08話
気づいたら1年以上過ぎてます。本当に申し訳ない。
ちょっと色々と気になってたので、2章8話から修正版を上げ直しです。
その世界の名は奈菜を始めとするアルトラの中心人物達の合意により、"メルヴェイユ"と名付けられた。
正確にはそれは元々世界を示す名前として使われていたものではなかった。彼の世界の古い言葉で大地を示すものであり、彼らの神話に出てくる大地を生み出した女神の名前であった。地球をガイアと呼ぶのと同じように、大地母神という概念は結局どこの世界でも共通して持つものなのかもしれない。
――メルヴェイユ人がどのような人達であるか理解しなさい。
改めて要求されると身構えそうになるが、同じ国で生まれ育った者同士ですら理解し合えない事もあれば、逆に遠く離れた国で生まれ育った者同士が一生を添い遂げる事になるのもそれ程珍しいことではない。そう考えると、そこまで難しく考えることじゃないのかもしれない。
少なくとも、メルヴェイユに来て唯一言葉を交わしたメイド――フレイ某は、決して言葉も意思も通じない未知の生物、なんて事は無かったのだから。
「――そんなふうに考えていた時期が僕にもありました」
今のところトトが知るメルヴェイユの住人は、よく言えばマイペース、悪く言えば独善主義である傾向があるようだ。もちろん極めて少ないサンプル数から導いた傾向でしかないので、決め付けるには早計というにも早すぎるのだが。
そんなメルヴェイユ人が物事に熱中しすぎると、周りが見えない人の話を聞かない、ひとしきり発散して満足するまで梃子でも動かない。まぁそれはさすがに誇張しすぎで、当てはまらない人間もたくさんいるだろう。全員が全員そんな性格をしていたら、国という体裁などあっという間に瓦解してしまう。
だからきっと、彼女は例外なのだ。そう信じたい。
◇ ◇ ◇
「ひらひらふわふわは堪能しましたし……今度はスレンダーなスタイルを活かしたシンプルなデザインがいいでしょうか」
「いえ、ここは逆にフリルを増やしたこちらのドレスも……」
案内を命じられた目つきの鋭いメイド――フレイが真っ先に向かったのは、なんというか衣装部屋とでも言うべき部屋だった。
聞くところによると、こういう城には来客の各種トラブルにも対応するための一貫として、様々なサイズのドレスを並べた部屋があるのだとか。特にこのレグナート王国は女王が統べるだけあって、その辺りに特に力を入れているのかもしれない。
発端はなんだっただろうか。トトは記憶を辿り、「今の服は会見用で、あまり歩き回るには向いていないものです」と言い含められた事を思い出す。
広い部屋が、ハンガーに掛けられた色とりどり無数の服によって迷路のような構造になっている。応接間を出て真っ先にこの布地の海へと連れ込まれたトトは今、衣装部屋担当のメイドとフレイの手によって着せ替え人形と化していた。
「これがデジャヴか……」
思い出そうとするまでもない、ほんの1時間やそこら前に味わった光景の焼き直し。もはや抵抗は無駄だと諦め、棒立ちのままぼんやりと時が過ぎるのを待っていた。
身につけているのはやたらと肌触りのいい生地で仕立てられた、小さなフリル付きの白いブラとショーツ、揃いのデザインのガーターベルトにタイツのみ。付け方が分からないので迂闊に脱ぐ事もできない。窓が無いせいか先程までの応接室とは違い肌寒さを感じることはないが、できることならこれ以上傷が広がらないよう、ユニセックスな服装を選んでくれることをただ祈るのみだった。
最終的にトトのコスチュームはフリルとベルトの多いゴシックパンク風の服装に落ち着いた。ミニスカの下にスパッツを履く権利だけは何とか勝ち取ったトトは辛うじて男の尊厳を守れたと心の中で胸を撫で下ろすが、後ろで「ミニスカスパッツ! その手があったか!」と拳を握るメイド達の様子からすると客観的に言って完全敗北と言える。彼女がそれに気づくのは冷静になってからだろうが。
