７．やっぱり言うだけかよ！　（地図あり）

興平元年（１９４年）１０月　揚州　九江（きゅうこう）郡　寿春（じゅしゅん）

　陸遜と周瑜の働きにより、廬江（ろこう）太守　陸康（りくこう）を降伏させた俺は、意気揚々と寿春へ戻ってきた。

　そして成果を袁術（えんじゅつ）に報告したのだが、予想どおりの答えが返ってくる。

「すまんがのう……廬江には劉勲（りゅうくん）を入れるつもりじゃ」

「ええっ！　俺を太守にっていう、約束だったじゃありませんか！」

「いや、たしかにそのつもりじゃった……しかしなに分、おぬしは若すぎるという声があってのう。ここは経験豊富な劉勲に任せ、孫策には引きつづき槍を振るって欲しいのじゃ」

　この野郎、やっぱり廬江太守には、他の部下を充（あ）てるときた。

　陸康を倒したら、俺を太守にすると言っていたのに。

　ほんとに”言うだけ番長”だな。

　しかしこれは想定の範囲内だったので、別の要求を突きつけてやる。

「それであれば、亡き父が率いていた軍勢を、俺に任せてもらえませんか？」

「むう、何じゃと？……孫堅（そんけん）の軍勢というと……ああ、あれか」

　孫堅（おやじ）が率いていた軍勢は彼の死後、親類の呉景（ごけい）と孫賁（そんほん）の指揮で、袁術の傘下に収まっていた。

　当然、その編成は袁術のいいようにされ、以前ほどの勢力はない。

　おそらく今は千人いるかどうか、というところだろう。

　その中には黄蓋（こうがい）や程普（ていふ）、韓当（かんとう）などの勇将もいるのだが、今は不遇をかこっている。

　一応、俺が袁術陣営に参加した時にも、その軍勢の指揮権を要求してはみた。

　しかしその時は、俺が若すぎるとか、実績がないとか言って断られたのだ。

「お願いします、袁術さま。今回の件で実績もできたので、兵士も従ってくれるでしょう」

「う、うむ、そうだな……そろそろ良いかもしれんな」

　おそらく袁術は、俺が力を持ちすぎることを、危惧（きぐ）しているのだろう。

　しかし実績がないという言い訳はもう通じないし、廬江太守の件で後ろめたさもある。

　最終的には、旧孫堅軍団の指揮を任せてくれることになった。

「さすがは、若。上手くやったようですな」

「フハハッ、これで我らも、やる気が出るというもの」

「よもや再び、孫家の旗の下で戦えるとは……くううっ」

　さっそく旧孫堅軍団に会いにいったら、黄蓋や程普、韓当に歓迎された。

　彼らは孫堅（おやじ）の下で槍を振るい、その快進撃に貢献した勇将である。

　しかし袁術の下では、冷遇されていた。

　そんな状況で、旧主の嫡男である俺が、新たに指揮を執るのだ。

　韓当なんか、涙ぐんで喜んでいる。

「長く待たせてしまったようで、悪かったな。だけどこれからは、退屈はさせないつもりだ。いざという時に備えて、兵を鍛えておいてくれ」

「了解しました。いつでも出られるよう、兵を鍛えましょう」

「ああ、頼む」

　こうして我が孫家は、軍勢の一部を取り戻した。

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興平２年（１９５年）３月　揚州　九江郡　寿春

　旧知の軍勢を手に入れ、その訓練に勤（いそ）しんでいたら、また袁術から呼び出された。

「呉景（ごけい）どのへの、援軍ですか？」

「うむ、そうじゃ。劉繇（りゅうよう）が敵対を顕わにして、呉景らを丹陽（たんよう）から追い出しおった。今は歴陽（れきよう）を拠点に抵抗しておるが、どうも戦況がよろしくない。そこで孫策には、その援軍に行ってもらいたいのだ」

