第54話 エンスラポイド作戦とケンブリッジファイブ、その1
「我軍の機甲師団再編の為の増産計画の状況はどうなっている」
ヒトラー総統は兵器生産に関する責任者に説明を命じる。
「はっ、先月のⅢ号戦車の生産量は合計で118両、Ⅳ号戦車は合計で56両であります!」
「……あまり増えていないようだが?」
「も、申し訳ありません。増産を命じてはいるのですが各地で反抗組織によるサボタージュが発生しておりまして……」
生産責任者の説明に対して怒りを覚えた総統によって、各地域ごとの生産量の推移が調べられ、問題のある地域の責任者の更迭が行われた。そしてドイツ軍戦車の3分の1、軽機関銃の4分の1を生産していた旧チェコスロバキアのボヘミヤ地方にあるベーメン・メーレン保護領へ、ラインハルト・ハイドリヒが副総督として送り込まれた。
ハイドリヒは着任早々、チェコ全土に戒厳令を敷きチェコ首相のアロイス・エリアーシを始めとする反体制派や抗独レジスタンスを次々と逮捕拘束し処刑していった。人々は彼のことを恐怖と共に『プラハの虐殺者』と呼んだ……一方で労働者階級へは懐柔策をとり食料配給と年金支給を増やし雇用保険まで創出した。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
ドイツの情勢についてイギリスの尻を叩かなければならないという、華子さんとともにルーシーさんを訪ねる。例によってハクちゃんにオレが、そして今回はテンちゃんに華子さんが憑依している。
「これは皆様、お変わりなく」
ワタリさんは我々を歓迎してくれたが、ルーシーさんは初っ端から相変わらず変な質問をしてきた。
「……東洋人は、皆あなた達みたいに、憑依して世界中に現れることができるの?」
「まさか。霊能力の高いものだけです」
「そう、よかったわ……答えによっては東洋人との打ち合わせには、私が全部参加しなければいけなくなるところだったわ」
ルーシーさんが本気でホッとしたように言った。
「早速ですが、ルーシー殿。イギリスはチェコで何か企みを行うつもりがあると思いますが?」
いきなりの華子さんの指摘に一瞬、固まったルーシーさん……後からワザとらしく口に手を当ててホホホ笑いをしてきた。
「ほら、ほら。隠したって無駄だから言ってみ?」
テンちゃんが、ウリウリとルーシーさんの顔を指で突っついている……身体はひとつなのに、二つの人格で攻めてくるなんて鬱陶しい相手だと思う……オレは思わずルーシーさんに同情してしまった。
「エンスラポイド作戦て言うのですか……ずいぶん勿体をつけた名前ですね」
今度は華子さんが突っ込んできた。
「私じゃないわよ、その名前を付けたのは」
ルーシーさんも作戦名はあまり気に入っていないようだ。日本語では『類人猿作戦』とか呼ばれているようだ……事前に聞いた話によると、イギリスによるナチス・ドイツのラインハルト・ハイドリヒ暗殺計画のことらしい。
イギリス情報部はチェコスロバキアの亡命政府関係者を介して、ドイツ占領下のベーメン・メーレン保護領に対して抵抗運動を行っていたが、ハイドリヒが副総督となってから多くの協力者が処刑され、活動できないほど抑え込まれてしまった為、エージェントを送り込んで、彼を排除することを検討していた。
「私たちに遠慮しなくてもいいのですよ」
華子さんがわざとらしい優しげな言い方をする。
「……」
何か言いたげだが口をつぐんだままのルーシーさん。
「抵抗運動グループを守るために必要なんでしょう? もしかして、私が『余計な手出しをするな』と言ったのを気にかけてくれているのかしら?」
「違うわよ!!」
ついに切れたというか、声を荒げたルーシーさんは隠そうとしても無駄なことを理解したのか、吐き捨てるように事情を話してくれた。
