籠の中の龍 9
聖我が帝国の運営部に所属してすぐ、「龍崇家の当主が敷地の外に出た」という話が広まった。これまでの長い歴史の中で一度もその姿を現すことがなかった一族の当主がついにその姿を公にした、と。
聖我の所在を突き止めることも可能だったはずの龍崇家だが、一族の方から直接的に行動を起こしてくることもなく、だがその代わりに表向きには『聖我については既に破門しており、当主としては認めていない』と世間に主張した。
何故表向きか。
千聖が生まれた後、聖我はこども二人を連れて一度、龍崇家に戻ったからだ。
一族の能力を受け継いだ子供のために一族との関係を修復したいと思うようになっていた。
聖我の母は顔を出そうとしなかったが、代わりに対応した妹が二人の存在を良しとした。
血が薄れても、一族として命を繋いでいくべきだと。
一族との亀裂も少しずつ埋まり始めた聖我だったが、望んだ『普通の家庭』に近い状態が早くも崩れ始めるのは、長男である千聖が生まれてから3年ほど経過したころだった。
収入が安定したのをいいことに魔界で購入した一戸建て。
その中庭であそぶ姉弟とその幼馴染。
子どもたちの様子を見守る母親二人の後姿を見つめながら、聖我は現職のパートナーとなった影野と昼食の準備を進める。
たまには俺たちが作る、なんて大見得切ったが準備してるのはバーベキュー。
聖我は、これを作ったと言えるのか人知れず悩んでいた。
燐湖は普段、手の込んだ料理を作ってくれている。なのに、こんな串に刺しただけのものを料理といっていいのか。果たして許されるのだろうか。
「よし、完璧ですね、我々のバーベキューは」
そんな聖我とは対照的に、影野は出来上がった材料の串刺しをどこか誇らしげに太陽に翳している。
あの夜、勧誘されてそのまま影野とバディを組むことになった。
聞けば影野も年の近い子の親ということもあり、二人はすぐに打ち解けた。
影野の息子──恐夜は千聖の二つ上。
魔界で単身赴任中の影野は、毎週末下界から母子を呼んで家族で過ごしている。
いつのまにか家族ぐるみの付き合いになって、定期的にこうしてあつまってはバーベキューやらキャンプやらを楽しむ中になっていた。
子供たち三人も仲がいい。
とくに一番下の千聖は姉の涼よりも恐夜の方が好きらしく、「恐ちゃん」なんて呼んで、よく懐いていた。恐夜は年のわりにしっかりしていて、面倒見もよくひょっとすると涼よりも賢いかもしれない。
今は木の棒を持った涼と恐夜がお互いに打ち合う……なんていう修行染みた遊びをしている。涼は相変わらずセンスがいいし、恐夜も父親から教わっているのか戦いの筋はよかった。
だが、問題は千聖だ。
涼が千聖くらいの年になる頃には後天的遺伝の特性を発現していたというのに、千聖には一向にその気配がない。燐湖もそれを心配していた。
別に戦う必要はないのだから、必要ないと言えば必要ない。だが姉に継承されていたものが弟にはないというのは一体どういうことかと疑問だった。
水龍の力については多少の兆候を見せることがあるものの、武器や戦闘技術については弟の方には一切引き継がれなかったということか……?
