09話
「とりあえずは春香さんのレッスンワンやで~」
教育テレビのお姉さんのような口調で春香が人差し指を立ててみせる。ふんふんと頷くトトの前に浮かぶナビゲートウィンドウを操作し、再びスペック画面を表示させる。
「今のトトちゃんの身体は身長145センチ。智くんより20cmくらい小さいから、感覚の違いには注意してなぁ」
人差し指でトトの全身図の横に表示された"height"の値をつんつんとつつく。
「VRでもあまり体格が変わると脳が混乱するらしいからなぁ。酔ったりすることもあるって言うけれど、今のところ大丈夫?」
「うん、僕はそういうの平気っぽいから」
トトなってから少しの時間はさすがにふらついて転びかけたり目測を誤ってぶつかりかけたりもしたが、あっという間に身体にも慣れ、生身とさほど変わらないほどに動かせるようになっていた。それでもたまにつんのめるのも、愛嬌で流せるレベルだ。そもそも、体格が20cmも違う身体でいきなり立ち上がれるほどの適応力があること自体が珍しいと言える。
「あとは体重は60kg。身長からすると大分重いように思うけど、これはもう外殻の材質の問題やねぇ」
「へぇ、じゃあ春香さんは160cmくらいだから……」
何の気無しに呟いた瞬間、わしっと頭に片手が載せられた。
「智くん、女の子の体重を考えたらあかんよ?」
「いや、これって素材の重さだから生身とは別だってあ痛だだだだだ」
「痛覚5倍やでぇ?」
「それ明らかにいらない機能痛たたたた!!」
ギリギリと締められる頭骨の軋みに悲鳴を上げるトトと目線を合わせるように、軽くしゃがんだ春香の目は明らかに笑っていない。頭を固定されて逃げられないトトは、声にならない悲鳴をあげるのだった。
「ま、これくらいで勘弁してあげるわ」
トトが軽く涙目になったあたりで、頭にかけられた手がようやく降ろされる。
ずきずきと痛む頭を撫でるトトのウィンドウを春香はとんとんと叩く。
「トトちゃんの身長体重、3サイズを始めとした身体測定レベルの数値はこんな所やね。体格はともかく他のは飾りみたいなもんやし、今は置いとくわ」
そう言ってさらにフリックし、次ページを表示させる。
「……機能制限レベル1?」
トトが呟いた言葉の通りの文字が最上段に表示された下に、今度は50m走5秒7、走り幅跳び5m10cmといったどこかで見たような項目がずらずらと並ぶ。体格からすると数値上は結構いい値だなと思いつつも、ツッコミを入れるべきかと悩みながら春香の方を伺うと、彼女もちょっと困ったように眉を下げた表情となる。
「うーん、まだこういう完全な人型ロボットのスペックは基準がないってことでどうするんかスタッフもちょっと困っとるんよ。とりあえずスポーツテストの基準で載せとるんやけど、ちょっと締まらんよなぁ。トトちゃんも何かいいのが思いついたら教えてなぁ」
そう言ったあと、ふと思いついたようにポンと手を叩く。
「あ、それと持久走を測っとらんのはあくまで機械だからやで。50mを5秒で走れるなら当然5kmなら500秒で走れるわけやしなぁ。どっちかというと動かなくなるまで何万キロ、何千時間走り続けられるかって話になるけど、一回実測してみる? 一応スタッフの出した理論値はあるけど」
いやそれは全力で遠慮すると思いながらも、トトは並んだ数値に順に目を通す。いまいち基準項目には納得が行かないが、こういうスペック表というのはそれが何であれココロをくすぐるものがあるのだ。
「んー適当な事いうけど、例えば成人の平均値を50くらいにした上で、敏捷いくつ、筋力いくつって感じで書くとか? 詳しい判定基準は注釈にしてさ」
「おぉ、それはゲームっぽくてカッコイイなぁ」
何か彼女の琴線に触れるものがあったのだろう、ちょっと楽しそうな表情になる。
「スペックっていうにはちょっと曖昧になるけど、人に見せる分にはそういう分かりやすいのがいいなぁ。ちょっと後で相談してみるわぁ」
「いや、適当だからあまり真に受けられるのもちょっと……」
