第七十六話 水野家討伐にて候う
『水野 忠次』
尾張知多半島一帯を支配する国人衆水野家の当主である。
水野家は今川に従属していたが『織田信秀』が三河に侵攻すると今川から織田に付いた。
それから信秀の援護を受けて知多半島を制圧して半独立状態であった。
水野家は織田家に対して大恩が有るのだ。
しかし、水野忠次は大恩ある織田家を裏切った。
忠次を唆したのは『太原 雪斎』と『林佐渡』であった。
雪斎は今川家の侵攻を仄めかすし、林佐渡は織田家の乗っ取りの話をして協力をあおいだ。
当初はこれを突っぱねていた忠次であったが、次第に今川、林の両方の話を聞くようになっていった。
その後は今川と林の仲を取り持つ様になった。
林美作の話によると林達が今川と接触したのは『松平 元康』事『竹千代』と『織田 信広』の人質交換の頃からの付き合いらしい。
忠次は約一年ほど前から今川と繋がりを持っていた。
今川と林の連絡に不都合が無くなったのは忠次の働きが大きい。
そして、忠次は山口教継親子が織田家のスパイである事を知っていた。
その為に俺達は大高城で危ない目にあった。
桶狭間合戦において常に相手に裏をかかれまくったのは忠次の裏切りの為だ。
彼が情報を流していたのだ!
それに水野家は海から今川の侵攻があった為に援軍を出せないと言っていた。これは当然嘘である。侵攻自体がなかったのだ。
これは熱田商人や津島商人が証言している。
そして桶狭間合戦の後に忠次はなに食わぬ顔をして清洲にやって来て、戦勝の挨拶をしに来たのだ。
ずいぶんと面の皮が厚い事だ。
味方を、いやこの場合は裏切った織田家を窮地に追い込んでおきながらのこの対応。
むしろ清々しさすら感じる。
でも、立場の弱い国人衆は常に生き残りをかけて暗躍しているのだ。
俺が忠次の立場に居たら同じような事をしたかもしれない。
いや、俺なら自分で兵を率いて戦っただろうな。暢気に高みの見物等していられない。
それを考えると忠次は保身で身を滅ぼしたと思える。
忠次はまさか林美作が生きているとは思っていなかったのだろう。
戦勝の挨拶の時に林兄弟を討ち取り云々等言っていたのだ。
さぞ滑稽な姿だっただろう。
だが俺は彼とは会っていない。
俺の仕事は挨拶の順番を決める事までだ。その後は他の者が担当した。
俺は挨拶に現れた人達とは一切会っていないのだ。
挨拶が行われていた時、俺は政務をしていたからな。
知っていれば見に行ったのに残念だ。
「という訳で、水野家の討伐に兵を出す!」
「どのぐらいの兵を出すのです?」
「うむ、五千だ」
五千か。水野家はそれほど多くの兵を持っていない。これなら楽勝か?
「了解しました。期日は五日後ですね。右筆は誰が同行するのです」
「今回は太田じゃ。お主と村井は政務を優先せよ」
「はは、仰せのままに」
「うむ、頼むぞ」
そういうと平手のじい様は去っていった。
しかし、五日後か? また徹夜になるのかね。
五日後。織田信広を大将に五千の兵が水野家討伐に向かった。
今回は馬廻り衆はお留守番だ。勝三郎に利久も同様だ。
俺達は清洲で吉報を待つことになる。
問題は元康が軍を動かすかもしれない事だ。
水野家は松平家と縁が深い。
忠次と元康は叔父甥の関係らしい。
その為、元康が兵を動かす可能性は無くもない。
しかし、迂闊に兵を動かせば今川が攻めてくるかもしれないからな。
そんな危険な事はしないだろう。
今は対今川で目一杯のはずだからな。
そういえば、俺はこの前から家に帰っていない。
この五日間はずっと城に泊まり込みだった。
いい加減人を増やして欲しい。
本当に切実な願いだ。誰か叶えて欲しい!
そんな事を言っても無駄か。
俺は黙って仕事に戻る事にした。
十日後。
水野家討伐は終わった。
水野忠次は城に籠って火を放ち亡くなった。
討伐軍は損害らしい損害はなかった。
忠次は自分が織田家から攻められるとは思っていなかったらしい。
城に籠ったがろくな抵抗は出来なかったようだ。
これで知多半島を制圧できた。
残る尾張での抵抗勢力は犬山の『織田 信清』だけだ。
これも早期に制圧してさっさと尾張統一といきたい。
とその前に林美作の斬首が決まった。本来なら磔獄門にするところだが領民の前であらぬ事を言い出しかねない為、数名が見守る中での斬首となった。
林美作のいや、林兄弟の暗躍の影でどれ程の人が亡くなっただろう。
それを思うと決して林兄弟を許すことは出来ないししてはいけない。
林美作は斬首されるその時まで織田家を罵り笑っていたそうだ。その後は晒し首にされた。
斬首を見届けたのは信光様と戦から帰って来た信広様、そして平手のじい様だ。
俺は同席していない。同席するように言われなかったのを内心ほっとしていた。
聞きたくもない事を聞かされたかもしれないと思うとぞっとする。
あんな男の最後を見なくて良かった。
しかし、後日俺は三人から呼び出される。
何故に呼ばれたのか? それは…… 秘密の共有だ。
俺は林美作と土田御前の不義を知っている。
だから、どうせなら全部教えてやろうとの平手のじい様の嫌がらせだ。
「林の目的は何だったのですか?」
俺は単刀直入に聞いてみた。
「大名に成りたかった。そうだ」
信広様はそう答えてくれた。
四人で車座に座り漬物を肴に酒を注ぎ交わしていた。
「バカげた事を」
信広様が呟く。俺も同感だ。
「すべては殿と土田御前の不仲から来ているのだ」
平手のじい様はそう言うとぽつりぽつりと話出した。
信秀と土田御前。
信秀は戦場から帰ってきては側室を抱いていた。
それを土田御前はただ見ているだけだった。
婚姻した当初は仲睦まじい夫婦であったのだが、信秀は正室土田御前以外にもたくさんの側室を抱えていた。
土田御前が信長、信行を産んだ辺りから少しずつ二人の距離は離れて行った。
しかし、子を産んだとはいえ土田御前は女盛りだ。
それに大変美しい人でもある。そんな女性を近くで見ていたのが林美作だ。
夫に相手にされなくなる美しい女性。
林美作は戯れに土田御前を口説いたそうだ。
それが間違いの始まり。
信秀が城を留守にしている事を良いことにその熱は燃え上がった。
そしてその火は林美作の野心に火を点けた。
後はその炎に身を焦がしながら破滅の道を二人は歩いていたのだ。
思えば土田御前も可哀想な人なのかもしれない。
しかし、だからと言って不義密通をしていい理由にはならない。
せめて信秀が土田御前に少しでもかまってやれば良かったのだ。
そうすればこのような事が起きる事もなかったのだ。
それにしても女は怖い。 俺も精々気を付けよう。
「藤吉。そなたも重々気をつけてな?」
信光様のその言葉は重かった。
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