いまだって手合わせしている二人の横で、ただ木の棒を投げて遊んでるだけだ。
「うちの恐夜もだいぶ形になってきてるでしょう? 涼ちゃんを超える日もそう遠くはないはずだ」
「いや、涼だってまだまだ進化するさ。そー簡単には追い越されねぇーぞ」
二人の撃ち合いを眺める父親は、どちらも親バカ……かもしれない。
身体の動かし方、剣の運び方は涼みの方が上だが、力は恐夜の方が強いし判断力もある。
直感で動く涼と、考えて動く恐夜。正直言って互角だ。
そして、事は大人たちが見ている中で起こる。
二人の子供がぶつけ合う棒と棒。子供とはいえその力は全力。
ぶつけ合えばぶつけ合うほど強度は下がっていき──どちらかのものが折れるのは必然だった。恐夜が涼の掴む棒を上に弾き飛ばそうとしたときついに涼の棒が折れたのだ。
恐夜が込めた力をそのまま受けて、折れた棒の先は飛んでいく。
その方向には千聖がいた。
ただ走ったのでは間に合うわけもないが、聖我の身体は無意識に千聖の元へと動く。
届きもしない手が、それでも子供を守ろうと勝手に伸びていく中、突如として光の壁が現れたのだ。刹那、どこかで見た事のある光景だと思った。
あの時も確か、屋敷の子供が剣を飛ばしてしまって、燐湖が自分の前に防壁を展開し守ってくれたんだったか。あの時の光景と同じ──魔法だ。
今度は、青い光で形作られた光の壁。それが飛んで来る木の先を跳ね返して千聖を守った。
やはり便利だな、魔法という技術は。そう思いホッとする聖我の側で、燐湖が小さく零す。
「今の私じゃない」と。
では一体誰が。まず確実に聖我本人ではない。
それに影野もその奥さんも、魔法は使えないと聞いている。
であれば無論、恐夜でもないだろう。涼だってもしかすると素質はあるかもしれないが、燐湖は魔法を教えていない。魔法は知識なくして使えるものではないと聞いている。
この場で魔法の知識をもっているのは燐湖だけのはず。だとしたら──
「ねぇ千聖。今のは千聖がやったの?」
芝の上で座り込む千聖に駆け寄り、燐湖が優しく語り掛ける。
当の本人は何の自覚もないらしくただ不思議そうに燐湖を見ていた。
「千聖……魔法、使えるのか?」
「まさか使える体質だなんて、思ってなかったから。そもそも、教えてないのに……」
燐湖の口から、信じられない言葉が飛び出した。
そもそも、教えてない? それじゃあ何故──いや、これも後天的遺伝、といことか?
父方の戦闘技術ではなく、母から魔法の智識を写して……生まれた。
その可能性がある。
「千聖くん、ここ、火が付かないのだけど手伝ってくれるかな?」
動けず、声すら出ない聖我の横で、影野が機転を利かせ千聖を呼び出した。
素直にうんと首を縦に振り、影野のもとに駆け寄る千聖。
火が付かないといって指した炭の方向へ視線を向け──そこに、ほのかな明かりが灯った。
手をかざすような動作もなにもなかった。
大人たちが顔を見合わせる。涼と恐夜も千聖を見つめたまま。
「簡単な魔法は熟練度によっては詠唱を必要としませんが……」
口を開いたのは燐湖だった。
熟練度によっては、と語る燐湖の顔は青白い。それを聖我は見逃さなかった。
父方ではなく母方の魔法の心得を引き継いで生まれてきたのは意外であったし、想像もしなかった展開だ。だとしても凍り付いていると言っても過言ではない今の燐湖の表情は、少し異常であるように聖我の目には映る。
確か龍崇家に来る前は魔界で人間に混ざって魔法の研究をしていたと言っていた。
それがこの表情に関係しているのだろうか……。
考えてばかりで動けずにいる聖我に代わって千聖を抱き上げたのは影野だった。
「ありがとう。すごいねぇ、千聖くん」
そしてこの中で誰よりも嬉しそうに笑うのだ。
君はすごい力を持っているねと。
そんな二人の様子に聖我は違和感を覚えた。何故燐子はこんなにも怯えているのか。陰野は自分の子供のことのように喜んでいるのか。
「燐湖、大丈夫か?」
「……はい。少し、驚きました。でも、大丈夫です」
驚いているというよりは、聖我の目には何か都合の悪いように映った。
武器の技術ではなく、死神なのに魔法を引き継いだことがショックなのだろうか?
