07話
「この世界を見つけたのが大体1年ちょっと前。もっとも、まともにアクセス出来るようになってから2ヶ月くらいしか経ってないけどね」
「2ヶ月!?」
いくら人脈に優れた奈菜といえども、別の世界までその手を伸ばしていたという事はないだろうから、こちらではゼロからのスタートだった筈だろう。先ほどの会議室に集まっていた面子を見るに国内の相当の権力者ばかりが集まっていたようだが、いくらなんでもたった2ヶ月程度でそれらに肩を並べられる程の立ち位置を築けるだろうか。「奈菜だから」と言われると案外納得してしまいそうな気もしているのだが。
「実を言うと現時点ではまだまともに物体をやり取りする事は出来なくて、通信が精一杯。タイムラグ自体は殆ど無いし最近は結構通信量も増えたから、こっちで作った外殻にBDIでアクセスして操作する分には特に問題ないのだけどね」
通信量についても、現時点ではフルダイブは同時に5人くらいが限界だが、回線が安定してきたのでそろそろ同時アクセス数をグッと増やせるようにする予定だという。
最大の課題は物体の転送、欲を言えば生身での移動だが、それには様々な懸念点があって現状保留中というのが実態だ。もっとも相手を認識出来ている時点でミクロな視点では物理的な接続が行われているはずなので、あとは繋がっている通路の広さの問題ではあろうが。
「じゃ、あたしはそろそろスケジュールが押してるから向こうに戻るね」
話がひと段落した頃、空になったカップをメイドに渡し、立ち上がった奈菜は伸びをする。
「トトちゃんはもうちょっとこの世界を見て回って頂戴。案内は――フレイちゃん、よろしくね」
「承知いたしました」
頭を下げ、影になった小さく口元で嫌ぁな笑いが浮かんだのを見て、トトはぶわっと全身に汗が吹き出したような気がした。妙な所で凝った作りになっているようだ、この身体は。
顔を上げたときにはその表情はいつもどおりの微表情。女性不信になりそうである。
「いや、どうやって帰るのさ」
「ん、アクセス切断すれば向こうに戻るよ。左手で大きな逆L字を空中に書いてみて」
そう言ってやってみせる奈菜の仕草を真似、人差し指と中指を揃えて空中に逆L字を描く。不思議なことにその軌跡は青く残り、それを2辺とした青色の長方形が目の前に現れたのだ。
「これは?」
「ナビゲートウィンドウよ。トトちゃんVRゲームやったことあるなら、似たようなシステム使ったことあるんじゃない?」
奈菜に促され、表示されたウィンドウの上部のボタンを押してみると、フレームの色がトグルで切り替わる。
「可視モードと不可視モード切り替えると、自分以外に見えるか見えないかを切り替えられるからね。可視モードでもう1回ボタンを押すと、他人の操作も受け付けるようになるけど、基本はOFFにしておいたほうがいいわ」
「なるほどね」
操作許可を貰った奈菜は、デフォルト状態なトトのウィンドウをちょいちょいと触り、当面必要になるであろう機能の説明を簡単に行う。
「PDAと同じでアプリとかデータ入れてこっちに持ってこれるから後で弄ってみるといいわ。その辺りのマニュアルも見られるから、暇な時に読んでみて」
そう言いながら奈菜も自分のウィンドウを開き、忙しなく操作する。こちらは不可視モードのままなのでトトからは何を見ているか分からないが、どうせスケジュール表か何かだろう。
「あ、やっば、そろそろ出ないと遅れそう。あたしは先に戻るからね。うちはお昼休憩12時半からだから、それくらいになったら智之くんも一度戻ってね!」
そう言って手招きをして呼び寄せたトトの、可視モードのウィンドウの右上をトントンと叩く。
「あ、時計か。……でもなんで2つ」
上下に並んだ大小2つのデジタル時計。何故か表示している時刻もそれぞれ異なる。上の小さい時計は10時頃、下の大きな時計は12時過ぎを示している。
「上の時計があっちの時間ね。これが12時半くらいになったらログアウトしてきてね」
「下の時計は?」
「もちろんこっちの」
それじゃあまた後で、と手を振る奈菜の姿が、発光しながら徐々に薄くなる。
こういう所はゲーム的な演出だと考えているトトに、問題の言葉が投げかけられたのはその時だった。
「そうそう、こっちの世界は向こうの10倍くらいの速さで時間が流れるから、戻るのは体感で明日の朝だね。夜は誰かに泊めてもらってね~」
「ちょ、10倍って――」
予想外の言葉に思わず伸ばした手は、光の粒子となって消えた奈々の身体をすり抜け虚空を掴むだけだった。
◇ ◇ ◇
2時間半の10倍ってことは単純に考えて丸一日ということか。
このままぼんやりしていても仕方ないかと気を取り直したトトは、とりあえず傍に控えたままのメイドに話かけることにした。
「えぇとフレイさん、でしたっけ。奈菜ねぇの話ってどれくらい聞いてます?」
ずっと傍に控えていたのにも関わらず奈菜は気にせず話していたのだが、メイドが承知の上のことなのか、侍従ゆえに主人の事情には首を突っ込まないようにしているだけなのかが気になった。
「大凡は把握しております」
彼女の言う"大凡"というのは、奈菜が話した内容とその意味についてとトトは解釈し、メイドもそれを肯定する。
「あれ、この話って別に隠すことじゃないのかな」
所変われば常識も変わる。現代日本でこんな話をしたら正気を疑われるかネタだと思われるかのどちらだろうが、ここの世界ではそうでもないのかもしれない。そんな考えは、しかし即座に否定される。
「いえ、ナナ様達が遠い国から来たという程度であれば有名ですが、どこから来たのか、というレベルの事であれば限られます。
