第88話 対ソ戦、サーベルタイガーと逆マトリョーシカ
今村第二軍が外蒙古(沿海州)を攻めていたころ、山下中将率いる第一軍はシベリア軍管区から独立したザバイカル軍管区本部のあるチタに向けて侵攻を開始した。この地域は基本的にタイガと呼ばれる針葉樹林が多く、移動できる経路は限られ、鉄道や幹線道路に沿った開拓済みの場所や南方の草原に近い地域で戦う以外にない。しかしそんな常識に囚われない男がいる……山下奉文である。
彼は豪放で典型的な日本陸軍の将軍のように思われるが、実は新しい兵器や戦術などにも広くアンテナを広げていて、マレー電撃作戦はドイツ軍機甲師団のやり方を日本風にアレンジしたものだった……今回、彼の作戦で特筆すべきものは特四式戦車の使い方だった。第一軍本隊は大部隊が進軍可能な幹線道路などを進軍するが、それ以外に中隊あるいは小隊規模に分散した戦車部隊が針葉樹の森林にある小道などを使って突然、背後の街に侵出したり伏兵として潜ませて、ここぞというタイミングで長口径砲による痛烈な一撃が加えられる。ソ連軍は何度も裏をかかれ地域拠点を失陥していった。……誰言うとなく山下将軍は、森林に潜み不意に牙をむく「サーベルタイガー」と渾名されるようになった。
チタはもともと、シベリア軍管区の一地域拠点でそこまで大きな兵力は持っておらず、モスクワなどのための部隊編成・兵員訓練の後背地として機能してきた……通常軍管区本部には2個軍、1直轄部隊があり、その下に多くの独立師団や連隊が従属する。しかしチタに配備されていたのは第101通信旅団、第53物資保証連隊と第14航空軍だけで地上軍としてはボルジャ、ザバイカルなどに配備されていた国境警備軍と満州との戦いでモンゴルから逃げてきた第11戦車旅団他の残存兵力だけだった。
当然ながら日本陸軍の対ソビエト戦力の半数以上を有する山下第一軍の敵ではなく鎧袖一触で国境での第一防衛線は突破されてしまった。たまらずチタ司令部はシベリア軍管区から兵を呼び寄せ、虎の子の第14航空団で敵地上軍を牽制つつ、第二防衛線を形成する……ここには第41軍の第32独立自動車化狙撃旅団、第36軍の第120砲兵旅団、第65狙撃兵師団さらには第24独立特殊任務旅団いわゆるスペツナズまで含まれていた……いかに軍管区司令部が混乱を極めていたかが分かろうというものだ。
しかし山下第一軍は、そんなソビエトの増援をもろともせず本間第三軍が編み出した機械化師団の後ろに独立輜重部隊をおいて補給支援基地を次々と設営していく戦法と、主戦場近傍で戦車中隊および砲兵部隊を秘密裏に侵出させて敵を邀撃する「サーベルタイガー」戦法でドゥリドゥルガ、ヤスノグルスク、スレテンスクなどの幹線道路沿いの街を落しながらチタの200km圏に近づいていく。
さらには今村第二軍と連携し東側のシベリア鉄道に沿って走る幹線道沿いにハバロフスクから、マグダガチ、スコボロディノ、クリュチェフスキーなどを占領しつつチタの隣の輸送拠点であるチェルニシェフスクまで迫ってきた。
ここに至って、チタのザバイカル軍管区司令部はモスクワに支援を要請し、ソビエト国防人民委員部からゲオルギー・ジューコフが軍管区司令官代理として送り込まれてきた。彼は新たに編成された第16軍、第12狙撃軍団、第57戦車師団、第61戦車師団、第11独立空中襲撃旅団、第200砲兵旅団など以前に倍する兵力を引き連れ赴任した。まさに負けても負けても以前以上の戦力の補充で相手を消耗戦に引きずり込むソビエト軍お得意の焦土戦術……恐怖の逆マトリョーシカが始まった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「司令官、チタには続々と補給が送り込まれているようです。敵兵力が整う前に我々から攻撃を仕掛けましょう!」
「いや、我々の方こそ戦力が揃っていない。各方面からの兵力が足並みをそろえられるまで、あと数週間はかかる……それにあまり早く攻勢を掛けてしまうと冬になる前に反撃の機会を残してしまいます」
侃々諤々の議論が行われている第一軍司令部……結論は得られそうになかった。しかし、そこへ石原総参謀長が現れた。内地の参謀本部で戦争全体の統率に忙しいはずなのに。
ちなみに総参謀長には規則では大将及び中将がなれることになっているが、結果的に全員が大将だった。今回の石原中将を除いては。
「石原総参謀長……どうしたんだね? こんな前線まで」
役職的には総参謀長の方が上だが、階級は同じであり山下の方が先任で、陸士でも先だ。
「久しぶりに大陸に来ましたが、良いですな内地のようにジメジメしていなくて」
「……そんなことを言いに来たのか?」
難しい今後の作戦について考えていたところに、そんな気安い話をされて苛ついたのか山下の口調は厳しい。
「まあまあ、今日は日本から土産を持ってきたのです。少しは歓迎してほしいものですな」
「土産?」
怪訝な顔の山下に石原は近づくと書類を渡した……『対ソビエト作戦改定案』と書かれた表紙に、思わず石原の顔を見返す山下司令官。
「少し時間を頂けますか? 詳しい内容を説明したいと思います」
第一軍司令部で石原と山下が膝詰めで議論している頃、ソビエト軍チタ司令部ではジューコフが一大反攻作戦の準備を進めていた。
引いてしまいました……まだ、対ソ戦が続きます。




