06話
結論から言うと、奈菜は要望を通すことに成功した。
相手が混乱しているうちに押し切って言質を取ったというのが大きいが、奈菜を失脚させたい一派が熱心に後押しするのを利用したのだ。
会議の議題は奈菜の領土をどこにするか決めることだったようで、それが終わると皆ぞろぞろと退室する。数人ごとに集まって何やらひそひそと相談しているのは、新興貴族であり平民から伯爵になるという異例の出世をした奈菜へのアプローチをどうするのか決め兼ねているのだろう。もっとも、レスキール半島を領地にするというなど自殺志願か正気の沙汰でない行為ということで、距離を取ることを選ぶ者がほとんどだったが。
奈菜を見た者達は誰もが振り返る。それは昔もよく見た光景だ。ただそれは色気のある話ではなく、大体がその視線に賞賛、畏怖、嫉妬、何らかの感情が見え隠れする。良くも悪くも影響力のある人物なのだ。
しかしそれを向けられた本人は一切頓着することはない。廊下を闊歩する奈菜についていく少女は急に体格が変わったことでやや走りづらそうにしていたが、それに気づいた奈菜が歩調を落としたことで、なんとかついていくことができた。
奈菜がどこへ向かっているかは分からないが、少女は特にそれを聞こうとしなかった。何も言わずに行動しているときは聞いても思わせぶりに笑うだけの事が大半であるし、どうせこの程度であれば直にわかる事だ。黙ってついていくあたり、すっかり忠犬体質が染み付いている。
もっとも今回に限って言えば通りすがる人々の視線の先は奈菜ではなく、その後ろをちょこまかと走る小動物じみた少女へほんわかとした微笑と共に向けられていたのだが、それを当事者が知ることはなかった。
廊下を2度3度と曲がり階段を上り、先ほどの会議室へ戻れと言われたら「無理」と言うしかないと少女が考え始めた頃になってようやくたどり着いたのは何のことはない、最初に目を覚ました部屋だった。実はそっくり内装の同じ部屋なのかもしれないが――実際、城であれば同じような部屋もたくさんありそうだ――窓から見える景色の角度が記憶にあるものと同じようだし、違ったとしてもそれ自体にあまり意味はない。要するに、物の少ない来客用の応接室といった部屋だというだけのこと。
ソファーにどかりと漢らしく腰を下ろした奈菜は、実に楽しそうにカラカラと笑っている。
「いやー、いい物手に入れたわ。あ、フレイちゃんありがと」
「恐縮です」
「ひっ」
いつの間に現れたのか、目つきの鋭いメイドがそっとティーカップを差し出す。さりげなく首筋に息を吹きかけられた少女は、驚きよりもむしろその感触に驚いて飛び退いた。
「な、何なんなのこのメイドさんっ!?」
奈菜の後ろに隠れた少女は涙目で叫ぶ。内面が外観に引き付けられるというが、ここ数時間ですっかり涙腺が緩んでしまったようだ。
縋り付かれた腕に伝わる体温に一瞬うっとりとした奈菜はすぐに表情を引き締める……といっても、相変わらずのニヤニヤ笑いであるが。
「大丈夫、このフレイちゃんはちょっと性的な意味で子供好きなのを差し引いても、有能なメイドさんだから」
「恐縮です」
「それのどこに大丈夫な要素があるんですかっ」
「差引きでプラスだよ?」
「マイナス要素が消えたわけじゃないでしょう!」
「ご安心ください」
エキサイトする少女を押しとどめたのは、当人であるところのメイド――フレイであった。
「わたくし、ナナ様のお世話をするようになって1年足らずですが、大事なことを1つ教えていただきました」
「?」
「――Yesロリータ、Noタッチ」
「何教えてるの!?」
この上なくキリッとした表情で宣うメイドであるが、その眼光が獲物を狙う猛禽のようにしか見えない。そもそも着替えの時にあちこちをまさぐられた事を思うと説得力のないこと甚だしい。
腹を抱え、足をばたばたさせながら爆笑する奈菜に、地味に貞操の危機を覚えている少女が食ってかかると、どれだけツボに入ったのか目元に浮かんだ涙を拭いながら弁解した。