何の気なしに言ったことが割りと本気で受け入れられそうになったのでちょっと焦るトトを尻目に、春香は鼻歌混じりでナビゲートウィンドウ上のキーボードで何やらメールを打っている。
「ええんよ、どうせこっちの世界どころか日本だって外殻に適用できる判定基準ないから困ってるわけやし。こういうのは嘘を書かない割増しないこと前提で、とにかく凄そうに見えればこっちの勝ちや」
「えぇ~……」
「ま、正直言ってどうせうちの会社内でしか使わない値やからねぇ。内々で、これはこれより凄くてこっちよりは劣っているっていうのが簡単に比較できれば、何でもいいんよぉ」
ふんふんと口ずさみながらメールの送信を終えた春香は、満足したようにうんと頷き、再びトトへと向き直った。
「で、実際その値を見てどう思った?」
「僕が高校のときよりちょっといいくらいだなぁって」
体格は小柄だが、運動神経がプラスの方向にぶっ飛んだスペックの姉たちに振り回されていたおかげで、平均よりはずっと運動が得意ではあったのだ。ばらつきはあるが大体は中の上から上の下といった所か。
試しにピョンピョンとその場で飛び上がってみると体感でおおよそ60cm超、ただ歩いていただけでは分からなかったが随分と身体が軽く感じられる。
「よくよく考えたら、これって随分凄い技術だよね」
生身と変わらないレベルの感覚フィードバックもそうだが、この滑らかな動きも現代のロボット工学ではいまだ実現不可能な水準の性能なのだ。ナビゲートウィンドウのような空間投影型の端末でさえ、商品レベルではまだ提供されていない。こう言ってはなんだが、見た限りでは少なくとも日本と同等以上の科学力があるようには見えない。
首をかしげていると、春香はどこか自慢気に胸を張ってみせる。智之からみれば年上のはずだが、まるで玩具を得意気に見せるかのような子供っぽい仕草だ。
「まだまだ、外殻の性能はこんなもんじゃないんよぉ。ここをこうして……これでレベルアップやで~」
トトのナビゲートウィンドウの設定が切り替わり、表示される「機能制限レベル2」の文字。その下に記載されたスペックも平均で2割から3割増しとなっている。
試しに軽く身体を動かしてみれば、はっきりと分かる程に先ほどまでと動きが違う。
「さっきのが日本人の平均的運動能力やとしたら、今度はこっちの人の平均スペックね。外殻に慣れてなくて歩くのも苦労するような間は向こうの身体能力に合わせる方が都合がいいけど、慣れたらレベル2にしとくといいよ」
「ちなみに春香さんは」
「まだたまにコケるからレベル1にしときって奈菜ちゃんが……」
「ですよね」
頭脳に関しては明晰といっていい才女なのだが、見た目と雰囲気を裏切らず運動能力に関しては実に残念であることを、古い馴染みであるトトは良く知っているのだった。
「まぁウチの事はいいんや。どうせ外に出ないしなぁ。それよりトトちゃんはもうちょっと強くしとかんとすぐ攫われかねへんから、気をつけんといかんなぁ」
「いや僕これでも二十歳超えてるんだけど」
「へぇ、そうは見えへんね」
「当たり前でしょ!」
冗談だろうが、本気で言ってそうにも見える辺りが恐ろしい。
「実際どうだろうと、子供に見えるから危ないんよ? 表通りならともかく、あまり人の多くない所とか裏道に入ったりとか日本よりずっと治安が悪いんやからね」
「だったら普通に元の姿で作ってくれれば良かったじゃないか……」
「智くんの姿で作ったら、中の人がいない時にイタズラしそうな子がいっぱいいるしなぁ」
「そこは止めてよ……」
「春香さんには無理やねぇ」
あんまりといえばあんまりな理由である。
「それに危ないところに行かなければ可愛い女の子の方が、いろいろと便利なんやで?」
「それはまぁ、確かに」
そう言って軽く前かがみになりトトの瞳を覗きこむようなポーズを取ってみせる。開いた襟元から見える柔らかそうな峡谷に目が吸い寄せられそうになり、慌てて顔を逸らしたトトは少しぶっきらぼうに答える。