「作戦を実施して暗殺に成功した場合に、ナチスが地元の抵抗勢力に徹底的な報復を行うことが見えているのよ……何か対策を考えないと始められないの!」
「いいですわよ……報復については私たちが対策をしますからイギリスは作戦を発動して下さい」
意外な華子さんの言葉を、信用できないという感じでルーシーさんが聞き返す。
「……それは、どういうこと?」
「私たちがイギリスに協力しましょう……いえ、この作戦を通じて共通の目的を達成しましょう」
華子さんの好意的な発言をイマイチ信用できないのかルーシーさんは
「なんかそれ、イギリスが日本に利用されているだけのような気がして、気に入らないわ」
前に会った時の『日英同盟は日本が得なだけじゃない』というセリフが思い出される……イギリスにとっては日英同盟はそういう評価なのだろうか? だとしたら残念だ。ドイツと戦わなくて済むようになるとか、その結果アメリカに主導権を握られなくなるとか、けっこう重要だと思うんだけど。
「失礼ですが、イギリスはアメリカをどう考えていますか? まさかとは思いますが自分たちを助けてくれる親切な国だとか思ってませんよね?」
オレはそんな言葉が口をついて出た……とくに意図があったわけではなかったが、いつも考えていたからだろう、そういったセリフが出てきたのは。
「あ、当たり前じゃない。国同士に完全な信頼関係などない……常に利用し、利用される関係が当然よ」
そうは言っているが、我々よりアメリカに信頼をおいているのは明らかだった。ついでだけど少し教えてやろうか……
「初めて会った時、ルーシーさんにレクチャーしてもらったので、今度はオレから少しお返ししましょう。これから先の未来で起こることについてです」
そう言って、オレは第二次世界大戦後、荒廃したヨーロッパに変わってアメリカとソビエトの二大強国の時代に入ること。イギリスは植民地の独立もあいまって手足をもがれたように勢いを失い、一方でアメリカは戦争中のレンドリースやその後の戦後復興の需用を利用して我が世の春を謳歌するような発展を遂げることを伝えた。
「……ウソをついているわけでは、無いようね」
彼女は目を伏せて、静かにそう呟いた……しかし、まだ踏み切れずにはいるようだ。
「まだ踏ん切りがつかないの? いいじゃん、あなた達はハイドリヒを暗殺したい。私たちは、それを利用してドイツを変える……Win・Winの関係でしょ?」
テンちゃんにツッコまれても、ルーシーさんはまだ言葉を発しない……今回はずいぶん我慢強いようだ。
最後に華子さんが、オレにタッチして交代というように前に出て
「仕方ない、もうひとつあなた達にプレゼントを上げましょう……でも、これが最後ですよ。あまりプロポーズの返事を渋ると素敵な男性も去って行ってしまいますよ」
そう微笑みながら華子さんは爆弾を落とした。
「ケンブリッジファイブってご存知?」
「さぁ??」
ルーシーさんは、まったく分からなそうだ。
「イギリス秘密情報部、王族周辺、大使館、外務省そして放送局に潜んでいるソビエトのネズミと言ったらお分かりですか?」
「何っ!? そんなところまで」
呻くような声を上げたルーシーさんが、華子さんをキッと見つめて言った。
「分かりました。『エンスラポイド作戦』は、こちらでトリガーをかけるので、そちらでフォローをお願いします。それと……今後も重要な情報について我々と共有してもらえたらありがたい」
そう言ったルーシーさんの意志を確認するように、華子さんは見つめながらゆっくりと問い質した。
「イギリスは同盟関係を再構築するつもりがある。そう考えてよろしいですか? ドイツと友好関係を持っている日本と?」
時間が止まってしまったように、誰も言葉を発しなかった。
しかし最後に、『Certainly』という声が聞こえた。
煽られると、どんどん話をオオゴトにしまうという性質をすっかり読まれているルーシーさんでした。




