4.危ない男
初平4年(193年)6月 徐州 下邳国 東城
江都で陶謙に追い回された俺は、ほとぼりを冷ますのも兼ねて、下邳国は東城へと来ていた。
そしてとある屋敷の前で張り込んでいると、やがて10人ほどの一団が現れる。
「くあ~っ、今日も疲れたな~」
「ああ、だけどけっこう、行軍は様になってきたよな」
「まあな。武器の扱いにも、ずいぶんと慣れたし。それもこれも、魯粛さんのおかげだ」
「いえいえ、皆さんのがんばりの成果ですよ」
粗末ではあるが、鎧や刀槍を身につけた男たちが、なごやかに喋りながら、歩いてくる。
その中心にいるのは、まだ若いが、落ち着いた雰囲気を持つ男だった。
彼こそが目的の人物だと知った俺は、近づきながら声を掛ける。
「あのう、そちらはもしや、魯粛どのではありませんか?」
「あ? 何もんだっ、お前!」
すると男たちが機敏に動き、警戒しながら武器を構える。
そんな彼らを刺激しないよう、俺は慎重に名乗りを上げた。
「決して怪しいものではありません。私の名は孫策。見聞を広めるため、旅をしています」
「このご時勢に漫遊だなんて、ますます怪しいぞ!」
1人の若者がさらに警戒を強めるが、魯粛がそれを制す。
「お待ちなさい。どうやらこの御仁は、私にご用のようです。たしかに私が魯粛ですが、どのようなご用件でしょうか?」
「やはりそうでしたか。実は私、先の破虜将軍 孫堅 文台を父に持ちます。今はただの若輩にすぎませんが、叶うならば父の志を継ぎたいと考えています。つきましては高名な魯粛どのと、この乱れた世の行く末について論じたいと思い、こうしてうかがいました」
そう、彼こそは魯粛 子敬。
史実で孫権を補佐し、孫呉政権の成立に大きく貢献した男だ。
たしか俺より3つほど上だから、22歳になるはず。
あいにくと史実では、仕える前に孫策が死んでしまい、縁がなかった。
そんな魯粛は俺の言葉に面食らったようで、マジマジと凝視してきた。
やがて破顔すると、嬉しそうに言葉を返す。
「これはこれは。有名な孫堅将軍のご子息にお訪ねいただくとは、嬉しい限りです。私もぜひお話をうかがいたいので、我が家へお越しください」
「ええ、こんな怪しいやつを?」
「大丈夫ですよ、皆さん。さあ、行きましょう」
心配する部下をなだめながら、魯粛は自宅の門をくぐる。
俺もそれに続きながら、第1関門を突破したことに安堵していた。
屋敷の敷地に入ると、彼らは離れの建物へ向かう。
どうやらこの離れに、食客たちを住まわせているようだ。
そこに落ちつくと、彼らは軽く身を清めてから、宴席の準備を始めた。
それぞれが場を整えたり、食事の準備をしたりと手際がいい。
そしてそれをテキパキと指示しているのが、当の魯粛であった。
客分として座りながら、そんな様を眺めていると、魯粛が水を出してくれた。
「バタバタして申し訳ありません。身の周りのことは、自分たちでやることになっていますので」
「いえいえ、これだけ人がいれば、仕方ないですよね。皆さん、魯粛どのの食客ですか?」
「まあ、そのようなものです。自宅から通いの者もいますがね」
「ほう……何か、自警団のようなものをやっておられるので?」
「そんな大したものではありません。いざという時に備えるとか、そんな感じですね」
そう言って魯粛は、あいまいに笑った。
彼の家はけっこうな財産を持つ豪族なので、これぐらいの食客を養うのは、さほど難しくないだろう。
ただし役人とかをやってる名家ではなく、商売で成り上がった家系と聞く。
本来なら、武力を求めるような家ではないはずだ。
ところがこの魯粛は家業を手伝いもせず、家財を放出して人助けをしたり、若者を集めて戦争ごっこをしているらしい。
傍から見れば、家を傾けかねない放蕩息子にしか映らないだろう。
しかし俺は、彼にはしっかりした目的があると見ていた。
魯粛も水を飲みながら、話しかけてきた。
「孫堅将軍については、お悔やみを申し上げます。実に惜しい方を、亡くしたようですね」
「はい。まだまだこれから、という時だったのに……しかし常に前へ出ようとする、父らしい最期ではあったと思います」
「なるほど……ところで貴殿は、各地で見聞を広めているようですが、その後はどうされるのですか?」
「そうですねぇ……ある程度、満足したら、袁術さまのお世話になろうかと、考えているところです」
「ほほう、そうですか」
彼は何気ない風を装ってはいるものの、その目には抑えられない興奮の色が見て取れた。
なので俺はここでもう1歩、踏みこんでみる。
「実際にどこまでやれるかは分かりませんが、叶うならば父と同じ夢を、追ってみたいと思っています」
「……孫堅将軍の夢、と言われると、どのような?」
