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籠の中の龍4

 もはや行きつけとなった喫茶店。

 テーブルには聖我(しょうが)一人。もちろん燐湖(りんこ)と来ているのだが、今はトイレで席を外している。

 聖我はコーヒーのカップに口を付けながら、会計する男女の姿を眺めていた。

 あれは多分、カップルだろう。よく見る光景である。

 今回のカップルは男が全額支払っているようだった。

 会計を楽にするためなのか、男側が格好つけたいだけなのかは不明だが、この展開はまあまあよく見るパターンでもあった。格好つけたい気持ちは、わかる気がする。

 これは決して魔界の人間だから、ではない。多分死神も一緒だろう。

 ただ自分に恋愛経験が一切なく、今まで興味すらなかったから、この光景をみて初めて思い至ったのだ。自分も連れの女に対して格好つけてみたいなと。

 そう考えれば、自分はお金を持っていない。

 だからいつも燐湖が出していた。飯代も、交通費も。


 そもそも最初は一日だけ、屋敷を抜け出して魔界を見て回るつもりだった。

 それがいつしか脱走を繰り返し、毎週末この世界に訪れるようになってしまった。

 最初は何も気にしていなかったのだが魔界に慣れ、ある程度余裕が出てきたことではじめて、ここまで掛かった費用について考えが至る。

 俺はこれまで一銭も出していない。

 俺も燐湖にごちそうしてやりたい。燐湖相手にいいところを見せたい。

 男としてリードしてみたい。

 つまりは、金が欲しい。


「聖我さん、どうされましたか?」

「いや……なんでもない」


 戻ってきた燐湖に不意に顔を覗き込まれて、急いで別の方向に顔を向ける。

 そっぽむいた聖我の視界にはたまたま喫茶店を出た先ほどの男女の姿が映り込んだ。

 さっきまでは一定の距離を保っていた男女が、外を歩くときには手を繋いでる。

 そうだ。多くのカップルは手を繋いでいる。これも人間に限ったことではないだろう。

 最近やけにこういった恋人同士の人間の行動が目にはいるようになっていた。

 そして何故か自分と燐湖を重ねるのだ。


 確か自分たちも恋人同士という設定のはず。それなのにいまだにあーゆーのはやってない。

 テンションが上がった燐湖に手を掴まれて引きずり回されることはあっても、手を繋いで同じテンポで歩くなんてことはしたことがなかった。

 まあ、設定だから無理にやることもないのだが……それでも、恋人同士で歩いている者たちを見ていれば、女側がやけに楽しそうに見える。それがちょっとうらやましい。

 燐湖のあんな顔も見て見たいなと思うことが増えていた。

 どうしてそう思うのかはわからない。もしかしたら、燐湖に男として見てもらいたいなんて気持ちがあるのかもしれない。

 だとすれば、いつのまにやら燐湖相手に恋に落ちていたということになる。

 果たしてどうなのだろうか。


「聖我さん、行きましょうか」

「ああ。そうだな」


 席をたってレジへと向かう燐湖のあとを、聖我も静かについてく。

 支払いをしているその後姿を眺めていた聖我はふと、レジの奥、店員の後ろの壁に貼られたポスターの存在に気が付いた。

 夜空に打ちあがる花火の写真に文字が描かれているポスター。

 花火という文化は下界にもあるものだからすぐに分かった。

 下界でも祭があるたびに花火が打ちあがる。

 祭に参加したことはなかったが、龍崇家の敷地からでも夜空に咲く華の光は届いていた。


 そうか、あれが、魔界にもあるのか。


 燐湖と一緒に祭に参加したい。祭を楽しんで最後に花火を見るなんて、いいかもしれない。

 そしたらきっと、俺を相手に幸せそうな笑顔を見せてくれるんじゃないだろうか。

 その時の費用を全て俺が出せたなら……。


 そんなことを考え込みながら、聖我は燐湖を追って店を後にする。

 魔界と下界の通貨は一緒。

 だけど聖我は自分の金を一銭も持たないため、まずは稼ぐところからだ。

 下界じゃあ稼げない。魔界で何か仕事を探さなければ。

 魔界での金の稼ぎかたは知っている。『あるばいと』をすればいい。

 昼間は屋敷で過ごし、夜に抜け出して燐湖に黙って『あるばいと』をしよう。


 そう思い立った聖我は屋敷に帰還した日から、毎晩、皆が寝静まったあとに魔界へと転送し『あるばいと』を探すようになった。

 最初に決まったのは夜勤のコンビニ。コンビニ自体は利用したことがあったためできると踏んでの挑戦だったが、一日でクビになった。店長曰く「取り組む姿勢はいいけど、ここまで空回りされちゃあね」。その次は居酒屋のホールに挑んでみたがこちらは一日と持たず接客から外され、皿洗いに回された。結局皿洗いも足りているということでその日限りの雇用となった。二日目にして早くも自分に接客は向かぬのだと悟り、三度目の正直となるか!?と次に選んだのは、ビルの警備員。