無自覚なのも自覚あるのも、美人というのは厄介なものだ。ちなみに奈菜は自覚した上で最大限に活かすタイプ、春香は自覚はあるものの気を抜くとすぐ忘れるタイプである。
「あとはぶっちゃけた事いってしまうと、別に襲われたところで怪我するわけでもないし、攫われたところでログオフしてしまえばそれまでやし」
「ちなみにログオフした時のこの身体は?」
自分自身とは似ても似つかない容姿とは言えど抜け殻になった身体を好き放題にされるというのも抵抗がある。
「自動的に転送されて回収できるから、紛失しても安心や」
想像以上のオーバーテクノロジーに驚きを隠せないトトに、ただし、と注意が続けられる。
転送を行った場合、当然ながら所持品はその場に置き去りになってしまう。また外殻に蓄積されたデータにも欠損が生じてメンテナンスに手間がかかるため、緊急時以外は使用しないように、とのことだ。
「将来的には物も一緒に運べるようにするしたいらしいけどなぁ」
さらには転送可能距離もまだ王城を中心とした半径10km圏内、転送方向は一方通行といろいろと課題は残っているのだ。
「とりあえずトトちゃんはもう少し身体を動かすのになれたら、もう2,3レベルくらい上げとこか。あそこのおっちゃん達にも腕相撲で勝てるくらいにしとけば大丈夫だろうし」
春香の視線を追って練兵所の反対側を見ると、二の腕がトトどころか智之の腰の太さ程もありそうな巨漢達のグループが身長ほどもありそうな剣を振って訓練をしている姿が。
「……あれに?」
なんというか、ひどくむさ苦しい。というよりも男臭い。智之では両腕を使ってさえ腕相撲に勝てそうにない。
「外殻は筋肉の太さとか関係ないもんねぇ」
「そっか、すぐ忘れそうになるけど機械なんだよな」
ぐっと腕を曲げてみてもそこには程よい肉付きの柔らかい二の腕しか見えないのだが、そこにはどれほどのパワーが込められているのか。
「ちなみにフルパワーだとどれくらいなのかな」
「う~ん……10万馬力くらい?」
トトの素朴な質問に首を傾げる春香。本気か冗句かさっぱり分からない。
「ウチもその辺は数字で出されてもよく分からんし。ま、トトちゃんボディはあまり出力重視じゃないけど、それでも操作にミスって暴走しかねへんくらいは出るって聞いたし試すのはやめといた方がいいかなぁ。設定は自分でいじれるようにはしてあるけど、危ないから一定以上はロックかけとくで」
「うん、分かった」
「トトちゃんはいい子やなぁ」
もともと興味本位の質問でしかなかったのだし、それで周りに迷惑をかけようとは思わない。特に異議を唱えることなく了解するトト。その答えに、春香も笑顔で頷いた。
「それと機能制限の解除には、もう1つ大事な事があるんよ」
上がった出力に慣れるために軽い体操をしているトトに、ふと思い出したような風に春香が口を開いた。何か、と振り向いたトトに顔を寄せ、内緒話をするようにささやきかける。
「トトちゃん、ここが異世界って聞いた時ちょっと期待せんかった?」
「えぇと」
「外殻なんていうオーバーテクノロジーとか見て、もしかしてと思わんかった?」
「?」
んっふっふ~と実に楽しそうな含み笑いをする春香の姿に、智之はふと思い出す。
春香陸27歳。語学堪能、趣味は読書。好みのジャンルは洋の東西、新古を問わず、神話および幻想小説。ありとあらゆる国の様々な物語を読むためだけに語学を磨き続けた趣味人の極み。
「外殻の真骨頂は、力じゃないんよ」
すっと距離を取った春香がどこか気取った仕草で掲げた指先をぱちりと鳴らせば、そこに顕現するのは赤々と燃えるバスケットボールサイズの火球。
何の支えもなく浮かぶ炎は周囲の空気を飲み込みながら轟々と唸りを上げ、風に乗った春香の服がばたばたとはためく。
「魔法少女、春香さんやー!」
どや顔でポーズを決めた春香(27)は、客観的に見れば可愛らしいものではあったとだけ伝えておくとしよう。
27歳ならまだイケる。