肉体的な消耗はまったくないはずだが心労でわずかにふらついた足取りで部屋を出るトトを迎えたのは、向こうで会った時のままの春香の姿だった。
「はぁい、お疲れぇ」
ぱたぱたと軽く手を振る姿にホッとする。少々スキンシップが激しい事に苦手意識はあるものの、智之の周りをたむろする非常に濃い姉貴群の中で彼女は数少ない癒やしを与えてくれる存在なのだ。
手元に展開していたウィンドウを閉じた春香はトトの頭から足先までを目線で軽くなぞった後、くすりと小さく笑いを浮かべる。
「すごく似合ってるわ。まるで本物の女の子」
「いや、身体は本当に女なのだけど」
作り物の身体で本当にというのもおかしな話だけどとやけくそ気味に肩をすくめるトトに苦笑する春香。
「あは、確かに。ただ細かい仕草は智くんのままなんやけど、不思議と違和感がないのよねぇ……外観に引っ張られとるんかなぁ」
ぎくりと表情を強ばらせるトト。
「あまり長いことその格好しとると、癖になってしまうかも。気をつけんとねぇ」
のんびりと呟いた言葉をまぁいいかと流した春香は、冗談じゃないと全身で語るトトの手を掴むとそっと引っ張る。
「じゃ、行こっかぁ」
「え、どこに?」
「どこって練兵所やで?」
ちょっとコンビニまで、みたいな口調でとんでもない単語が飛び出してくる。
「この世界の事、いろいろ知りなさいって言われたでしょう。なら、やっぱり広い所にいかんとなぁって」
「……意味がわからないんだけど。普通そういうのなら図書館とかそういうのじゃないの?」
「あぁ、そういえば智くん昔から本読むのも好きだったもんねぇ。今度連れてったげるわぁ」
噛み合わないやりとりに頭を抱えるトトと、それを見てほわほわと笑う春香。
「でも、まだ文字の翻訳機能は外殻に搭載してへんからまた今度なぁ。覚えたいなら教えたげるけど」
トトは言われて初めて気づいた事だが、当然といえば当然の事ながらこちらの世界と日本とでは使用する言語がまったく異なる。トトがこれまでこちらの言葉を理解できていたのも、外殻の翻訳機能による恩恵である。
そもそも翻訳機能を作るためには両者の言語を理解している事がひつようなわけで、実際のところ奈那を始めとした数名は日常会話程度の読み書きについては問題なくこなせる。特にこの頼りなさげに見える春香についてはさらに上を行き、レグナート王国で現在使われている言語だけでなくこの短期間で古代語や神聖語と呼ばれる一部でしか使用されていない言語まで収めているのだ。翻訳機能の大半が彼女の実績となる。
勘違いされやすいが、人当たりの良さやコネなどでは英傑たる奈那のサポートを務めるには到底足りない。言語学に尖ったエキスパート、それが春香陸だ。
ある程度言葉が通じるようになった現状では当初に比べて比較的余裕ができたこともあって、春香がトトの案内を任されることになった。
「とりあえず奈那ちゃんにこの世界の事を知るようにって言われとるやろ? やったら本とかよりも始めに見せておきたいものがあるんよ」
「ん……まぁそういうなら」
なにせ右も左も分からないのだ、せっかく先達がこちらの事を教えてくれるというのだから素直についていくのが一番だろう。他の面子ならともかく、春香の場合はよっぽどじゃない限り無茶な所に連れて行かれることはない。
そう考えたトトは履きなれないブーツを慣らすように爪先をトントンと鳴らし、春香を追いかけて歩き出した。
◇ ◇ ◇
「うわ、何かこういうのちょっとびっくりするね」
「せやなぁ。うちもまだ慣れないわぁ」
とことこと歩く2人を目にした侍女や文官達が慌てて壁際に寄りこちらが通りすがるまで頭を下げて見送る姿に、気まずそうなトトと苦笑する春香。
