13.会稽郡は取ったものの (地図あり)
興平2(195)年 12月 揚州 呉郡 銭唐
朱治による呉郡制圧は、順調に進んだものの、俺の方はそうでもなかった。
呉郡と会稽郡の間に流れる浙江という河を盾に、抵抗されたからだ。
厳密にいうと、銭唐の向かい側に固陵城という堅城があって、これが俺たちの行く手を阻んでいた。
対する敵の首魁は王朗といって、正式に指名された会稽太守である。
そのせいか俺の降伏勧告にも従わず、徹底抗戦の構えを見せている。
奴は城に陣取って、こちらの進軍を邪魔しまくってくれやがった。
対するこちらは、何度も渡河して攻略を試みたのだが、ことごとく跳ね返されてしまう。
無理攻めで兵を損ないたくなかったのもあるが、敵もけっこうなやり手だ。
「このままじゃ、会稽に入る前に年が明けちまう。なんかいい手はないかな?」
「あくまで兵力を温存するとなると、むずかしいですな……ここは力攻めも」
「しかり。若のお心も分かりますが、犠牲をいとうばかりでは、進みませぬ」
主要人物を集めた軍議で、黄蓋と程普が強攻を提案してくる。
しかし俺は常々、それは自重するように言っていた。
やがて黄蓋よりも年配の男が、静かに口を開く。
「フォッフォッフォ。敵は河を背にして、城に立てこもっております。それを正面から攻めるのは愚策ゆえ、背後から手を伸ばしてみてはいかがか?」
そう言って、俺の目をのぞきこんできたのは、孫静だ。
彼は孫堅の弟で、今は孫家の長老格として、敬われている御仁である。
普段は故郷の富春に引っ込んでいるが、周辺の地理に明るいので呼び寄せた。
そんな彼の献策こそ、俺が望んでいたものだ。
この戦は孫静の活躍で勝利するって、歴史に残ってるからな。
俺は少し考えるふりをしつつ、みんなに相談を持ちかけた。
「ふむ。叔父上の提案は、もっともだ。しかし、どうやって部隊を送りこむ?」
「そんなの夜陰に乗じて、川上から潜りこめば、いいじゃないっすか」
大した考えもなく呂範が口をはさめば、陸遜がそれを否定する。
「いえ、今までにも兵を送り込もうとすると、ことごとく対応されてきました。おそらく敵の密偵から、こちらの動きが漏れています。その対策をしない限り、成功はおぼつきませんよ」
「あ、そうなんすか? それじゃあ、う~ん……」
陸遜が言うとおり、敵は密偵の使い方が上手かった。
その対策に皆が頭をひねっている中で、俺から提案をしてみる。
「こんなことを思いついたんだが、どうかな?」
俺の考えを伝えると、皆も意見を出してきて、よりよい密偵対策がまとまった。
「それじゃあ、陸遜にはめくらましを準備してもらって、別働隊は叔父上に任せたい。敵に動揺が見えたら、総攻撃だ」
「はい、お任せください」
「フォッフォッフォ、久しぶりの大役じゃのう」
皆がやる気になる中、黄蓋が俺を持ち上げてきた
「それにしても、若は武威だけでなく、智謀にも長けているんですのう」
「い、いや~、ちょっとした思いつきだよ」
「またまた、ご謙遜を」
実際には前世知識のカンニングなので、ちょっとバツが悪い。
しかしそれこそが俺の強みなんだから、上手く使ってかなきゃな。
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翌日の晩、俺たちの陣営では盛大に火が焚かれていた。
これは表向き、”連日の雨で水が濁った。それを飲んだ兵士が腹を壊してるので、湯を沸かせ”という指示の下に行われている。
しかしその実態は敵のスパイの目から、別働隊の動きを隠すための目くらましだった。
噂のバラマキから湯沸かしの手配まで、陸遜が上手くやってくれた。
その手際はもう、大人顔負けである。
さすが、未来の大将軍だ。
一方の孫静はといえば、こちらもバッチリだ。
あの人、普段は目立たないけど、仕事はできるのな。
まず浙江の上流から船で回り込んだ別働隊は、王朗が補給の拠点にしている査涜を急襲した。
