第80話 オペレーション・メテオ、その4
『チューブ・アロイズ』……イギリスの核開発計画。
イギリス政府により始められた核兵器開発計画であり、後にアメリカを巻き込んでマンハッタン計画に統合され原子爆弾の開発に成功する。しかしその後のアメリカの方針転換により、結局イギリスはもう一度別の原爆開発を行う羽目になる。
「あー、どこから入手した情報か知りませんが、イギリスにはそのような計画は存在しませんな」
そう言って、正面に座るダドリー・バウンド海軍卿は、この計画の存在を否定した。
「ああ、そうですか……」
一応、前の公式会議で言及されるのは困るだろうと、気を聞かせてこの場まで待ったのだが、まだ隠そうとするなら考えがある。
「2年前にバーミンガム大学のルドルフ・パイエルス博士およびオットーフリッシュ博士が提出した報告書により、イギリス政府は原子核分裂を使用した爆弾が実現可能と判断し、ロンドン・クイーンストリート16番地にチューブ・アロイズ技術委員会を設置。50名あまりの科学者が集められ、研究を開始したと聞いていますが?」
オレの言葉にイギリス側の出席者達は動揺し小声で何やら言い合っている。オレがルーシーさんを見ると、処置なしといった様子で視線を逸らせた。
やがて確認に走っていたスタッフが戻ってくると、最前列の例の男に耳打ちをした。しばらく彼は考えを巡らせているようだったが、視線をオレに戻すとこう言った。
「失礼した。チューブ・アロイズという研究プロジェクトは確かに存在するようだ……しかし、まだ科学者の研究レベルで具体的な兵器開発までは至っていないらしい。したがって同盟国間で共有すべき技術レベルには達していないと考える……それに、もし兵器開発が進んでいたとしても、それを他国と共有するかしないかについてはイギリスの自主判断に委ねられると考えるが。違うかね?」
男は無理やり笑みを浮かべて、そう答えた……手のひら返しで計画の存在は認めるが、情報の共有は拒否することにしたようだ。
「普通の兵器技術ならそれで済ませられるかもしれません。しかし、これに関してはそう呑気なことは言っていられないのです。この新型爆弾の開発が進められた結果、我が国は甚大な被害を被るという看過できない情報があるのです。どうぞ我々と情報を共有し、早急に事態の打開を図らせてください」
オレは本来、言うつもりではなかった事情まで説明して再度情報共有を求めたが、彼の人物はあまり日本に好意的ではないようだ。
「ほう……あなた方は、随分その情報に確証を持っているようですね。ですがそれなら、まずは我が国と敵対しないようにすることが重要なのでは? いずれにしても我々イギリスは自ら望むべき道を、他国から干渉されるのをもっとも嫌います……そのような状況は完全に排除し我が英国海軍は立ち塞がる脅威を叩き潰す! 神と国王陛下の名の許に」
何というか、頑固なイギリス軍人の見本というか……オレは呆れた目で彼を見返しながら考えていた……でも、なんかアメリカに対する場合とずいぶん扱いが違うな……今回のために集めた資料を思い返しながら、これが文化圏を異にする者への壁なのだろうかと思った。
「もちろん我が国も自ら進むべき道をより良きものにする努力は続けています……今回、貴国と同盟関係を再構築したのもその一環です。そして、さらにもう一歩安全保障を高めていきたいと考えているということです。我々の同盟関係について考慮頂き、今一度情報公開について再考して頂けるようお願いします」
オレは腹の中に浮かんでくるモヤモヤとしたものを抑えながら交渉を続ける。
「パウンド卿。私は『彼らの持つ情報は一定の考慮に値すべきものである』と考えます。他のボードメンバーと再協議を行い、回答するべきと助言します」
ルーシーさんが、そう助け舟を出してくれたが彼はそれを無視した。
オレの頭の中に浮かんでくる黒い感情が、だんだん具体的な姿を帯びてくる……何世紀も前のアジアやアフリカ、新大陸で行ってきた西欧人の残虐な行為が、今目の前で行われている一方的な押し付け的対応と不思議に自然に重なり合わさる……核兵器開発も最初はナチスへの危機感だったかもしれないが、時を置かずソ連と英米のパワーゲームの道具となり英国首相自ら『日本への警告なしの使用』を求めた事実……さらには神ならぬ、人の浅はかな考えで世界中に核の脅威をばら撒いてしまった亡命科学者のスパイ行為……結局、歴史の流れは変えられないのか。
心が何者かに魅入られたように悪い方、悪い方へと引きずられて行く。どす黒い奔流が頭の中に渦巻き始め、オレはそれを必死で打ち消そうと別の考えに囚われていく。『どうしても日本に原爆を使う気なら、こっちにも考えがある。長距離爆撃機で開発拠点を根こそぎ爆撃してやる……その結果がどうなろうと何万人も無辜の人が殺されるよりはマシだ』……そんな悪魔の考えに取りつかれたオレを救ったのは突然のルーシーさんの行動だった。ガタン!と椅子を弾くように立ち上がった彼女は、大声で『協議の中止』を宣言し、その場から全員を無理やり退出させた……そんな無謀が通るほど、彼女の様子は鬼気迫っていた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
彼女は自らの頭の中を占領した心象に愕然としていた。大勢の人々の恐怖と怒りと絶望と……膨大な負の感情が奔流となって渦巻いている。彼女が今まで行ってきた話相手の心象の読み取りでは、こんなことは一度も起きたことはなかった。
誰のものかは明らかだった。あの東洋の島国から来た男から発せられたものだ……目の前にいるのは以前のような狐に憑依した姿ではなく当人自身で、他と変わりないというか平均より柔和な姿だった。背後に少し掴みどころのない茫洋としたつながりを含んだものではあったが。
それが激変したのはパウンド海軍卿とのやり取りがこじれた後だった。急に幾つもの心象が写し絵のように重なった状態になり、それぞれが無数の人の恐怖と怒りで満ちたものに変わった……ひとりの人間のものとは考えられない程の多様な心象……突飛さを恐れず表現すれば人間歴史の業のようなものにも見えた。さらに写し出されるものの中から強烈に浮かび上がってきたイメージ……巨大な爆炎と奔流のように立ち上がる雲。それは多くの人の意識を溶かし何も読み取ることができない絶望の奔流へと変容した悪夢。
それだけでも十分恐ろしいものではあったが、さらに次に浮かび上がってきたのはそれを打ち消すように、強烈な無数の火球が空から降り注ぐ様子……地上にあるものは全て撃ち滅ぼし、生命のすべてを刈り取るように無に帰そうとする意志。聖書にある神による火の浄めのような情景だった……そして、彼女はそれを前に聞いたことがあった。新大陸の西の果てで教えられたインディアンたちの言い伝えの中にあった言葉。『三人が使命を果たせなかった時、西から大嵐のように途方もない数のものが冷酷非情に襲ってくる』……それは以前、水晶の夜で現れた遠く流れる無数の光による浄めではなく、間近に溢れ落ち、力ですべてを無に帰してやり直そうとする暴力的な浄め。
彼女が思わず椅子を蹴って立ち上がり大声を上げたのは、その心象から自分の心を無理やり切り離すための行動だった。
どうしても、ルーシーさん回は「トンデモ話」になってしまう……