「いや、教えたのはあたしじゃなくて友達。メイドさん達噂話大好きだからさー、そういうサブカル教えたらどっぷり嵌っちゃう人がいっぱい出てねぇ」
「笑えない!」
メイド達という事はどれだけの人間に狙われる事になるのかという恐怖にぶるりと小さく震えると、安心させるようにぽんぽんと頭を撫でられた。
「大丈夫、腐8:ショタ2が主流でロリ好きは3人くらいしかいないからー」
「その1人がここにいるんじゃないですか!」
「あー、それは確かに安心できないね」
あっはっはーと気軽に笑う奈菜。
「でも大丈夫。フレイちゃんは仕事はちゃんとやるし、主人と客には手を出さない」
「プロですから。仕事中はさりげないボディタッチまでしか致しません」
「Noタッチはどこへ行ったぁ!」
「仕事は信条に優先されるのです。残念ながら」
少女の絶叫をしれっと受け流し、メイドは奈菜のカップへおかわりを注いだのだった。
◇ ◇ ◇
「で、結局ここはどこなのさ」
唇を尖らせてふぅふぅとカップを吹き冷ましながら、少女はケーキを口に運ぶ奈菜へと改めて訊ねた。
腰を落ち着けお茶を飲み、ようやく落ち着いたのか疑問を疑問であると認識する余裕が出てきたようだ。だが、そんな少女に奈菜ははぐらかすように、相変わらずのニヤニヤ笑いを浮かべる。
「どこだと思う?」
「知らないよ!」
ヤケクソのように、メイドが口元に差し出すケーキをガブリと齧り付き一言。
「こんなのVRじゃ有り得ない! 熱さも寒さも普通に感じるし触った感触や味覚だってリアルすぎる。だいたいお茶を飲むとかケーキを食べるとか、見せかけならともかくこんなに細かく再現できるわけないじゃないか!」
そう言ってまた一口。口元に僅かにクリームの跡が残る。
つっ……と唾液の糸がひいたフォークを、口元を緩ませたメイドがこっそりと懐に隠した。何に使うつもりなのやら。
「こ・こ・は、どこなのさ!」
隠したフォークを奪い取る。
「な・ん・で、僕は女の子になってるのさ!」
それをテーブルのケーキに逆手で突き刺し、手を離せばそこにはケーキの真ん中に突き立ったフォークが残された。
どれだけリアルであろうとも、VR映像では、初めから作られたオブジェクトしか描画することはできない。それらは全て独立したものであり、ケーキというオブジェクトにフォークというオブジェクトを突き刺しても、フォークの突き刺さったケーキというオブジェクトにはならないのだ。
「食べ物で遊ばない」
「ごめんなさい」
たしなめられ、条件反射気味に謝罪。ぺこり。
「とりあえず、残っているの先に食べちゃいなさい」
「はーい」
「さて、さすがに智之くんも、これが精巧なVR映像なんかじゃないって事は何となく想像はついていると思うけれど」
くっと足を組んだ奈菜は、向かいに座った少女を見据える。
「そうね、簡潔に言うわ。ここは――」
――異世界。
もし大真面目に口に出す人がいたら指を指して笑うか正気を疑うかしかねないその単語も、今の少女には比較的すんなりと受け入れる事ができた。
なぜなら。
「気づいたら女になっているんだし、それくらいはなぁ」
異世界訪問と目が覚めたら性転換と。どちらの方がより驚くに値するかは個人によるだろうが、最近の風潮では場合によって複合もよくあることだとか何とか。
「あ、ちなみに姿が変わってるのはこっちの世界に来たこと自体とは何も関係ないから」
「おぉい!」
思わず本気でツッこむ少女に、呆れたような表情を向ける。
「そりゃ、あたしがこのままの姿なんだからそれくらい気づきなさいよ」
「まぁ確かに」
この世界に来る際に姿形が変わるのが必然だとしたら、確かに奈菜が奈菜の姿のままというのはおかしい話ではある。姿が変わるのがイレギュラーなのか、変わらないのがそうなのか。現時点ではサンプル数が少なすぎて断言することはできないが、少女にとってはすっかり長年に渡って奈菜=イレギュラーという固定観念が形成されてしまっていたのだ。
