第123話 南アジアの風
ヨーロッパや東シベリアで戦争が行われている頃、南アジアの海ではまた別の戦いが始まろうとしていた。
「サティ、お前もそろそろ一人前だ。今度の仕事からはお前も一緒に連れて行くぞ!」
「え、ほんと?! やったぁ」
5年程前、種子島が日本に帰国するとき助けた少女は仲間の中で成長し、インド洋を渡る交易と略奪の仕事に参加する年頃になった。
彼女は相変わらず、すばしっこい身のこなしと天狐による教育の結果、海賊とは考えられない程の知識と広い視野を持ち、そして自らの考えを勇気を持って行える少女となっていた。
また仲間を大切にし、率先して役目を果たす姿は大人達からも気に入られ、その両親がアチェ王の血筋もあって早くもグループを率いていく集団の一員として、厳しくまた愛情を持って育てられていた。
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ジャワからスマトラにかけてのインドネシアの歴史は、16世紀末のヨーロッパ列強の植民地拡大の争いでオランダが支配権を手に入ていた。その後、彼らは徐々にジャワ島西部へ支配地域を広げていき、最後に20世紀初めにスマトラ島北東部のアチェ王国との数次にわたる戦争の結果、これらの諸島のほぼ全域を『蘭領インドシナ』という名の植民地にした。
アチェ王国の滅亡で難民として海に逃れた人々は対岸のイギリス領マラヤを中心に海賊となり、反対に山に逃れた人々はオランダの支配の及ばない山岳地帯でアチェ残党として集落を形成しひっそり暮らした。しかしオランダは人々に、味方につけば数々の譲歩すると約束したにも関わらず、それを反故にし植民地軍保安隊は『対反攻作戦』という名の焦土作戦を行い、幾つもの村を消滅させ大虐殺を行っていった。ムスリムである彼らはオランダに対して聖戦を宣言し散発的ではあるが強力な「アチェ・モールト」と呼ばれる自殺攻撃が繰り返された。
一方で町に住んだ人々はオランダ語教育が行われた結果、彼らの子弟からオランダ本国やヨーロッパに留学する者が出て、新しい時代の考えに感化された「サレカット・イスラーム(イスラム同盟)」が結成された。
その後ロシア革命の影響を受けて1920年には、アジアで初のインドネシア共産党が成立しコミュンテルンの指揮下でオランダ植民地の党員をサレカット・イスラームに加入させ、組織を共産党が奪い取る作戦が行われた。その結果、サレカットの主流派と共産派の対立が激化し民族主義運動は混沌となり1927年頃には共産党の武装蜂起が行われるにたって植民地政府対反植民地主義者の対立は激化し、住民への弾圧が厳しくなっていった。
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「だから、サティちゃんを助けてあげて」
オレは映画のシナリオプロットを書き上げた後、テンちゃんから相談を受けていた。
「助けるって、何を?」
テンちゃんはオレが日本に帰ってからも、ずっとサティに会っているようだ。おかげで彼女は現地の言葉であるシンハラ語の他に、日本語、オランダ語、英語と4カ国語がわかる。さらに計算も得意で何をどれだけ売ればいくらになるなどというのもすぐに暗算できる。またいろいろな国の物産、歴史や政治などの知識まで教えられている。
「サティちゃんがスマトラのアチェ王国の国王の末裔だっていう話はしたよね……あの辺りはオランダが植民地にしているんだけど、まだオランダに従わない人たちも多くて植民地軍はそういった人達を討伐しているの……その中で元のアチェ王国の重臣が作った村が攻撃されて始めて、あちこち逃げ回りながら彼女に助けを求めてきたのよ」
これは、蘭領インドシナの植民地軍とドンパチやるって事かぁ? せっかく中国や南方資源地帯に手を出さずにアメリカの参戦のきっかけを作らないようにしているのに……
「彼女自身を助けるのはまだしも、その村を植民地軍の攻撃から助けるのは、ちょっと……日本軍が手を貸しているってバレたらオランダ軍や下手をしたらアメリカが出てくるかも知れない。もちろん日本軍から提供されたと分かる武器を渡すのもダメだ」
冷たいようだが、これは仕方ない。サティのために、せっかくうまく行っているアメリカとの開戦を遅らせる作戦を失敗させることはできない。
オレの意思が変えようがないのを知ったテンちゃんは帰ったが、それを見送った後で思わぬ人が声をかけられた。いや、人ではないな。いつもいろいろな未来知識を教えてもらっている空狐さんだ……でも向こうから声をかけてくるのは珍しい。
「おぬしに頼みたいことがあるのだが……」
「何です水くさいなぁ。いつもお世話になっている空狐様の頼みなら何だって聞きますよ。言って下さい」
この一言が余計だったのを気付いたのはすぐ後だった。
「そうか……済まんのう。では天狐の依頼を受けてくれるか」
「えっ、それは……」
オレは自分の耳を疑った(いや実際、音で聞こえるのではなく頭の中に直接伝わってきているんだけど)そんなことをしたら貴方達の元々の依頼である『日本をアメリカに負けないようにする』作戦が危うくなってしまうんですが?! ちゃんと分かっていっていますか?!
