第70話 継続戦争、序章
1941年の冬は早く厳しかった。特にソビエトを指導するヨシフ・スターリンにとっては……彼にとっての厳冬の到来は、気象的事柄でなくドイツとイギリスの同盟関係の締結が原因だった。
つい三年前、ソビエトはドイツとの間に相互不可侵とポーランド、バルト三国および北欧について、お互いにその勢力圏について秘密協定を結ぶほど良好なものだった……ポーランド侵攻は予想外の失敗をもたらすことになったが、その後もドイツは、西側への勢力拡大に注力すると報告を受けていたスターリンは安心して、バルト三国およびフィンランドを支配下に置くための手を打っていた。
帝国主義時代の国際関係において、国同士の友好関係は微妙な力関係に依存している。お互いの勢力が均衡していない二国間には平和は成り立たない……今回、ドイツがイギリスと同盟関係を結んだことは、ソビエトとドイツ間のパワーバランスを大きく崩すことになった。
スターリンの信奉する国際関係力学では、ソビエトもすぐに何らかの大きなポイントを上げる必要がある……そうして選ばれたのがフィンランドへの再度の侵攻だった。
前回の「冬戦争」は、想定外のフィンランドの頑強な抵抗により思わぬ苦杯をなめさせられたが、大粛清による軍組織の立て直しも峠を越え、前回のような油断がなければ勝利は100パーセント約束されているはずだ。何しろソビエトとフィンランドでは国力から動員兵力まで10倍以上の違いがある……子供と大人どころではない力の差があるのだ。スターリンは手始めに、フィンランドへ食糧支援と引き換えに、外交交渉を行うことにした。
「フィンランド国内のソビエト軍の通行権とオーランド地域の非武装化?!」
フィンランドのヴァイノターナー外相は予想外のソビエトの要求に驚きの声を上げた。
「ハンコ地域のソビエト駐屯地と連絡を取るためには、ぜひ必要な事柄ですしオーランド地域についても、ここに兵力をおくというのは我が国のカレリア地方に重大な脅威をもたらす事ですからね……友好関係を持つべき両国には、ありえない行為でしょう?」
ソビエト外務大臣モロトフは笑顔でそう、圧力をかけてくる。
フィンランドがソビエト軍の通行権とオーランドの非武装化を受け入れると、今度はフィンランド北部、ベッツァモにあるニッケル鉱山採掘権をソビエトに引き渡すよう要求してきた。ソビエトの方がより効率的に採掘が行えるという申し出と共に。
これについては、さすがにフィンランド側は譲歩せずソビエト側に拒否を伝えると、あろうことか交渉相手のヴァイノターナー外相を更迭するよう圧力をかけることまで行ってきた。彼は冬戦争当時も外相で、フィンランド国民を反ソビエトにまとめ上げ、戦争を戦い抜くための重要な精神的支柱となった人物だった……彼と軍指揮官のマンネリヘイム元帥、そして首相のリュティは、今のフィンランド政府を支える重要な三人だった。
首相は苦渋の決断をし外相を交代させると、さらにソビエトはフィンランド国内の共産党シンパを操り、フィンランド国内で労働争議を頻発させた。彼らはソビエト側の立場に立ったプロパガンダを声高に喧伝し、政府と軍部への批判を叫び続ける……そして、ついに街頭デモという名の暴動行為に打って出た。もはやフィンランドは内戦一歩手前のような状況に陥っていた。
仕方なくフィンランド政府は、国内共産主義者の非合法化、幹部の逮捕を行い親ソ組織の公然鎮圧を行った。しかしソビエトはこれに対して激しく抗議し、弾圧の責任者の内務大臣と社会政策相の更迭という要求を突き付けてきた。さらに大統領が健康不安で退陣することになると、次期大統領候補として名が挙がったマンネリヘイム元帥やヴァイノターナー前外相の大統領就任は講和条約違反となる行為であると公式声明を発表。事ここに至りフィンランド政府はソビエトとの全面戦争を決意し、極秘にドイツおよびイギリスに支援を依頼することになった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
さかのぼること数カ月前、ソビエト外相モロトフは、ドイツとの交渉のためベルリンを訪れていた。史実より一年遅れで行われるソビエト、モロトフ外相のベルリン訪問。ソビエト側ではドイツへの強硬的態度をもってドイツ側の軟化を引き出そうとする。
「まず、第一に説明を求めたいのはフィンランドにおける貴国の軍事支援だ。これは明らかなソ独不可侵条約の違反ですな……同じくフィンランドのベッツァモ鉱山権益を狙ってドイツが暗躍しているという情報も手に入れています。同鉱山はソビエトが運営権を譲るようフィンランドと交渉中のものです、速やかに手を引いていただきたい」
モロトフ外相の非難に対してドイツのゲッベルス外相は、けんもほろろに答える。
「フィンランドにおけるドイツの軍事支援は武器供与に限られています。独ソ不可侵条約や、その付帯条約でも物資に対しては何も規定されていないはずですが。またベッツァモ鉱山についても、その見返りとしてフィンランド側から提案されたもので暗躍しているなどと言われるのは、まったく心外なことです」
以前の外相だったリッベントロップなら、モロトフに対してこのような冷たい回答はしなかっただろうが、現在の外相であるゲッベルスは取り付く島もない。
「それでは、第二次ウィーン裁定についてはどうか。貴国は我々に断りもなしに東欧の勢力圏の変更を意図して行動している。これは両国の関係を著しく悪化させる裏切り行為である。すぐに同裁定の無効宣言とルーマニアからの即時撤退を要求する」
更なるモロトフの追及に対しては、ヒトラー総統自らが答えた。
「第二次ウィーン裁定は、バルカン半島での不測の戦争を回避するための不可欠なものだ。君たちも第一次大戦をもう一度起こしたいとは思わないだろう?」
ヒトラーの問いかけにモロトフ外相は答えず、代わりにこのような言葉を継いだ。
「ドイツがルーマニアに軍を進めるならば、我が国はブルガリアに対して同様な行動に及ぶこともまた問題ないはずですな?」
自信たっぷりにそう発言するモロトフを見るヒトラー総統の眉間には深いシワが刻まれていた。
結局、モロトフのベルリン訪問は何の成果もなく終了したが、ソビエトにとっては、それは既定路線でありこれから続く長い交渉の序章であるとしか考えていなかった。まさか数か月後、ドイツとイギリス、そして日本が電撃的に同盟を結ぶとは思ってもいなかった……それはここ数年来、行われたイギリスと日本のソビエトのスパイ網の摘発が密かに影響していることは、まだ理解されていなかった。




