04話
肌寒さにぶるりと震え思わず自分の肩を抱いた少女は、淡い褐色の肌のさらりとした指触りと柔らかさに驚き、同時に自分自身の体温を感じてさらに混乱する。触感だけでなく、弾力や温度まで感じるこれは、本当にVR技術によるものなのだろうか。胡蝶の夢じゃないが、むしろこれまでの記憶こそが幻でこの体が現実だと言われたら信じるかもしれない。
鏡に映る造形自体は見とれる程に整っており、敢えて言うならリアル系のゲームに出てくるキャラクターデザインだろうか。しかし皮膚感覚から受けるリアル感と同じように、視覚に映る白い肌や壁の材質についてもVR映像特有のテクスチャで出来ているようには見えない。
「――ぅくちゅんっ」
まじまじと鏡の中を覗き込んでいた少女は再びくしゃみをし、改めて周りを見回す。とにかく、この肌寒さはいただけない。春の始めくらいだろうか、凍える程じゃないがさすがに裸で過ごすには厳しい気温だ。それに何より、広い空間に全裸で立ち尽くすというのはなんとも心細い。
「な、何か着るものは……」
そんな呟きで耳に届く己自身の声に、「鈴を転がすようなっていうのはこういう声なのかな」などと現実逃避気味に考えつつ、身体を捻った拍子に視界の隅に奇妙なものが入り込んだ。
「刺青? というより回路図のような……」
鏡に背中を向けてみると、裸の肩甲骨から小さなお尻の上まで青い模様のようなものが走っていた。全体がアルファベットの"Y"の字のようにも見えるが、よくよく見ればそれは細かい線の集合体のようだ。素人目にも何らかの法則性に従って配置されているようであり、見ようによってはある種の回路図のようでもあった。
「うーん、分からない」
背中にあるものをさらに鏡越しに見ているのだ。窮屈な姿勢もあって、はっきりと読み取ることはできない。ただでさえ分からない事ばかりの状況なのだ、少女は背中の模様の意味が分からないと判断した時点でそれ以上考えることを止めた。それよりももっと差し迫った問題、つまり現状のいろいろと全開状態を解決しなくてはならない。
「う……服は……服はどこに……?」
広いがあまり物のない部屋。ブルブルと小さく震えながら、とりあえず手近な棚の引き出しを開けてみるが、中にあるのは湿気取り用らしき小袋だけ。勢いよく他の引き出しも開けてみるが、そもそも使われていない棚だったのか、いずれも空っぽのままだった。
「次っ」
ここならばと期待した大きめのチェストも、結果は同じ。せめてベッドがあればシーツを引っぺがすという手も使えるのだが、元々客間なのか、あるのは精々がソファーのみ。
いっそ絨毯を剥がしてしまおうか。そう呟きつつ、もしかしたらという薄い可能性にかけて棚と壁の隙間までチェックし始める。切羽詰ったとしても、高そうな備品を壊すのはできれば最後の手段にしておきたいという小市民的思考の現れだが、この時点でここがVR技術によって作られた空間のはずだという事は意識の彼方へと吹き飛んでいる。
「この下には……くっ、何か、引っかかって……」
「失礼します」
まさかとは思いつつも手付かずだったソファーの下に手を突っ込んでまさぐり始めた時、小さなノックの音と共にがちゃり、とドアが開く。
厚みのある扉の向こうに立っていたのは、年の頃30前程の女性。長い金髪を背中に流し、いわゆるメイド服、しかも装飾が少なく丈の長い正しく実用品として設えられたものを身につけていた。
彼女はその鋭い、侍従というには存在感のありすぎる眼差しをすがめ、ひやりとした口調で訊ねた。
「何を、されてるんですか」
「えぇと、何でしょう……ね」
肩ごしに振り返った少女が改めて自分の格好を見てみると、地面に四つん這いになりソファーの下に肩口まで手を突っ込んだまま、何かに引っかかった手をなんとか引き抜こうともがいている。必然的にその小ぶりなお尻は高く突き上げた体勢のまま、意味ありげにフリフリと動いている。
――全裸で。
不幸なことに背中を扉側へ向けた位置関係のおかげで、そこから入ってきたメイドからは一切合切丸見えなわけで。
「誘われていると、解釈してよろしいでしょうか」
「だだだダメですっ」
目つきの鋭いメイドは少女に衣類を渡すためにやってきたのだという。
手渡されたものは当然ながら下着から何から女物。心理的な抵抗も相当のものだが、全裸のままメイドに全身を舐めまわすようにガン見され続けるのに耐え切れず、男としての尊厳に目をつぶり泣く泣く身につけることにした。もちろん慣れない形状の衣類を着るのがスムーズにできる筈もなくメイドの手を借りる羽目になり全身を不自然にまさぐられたような気もしたが、この時点で少女の精神はオーバーフロー気味。停止しかけた思考のままツッコミを入れる気力も抵抗する元気もなく、為すがままの着せ替え人形状態を甘んじて受け入れたのだった。
◇ ◇ ◇
やたらフリルの多い、ひらひらふわふわとした少女趣味な服に着替えた少女は、目つきの鋭いメイドの案内に従い、廊下を歩いていた。すれ違う人間のほとんどはメイド服を纏った若い使用人のようだったが、時折豪華な服を着た貴族や立ち振る舞いがキビキビとした軍人、簡易の鎧を着た兵士のような人物ともすれ違う。
いったいここはどんな場所なのか。すれ違う人々の服装や振る舞い、先ほどまでいた部屋や廊下の内装や調度品から推測すると、