純日本人でありここに来たばかりのトトはもちろん、いろいろとぶっ飛んだ思考の持ち主である同僚たちの中で極めて凡庸な感性の持ち主である春香もこのような扱いは苦手とするところだ。できれば通りすがりの一般人と同じようにスルーして欲しいと常々思っているが、城の者達からすると到底受け入れがたい話だ。
なにせ世界を渡ってきた異邦人という極めて珍しい立場であるアルトラの面々は、伸び悩んでいた国家財政をあっという間に立て直し、様々な技術革新を起こして技術大国という立場を確立させ、その功績は将来的には国力を数倍にまで膨れ上がらせるという試算まで出されている。ここは貴族制から成り立っている国家であり、あくまで身分を持たないアルトラの面々を表立って厚遇することはできず、建前としては国内の大貴族の私兵として扱われているが、その実他国の王族に準じるVIP待遇なのだ。特に語学に才ある春香は真っ先にこちらの言葉を習得した立場上、通訳として常に重要な交渉事の最前線に立ち続けた。女王を始めとした国家の重鎮から見たアルトラの顔が奈那なら、それ以外の比較的身分の低い者達にとってのアルトラの顔が、このおっとりとした雰囲気の女性なのだ。
長い廊下を歩いているうち、だんだんと周囲には体格のいい兵士達の姿が多く見られるようになる。物珍しいものを見るような居心地の悪い視線にさらされながら建物を抜けた先には、倉庫らしい小さな小屋と背丈ほどの塀に囲われた運動場らしき空間が開けていた。
幸い今は訓練時間から外れているのか人気は少なく、隅で3,4人程度のグループがいくつか見られる程度だ。2人も、先客に習って邪魔にならない端に移動することにした。
「それじゃ、ちょっと待ってねぇ」
そう言いながら春香が自分のナビゲートウィンドウを開いて手元で何やら操作すると、トトの目の前にいきなりウィンドウが表示される。
「うわっ」
反射的に後ずさるトトの姿が面白かったのか、春香は小さな笑みを口元に浮かべる。
「あぁ、うちらは管理者権限でトトちゃんのウィンドウも遠隔操作できるけど勘弁してなぁ」
軽く断りながらさらにいくつかのボタンを押しトトのウィンドウの表示を切り替えると、表示されるのは横長のウィンドウの右半分をうめつくす文字と数字の羅列、そして左側半分を占めるトトの現在の姿の全身図。促されるままにフリックさせてみると画面はさらに切り替わり、視覚や聴覚を始めとした幾つもの項目がチェックリストのように「OK」の文字とセットで並べられているのが分かる。
「これは?」
「トトちゃんは外殻の話は聞いたかなぁ? 今表示されているのが、トトちゃんの外殻のスペックシートと自己診断画面やで。事前にチェックはしてるけど、一応NGが出てないか確認してね」
「ふむふむ……」
ざっとスクロールしてみるが、呆れるほど項目が多い。通信や座標検知といったどこぞのカーナビを彷彿とさせる項目や、パソコンのコンパネに並ぶような○○マネージャやら☓☓デバイスやらといった情報、さらには視覚聴覚はては厚覚痛覚、神経系といった医学関連の要因までがずらりと並んでいる。門外漢であるトトにはさっぱり理解できない用語が大多数だが、VR技術による遠隔操作でありながらまるで生身のような感覚をフィードバックさせるこの外殻には途方もない技術が詰め込まれているということくらいは想像がつく。いくつかについてはOKNGどちらも入っていない項目があると聞くと、
「それは未実装の機能やね。正直言うと外殻っていうシステム自体こっちの世界でも初の試みらしくてなぁ。何ができるのか自体試行錯誤している状態なんよ」
「いや、これはいらないんじゃないかなぁ……」
数ある未実装項目の中に「自爆」やら「強襲形態」やら物騒な名称がちらほらとあるのに気づいたトトは、引きつった表情でそう答えるのだった。