それとも燐湖自身に魔法が使えることで苦労したり嫌な思いをした記憶ある、とか。
何かしら理由はあるのだろうが、本人が語らない以上は無理にいま聞き出す必要もないか、と判断した聖我は、燐湖の「大丈夫」を信じることにした。
「姉は武器、弟は魔法……うちの恐夜の聡明さを合わせたら完璧じゃないか! 素晴らしいな、きっと帝国の誰よりも強いぞ」
「別に、そこまで力なんて必要ないだろう……」
「聖我には野心というものが全くないみたいですね」
それだけの力をもっているのに、もったいない。と小声で付け足して千聖を降ろした影野は、食材が刺さった串を金網の上に乗せていく。こういう言い方をするということは影野には野心があるということか、なんて考えながら聖我も影野横目に串を焼き始める。
「世界を動かすなら、世界を知っている者の方がいいのは当たり前だと、そうは思いませんか」
遠くで涼と恐夜が新しい遊びを始めている。
地面に下ろされた千聖は、燐湖のもとに走り寄って甘えてる。
影野の言葉に一瞬、目前に広がる日常の景色を揺さぶられるような感覚に陥った。
世界を動かす、というのは国を動かしている帝王のことか?
運営に来ないかと誘われた時も話していたが、現状に何かしらの不満を感じているのは間違いないだろう。ただ、今の発言はもっと広域で、とても壮大であるように聞こえた。
どんな時でも冷静沈着で現実的。聖我の中での影野はそういう男である。
だからこそ今の発言には普段の影野らしさを感じなかった。
「そんなに深く考えたことは、なかったが……」
「えぇ、ふつうはそんなもんです」
燐湖と同様、影野の様子から感じるちょっとした異変。
燐湖にとって何がそんなに恐ろしかったのか。
影野はどういう世界を求めていたのか。
千聖が初めて魔法を使ったこの日からの2年間。
聖我がこの日二人の態度に対して抱いた疑問を、掘り下げる時間はいくらでもあった。
けれども時間経ち月日が流れれば、なかったことのように忘れていく。
どちらか一つでも掘り下げてやることができたなら、確実にああはならなかった。
もう少し、他人に興味を持つべきだったのだ。
***************
──その日。
周りの大人たちは、少年の瞳にどう写っていたのか。
ただ言われるままに大人たちを殺したのか、それともそこに自らの意志もあったのか。
その心に、罪の意識はあったのか──
『龍崇のご子息が暴れている、手が付けられない』
聖我がその連絡を受けたのは、娘の学校の長期休みに合わせて、息子と共に下界の実家に預けていた時だ。聖我と燐湖は魔界で過ごしていたが、帝国の管理部から連絡を受けた運営部が二人に連絡をよこしてきた。
最初はなんの話か理解できなかった。暴れていると言われても、父として把握している限り千聖は大人しい性格で、手が付けられないと感じた瞬間はこれまでなかったから。
他人にそう言わせるほど暴れる姿が想像つかなかったのだ。
よくわからないままに下界の帝国城へと向かった聖我だったが、城内全体を包み込んでいる物々しい雰囲気に唖然とした。ここで一体何が起こったのか。最初は息子が暴れているという報告とは無関係なのだと思っていた。ガキ一人で城内をこんな空気にするなんてありえないと、心のどこかで思っていたからだ。
だけどそんな心の余裕も、息子の元へと案内される過程の中でなくなっていくことになる。
聖我が連れていかれたのは城の地下。ただの地下じゃない。
向かっているのは最下層、重罪人を収監している地下。
辿り着かずとも、行き先を聞かずともそれを察知できるほどの重々しい空気に、漂う雰囲気。
近付くにつれ鼻をつく血液と内臓の生臭い匂い。
想像していたよりもずっと深刻な状況。聖我のこめかみに冷汗が伝う。
城の地下最下層にある牢獄に、何故息子がいるのだろうか。
何が起こっているのか、皆目見当もつかなかった。
石造りの階段を降り切った時、一歩踏み出せば、ヌチャリと音がする。
濡れている。確かにここは湿気の多い場所だが、水じゃないのは明白だった。
血の海の中に、肉や内臓が散らばっていた。
一体何人分のそれがぶちまけられているのかなんてわかりはしない。
細長いこの空間には牢獄がいくつも並んでいるが、その殆どの鉄格子が醜くひしゃげていおり、牢としての機能を失っていた。
その光景はまさしく、何かが手を付けられないほど暴れたようであった。
そしてその奥。血だまりの中に佇んでいる子供の姿は、当初きいていた『暴れている』という情報からは全くかけ離れたものであり──
「千聖……か?」
肩を大きく上下させ小さな声で泣きながら、そこに立っているだけの息子がいた。