「生前、父は江東に勢力を築くことを、夢見ていたようです。大した名声もない家柄にしては、過ぎた野望かもしれませんがね。しかしそれでも父は、破虜将軍までいったのです。全くの夢物語とも、言えないでしょう」
すると魯粛は大きくうなずき、身を乗り出してきた。
「なるほど、それはすばらしい夢ですな。なんというかこう、胸が躍る話です!」
「え、ええ、そうですよね」
予想以上の食いつきに戸惑っていると、彼はスッと背筋を伸ばして、頭を下げた。
「ぜひ私にも、その夢を手伝わせてはもらえないでしょうか?」
「えっ、うええ?」
これまた予想外の展開に、思わず声が裏返ってしまった。
すると周りでそれを聞いていた食客たちが、何事かと集まってくる。
「魯粛の兄貴。いきなり何いってんですか?」
「そうですよ。今日会ったばかりの、そんな得体も知れない奴に」
食客どもがてんでに文句を言うが、魯粛は意に介さない。
それどころか彼らに向かって、堂々と説教を垂れはじめた。
「私は一時の感情で、こんなことを言っているのではありません。もう何年も温めてきた構想を、実現できそうな人物に出会ったのです。もちろん先のことは分かりませんが、私はこの動きに乗るべきだと判断しました。別に私についてこれないのであれば、いつ出ていってもらっても構いませんよ」
「……な、何いってんだよ、あにい」
「俺たちに行き先がないの、知ってるくせに……」
魯粛の断固たる態度に、食客どもは一様におし黙る。
彼は再び俺に向き直ると、話を続けた。
「もちろん貴殿にもご都合があるでしょうから、今すぐというわけではありません。しかしいずれはどこかの旗の下で、戦いに身を投じることになるでしょう。その時に改めて相談するということで、いかがでしょうか?」
「そ、そうですね。互いの利害が一致するのなら、その時はお願いしたいと思います」
「ええ、楽しみに待っております」
そう言って満足そうにする姿は、実に落ち着いたものだった。
先ほどの興奮もどこへやら、今は柔らかい笑みを浮かべている。
そんな彼を見ながら、俺は想像以上の成果に、内心で歓喜の声をあげていた。
魯粛 子敬。
こいつは三国志演義では、お人好しの無能に描かれているが、実はけっこう危ない男だ。
そもそも役人や軍人でもないのに、兵を養う真似事をしてる時点で、すでにアレである。
しかし彼の真骨頂は、”赤壁の戦い”の前に発揮される。
西暦208年に荊州刺史の劉表が死に、さらに曹操が荊州に攻めこんできた。
この時、孫権陣営に属していた魯粛は、何の権限もないくせに、曹操から逃げてきた劉備に同盟を提案する。
さらに自陣に戻ってからは、主である孫権を脅しつけ、曹操との開戦を決断させる始末だ。
その後、周瑜という天才の働きもあって、赤壁で孫権軍は奇跡的な勝利を上げる。
結果、魏、呉、蜀の3国鼎立への道筋がつき、魯粛は呉の建国において最大級の功労者となった。
彼の何がすごいかというと、当時、なんら大きな名声も役職もなかったにもかかわらず、明確な戦略を持って孫権を導いたことであろう。
”赤壁の戦い”当時、自身に近い戦略を持つ周瑜という味方がいたにしろ、魯粛の功績がかすむことはない。
ちなみに漢王朝の存続にこだわっていなかった点も、魯粛のぶっとんだところだ。
当時の価値観としては、漢の血統とは冒されざる聖なる存在、みたいな感覚だった。
それを端から無視できる精神性ってのは、かなりの異端と言っていい。
そんな三国志世界の巨星が、俺に協力を申し出てきたのだ。
そしてそれは一時の思いつきでも、若さゆえの暴走でもない。
そもそも魯粛がなぜ、家業そっちのけで奇態な行動をしていたかといえば、政治へのアクセスを求めていたからだ。
なぜなら彼の実家は、裕福な豪族ではあっても、名士を輩出するような名家ではなかった。
つまり金は持っていても、政治に参加する伝手はなく、指をくわえて見ているしかない状態だ。
そこへ将来の話とはいえ、江東で成り上がる夢を、俺が示してみせた。
それに相乗りして成り上がることに、大きな魅力を感じたとしても、不思議はないであろう。
ちょっと心配なのが、魯粛を早めに誘うことによって、歴史が大きく変わってしまうことだ。
何しろ俺のアドバンテージは、歴史を知っていることにある。
これから7年ほど、トントン拍子に勝ち進むはずの未来が変わっては、俺も対処に困る。
しかしまあ、史実でも魯粛は孫呉政権に加わるのだから、それが多少、早まるぐらい、どうってことないだろう。
どのみち、この乱世を生き抜くためには、味方を強化していかねばならないのだから。
史実では周瑜が魯粛をスカウトしてくるも、仕える前に孫策が死んじゃったんですよね。
一説には仕えたけど、重用されなくて、田舎に帰ったなんて話もありますが。
三国志演義では無能扱いの彼ですが、実際には冷徹な価値観と戦略を持つ人物だったと思います。




