１４．独立のとき
建安２年（１９７年）３月 揚州 会稽郡 山陰
会稽郡の北端の山陰に腰をすえると、俺は呉と会稽の統治に取りかかった。
ここは交通の便がいいし、呉にも近くて、いろいろと都合が良い。
ここから会稽の各地に武将を送りこみ、少しずつ統治を進めていくのだ。
しかし広大な会稽郡を治めるには、人材がぜんぜん足りていなかった。
いかに王朗を降したとはいえ、現地の役人は素直に従ってくれない。
むしろ武力で成り上がった俺を、裏で馬鹿にしてるくらいだ。
そんな状況で四苦八苦している裏で、とうとう大事件が起きた。
「袁術が皇帝を僭称した、か」
「はい、寿春で”仲”という国を興し、初代皇帝を名乗っているそうです。これから一体、どうなるんでしょうか？」
陸遜からそんな報告がもたらされると、周りで聞いていた連中も、ザワザワと騒ぎはじめた。
あ～あ、やっぱりやっちまったか、袁術 公路よ。
お前にとってそれは、地獄への一本道だというのに。
しかしこうなるにはそれなりの経緯があるもので、孫堅が死んでからの状況を、ここでさらってみよう。
まず親父が死んだ１９２年だが、すでに董卓は呂布に暗殺されていた。
その後は呂布を唆した王允が、朝廷を牛耳ろうとする。
しかし董卓軍の残党に、首都長安はあっさりと陥落させられた。
その際に呂布は逃亡し、王允は殺されてしまう。
そして決定的な強者がいなくなった長安では、董卓の残党が争い合い、やがて皇帝も逃げだした。
他の群雄はその頃、何をしていたかというと、まず袁紹はわりと早いうちに冀州の牧に収まっていた。
それからさらに公孫瓚を打倒し、幽州、青州、并州をも支配する一大勢力に成長するが、これはまだ少し先のことだ。
一方、曹操はというと、最初は袁紹に使われていたが、いろいろと苦労したあげくに兗州を手に入れた。
それからもなんやかやあったが、やがて長安から逃げてきた献帝を迎え入れるという、大金星を挙げる。
おかげで曹操は大将軍に任じられ、一躍、勢力争いのトップに躍り出た。
また、後に３国の一角を形成する劉備も、紆余曲折をへて徐州牧へ就任した。
しかしやがて呂布に徐州を乗っ取られ、今は曹操の下に逃げている。
その他に荊州牧の劉表も、それなりの勢力を有していながら、あまり積極的な動きは起こさなかった。
そして我らが袁術閣下であるが、最初は南陽を押さえていたものの、曹操に負けて寿春へ移動する。
そこで孫策に江東を攻めさせつつ、自分は徐州にちょっかいを掛けたりしていた。
しかし何を勘違いしたのか、とうとう皇帝を僭称しちまったのが現状だ。
揚州の大半を押さえて、気が大きくなったのかねえ。
そんな領地の大半が、砂上の楼閣だっていうのに。
あとは天子が長安を逃げ出して、漢王朝の命運が尽きたと考えたのも大きいだろうな。
そんなことを考えていたら、陸遜に指摘される。
「孫策さま。何をニヤニヤと笑っているのですか？」
「え？ 別に笑ってねえよ」
「いえ、笑ってますよ」
「うむ、あまりの衝撃に、頭がおかしくなったかと思ったぞ」
「ちょっと不気味っすよ、孫策さま」
ありゃ、感情が顔に出ていたか。
いろいろ言われてバツの悪さを感じつつ、俺は皆に宣言する。
「コホン……この際だから、はっきり言っておこう。俺は今後、袁術と手を切って、独立する」
「ええっ、なんでまた急に」
「急にじゃねえよ。前から考えてたことだ。今のままじゃ、どんだけ領地を切り取っても、袁術に取り上げられちまう。それに考えてみろ。いまだ漢王朝の天子さまがいるのに、皇帝を僭称する袁術は逆賊だ。このままじゃ、一緒に沈む未来しかない」
「うっ、それはそうですけど……」
俺の考えを聞いた陸遜が、不安そうに言いよどむ。
未来の大将軍も、まだまだ初心なものだ。
しかし今度は黄蓋が懸念を示す。
「しかし、袁術と縁を切ったとして、その後はどうするんじゃ？ 我々が単独でやっていけるとも、思えんがのう」
「ああ、それなんだが、朝廷、正確にいうと、曹操と手を組もうかと考えてる」
「曹操か……信用できるんかのう？」
「なるほど、それはいい考えですね」
