学長の来訪
「・・・メル様、こちらの書類は確認が終わりました」
「ありがとう、エリス。・・・まだこんなに・・・」
受け入れが決まり、イルミナでの生活が始まって数日。
メルたちは、アルムが住んでいる魔女の館に一緒に住むことになった。この館は代々の魔女の住まいとして使われている建物で、魔女とともにその弟子や使用人も暮らせるよう、かなり部屋数がある。
クルーたちは、それらの空き部屋を使うことになり、2~3人づつに1部屋が与えられた。
この日、魔女の館の食堂に置かれた大きなテーブルには、たくさんの書類が積まれ、メルは、書き慣れない羽根ペンに悪戦苦闘しながら、書類の内容に目を通し、サインしていた。
書類の内容は、イルミナでのルイーゼ号の受け入れやクルー達の生活に関する条件、物資の輸送にかかる費用負担や報酬など、船の責任者であるメルとイルミナの間で結ぶ様々な契約や取り決めだ。
イルミナの政治・行政は、街の基礎となったイルミナティ学府が政府の役割を果たしている。
学長を頂点に、有力な魔術師から選出された数名の議員による評議会が議会、学府の各部門の事務局が実務を担う官僚組織の役割を果たす。領主による専制政治が多いロセリアにおいては、先進的と言っていい。
国の内部や外部との決め事についても、ひとつひとつ明文化する法治主義・契約主義が重視されており、その結果がこの山積みの書類だ。
「メル様、お茶淹れますね」
確認の終わった書類を揃え、エリスが立ち上がる。
「ありがとう。そうね・・・少し休憩しましょう」
ペンをインク瓶にさし、メルは、んーっと伸びをした。
隣の厨房でエリスがお茶の準備をしている間、メルは、窓の外を眺める。
すぐ目の前には係留されたルイーゼ号。近くでは、ロザリンドと集まった魔術師たちが車座になっている。真ん中に色々な部品やガスボンベ、オイル缶などが置かれているのを見ると、早速、補給品の製造について相談しているのだろう。
「・・・!」
しばらくの間、ぼんやりとロザリンドたちの様子を眺め、再びテーブルに向き直ったメルは、驚いて息を呑む。テーブルの向かい側に、いつの間にか一人の女性が座っていたからだ。
さっきまで確かにエリスと二人きりだったし、部屋に入ってくる気配も全く感じなかった。しかし、女性はそこに座っており、じっとメルを眺めている。
長く伸ばした黒い髪をうなじのあたりでゆったりと束ね、瞳は紫色、肌は色白で、黒いローブを身にまとっている。年の頃はよくわからない。メルよりは年上だと思うが、それほど年を重ねているようにも見えない。
この人、いつの間に・・・
まさか、ここに住んでいた過去の魔女の・・・恐ろしい考えが脳裏に浮かび、メルは慌ててその想像を振り払う。
「メル様・・・お客様ですか?」
カチャリとドアが開き、ティーセットの載ったトレイを手に戻ってきたエリスに、どれだけメルが安堵したことか。
「エリス~」
メルは情けない声を上げる。
「あら、ヴァンデルをやり込めたと聞いていたのに、ずいぶん可愛らしいお嬢さんですね」
ようやく口を開いた女性は、優雅に口に手を添えてころころと笑う。
「メル様、まずはご挨拶を」
女性の様子にそれなりの身分だと察したエリスは、ティーセットをテーブルに置き、メルにそっと囁く。
そういえば、メルはまだ名乗りもしていない。それに気付いて、慌ててメルは椅子から立ち上がった。
「も、申し遅れました。わたしはメルフィリナ・ルイーゼ・フォン・ツェッペリンです。飛行船ルイーゼ号の船長を務めています」
「エリス・グライフと申します。メルフィリナ様に仕えております」
メルに続いて、エリスも女性に頭を下げる。
笑うのを止めた女性は、ゆっくりと椅子から立ち上がる。
「こちらこそ、失礼しました。私はイルミナティ学府学長のクレスティーア・テオ・ファルニスです。娘のアルムリーヴァがずいぶんとお世話になりました。本当に感謝しています」
クレスは、ゆったりとした動作で一礼した。
エリスがティーカップをクレスの前に置くと、クレスは穏やかに微笑んでカップを傾けた。
「私のことはクレスでかまいません。メル様、エリスさんとお呼びしてよろしいかしら?」
「はい。クレス様」
少し緊張して、メルは返事をした。アルムの姉と言われても違和感のない容姿のクレスは、女性から見ても見惚れるような美人だった。しかし、その目はイルミナの頂点に立つ人物らしく、冷静にメルを観察している。
メルの前にもカップを置き、エリスも席に着くと、クレスは話を切り出した。
「メル様、本日伺ったのは、転移魔術についてお話ししたいことがあったからです」
メルは不思議そうに首をかしげる。
「わたしは魔術のない世界の人間です。魔術の話をお聞きしても理解できるかどうかわかりませんが」
「そうではありません。聞いて頂きたかったのは、なぜアルムがメル様たちの世界に転移したのか、という話です」
クレスはそう言って、ふふっと意味深に笑う。
「実は、ファルニス家の先祖も、別の世界からの転移者なのです」
「・・・あの、そんな話をわたしたちが聞いても良いのですか?」
さらりと秘密の匂いがする話を語り始めたクレスに、メルは慌てて確認した。
「転移してきた者に転移のことを話しても、何も問題ないと思いますが」
「いえ・・・はい」
・・・そういうことでは、と言いかけたが、クレスが話を止める気はないのを悟って、メルは仕方なく頷く。
