時間が必要になることなどから、一部の裕福な階級の中で独占され、また体系付けられた"技術"としての発展が未熟で個々人の才能に任せた"技能"として認知されているに過ぎないものであった。
しかし、学問としても未熟なそれであったそれに対し、いつの時代にもそれに不満や疑問を持つ者が一定数は存在した。彼らの中でさらに才能や運、資金という様々な篩にかけられる。それを突破できた極々一部の者達が辿り着いた1つの答え、それが"魔導書"である。
書は思考することなく、故に集中は不要。
書に既に呪文が刻まれているのであれば、余計な詠唱は不要。
あとは外から動力となるエネルギーさえ与えれば、決められた効果が発せられる。
使用者を選ばず、何らかのインプットに対して特定のアウトプットで答えるもの。その考え方は、機械文明に囲まれた現代日本人からしてみれば非常に馴染みの深いものではないだろうか。
実際にアルトラの面々はこの世界との交流が始まった初期に魔導書の存在と概念を知った際、その品質を問わずにかき集め真っ先に解明に着手した。
個々の魔導書の構成は理論というには断片化が著しく飛躍が多かったものの、それらを組み合わせることで瞬く間に一つの技術体系としてひも解き、この世界に初めて"魔術"というカテゴリーを生み出したのだ。
魔導書と名が付いているが、その本質は書であることではない。それ自体に刻まれた構文、そしてそれが目的に応じた結果を導くことができることこそが、魔導書が魔導書たる所以である。ならば、必ずしも書である必要はない。道具であれば、目的に応じたふさわしい形態があるものだ。ある程度の価値をもつ魔導書はいずれも数百ページにわたる構文が刻まれているが、それは1つの魔導書に様々な機能効果を詰め込もうとした故のもの。単純な機能を1つ持たせるだけならば、手のひらサイズの紙一枚に収める事も充分に可能であることがわかっている。
魔術によって再現される何らかの単機能を特性、物質的要素を属性と呼んでいるが、例えば"回転"特性と"風"属性を組み込んだ扇風機、"発光"の特性を組み込んだ卓上ランプなどが魔術開発の過程で副産物として作られた。それらは魔導書に対して「魔導具」と呼ばれ、現在は量産されてこちらの世界におけるアルトラの主要な収入源となっている。
何らかの特性に対応する魔術構文の種別が水準を超えれば、応用は飛躍的に進む。特に応用に必要となる発想であれば日本に参考素材がいくらでも溢れている。魔導具による現代科学の再現は着々と進み、部分的にとは言えどそれを凌駕するに至る。
その魔導具の極みの1つが外殻。いわば人型魔導書である。
「よっ、ほっ、と」
外殻とナビゲートウィンドウのアシストの力が多いとはいえ、未知の技術である魔術にトトが馴染むまで、そう長い時間は必要としなかった。そもそも何らかの目に見える現象を起こせるかどうかが魔法を使うための最も大きなターニングポイントであり、そこを外殻によってあっさりと突破できる以上、それなりに使いこなすだけならばそう難しいものではない。というよりも、誰にでも簡単にある一定水準の効果を出せることこそが魔導具の目的であるのだから、その延長上にある外殻を纏った状態で魔法を使えるのは当たり前といえば当たり前だ。
さらには、概念としては類似している魔術構文とプログラムの大きな違いもそれに寄与している。
プログラムがデジタルであるのに対して、魔術構文はアナログで形作られていると言えるのだ。魔術構文による特性は1か0かといった明確な答えを導き出すのが苦手な反面、ゆらぎのある抽象的な命令の解釈が得意で、何となくでそれなりに効果を発することができる。
実際、トトは何となくできそうだったからという感覚のもと、無数に浮かべた水剣を舞わせて複数の的を幾重にも斬りつけつつ、その剣自体を足場として三次元的に飛びまわりながら四方から水弾を打ち込むという、アクションゲームさながらの機動を試している。その表情は気負ったところのない実に軽いものだが、殺傷力という意味では劣る水属性にもかかわらず次々と的である鎧をただの鉄屑へと作り変えていく光景は、威力だけで言うならこの世界で名の知れた魔法使いにも比肩するだろう。
「やぁーっと」
気の抜けた声を共に空中からまっすぐに振り下ろした水剣が、鎧の最後の一個が幹竹割りにひしゃげさせる。"剣"と名はついているものの刃の形状についてはお粗末なもので切るというより叩き割るといった有り様だが、本職の騎士の身体能力を上回る機能制限レベル3の膂力も加わり、制圧力では充分すぎる。
落下の衝撃を膝で吸収し鮮やかな着地を見せたトトだったが、一瞬足を縺れさせてぐらりと傾いだところを春香に受け止められた。
「あれ、何かうまく足が動かない」
足がしびれたときにように力がうまく入らず、四肢の感覚が先ほどまでに比べて急に弱くなっている。痛みや疲労はまったくないのだが、その認識の差が身体のバランスを崩しているようだ。
「あー、やっぱり魔力切れやね。ちょっと膝に負荷もかかってるみたいやし」
トトのナビゲーションウィンドウの自己診断画面を見た春香がそう判断を下した。
見てみれば、自己診断画面に表示されたトト自身の全身像の膝や手首といった関節部分にマーキングと「WARNING」の文字が表示された他、先ほどは気づかなかったバッテリーマークのメーターが少なくなっている。
「何にでもエネルギーが必要なのは当然やからね。それが機械なら電力、魔導具だったら?」
「魔力ってこと?」
「そ。なんでも分かりやすい名前が一番や」
外殻の機能は大きく分けて3つある。
アルトラ本社に設置されたBRIを介した憑依とも言える感覚操作による、擬似的な肉体。
内部に無数に刻まれた魔術構文による様々な魔術行使のための端末。
そして最後の1つが、それらの機能を実現するためのエネルギー源である、魔力蓄積槽。
外殻が保持可能な魔力量は並みの魔法使い250人分であり、回復速度も相応にある。機能制限レベル3程度の出力では回復量の方が勝るが、今トトが行ったように継続的な全力機動と大量の魔術行使を併用すると、すぐに消耗してしまうのだ。
「魔力の残量に気をつけながらメリハリ効いた動きにすれば、もっと長持ちするみたいやけど」
自他共に認める運動音痴である春香は、あまりその辺りのコツについては良く分からないようだ。
「まぁ、魔力量が黄色くらいだったら、ちょっと座ってればすぐ回復するから」
これくらいならと示されたメーターの残量はおおよそ2割くらいだろう。座ったままじっと見ていれば、じわじわとメーターが上がっていくのが分かる程度の速度である。実際、手足の感覚についてもすぐに戻ってきたので身体を動かす分にはもう問題はなさそうではあったが、しばらく動きっぱなしだったこともあってそのまま休憩を取ることにした。
腰をおろしたまま、今は会社や異世界の事は忘れ、懐かしい昔話に花を咲かせるのだった。
エセ魔法理論は「ふーん、そういうものね」くらいのノリで流していただければ。
魔術にロックをかける基準は、火だと延焼とかで余波が大きくなったり、土だと硬度の問題で加減が効かない物が多いからです




