籠の中の龍 8
これからの職に迷っていた聖我が天職ともいえるものと出会ったのは、息子の名前が決まった夜。勤務中の事だった。
シフトが重なったもう一人の警備員とどうしようもない会話をしながら、聖我は何気なく並べられたモニターを見ていた。
映し出されているのは各フロアに設置された監視カメラの映像。
夜間だけあって何かが映り込むことも、異常が発生することもない。
非常灯がフロアを照らす様子が永遠に映し出されているだけだ。
本当にただぼんやりと、何を見張るわけでもなくモニターのあたりを彷徨っていただけだった聖我の視線が、一瞬映り込んだ何かを捉える。
映ったのは屋上のカメラ。
相方の話に相槌を打つことすら忘れて、一つのモニターに齧り付いていた。
屋上には鍵がないと入れないはずだ。だが鍵は、ここにある。
「聖ちゃん?」
今は何も映っていない。だが確実に何かが横切ってみえたのだ。
この時間だから鳥類ではないだろう。ゴミでもない、一瞬だったが人型に見えた。
なんとなく直感が、それは人型であれど人ではないと訴えかけてくる。
「今……何か映ったような。見てきます」
「えぇ~、怖いこと言わないでよ!」
半分笑いながら、でも半分怯えながら引き留める相方には構わず、懐中電灯と屋上への鍵を手に持って聖我は管理室を飛び出した。向かう先は屋上。ビルの最上階だが──エレベーター、よりもこの足の方が速い。
非常階段に出た聖我は己の脚で階段を駆け上がっていく。
駆けるというよりは飛ぶに近い速度で。
右手に握った懐中電灯は握りしめるだけで明かりを灯してはいない。人間が暗闇を歩く時に明かりを持たないのは不自然に見えるだろうといつも手にしていた、その習慣で掴んできたものだ。
こういうとき人間は「幽霊」の存在を恐れるだろうが、そんなもの聖我にとってはなんでもなかった。それに何故だか自分と同じような気がした。
鍵を開けドアノブをまわし屋上への戸を開ければ、ぶわっと強い風に煽られて思わず目を瞑る。
屋上を照らしているのは月明かりと周りのビルの光だけ。
やはり、一瞬見た人影は見間違いではなかったようで、聖我の視線のまっすぐ前、屋上の縁に人影が佇んでいる。月光のもとで赤い髪を揺らすその人物はこの町を見下ろしているようだった。
「お前は、死神か」
先に声を発したのは聖我。
人影は肩越しに聖我を一瞥すると、その視線を再び眼下に向ける。
「貴方もそのようですが」
直接的ではないが、肯定の言葉。
あまりにもあっさりと正体を明かす死神に、聖我の方が呆気にとられた。
とはいっても死神だったからといって何かを咎めるつもりもなく、追い掛かけてきたのはただの興味本位。この魔界で家族以外の人外を見かけるのは初めての経験だったから思わず駆けだしてしまったのだ。
「こんなところで何をしている?」
「それはむしろこちらが聞きたいですね。貴方は人間に紛れているようですが……魔界の在留許可証を見せて頂けますか?」
そういって、ブーツの音を鳴らしながら聖我へと迫ってくる男。
『ザイリュウキョカショウ』なんて聞いた事のない響きに、思わず後ずさりする。
そんなもの一度も聞いた事がない。響き的にそれがないと魔界に居てはいけないような気がするが、そんなものの存在なんて一度も燐湖から聞かされたことがなかった。
嫌な汗が身体を伝う。ないという事が知れればただでは済まない空気だ。
「まさか、ないとは言いませんよね。携帯は義務ですよ」
「ないとどうなる」
聖我の言葉を『所持していません』と正しく受け取ったらしい。死神は右手に大振りの剣を生み出しながら歩み寄るスピードを速めてくる。
「違法滞在者として拘束します」
答えながら大きくふりかぶったそれが、全くの遠慮も情けもかけることなく脳天に向け振り下ろされる。聖我は咄嗟に両手で持った懐中電灯でそれを受け止めた。
ガキンッと懐中電灯が割れるような音が聞こえてきたが、まだ原型は留めている。
ミシミシと音を立てながら押しつけられる刃。このままでは懐中電灯は壊れてしまいそうだ。実際、パラパラと何かが欠けて落ちてきている、時間の問題だ。
「貴方、お名前は?」
争うつもりは全くなかった。
できればこの懐中電灯が壊れる前にやめてほしい。
とはいえ話の流れからどうやら自分は違法な形でこの世界に滞在していたらしい。ともなれば、どう足掻いたってこちらが100悪いだろう。
名前を聞かれて名乗るべきか逡巡し、そこでようやく何故燐湖が在留許可証の存在を教えてくれなかったのかを察した。
聖我の名前で申請をしようものなら、生存の有無も居場所も全て割れてしまうだろうから作れないのだ。
現在、龍崇家が当主の不在を隠している状態なのか、はたまた何かしらの理由をでっち上げて不在であることを正当化しているのかは不明だ。まさかありのまま家出しましたなんて伝えてるわけではないだろう。だがどのような状況であるにしろ顔は知れていなくとも名前で気が付かれ大事になってしまう可能性が高い。