「ファルニス家の先祖がロセリアに転移してきたのは、千年以上前と伝えられています。しかし、メル様の世界から転移したわけではありません。先祖がいた世界は、人間が内包する魔力によって発動する『魔法』が栄え、元素の性質に縛られるこの世界の魔術よりも、はるかに自由に、様々なことが魔法によって実現できたと伝えられています。・・・実は、転移魔術自体、ファルニス家に伝わる唯一の『魔法』なのです」
魔法が栄えた世界、地球ともロセリアとも違う世界。世界とは幾つも存在できるものなのだろうか。
いや、そもそもメルたちだって、アルムと出会い、こうして別の世界に転移することがなければ、自分たちの住む世界が絶対唯一の世界だと思っていたはずだ・・・いや、そもそも他に世界があるなんて考えない。
でも今は、少なくとも二つの世界が現実に存在する事を知っている。認識出来ないだけで、もっとたくさんの世界が存在したとしても、不思議ではないが。
「私も伝えられた記録で知るのみですが、異なる世界は、何かのきっかけで世界が分岐することにより生まれます。分岐した世界は、それぞれの在り様へと発展しながら、幾つもの異なる世界が並行して存在しているのです。ある世界は更に分岐して別の世界を生み出し、また途中で滅びる世界もあるといいます。」
「世界が分岐するというのは、どういうことなのでしょうか?」
エリスが不思議そうに訊いた。
「そうですね・・・エリスさん、あなたの世界でも後の世界を大きく変えるような出来事があったと思います。例えば、大きな戦争や天変地異であったり、重大な発見や発明、非常に重要な人物の死であったり。・・・もしも、それらがなかったら、或いはエリスさんの知る結果とは別の結果になったら、当然、その後の世界の行く末は大きく変わります・・・世界の分岐とは、そういうことなのですよ」
クレスは一旦言葉を切り、ティーカップを口に運ぶ。
「私は、転移魔術を使って祖先の故郷である魔法の世界にアルムを送り出したつもりでした。しかし、実際に転移した先は、魔術がないメル様たちの世界でした」
「・・・転移魔術が失敗したということでしょうか?」
「いいえ。失敗ではありません。転移魔術はその発動時点で、最も近い関係にある世界へと繋がります・・・メル様たちにこの話をしたのは、メル様たちの世界とロセリアは、同じ世界から分岐した姉妹のような関係の世界ではないかと考えたからです。そして、分岐のきっかけは魔術の発展だったと、私は考えています」
クレスはメルとエリスを見つめた。冗談を言っている表情ではない。
「ロセリアで魔術が発展したのは、ファルニス家の先祖が転移して来たからなのです。それまでの魔術は、神話や伝説の域を出ない、ひどく曖昧なものでした・・・魔法の知識がもたらされたロセリアでは、先祖が興したイルミナティ学府を中心に魔術が体系化されて学問や技術として発展し、現在に至ります」
そこで世界が分岐したというなら、もう一方はもちろん魔術が発展しなかった世界・・・それが地球ということか。
「メル様たちの世界は、魔法の世界の知識がもたらされなかった世界。だから魔術は発展せず、迷信のまま廃れて、代わりに科学技術が発展した。・・・メル様たちの世界でも、古い神話や伝説の中になら、魔術や魔法は語られているのでしょう?」
「はい。神話や伝説、おとぎ話、魔女や魔法使いの話は、子供の頃にたくさん読みました。・・・まさか、自分が本物の魔女に出会うとは思いませんでしたけど」
それに、その魔女は、神話に出てくる残酷な魔女やおとぎ話に出てくる醜悪な魔女とは、まるで違っていた。
「同じ世界から分岐した・・・だから言葉も地図も・・・」
エリスがメルの顔を見つめて頷く。メルも頷き返し、クレスに言った。
「こうしてクレス様と普通にお話ししているとおり、わたし達の言語とイルミナで使われている言語は、ほぼ同じです。文字の読み書きも問題ありません」
メルはテーブルの上に散らかっていた書類の一枚を拾い上げ、先ほど書き入れた自分のサインを指す。
「それに、わたし達の世界で使われていた地図も、この世界の地理と一致します」
「なるほど。やはり、メル様たちの世界とロセリアは同じ起源を持つと考えて良さそうです。先祖が転移した後に世界が分岐したことで、このロセリアから見て一番近い世界が、魔法の世界からメル様の世界に変化した、そういうことのようですね」
クレスは興味深そうに頷く。
「・・・私はメル様たちの世界と繋がって良かったと思っています」
そして、クレスは表情を曇らせた。
「私は、アルムが魔法の世界に転移し、討伐軍を力で排除できるような、強力な魔法を習得して戻ってくることを期待していました。でも、メル様から頂いた提案を聞いて、私は驚き、情けなくなりました。戦わず、討伐軍が自ら兵を退く状況を作る。それこそ、理想的な解決方法です。私は娘を戦争の道具にしなくて済みました」
クレスは立ち上がり、メルのそばまで来ると、その場に跪いた。
「メル様、ありがとうございました。アルムの母として、お礼申し上げます」
「そんな・・・!」
メルも慌ててしゃがみこむと、クレスを励ますように笑った。
「わたしたちがイルミナの、いえ、アルムの役に立ったのであれば嬉しいです」
・・・お母さん、か・・・メルは内心つぶやいた。
少し羨ましそうにクレスを見ているエリスに気づき、メルは小さく微笑みかける。
わたしの家族はエリスだけ。同じように微笑み返しくれたエリスに、メルは声には出さず囁いた。
次回予定「幕間 服を選ぼう」
短い話なので、19話・20話同時更新です。




