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第20話 情報将校 綾倉華子

 場所は変わって、丸の内の憲兵司令部。中島 今朝吾(けさご)司令官は突然訪問してきた情報将校に驚きながら面会していた。

「はじめてお目にかかります。近衛隊情報将校、綾倉華子少佐です」

帝国陸軍に女性の、しかも佐官がいたとは初耳だった。


 しかし目の前にいるのは、カーキ色の詰め襟に少佐の肩章を付けた女性だった。黒髪を引詰めにして、まだうら若い面影であるが目は鋭くこちらを見つめている。

「それで、綾倉少佐。要件はなにか?」

「はっ、軍機扱いの情報となりますので人払いを」

「軍機だと……何故そのような情報を突然、見知らぬ佐官が伝えに来るのだ」

儂が憮然としながら、そう問うと

「……内容故に、誰にでも伝えられるものではないからであります。お人払いを」

と、動ぜず答えてきた。しばらく間をおいてみたが折れる様子はない。まずは内容を聞くのが先決かと考え、副官に下がるように伝えた。


「それで、内容とは?」

「帝国にて、ソビエトの諜報活動を行っているドイツ大使館関係者の情報です」

「なに?!」

それが事実だとすれば重大なことだ。儂は少佐を注視しながら伝える。

「ご苦労だった。書類を見せてもらおう」

しかし少女のような少佐はそう簡単に済まさなかった。

「お待ち下さい。その前に、情報提供者からの依頼を済まさなければなりません」

「情報提供者?」

少佐はうなずくと儂を見据えたまま、こう言った。

「この手の事は防諜を主管する司令官殿にはお馴染みのことと存じますが、この情報は取引の材料として提供されました。従って、お見せする前に取り引きを成立させる必要があります」

「内容を知ることが先だ」

儂は自分に怯まない士官が気に入らなくて、そう突っぱねた。


「……司令官。小官は本来、この件をこちらに伝えずとも何も問題はないのです。もし司令官が取り引きはしないと仰るのでしたら、小官はこのまま退出します。その場合、数日後に司令官が困った状況に陥るやもしれませんが」

そう言うと、顔に似合わぬ凄みを含んだ笑顔をみせてきた……なんという小娘だ。齢は儂の半部以下に見えるのに、海千山千の悪女のようだ。


「……わかった。条件を聞こう」

儂は両手を小さく上げる仕草で譲歩を示す……まずは負けたふりをして手札を増やそう。

「中島司令官は、久村種樹、陸軍科学研究所所長をご存知でしょうか」

少佐は、わざわざ姓名を付けて問うて来たが、儂には思い当たる人物はなかった。

「いや、知らんな」

しかし、それは想定済みだったのかすぐに言葉が足されてきた。

「では、現関東軍司令官、当時の今村均大佐が相馬原で行った演習の技術責任者といえば分かりますか」

しばらく記憶を手繰った後、真崎教育総監と林陸軍大臣、閑院宮参謀総長に掛け合って今村大佐の処分除名を嘆願したことがあったのを思い出した。

「……今村か。今は関東軍司令官なのか。しかし久村殿はわからんな」


少佐は少し意外そうな表情を見せたが、すぐに説明を続けた。

「あの件は、実は技術的な問題の結果、起こったことで、司令官はお忘れでも久村所長は問題を不問に付してくれた閣下に恩義を感じているはずです。そこで閣下に一筆頂き、久村所長の配下に技官を雇い入れるよう依頼をしたためて欲しいのです」

これはまた……ずいぶん薄い縁を頼ってきたものだ。

「この絵図を描いたのは貴官か?」

少し笑みが漏れたのを、侮蔑と受け取ったのか少佐はそれには応えず、ぶっきら棒に

「お願いできませんか」

と重ねてきた。


先程の悪女というのは訂正しよう。なかなかに初々しい部分も持っているようだ。

「いや、そんなことで良いなら幾らでも書くが……貴官、何を企んでおる?」

少佐は、まっすぐにこちらを見つめ、どうするか迷った挙げ句、伝えてきた。

「日本のこれからのために必要なのです……」

しかし、その一言は聞き捨てならなかった。

「まさかとは思うが、貴様、先年帝都不祥事件を起こした青年将校共の同類か?」

思わす儂は、語気を荒めて問い質した。

しばらく逡巡した後、「これは申し上げるつもりはなかったのですが」と前置きして少女は言った。

「中島殿と縁薄からぬ、北白川宮成久王の御子息、久永様に嫁ぐことになりました、綾倉華子です。あのような短慮の輩とは、まったく別ですのでご安心を」

北白川宮成久王は、儂がフランスの陸軍大学校に入学していた当時、パリで度々御一緒した殿下だ。おいたわしい事にパリで自動車事故で無辜され、儂は香取丸で扈従して帰国した。そして直後に妻てるよを亡くした。


「何?! 北白川宮様の……それはまた。先に言って頂ければ対応も変わったものを」

「殿下のお名前を使いたくなかったのです……いえ、必要な時はお借りするのは躊躇いませんが。殿下の横に立つためには私自身も強くあらねば……」

儂は自分でも知らぬうち、目を細めて微笑んでいたかもしれない。

「久永殿下は、お元気か? このような善き内助に励む娘を細君にするならば慶福であるな。もちろん依頼の件も任せて頂こう。して情報の詳細は?」


◇          ◇          ◇


「なに?! 近衛首相の側近にスパイが?」

「はい。ドイツ大使館付陸軍武官補オイゲン・オットの情報分析官、リヒャルト・ゾルゲ。フランスのアヴァス通信社、ブランコ・ド・ヴーケリッチ。ドイツ人通信技師、マックス・クラウゼン。内閣嘱託の新聞記者、尾崎秀実。公爵西園寺家の御嫡男、西園寺公一殿。犬養毅元首相の三男、犬養健逓信参与官。他20名に及ぶ、大スパイ団です」

「これは……事実なのか?」

「特高警察では、FBIからの情報で、一部スパイの内定を進めているようですが」

「今なら特高に挙げられる前に捕えることが出来るな」

「はっ」

「しかし、新聞記者はいいとして、近衛首相と西園寺家の嫡男の扱いは。それとドイツ大使館の情報分析官か……どうやって」

「陛下と西園寺家、ならびに近衛首相には久永殿下からお伝えすることが可能です。ドイツ大使館へは別途対応が必要ですが、幸いなことにゾルゲは大使館員ではないので逮捕可能です」

「……そうか。至急特別隊を編成し身柄確保と証拠集めをする。久永殿下と連絡を取りたいのだが」

「伝えておきます。対応の合間なら、こちらにいらっしゃることも可能であると考えます」

「そうか……では、なるべく早くお願いしたい……すぐに書状は用意させるので隣室で待っていてくれ。副官は入れてもいいかな?」

「はっ、閣下のご随意に」

くるりと踵を返して部屋を後にする華子少佐を見送ると、儂は副官に書状をしたためる用意をするように伝えた。



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