「なるほど、そういうことですか……」

　来た来た、来ましたよ～。

　実は最近、揚州には新たな刺史（しし）が赴任していた。

　それが劉繇といって、今は呉郡の曲阿（きょくあ）にいる。

　元々、揚州には陳音（ちんおん）という刺史がいたんだが、袁術が揚州入りする際にぶっ殺された。

　それからしばし刺史の座は空席だったものの、やがて朝廷から劉繇が送りこまれてくる。

　もっとも、袁術だって最初から劉繇と敵対するつもりはなかったらしい。

　うまいこと共存を狙っていたらしいんだが、劉繇の方から牙をむいてきた。

　丹陽郡を支配していた呉景と孫賁（そんほん）を追い出して、江東の守りを固めたのだ。

　すぐにでも反撃したい袁術だが、北にも敵を抱えていて、江東へ主力を回せない。

　かくして俺にお鉢が回ってきたわけだが、これは俺にとって大きなチャンスだったりする。

　なぜなら史実で孫策は、劉繇（りゅうよう）との戦いで活躍し、江東に地盤を築きはじめるのだから。

　つまり”江東の小覇王”への、第一歩ってわけだな。

　そんな状況で、いよいよ袁術から指示が出た。

　はやる気持ちを抑えながら、俺は慎重に返事を返す。

「分かりました。この任務、全力で取り組みます。叔父上たちは、身内ですしね」

「おお、やってくれるか。成功した暁には、今度こそ大役を任せるぞ。そうだな……丹陽は周尚（しゅうしょう）に任せるつもりなので、呉郡の太守はどうじゃろうか？」

「はいっ、ぜひお任せください」

　また言ってるよ、このおっさん。

　どうせその時の気分で、適当な部下を充（あ）てるくせに。

　だけど今回ばかりは、そうはさせない。

　史実でも孫策は、この戦いで次々と敵を降し、江東の大半を支配する、事実上の独立勢力に成り上がったのだ。

　つまり袁術の空（から）約束なんて、もう関係なくなるんだ。

　俺はそんな考えをおくびにも出さず、袁術に頭を下げる。

　しかし心の中では、今後の飛躍に胸を踊らせていた。

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興平２年（１９５年）４月　揚州　九江郡　歴陽（れきよう）

「おお、孫策。よく来てくれたな」

「お久しぶりです。叔父さん、賁兄さん」

「ああ、久しぶりだな」

　あれからひと月ほどで、俺は軍勢を率いて歴陽に到着した。

　さっそく呉景と孫賁に出迎えられたものの、２人の顔は暗い。

「どうやらあまり、いい状況ではないようですね？」

「まあな。劉繇は想像以上に手ごわい」

「うむ、そうだ。しかも奴は今度、揚州牧（ようしゅうぼく）に就任するらしくてな。このままでは、ますますこちらが劣勢になってしまう」

　実は刺史（しし）という役職は、郡太守の監察がメインで軍権を持たないため、権力はさほどでもない。

　そこでさらに軍権を認め、強い権力を持たせたのが牧（ぼく）という役職だ。

　ただでさえ厄介だった劉繇が軍権まで握れば、こちらはますます不利になる可能性が高い。

「そうですか。とりあえず現状の配置と戦力を、教えてもらえますか？」

「ああ、説明しよう」

　それからしばらく、地図を見ながら説明を受けた。

　それによると、歴陽に近い横江津（おうこうつ）、当利江（とうりこう）に、張英（ちょうえい）・樊能（はんのう）という武将が居座っており、その軍勢は万に迫るという。

　それに対して、呉景らの軍勢は４千足らずと、圧倒的に不利だった。

　俺の連れてきた軍勢を入れても、せいぜい５千程度にしかならない。

　しかもこちらには、さらに不利な条件があった。

「船が足りないんですか？」

「ああ、こっちが油断してる間に、多くの船が押さえられてしまった。これでは敵陣に攻め寄せることもかなわん」

　困ったことに、長江流域の船を、ほとんど敵に押さえられてしまったらしい。

　おかげで長江南岸に、大兵力を送る能力もないときた。

　しかしこれについては、俺に考えがあった。

「そうですか……それについては、俺も考えてみます。他に何か、重要なことは？」

「そういえば丹陽には、周尚（しゅうしょう）どのが太守として入るらしいな。周家とは縁があるから、多少は助けになるかもしれん。もっとも、その前にまず、長江を渡らねばならんがな」

「ああ、袁術さまも、そんなことを言ってましたね。叔父さんが追い出された直後に、どうやって押しこんだんだろ？」

「なんだかんだいって、袁家の影響力は強いってことさ。まあ、周家の名声も、あるのだろうがな」

　驚いたことに呉景の後釜として、周瑜の叔父に当たる周尚が、丹陽太守として就任したらしい。

　しかもこれが袁術の差し金らしく、その影響力を感じさせる話だ。

　なんにしろ、これによって周瑜が動きやすくなるので、俺にとっては朗報だ。

　こうして俺たちの江東制圧戦が、ひそかに始まった。