籠の中の龍6
二人を結んだ夏祭りからしばらく経過し、季節は秋を迎える頃。
聖我はいつものように屋敷の執務室にいた。
渡された書類に目を通し、必要であればサインをする。
正直、このサインは何を許可する証なのかはよくわかっていない。
自分のもとに回ってくる前の段階で精査されているようだから自分が内容を把握していなくとも差し支えないのだろうが……眠たくて眠たくて文章が頭にはいってこないのだ。もともとの睡魔にプラスして、書類に書かれている文章はどれもこれもまどろっこしい表現ばかりで、それが更に眠さに拍車をかけていた。
正直、もう内容の把握は諦めてただ署名しているだけといっても過言ではない。
結局、あの夏祭りが終わった今でも、警備の仕事は続けている。
年上ばかりだが燐湖の他にできた初めての話し相手。
別れるのが寂しくも名残惜しくも思えてしまって辞めたくなかった。
悩んだ結果、シフトを減らして続けることにしたのだ。
シフトが入っている日は皆が寝静まったあとに魔界に行く。
習慣化されたその生活のせいで聖我を襲う睡魔の威力が、日に日に上がっていくようだった。
だが睡魔に襲われていたのはほんの5分前までの話で──今ばかりは、眠気などすべて吹き飛び、頭が冴えていた。
いうなれば、意識が覚醒した。
「何て?」
署名するため手に持っていた筆を置き、真正面で正座する燐湖に問う。
もう何度聞き返したのかわからない。
「何度聞き返すんですかぁ! ですからその……授かったみたいなんです」
「それは、俺の子供を……?」
「あたりまえじゃないですか!」
子供を、授かった。
聖我は頭の中で復唱する。
授かった、俺の子を──。
何度復唱しても信じられなかった。
目に見えるものではないのだから当然かもしれないが、いきなり口頭でそう言われたところでまったくもって実感が湧かない。
心当たりは十分にあるのだが。
己としては嬉しい事このうえない。花火を観た日に燐湖との未来を考えてからというもの、ずっとそういう未来であればいいと願っていたのだから。むしろ、こうなればいいと思っていたからこそ出来たといってもいいだろう。流石に聖我もそこまで馬鹿ではない、ようするに確信犯だ。
だが、だからこそ第一声をなんと返せばいいのかわからない。
俺は嬉しい。それはさておき燐湖の気持ちはどうなのだろう。
嬉しいのか、困惑する気持ちの方が大きいのか。
そこがはかり知れず、かける言葉に詰まっていた。
そうしていればしびれを切らしたのか、燐湖が口を開く。
「私の中に産む以外の選択肢はござません」
それを聞いて、聖我は一旦ほっと胸をなでおろす。
ただ本来自分は妹との間に子供をもうけなければならない。
自分はそれからずっと逃げてきた。それが自分の役割としりながらも。
避け続け、目を背けつづけた挙句別の女との間に子供を作った──なんて、妹や母からしたらとんでもない話だ。
当主である自分に害が及ぶことはほぼないだろうが、燐湖は無事では済まされないだろう。
交際は隠し通せても、妊娠は時間の問題だ。
普通に考えて燐湖の身の安全を確保するなら、もうこの屋敷には置いておけない。
「燐湖の安全を考えると、この屋敷にとどまるわけにはいかないな」
「周りには、他の男との間に子供ができたと説明するのは、いかがでしょう」
「それは許せない、俺の子だ」
生まれた子を見れば、きっと父親が当主であることを悟られる。
だがそんな理由よりも自分の子を否定するなんて絶対にしたくない。
選択肢は一つしかない。屋敷をでるだけでなく、燐湖と子を魔界にやることだ。
「子は魔界で育てよう。他の者にこの屋敷を抜ける説明なんて必要ない。何か事が起きたとしても後のことはおれがなんとかする、安心しろ」
「聖我さまっ……! ですが……さすがに当主が家をでるだなんて許されません! 私一人ででも、育てられます」
「いやそうじゃない。俺が望んでいるのは普通なんだ。燐湖には、俺と普通の家族になって欲しい」
真っすぐぶつけた本心に、燐湖は俯いたまま動かなくなった。
きっと燐湖は聖我がもつ望みが何か、前々から気付いていたのだと思う。
そしてその望みは燐湖も一緒のはず。だが今は立場上聖我の言葉をどう否定しようか考えているのだろう。そうはさせまいと畳みかけた。
「俺はここに残ったところで望まれている役割なんざ全うする気はこれぽっちもない。だから俺がここに居ようが居まいが一族の行く末は変わらない。ここで虚ろな人生を送るよりも、燐湖と普通といえる人生を送りたい。苦労してでも!」
子供ができたと、そう聞いて、一気に未来が明るくなるような気がした。
普段語気を強めない聖我の勢いに、燐湖も顔を上げる。
正面から聖我と向き合う燐湖の顔は、何かに気が付いたようにハッとした。
「はっ……今までハイライトがなかった聖我様の瞳に……光が……」
「失礼な奴だな!」
だが燐湖のいうとおり、これまでにないくらい瞳に力が入る感覚がしているのは確かだ。
またひとつ世界を彩る光が増えた、そんな気がする。
この日、元王家──龍崇家当主が、行方をくらました。