(どこかの城っていうのが一番イメージに近いかなぁ。それも日本じゃなくて欧州的な)
こうして廊下を10分やそこらは歩いているのだ、"屋敷"というには広すぎる。時折窓から外を見れば、ロの字に連なる白い外壁と恐ろしく広い中庭、並んだ尖塔というのもそのイメージを強調している。
建物のさらに向こうには数百、数千どころではない数の家々。その先には森、遥か向こうに連なる山脈。
(これだけの地形をモデリングするのは相当なコストがかかりそうなものだけど)
最もそこに見えている地形や建物は全て映像という可能性はあるのだが、さすがにここからでは判断できない。普通のVR空間であれば迷わず映像というのだろうが、ここに来てから目にした妙な現実感が「もしかしたら本当にあるのかもしれない」と思わせる。
(それにこの人も……)
目の前を歩く目つきの鋭いメイドの後ろ姿をじっと見つめる。
彼女とは会話が成立し、また着替えを手伝うという能動的な行動をとることができた。それはつまり、彼女がAIではなく中の人がおり、このメイド姿は成りきりであるという事のはず。
それにしては少々立ち振る舞いや言動が道に入り過ぎてやしないだろうか。まるで十年以上メイドを続けてきたかのような……
「如何なさいましたか、お嬢様」
背後から向けられていた視線に気づいたのか、メイドはふと立ち止まると少女の方へと向き直った。
「い、いえ何も!」
じっと見つめられ、あたふたと首を振る少女。どうも育ってきた環境のせいか、年上の女性に対して腰が引ける体質になっているようだ。
「しかし先ほどから私のお尻を凝視している様子。そそそんなに性欲を持て余しているのでしたら不肖わたくしがご相手させていただきますのでこちらの部屋へどうぞ。ふふふ……」
「急にどもらないでください本気っぽくて怖いですから! あと手を引っ張らないでどこに連れ込む気ですか!」
「冗談でございます」
表情ひとつ変えずしれっと答えるメイドに、がくっと肩を落とす。模範的なメイドかと思ったのはどうやら気のせいのようだ。
とぼとぼと歩くことさらに数分、たどり着いたのは他のものより立派な扉の前。両脇には甲冑姿の兵士が槍を持って控えており、包丁より大きな刃物を見たことのない少女は若干尻込みをする。
メイドは兵士に2、3言葉をかけると、少女を促すように1歩下がり道を空けた。
「着きました、こちらの扉より中へお入りください。……先ほどの話の続きがご希望でしたら夜にでも(ぼそり)」
「!?」
動揺する少女を置いて鋭い目つきのメイドはさっさと立ち去ってしまった。小さな文字が書かれた、紙片を残して。
「ど、どこまで本気か分かりづらい……」
とにかく、ここで唖然としていても仕方ない。紙片をポケットに突っ込んだ少女は意を決し、開かれたドアを潜る。警備兵から向けられる訝しげな視線に、気づかないフリをして。
そこは、最初に着た応接室と似たような間取りの部屋だった。
もっとも最低限の家具しかなかったあの部屋とは異なり、真ん中に巨大な方形のテーブルとそれを囲むいくつもの椅子、壁面を覆い尽くす巨大な棚とそこに並べられた無数の書物という雑多な印象。何より、火照るような熱気が満ちていた。
20ほどの座席のほとんどは既に埋まっており、裕福そうな身なりをした老若男女が熱心に議論を交わしている。ここが城であるならば貴族というのが適切だろうか、彼らは新たな来室者に気づくと自然と声を潜める。その場違いなものを見るような、あるいは品定めするような不躾な視線を向けられ、わずかに怯む少女。そもそも何故この部屋に案内されたのかが分からない彼女にとって、老獪とも言えるその視線を受け止めるのは困難だった。
じり、と思わず1歩後ずさった時だった。パン、と大きく手を叩く音が響く。
「何だい君達、そんなに怖い顔をして。可愛らしいお嬢さんがすっかり怯えちゃってるじゃないか!」
HAHAHA、と音をつけたくなるような朗らかな笑いで全員の注意を惹きつけたのは、やや奥まった所に座っていた青年だった。肩まである金髪に青い瞳の彼は精々20代程にしか見えずこの部屋にいる面子の中でも相当若い部類に入る。しかし親どころか祖父くらい歳が離れている者達の視線もトボけた笑いであっさり受け流している様子は、彼らよりもさらに一枚上手と言えるかもしれない。
「大丈夫かな、可憐なお嬢さん。見ての通りここは年寄りの寄合所みたいなものでね、あなたみたいな方と過ごすには少々華がなさすぎる」
その言葉に青筋を浮かべた者に呆れたような笑いを浮かべた者、そして無関心のままの者。反応はそれぞれだが、ある意味侮辱ともとれる発言に誰も表立って抗議する様子がないのは、青年の立場故のものだろうか。
「僕も少々ここでの不毛な会談には飽きてきたのでね。どうだろう、道に迷ったのであれば城内をエスコートさせていただけないだろうか」
あぁ、やはりここは城で良かったのか。
現実逃避気味に明後日の方向へ思考を飛ばす少女へと青年の手が差し伸べられたとき、背後の扉が再び開かれた。
「うちの子に手を出さないでいただけますか、エクシリア侯?」
釣り目メイドさんは有能で勤勉だけど百合でロリコンの残念な人。
あけましておめでとうございます。
今年の目標は1週間1話ペースで50話といった所でどうでしょう。