ただどう考えたってこの状況、見逃してもらえるようには思えない。
武力行使で切り抜けることならできそうだが、そうした方が後々大きな問題に発展しそうである。
その場しのぎで偽名をでっち上げたってすぐに調べ上げられ嘘が見抜かれるだろう。
どの道いずれは本名に辿り着く。
だとしたら抵抗も誤魔化しもせず、最初から堂々と名乗った方が龍崇の名に傷がつくこともないし、逆に素性を知らせた方がそう簡単に拘束も出来ないだろうし、いい加減に扱ってくれる事もないと思える、得策といえるのでは。そう考えて──
「龍崇っ……聖我だ!」
壊れかけの懐中電灯で押し返す勢いに乗せ、名乗った。
流石に名乗ってすぐどうにかなるとは思っていなかったが、実際は名乗った直後、懐中電灯を介して加えられていた圧が明らかに弱くなる。
相手の表情にはわかりやすい動揺の色がうかがえた。ただそれは、聖我の言葉を鵜呑みにして驚いているというよりは、『そんな嘘をつく奴がいるのか』くらいの呆れが混じった動揺なのだと見てとれる。
一度弱まった圧はそのままどんどんと弱くなっていき、最後には武器すら消滅させてしまった。
残ったのは聖我の手の中にあるボロボロの懐中電灯のみ。
「逃れるために嘘をつく輩は山のように見てきましたが、ここで元王家の名を──まして、当主の名を出してきたのは貴方が初めてです」
それはそうだろう。元王家の当主はその敷地から出ることはない。これは帝国の死神であれば誰もが知っている常識だ。
だからこそそんなわかりやすい嘘をつく奴などいるわけがない。いたとすれば随分と相手を馬鹿にしているといえる。
「一周回って、本当なのではと勘繰ってしまいますが……」
「在留許可証を携帯していないのは認める。今その場しのぎで偽名を使ったところで本名などあとからわかることだからな。信じるかどうかは任せる」
ぶれない聖我の態度に、目の前の死神は顎に人差し指を当ててふむと一瞬考える仕草をした。
「丁度手も空いているので、私が詳しいお話をうかがいましょう」
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「なるほど、それでわざわざ夜間の警備の仕事を」
「この世界で接客できるほどの常識を持ち合わせてなくてな。それに夜勤の方が体に合ってるのだが、これから家族も増えるし収入の面が不安なんだ」
夜の町を見下ろしながら、聖我はここにくるまでのことを全て話した。
龍崇家のしきたりに嫌気がさしていたこと。燐湖と出会い、魔界に行き世界を知ったこと。
子供が出来て逃げてきたこと。これから二人目が生まれるが、アルバイトのままで収入面が不安であること。
中には秘匿にするべき話もあっただろうが、聖我は全部をその死神に聞かせた。
初めて会う──おまけにいきなり武器を振りかぶってきた相手に何を相談しているんだと思いながらも、気が付けば赤裸々に全てを語っていた。
前髪がキチっとまとめられたいかにも謹直そうな男の容貌だったり、聞き上手だったりするその様子から気が緩んだのかもしれない。
話をする中で、この男の仕事内容なんかも聞かされた。
帝国には『管理部』と『運営部』、二つの顔がある。
管理はその名の通り、下界を統治し、帝国を国として管理する課だ。天界との戦争もこの部門が担っている。運営部は魔界で人間の魂を管理したり、違法滞在する死神の取り締まりをしてる部門になる。管理部は下界、運営部は魔界が主な職場となっている。
そのことは聖我も知っていた。
この男は運営部に所属しているらしく、主な仕事は人間の魂の管理。
人間にはそれぞれ寿命が決まっているのだが、稀にその寿命を過ぎても生きている者がいる。その超過した魂の回収を主な業務にしているという話だ。
そのついでに聖我のように『在留許可証』を持たない死神を見つけては取り締まっているんだとか。
「貴方の言葉の全てを信用するわけではありませんが、先ほどいきなり襲ってしまったことをお詫びいたします」
「俺が悪いのには変わりはない。滞在許可証を持っていないのは事実だ」
「えぇ、その滞在許可証についてですが。やはり、貴方が本当に龍崇家の当主だったとしても例外にはできませんので、発行が必要になります。そして発行には貴方の身元を保証する方二名のサインが必要です」
当たり前と言えば当たり前だろう。
やはりそうなるか、と聖我は苦笑いする。
これは面倒くさいことになりそうだ。
「そこで提案ですが……運営部に所属しませんか?」
「俺がか?」
男の口から続いたまさかの提案に、聖我は思わず聞き返す。
隠れて暮らすのではなく、いっそ帝国に所属してしまうと?
