第51話 冬戦争と救いの神、その2
「これは、これは。アメリカ皇帝殿、ロンドンにどのようなご用件で?」
イギリス首相、チェンバレンの予期せぬ言葉は彼を面食らわせた……このようなイギリス風の対応はあまり好きではないのだが……それは以前ドイツ国内で、第一次世界大戦の講和条件に関する攻撃を行ったときのゲッベルスの作ったアジビラの一節だった。まさかそんなことをチェンバレンが知っているとは驚きだった。
「アメリカ皇帝としてはイギリスに、フランスと共にアメリカ政府に意見して頂きたいと思っています」
ゲッベルスは真面目な表情でチェンバレン首相にそう切り出した。
アメリカ皇帝がアメリカ政府に文句を言って欲しいとイギリスの首相にお願いするという意味不明なシチュエーションを真面目に演じているという、ある意味とてもユーモアのあるものになっていた。
「ふむ……その内容とは?」
面白そうに問いかけるチェンバレンに対し、ゲッベルスは真面目な顔で答えた。
「レンドリースという紛争を助長する行動でヨーロッパをかき回すのは、厳に謹んでもらいたいと言って頂きたいのです」
外交は素人かと思っていたゲッベルスの意外とアグレッシブな外交に、もしかしたら英独関係をこれまでと違ったものにできるかもしれないと思い始めたチェンバレンだったが、その後ろで僅かに顔を歪めた者がいた。
「(……また、あのキツネらの差し金?)」
しかし、たまたま遊びに来ていた親戚の姪のようなそぶりで、会談相手の裏を読む手伝いをしていた彼女の表情に気がついた人間は、この場にはいなかった。
攻守所を変えたように、今度はゲッベルスから話題を出す。
「ところで、あなた方はフィンランド軍への応援に託けて、ノルウェーとスウェーデンに軍を送り込むことを画策しているようですね?」
「っな、何を言うんですか?」
ゲッベルスの言葉に反応してしまったのは、チェンバレンの下で外交施策を担当しているスタッフのひとりだった。その言葉に、そこにいる誰もが彼を見つめた……その表情には、単純に驚いているものから、そんな反応を見せたら認めてしまったようなものだろうと非難するもの、そしてやはりとほくそ笑むもの、さまざまだった。もちろんゲッベルスの表情は最後のそれだった。
「やったらよろしいですよ……その計画は拒絶されるでしょうけど。そしてドイツですら派兵はフィンランドの意向を汲んで取りやめたのに、と広めてもらいますから。国際世論にずいぶん非難されるでしょうね」
最後にゲッベルスは勝者の余裕といった様子で、次のように付け足した。
「どうせ援助されるなら、生活物資を送っていただくのがいいでしょう。国際連盟で緊急援助物資として送れば、ずいぶんポイントを稼げると思いますよ」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
1939年11月末、ソビエトはフィンランドとの不可侵条約の破棄を通告、国交が断絶された。そして11月30日、宣戦布告もなしに23個師団、45万の軍がフィンランド国境全域に侵攻を開始した。同時に空軍が国境地帯、ヘルシンキ、ヴィープリなどを空爆、フィンランド国内の共産党シンパへ武装蜂起を促すビラを撒き、ソビエトに亡命していた共産党員を首班とするフィンランド民主共和国を樹立させ、ソビエトはこの政府がフィンランド人民を代表する唯一正当な政権であると宣言した。
フィンランド軍は国境を接するフィンランド湾に機雷を敷設し、ソ連軍の海上の行動を阻止し、自働車、列車、船舶で非戦闘員の疎開を進めるとともに、フィンランド国内の大小2万を越える湖沼に進軍を阻まれているソビエト機械化軍に対してゲリラ戦を展開、休息所となりそうな建物は焼き払い、ソビエトが鹵獲しそうなものには尽く爆弾を仕掛け、逆に撤退したソビエト軍が残した兵器を利用して火器の不足を補った。ソビエト軍の多くは温暖な地方出身の兵士で寒さへの対処の仕方を知らず、銃はオイルが凍結し戦車は手榴弾や火炎瓶の餌食となった。さらに長い縦列で進軍する敵軍の最前列と最後尾に攻撃を加え中央部隊を動けなくし-40℃の極寒で敵兵を凍死させるというモッティ戦術を使ってソビエト軍に大損害を与えた。
二ヶ月以上に渡った戦闘はソビエト軍に大損害をもたらし続け、フィンランドは粘り強く防衛線を維持し続けた。この間、国際連盟ではソビエトへの批難決議が行われ、国際連盟から追放されることになる。そしてアメリカのソビエトへのレンドリースもイギリスとフランスの意見により取りやめられ、フィンランドへは国際連盟から非戦闘物資に限るという条件の緊急援助が送られた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
ドイツに帰ったゲッベルスのところに女性が面会に来ていた。
「貴女のアドバイスで各国との外交を、ずいぶん有利に行うことができました」
二ヶ月前、彼のもとに初めて彼女が訪れた時には、心臓が止まるかと思うほどのショックを受けた……なにしろ、夢の中だけの存在かと思っていた女性が人間として現れたのだから。もっとも夢の中では異国の姿だったが、現実では普通にビジネススーツを着ていた。
「そう、良かったですわ。今日はもう一つ、お土産を持ってまいりました」
そう言って霧島さんは微笑んだ。
「フィンランドで不足している銃器と弾薬……ヨーロッパで買い集めたものをダンツィヒの港に集積しています。ボスニア湾側からならソビエトに邪魔されず荷揚げできるでしょうから、貴方からフィンランドに伝えてあげて下さい。派兵は拒まれるでしょうけど、武器は喜ばれるはずです」
一ヶ月後、ソビエトは12万以上の兵士を戦死させるという大被害を出して停戦に合意した。