これに慌てた王朗が周昕を派遣したものの、それを読んでいた孫静は待ち伏せて迎撃。
見事に周昕の首を取って圧力を掛けると、王朗の軍はあっさりと士気崩壊して、我先に逃げ出してしまった。
今までの苦労は一体、なんだったんだって感じだよ
いや、これは孫静が優秀だったんだろう。
今後も頼むぜ、叔父さん。
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建安元年(196年)6月 会稽郡 東冶
ロングタイム・ノーシー、エブリバディ。
孫策クンだよ。
ようやく会稽太守の王朗を退けたものの、それからがまた長かった。
王朗が重要書類を持ち出して、南の方へトンズラしたからだ。
そもそも会稽郡ってのは無駄に広くて、それだけで日本の本州に匹敵するほどだ。
しかも人口密度は低くて、まともに統治されてる地域はごく一部。
そのごく一部の東冶って街へ、王朗は船で落ち延びた。
ここは現代の福州に当たる都市で、会稽の北端から500キロ以上は離れてる。
さすがに抵抗する太守を放置はできないから、俺たちも後を追わずにはいられない。
陸路で追うにはあまりにも不便なので、なんとか船団を仕立てた。
そのうえで敵のいそうな所をしらみつぶしに探していったんだが、これがひどい手間だった。
まあ、前世知識のおかげで、王朗の居場所は知ってたんだけどな。
そのおかげで多少は早く、東冶にたどり着けたと思う。
それで肝心の王朗だが、奴は俺たちの接近を知ると、さらに南の交州へ逃げようとしたらしい。
現代でいうと、香港やマカオがある辺りだ。
しかしそれを家臣の虞翻が説得し、投降を促してくれたそうな。
虞翻、グッジョブ。
こうして王朗が投降し、名目上は俺が会稽郡を取った形になる。
しか~し、事はそれほど単純じゃない。
さっきも言ったように、会稽郡はメチャクチャ広いのだ。
だから正式な太守ですら、まともに管理できてたのは、主要都市を中心としたごく一部のみ。
その周囲には、厳白虎というヤクザの頭領や、山越賊という蛮族が跋扈している。
ぶっちゃけ、会稽太守なんて言っても、その実はほとんど無いようなものだ。
真に会稽を掌握するには、このあと何年も掛けて、地道に進めるしかないのが実情だった。
その一方で、北の丹陽郡でも、好ましくないことが起こっていた。
「袁胤が丹陽の太守になっただと?」
「はい、周瑜どのから、そのように連絡がありました。詳細はこちらに」
そう言って陸遜が、手紙を差し出す。
中身を見てみれば、たしかに周瑜の字だ。
それによると、袁術が丹陽太守に袁胤を押しこみ、周瑜と叔父の周尚は、寿春へ呼び出されたとある。
それに加え、”困ったことがあれば、いつでも連絡をくれ”とも書いてあった。
これは俺が独立すれば、いつでも駆けつける用意があるということだろう。
それに対しては、俺も疑っていない。
問題はいつ、どのように叛旗をひるがえすかだ。
俺は主な人物を集め、丹陽の動きを知らせた。
「――というわけで、丹陽郡は袁術に取り上げられたような形だ」
「なんすか、それ? 相変わらず袁術さまは勝手っすね」
さっそく呂範が文句を垂れたので、苦笑しながらそれを諌める。
「まあ、袁術からすれば、俺たちなんかただの下っ端だからな。孫家の力を削ぐためにも、袁胤を太守にするのは分かる話だ。まだ呉や会稽に手を出さないだけ、ましだと思うぞ」
「何いってんすか? 兄貴は”江東の麒麟児”として、有名になりつつあるんすよ。ちゃんと抗議しなくちゃ!」
「いや。まだ袁術と仲違いしたくない。当面は呉と会稽の統治に専念して、様子を見るさ」
「だけど……」
その後も何人か、不満の声が上がったが、まずは足元が大事ということで、納得してもらった。
実際問題、まだ動くには早いのだ。
しかし独立のチャンスが、そう遠くないうちに来ることを、俺は知っていた。