曹操と聞いて、黄蓋が疑問を呈せば、陸遜は良い考えだと言う。
さすがは陸遜、国内の状況がよく分かっている。
「ああ、みんなも知ってのように、曹操は昨年、天子さまを保護している。つまり最も正統な権威は、曹操の下にあるんだ」
「しかしのう……天子さまの権威を笠に着て、好き放題やっておると聞くぞ」
「そんなもの、玉を取りそこねた奴の、負け惜しみさ。現状はよくやってると思うぞ」
「そうなんかのう？」
実際のところ、あれだけ敵の多い場所で地盤を確保し、すかさず天子を保護してのけた曹操の手腕は、大したものだと思う。
当時、曹操の他にも、袁紹や袁術、劉表なんかには、献帝を保護するチャンスはあったのだ。
しかし彼らはリスクを取ることを恐れ、みすみすそのチャンスを逃した。
可能であれば、俺も献帝を手中にしたかったよ。
しかし献帝が逃げてきた洛陽はあまりに遠く、そこまで行くだけでも大事だ。
あいにくと会稽の制圧に忙しかったのもあって、泣く泣くそれを見送らざるを得なかった。
もっとも、ちゃんと次善の手は打ってあるけどな。
「ふむ、まあそれは良いとして、曹操はこちらをどう思っておるのか、じゃが」
「それについても抜かりがない。すでに魯粛に交渉は頼んであって、感触もいいそうだ。ここで袁術と手を切れば、俺を利用しようと、動きだすはずだ」
「ほほう……」
「さすがは若……」
そこにいるほとんどの者たちから、尊敬の目が向けられる。
前世知識によるフライングで、ちょっと後ろめたいが、求心力を高めるには有効だ。
俺は開き直って、今後の指示を出す。
「ということで、俺はこれから袁術に手切れの手紙を送り、丹陽にいる袁胤も追い出す。その後は本格的に江東の統治に取り掛かるから、忙しくなるぞ」
「うわぁ、ますます人手が足りなくなりますね」
「ああ、そのためにも曹操から、爵位や官職をもらうつもりだ。そうすれば、今まで非協力的だった役人どもも、こぞって参加してくるだろう」
「さすがです、孫策さま！」
人材不足を嘆く陸遜に、俺の見込みを教えてやると、彼の顔が喜びに輝いた。
それだけ俺たちの人材不足は、深刻だったのだ。
孫家はどう見ても名門とはいいがたいし、今までは袁術の手下ぐらいにしか見られていなかった。
おかげで呉や会稽では、既存の役人の多くが出仕を拒み、支配地域の統治に支障があった。
しかし漢王朝から正式に官職を認められれば、そんな状況も一変する。
やはり権威というのは、重要なのだよ、残念ながら。
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建安２年（１９７年）６月 丹陽郡 秣稜
宣言どおりに袁術へ絶縁状を送りつけてやったら、ヤツは大層、怒り狂ったとか。
しかしすでに丹陽太守の袁胤は追い出されており、江東に対して打つ手がない。
ついでに歴陽には孫賁の弟である孫輔を配置し、寿春に圧力を掛けてやった。
そうして丹陽の統治を固めていると、念願の使者が到着する。
「貴殿を騎都尉ならびに会稽太守に任じるとともに、烏程侯に封ずる」
「その任、謹んでお受けいたします」
曹操から王甫という使者が遣わされ、俺に爵位と官職がもたらされた。
これは絶縁状と並行して曹操におねだりしていたもので、これで俺も立派な官軍の将となる。
ちなみに騎都尉は近衛軍の将校で、烏程候は孫堅から弟の孫匡に継承された爵位だ。
今回、それを改めて俺がたまわることで、箔をつける形だな。
さらに正式な会稽太守になることで、人材登用をしやすくする狙いもある。
基本的にはこれで十分なんだが、俺はもうちょっと欲張ってみた。
”騎都尉と会稽太守の組み合わせじゃあ、バランス悪くないですかね？” とほのめかしたら、明漢将軍に任じてくれたのだ。
ラッキー。
史実でもこの要望は通ったらしいので、言ってみてよかった。
まあ、それほど位の高くない雑号将軍だが、正式な将軍位には違いない。
昨日までの俺とは、ひと味もふた味も違うぜ。（キリッ）
こうして俺は、袁術の配下ではない、１人の群雄として立ち上がったのだ。