「ちなみにその外見になってるのは半分くらいは皆の趣味ね」
あっさり趣味と宣うが、そもそもどうやれば身長体重性別、完全に別人に作り変える事ができるのか。決して豊富とは言えない智之の知識では、答えにたどり着く事はできそうにない。説明されても理解できるだろうか。どこから突っ込もうか考えた少女は、結局無難な質問をするに至った。
「……で、もう半分は?」
「えーと、まずは」
虚空を見据え、指折り数え始める奈菜を慌てて止める。
「いや、やっぱり聞かない方が良さそうな気がする。禄な事じゃなさそうな」
「ふーん。でも地味に大事なことだから落ち着いたらちゃんと聞いてもらうわ。それと多分勘違いしている事が1つ」
「勘違い?」
「智之くんの身体はまだ“アルトラ”の12階。完全没入型BDIに繋がった状態で寝ているわ」
よく分からない、と首を傾げる少女に、熱心な教師がやるようにゆっくり噛み砕いて説明する。
「“テレイグジスタンス”って知っている?」
「ロボットの遠隔操作システムの事だっけ」
VR技術の実用化により最も発達した分野であると言えるそれは、簡単に言えばロボットのセンサーに映ったものを自分の感覚のように見聞きし、自分の手足を動かすようにロボットを操縦する技術である。この技術が実用化されるまでは、ロボットの操縦といえば無数にキーがあるコンパネが必要になるか、そうでなければ極めて限定的な挙動とならざるを得なかった。それが現在では、ごく簡単な講義さえ受ければ、人間並かそれ以上の柔軟性と精密さを簡単に再現することができるのだ。
もっともその性質上、人間の構造とかけ離れた機構を動かす事は困難という欠点はあるのだが。
「智之くんが好きなVRゲームのキャラクターも、同じようなものね。動かす対象が現実かバーチャルかの違いがあるだけで」
そう言われると、なるほどと思う。
昨今では操作パネル自体を仮想空間に再現することで、省空間化する技術も普及し始めている。これも、仮想空間のパネルをテレイグジスタンスによって操作しているとも言える。
「つまり今の智之くんは人工的な女の子ボディを、ヴィルトゥーレを経由して操作しているって事になるのさ。センサーの性能は生身並かそれ以上だけどね」
「……センサーだけじゃないよね? 体格が変わった事以上の違和感が全然無かった」
それこそが、最大の驚異である。姿形こそ変わっても、これが自分の身体であるとすっかり錯覚してしまっていたのだ。
「もちろん今のあたしだって同じ。動かしているラジコンが自分の外見そっくりなだけ」
「――それは全然気づかなかった」
この身体はいったいどのような技術で作られているのだろうか。これほどまでに人間そっくりなロボットを作る技術など、どこの国もまだ持っていなかったと思うのだが。もしかしたら奈菜の、人様の想像のつかないような人脈のなせる技なのかもしれない。
この技術があれば、どんなに遠い国でも移動費ゼロな上にタイムラグ無しで旅行を出来るようになりそうだ。ボディの制作費を考えると、素直に生身で行った方がよっぽど安上がりになりそうな気もするのだけれど。
奈菜は胸を張り――本物に極めて似せているというだけあって、その存在感も大したものである――堂々と宣言する。
「そう、限りなく人間に近いそれこそえっちぃ事もできる程の完成度の肉体。――私たちはこれを外殻と名づけたわ」
「途中の注釈はいらないって」
「略して“限りなくえっちぃ肉体”であるところの外殻」
「その略し方には意義を唱える!」
そもそもこの少女ボディは若干凹凸に乏しいと思うのだが、どうだろうか。だからいいのか。
最後に奈菜は、思い出したように付け加えた。
「それと、その姿をしているときの智之くんの名前は“ユーディット・トロッツェル”。略してトトちゃんって呼ぶからよろしくね」
「さっき紹介された時も思ったけど……なんでドイツ風なのさ」
メイドさんいろいろと残念すぎる。




