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第117話 モスクワ侵攻とティーガーⅠ

 ロシアの大地に春の訪れが感じられるようになった頃、原少将はようやく欧州に到着し、遣欧艦隊は一次艦隊と二次艦隊で役割の引継ぎが行われ、ドイツ軍はレニングラードからモスクワに向けて兵力の移動が始まった。


 ハインツ・ヴィルヘルム・グデーリアンは、ドイツ戦車部隊の生みの親と言われ機甲師団を中心にした電撃戦の発案とその実践で名高い人物である。彼はもともと第一次世界大戦で通信将校であったが敗戦後、国軍の自動車教育本部の戦術教官として車両運用戦術のエキスパートとして頭角を現し、独ソ秘密軍事協力に基づいて極秘にロシア奥地でドイツ軍士官の戦車戦の教育や訓練を行ったこともあった。しかし当時の保守的な軍主流派からは受け入れられず彼の戦車戦術は陽の目を見ることはなかった。


 しかしヒトラーがドイツの指導者となると、過去の戦闘戦術を一新した自動車化装甲部隊を中心とする戦い方を採用され、それを体現するグデーリアンはマンシュタイン大将とともに装甲師団運用の中核となった。

ドイツが再軍備を宣言し、再び戦争の季節に突入すると、彼は多くの戦場を巡りながら自ら考える戦車戦術を実践に合わせて発展させていった。日本軍がモンゴルで見せた電撃作戦も、山下中将率いる陸軍軍事視察団に彼が講義した内容が元になっている。


 ポーランド侵攻に於いて彼は北方軍集団、第19装甲軍団長として、東プロイセンに一番乗りし、ワルシャワ北方より圧力を加え戦争終盤のポーランド軍傭兵部隊のパンツァードラグーンによる反攻にも耐え、ドイツのポーランド回廊回復に貢献し騎士鉄十字勲章を授与された。1940年末、彼は独ソ戦開戦の計画を知らされると反対の立場をヒトラー総統に上申したと伝えられるが、計画は実行に移された……彼もまた自ら望まない戦いを指導しなければならない運命を強いられた一人だった。


 ソビエト侵攻作戦(バルバロッサ)に於いて、グデーリアンは中央軍集団、第2装甲集団を指揮し、次々と目標地点を攻略していく快進撃ぶりに「韋駄天ハインツ」とあだ名をつけられる。しかし2カ月目を経た頃、消耗した旧来のソビエト軍戦車に代わって補填されたT34にドイツ軍司令部は愕然とした。彼らが主力とするⅢ号、Ⅳ号戦車ではこれを撃ち抜くことができず唯一対抗できたのは、同盟国が生産を強く主張したため戦場に配備されていた少数の長砲身Ⅳ号戦車のみだった。


 その後の泥縄式の戦車砲の置き換えと新型Ⅴ号戦車の投入、さらには敵の戦車工場を爆撃することによりT34が戦場を席巻することを遅らせた結果、戦場は膠着状態に陥った……OKH(陸軍総司令部)は行き詰まりを打破すべくモスクワ侵攻(タイフーン)作戦および南部侵攻(ブラウ)作戦を計画するが、最終的に総統により、それらは取り止められ全ての兵力をレニングラードに集結投入し、これを奪取し長い冬を迎えた。


 明けて1943年の春、レニングラードで再編されたドイツ軍北方軍集団、および中央軍集団がモスクワに向けて総兵力の移動を開始した。強大なドイツ軍機甲師団はソビエト側の最前線となるノヴゴロド、プスコフ、チェレポベツなどを電撃戦で落としたがソビエト軍の縦深陣地はさらに深く、いったん進撃を止めて整備と補給を行うドイツ戦車部隊に野砲と戦車による強烈な反撃が加えられた。退却にあたってすべての村や街を焼き払うソビエト軍の焦土戦術の為、確保した占領地を頑強な抵抗拠点とすることができないドイツ軍は元とさして変わらない所までズルズルと後退していった。


 もちろん、バトル・オブ・ブリテンもアメリカによる大規模空爆も行われていないこの世界ではドイツ軍には未だ精強なドイツ空軍(ルフトヴァッフェ)が健在であり、Ju87やJaboがソビエト砲兵師団を、戦車大隊を破壊していき、迎撃に上がってくるソビエト空軍にBf109が、Fw190が、そして日本の震星のライセンス生産であるジェット・ミーティアことHe362が高いキルレシオで落とし続けた……とは言ってもドイツ空軍にまったく損害がないわけはなく、何度となく出撃を繰り返すごとに徐々にその戦力は低下していった。


 結局、モスクワまでまだ300km以上もあるトヴェリ、ルジェフ、ヤロスラブリを結ぶ防衛線にすらドイツ軍は到達できず一進一退を繰り返していた。これを解決する切り札としてドイツ陸軍総司令部は新型のⅥ号戦車、ティーガーを戦場に送り込むことを考えた……まだ25両しか作られていないにもかかわらずだ。


 しかし、たった25両のティーガー戦車だが、その性能は圧倒的であり分厚い前面装甲は、T34の76.2mm砲では零距離でも貫くことができず、一方でティーガーの8.8cm砲はこれを1600m以上の遠方から撃破可能だった。さらに熟練した搭乗員は車体を敵戦車に斜めに向けることにより傾斜装甲のないティーガーに同じ効果をもたらす事すら可能にした。


 台数が少ないことにより、実際にティーガーと遭遇することが無いことも相まって、戦場では幽霊話のように敵戦車兵を恐怖に陥れティーガー恐怖症(ティーガー・フォビア)を引き起こした……ドイツ軍司令部は狂喜し1台でも多く、1日でも早く戦場をティーガーで満たすことを望んだが、一方でその機動力は救いようのない欠陥を孕み、出撃したティーガーの実に25%が戦闘ではなく故障で使用不能となり脱落していった。しかも重いティーガーは牽引車で回収することもままならず、別のティーガーで牽引しようとしてエンジンをオーバーヒートさせてしまう事例が多発し、ティーガーによる僚車の牽引は禁止されるほどだった。その後の改良により足回りの問題は多少改善したが、代償として速くない移動速度がさらに低下してしまった。


 ティーガー戦車の増産を議論する会議においてグデーリアンは「厚い皮膚より速い脚」が必要だと主張し、他の戦車に優先してティーガーを増産することを強く反対したが、これは参謀たちの考えとは乖離していた。一方、日本からこの会議に参加のために来た原 乙一少将は、グデーリアンの主張に賛意を示し『ドイツ戦車の基本方針である装甲と火力と機動力の調和』は蔑ろにすべきではないとして、増産の前に、この戦車の欠点を改良し生産性を高めるべきと述べたが、他の参加者の同意は得られずその日の会議は閉会となった。


すみません、続きます。


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