女王陛下を始めとした国の重鎮の方々とその副官。貴族であればエクシリア侯爵と他数名。それ以外には私を含めた専属の従者数名とナナ様達の私的な知人。合わせても20名程度でしょうか」
「あぁ、それじゃあんまりそういう話はしない方がいいのかな」
「そうですね、愉快な事になるかと思います。主にユーディット様が。折檻的な意味で」
口角をにやりと釣り上げるメイドに引きつった笑いを返し、迂闊な事は口にしないように気を付けよう、と心に誓うトトだった。
「話をしてもいい方々の殆どは、直接会う機会は限られるとは思いますが。名前だけでしたら資料をお送りしますので、後ほどご確認ください」
メイドが取り出したのは、手のひらにすっぽり隠れるサイズのブロックのような物。スイッチを押すと、トトのものと同じウィンドウが空中に展開される。
「……これはナビゲートウィンドウの機能限定版です。我々は生身ですので、機能を内蔵していません。携帯できるサイズは今のところこれが限界との事です」
「内蔵……もしかしてこれを表示しているのって、外殻の機能ってことなのか」
あまりにも生身と感覚が変わらないために失念していたが、この身体はあくまで機械――と言えるのかは分からないが、人工物なのであった。ならばそのような機構が組み込まれていてもおかしくないのか。
「メールを送りました」
メイドがそう言うと同時にウィンドウから小さく音が流れ、点滅するアイコンが目に入る。押下してみればメーラーが立ち上がり、フレイという署名付きのメールが表示される。
「……手馴れてるね」
廊下や室内にあまり機械――コンピューターの気配を感じないため、あまり文明が発達していないのかと思っていたが偏見だったようだ。手馴れた仕草で地球でも最先端の水準にあるだろう機械を弄る様子を見て、トトはそう思う。文字が何故読めるのかは、どうせ何か翻訳の機能が外殻だかウィンドウだかに実装されているのだろうと解釈し、あまり気にしない方向にした。
「いえ、これはナガセ様達が作ったものです。似たような物は元々ありましたが、これに比べて性能が著しく落ちる上に大きく高いと、いい所がないもので……これは流通しているわけではないのですが、ナガセ様が機能テストするからと身近な者達に貸与えてくださるのです。便利ですよね、写真も撮れますし」
という事は熟練しているように見えるのは若さから吸収力に優れている、ということだろうか。しかし見た目20代後半ということは若さで解釈するには少々無理が。
「シャシン?」
「あ」
「……すみません、他意はないんですがちょっと見せていただいていいですか? いえ、すぐ済みますんで」
必死で抵抗するメイドから端末を没収し、やや苦戦しながら保存ファイルをチェック。
いつの間に撮影したのか、初エンカウント時の全裸四つん這い写真やその後の生着替え写真を問答無用で削除すると、それを返却する。
「うぅ、私のお宝映像が……」
「お宝って言わないでください」
写っている姿は元の自分とは似ても似つかないのだけれど、それでも自分だというだけで嫌なものは嫌なのだ。
フレイのメールには恐らく王宮の組織図らしきものが添付されていた。防諜的な意味でこういうものを気軽に渡すのはどうだろうかいう疑念が浮かんだが、元から公表されているレベルのことしか書かれていないだろうし問題ないかと考え直す。
女王ラグラーナを頂点としたピラミッド構造。官僚、軍、宮廷魔術師のトップがその直属に位置し、貴族連合の名前がそれとはまた異なる位置に記されている。それぞれの代表者や中心人物の名はともかく、各集団の構成人員が何人であるというようなレベルの情報までは無いようだ。
各組織の代表者の名前の横に付けてある印が、地球の事を知っているメンバーということだろうか。
「あぁ、やっぱり女系なのかな」
頂点が女王である事もそうなのだが、記載されている他の王族らしき名も上位は殆ど女性。男性名は殆どが比較的低い地位となっている。
種さえつければ後は自由が効く男と違って、自分自身で後継を産まなければいけない女性はトップに座り続けるのは大変だったりしないのだろうか。会社経営ならともかく、王族という立場だと絶対後継を残さないといけないように思うのだが。
中身はまた後で見ることにしてウィンドウを閉じようとし、トトはそれ以外にもメールを受信していた事に気づいた。
差出人は長瀬奈菜。
『ごめん、言い忘れてたわ。今のところすぐに智之くんができる事はないの。いきなりそっちに放り込んじゃったから、何かやれって言っても難しいでしょうし。
だから、やって欲しいことは3つ。
――色々な所を見てみなさい。
――色々な人と話しなさい。
――そして色々な事に首を突っ込みなさい。
その世界がどんな所で、どんな人達が暮らしているか。彼らが何を好み、どのように過ごしているか。
実際に体験して、何となくでもいいから体感して欲しい。そして出来れば好かれるようになると言うこと無しね。それが、きっとあたしが今考えている事に必要となるから。
とりあえず今日は観光気分でいいから城の中をあちこち見て回るといいわ。面白い施設もいくつかあるし。街に出てみるのもいいけれど、さすがに日本ほど治安が良くないから気をつけてね。といっても無闇に裏路地につっこんだりしなければそんなに心配するほどじゃないけど。
日本時間でお昼に戻ったら、また話そうね。それじゃあ頑張って。
追伸:今、智之くんの他にも何人かそっちにいるから、会ってみるのもいいわね』