「貴方が本当に龍崇家の当主かどうかはともに仕事をするうえで見極めましょう。信頼できると判断すれば、運営部が貴方の身元を保証する」
「なるほど……」
それは願ってもない申し出だった。
ただ怪しいのは、こんなにうまい話があるのかというところ。
初めて会った違法滞在者が自称元王家の当主なんて自分で思い返しても怪しすぎるのだが、そんなやつを自らが所属する組織に勧誘するなんて、そっちも大概、怪しい組織だ。
眉間にシワが寄る聖我の様子に、男も察したのか言葉を続けてくる。
「運営部は人間の魂を管理するだけの簡単で安全な仕事だと思われがちなので、戦闘をしたくない方や、闘う能力の低い人員ばかりが回されてきます。ですが、違法滞在する死神の取り締まりは戦闘になることが多いです。他にも人間相手に犯罪を起こすような輩もいるので、そういった者の取り締まりもありますし、天使に襲われることだって少なくありません」
そこまで一気に捲し立てると、男はため息を一つ差し込んだ。
「そのせいで話と違うだとか、思っていたのと違うだとかで辞める人員も多くて……常に人手不足なんです。強い者は管理部に持っていかれるので戦力といえる人材も本当にごく一部で……」
つまりは自分の戦闘能力が目的ということだろうか。
まあ戦えるかと問われれば、そういう血が流れている。
それを期待されるほど強いかと問われれば、期待に応えられることはできるだろう。
それでも、ただ強い奴なら他にもいくらでもいると思う。
魔界に居るかは微妙だが、下界にはいくらでも。
何も元王家の当主で、自分の役割を投げ出しただなんて使いにくい人材を勧誘しなくたってよさそうなものだが。
「俺はすべてを投げ出して家を出てる。世間に知られればなかなか扱いにくいと思うが……何もそんな者を勧誘しなくても……」
決してこの話を断ろうと思っているわけではない。
こんな都合のいい話はないのだから聖我としては断る理由もないが、あとあと面倒になるのだけは避けたかった。
「利用させていただきたいのはそこです。もしあなた様が龍崇家当主、という話が本当だったとすれば家を出ていようとその肩書は運営の下にある。そういう意味でも管理よりもチカラを持てるかもしれないということなんですよ」
そう話す男の表情は聖我が受けていた印象とは全く真逆、邪悪なものになっている。
なんとなく察した、管理と運営でしがらみでもあるのだろう。
とどのつまり、聖我の肩書が組織にほしいと。
そして本物でなかった場合は戦力として利用したい。ということか。
ここまですべてを利用しようという話なら、逆にすがすがしいとも思えた。
こちらも利用するのは変わりない。
ちょうど今の仕事に不安を感じていたわけだし、警備よりも給料は高いだろう。
それに滞在許可証も必要なのだ。うまくいけばそれすら発行してもらえるらしい。
となれば、WIN‐WINと言える。
よろしく頼む。そう答えて手を差し出せば、赤髪の死神は友好的な笑顔でその手を掴んできた。
「影野と申します。どうぞよろしく」