オレの考えは天狐様にもちゃんと伝わっているようだが、それでも
「何とかならんかの……彼処の連中は、その昔我が神と浅からぬ因縁があってのう」
という話が伝わってきた。
なんだそれは?? どうも、この五狐神とその御神に関わる過去はよく分からない……ユダヤの氏族が出てきたり、東南アジアの人達と関わりがあったり……
う~ん……それで、もしアメリカがABCD包囲網を引いて戦略物資の禁輸を始めたら……あれ?でもイギリスは入らないからACDか……石油や戦略物資もイギリスがいればまあ、何とかなりそうだな……どうせ、あと何年かしたらアメリカと戦うのは既定路線だし……
「……天狐様、どうしても彼らを助けたいんですか? ……危なくなったらいろいろお願いが増えるかも知れませんが、それでもやりますか?」
「ぬしは、さすが我々が見込んだ男なだけはある……元より我らは、ぬしの為ならできる限りの事を行うつもりじゃ。よろしく頼むぞ」
……仕方ない。なんとかするか。
「しかし、仮に手助けするにしても……軍の方針と摺り合わせを行わないと」
オレには到底そんなことはできない……と思ったところで、こちらも今なら出来なくはないのに気がついた。オレは日本の軍略をひとつにする統合参謀会議のメンバーであり、その執行役であるのだ……これが、歴史の必然的方向になってしまっているのか?? 既に。
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「世界は今後、列強同士が力でぶつかり合う時代から各民族ごとに独立国を作る民族主義の時代になっていきます。もちろん一足飛びに変わるわけではないし大国は経済あるいは軍事力による安全保障で小国を自らの勢力圏に縛り続けますが、名目的には民族自決、非覇権主義が中心思想になります。日本としては今後、世界各地の独立運動を賛助することを広く世界に宣伝していくことでこれからの国際関係を制していくことが出来ます」
オレは未来知識による『必殺、結果を知っているから言える正論』を展開して自分の意見を述べていく。でも他の参謀会議の顔ぶれの反応はいまいちだ……まあ、この話は参謀というよりは国家指導者達が考える事だろうしな。その中で唯一、我が意を得たりと満面の笑みを浮かべているのは陸軍の石原総参謀長。これは彼の主張である『五族協和』、『王道楽土』の建設に非常に近い考え方だからだろう。
一方で海軍の永野軍令部総長は渋い顔をしながら
「種子島打撃軍参謀長。君は陛下の軍人勅諭の忠節の項、『政論に惑わず政治に拘わらず』を何と心得る」
これは、軍人は政治に口を出すなという事柄の相当厳しい戒めだ。過去において青年将校達の引き起こした苦い経験があるので仕方ないことだろう。
「もちろん存じております」
だが、それでもここは引けない。
「ですが、本件は軍略にも大きく関係する事であると考えます。国家の方針転換が必要なら政府に働きかけてでも検討を促し、もって帝国陸海打軍の統一的戦略を立てるべきと考えます」
「…………どうするというのだ」
軍令部長は不得要領といった様子で問いを重ねる。
「各軍大臣あるいは本会議の主催者である北白川宮殿下から内閣に検討の必要性を伝え、その結果を陛下に上奏頂き裁可を受けた後、三軍の戦略を決定することが必要ですが如何せん時間がかかります。まずは新しい戦略の有り様を我々で先行して検討すべきかと考えます」
軍令部長がどうすべきかと思案顔でいると、久永殿下が考えを述べられた。
「私もいろいろなやり方を検討するのはよいことだと思う。もちろん検討結果も含めて検討を行っていること自体、外部には漏らすべきではないと考えるが。打撃軍参謀長、ここは発案者という事で検討会の準備を進めてもらいたい……よろしいですかな」
こうして新戦略検討会(仮)が立ち上げられた。
すみません、長くなったので次話に続きます。