 ビルの事務所で行われた面接の席で、なぜこの仕事を選んだのかと問われた際、馬鹿正直にコンビニと居酒屋を1日でクビになったこと、それでも、どうしても祭りに女を連れて行きたいことを話せば、目の前のデスクに座っていた親父が吹き出した。

 世間を知らない聖我でもこれはやらかしたと気が付き、また求人を漁らねばと覚悟したものの──掛けられたのは「気に入ったよ。明日から来られるかい?」という、採用の言葉。


 翌日気合をいれて出社してみれば、居合わせた先輩方からは「彼女はどんなやつなんだ?」なんて早速いじられる始末。それでも悪い感じは一切しなくて、むしろそのおかげではやく打ち解けられた気がする。夜間の警備も性に合っていたようで首を切られることもなかった。それどころか先輩たちとすぐに打ち解けたのがよかったのか、非常に居心地がいい場所で、聖我もすぐにこの職場が気に入った。

 一週間も経つ頃には、夜間の見回りも先輩方とのくだらない雑談も、屋敷にいるよりもよっぽど有意義で楽しい時間になっていた。


 こうしてなんとか人間としての職を手にし、ある程度まとまった金を手に入れることができた頃──ついに、祭の時期がやってくる。


 週末。いつも通り魔界に転移してきた燐湖と聖我の二人は、祭の会場まで徒歩で向かっていた。今回の会場は近所の河川敷。夏になると普段は何もない河川敷にところ狭しと屋台が並び、祭最終日になると花火が打ちあがる、地元じゃそこそこ有名な祭らしい。

 すこしずつ暗くなってきた空。

 会場まではもうすぐで到着するのだが、聖我は自覚できるくらいに緊張していた。

 汗ばむ手のひらを、グッと握りしめる。

 今日の目標は二つ。まずは手を繋ぐこと。それから燐湖に幸せそうな顔をさせること。ちゃんと自分の手で。

 そんな目標を設けているから緊張しているだろうかとも思ったが、そうじゃない。


 問題は今日の燐湖にあった。

 今日の彼女はゆかたという着物に身を包んでいる。下界じゃ見慣れた和装であるが、その華やかさに目が釘付けになった。綺麗に着飾った薄紫の着物、燐湖が動くたびにゆれる耳飾りや頭の上に出来たお団子を飾る髪飾り、風になびく袖、白い肌と、うっすらと紅が引かれた桃色の唇、すべてが完璧に綺麗なのだ。

 聞けば、お祭りと言えば女の子は浴衣を着るんだとか。

 そんな話、聞いていない。こんなに綺麗な恰好をするなんて、出来れば事前に知らせてほしかった。


「さぁ聖我さん、到着です!」


 目の前でくるりと回って見せる燐湖の姿に見惚れて、どうにも自身が無くなってくる。

『役』ではあるが、肩書しかないような自分がこんな彼女の恋人でいいのだろうか。

 手を繋いで歩いてみたいなんて勝手な願望、迷惑じゃないだろうか、と。


 さぁさぁ行きましょう! といつにも増して機嫌のよさそうな燐湖は、聖我の手を引いて入り口のアーチをくぐる。手を引くと言っても掴まれているのは手首で、そのまま引っ張られるようにごった返す人混みの中へと連れていかれた。

 相変わらず人込みは苦手なままで、気を抜いたら酔ってしまいそうだ。

 それでも今日のこの人混みはある意味都合がいい。はぐれるから、という理由で手も繋ぎやすいだろうから。そんな言い訳を探さないといけないほどに自信がなくなっていた。

 ある意味でこれも手を繋いでると言えるかもしれないが、思い描いている理想とは少し違う。いつ仕掛けるかのタイミングなんてみている場合じゃない。

 こういうのはきっと、最初に思い切って動いておかないと、どんどん機をのがすものだ。


 手首を掴まれている右手を少し捻れば、いとも簡単に燐湖の手は離れる。その離れた彼女の左手をすかさず掴んで、何事もないかのように前をみて歩き続けた。

 一瞬驚いたようにこっち見上げる燐湖の様子が視界の隅っこに映る。


「燐湖。今日は、一銭も出さなくていい。全て俺が出そう」

「あら……良いのでしょうか」

「なんでも買ってやる」

「それじゃあ、甘えちゃいましょう」


 ほぼ毎日のように魔界に転移していることは、燐湖にも秘密にしていた。

 もしかしたら変なところだけ悟ってしまう燐湖のことだから、本当は知っていたのかもしれないが……。でも、燐湖は何も言ってこなかった。

 そんな彼女の横顔をみて改めて実感する。

 俺が幸せにしたいのはこの女だ、と。


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― 新着の感想 ―
[一言] 来るの遅くなってしまいました。 いい感じですね。ほのぼの。 聖我がんばって。手を繋ぐことに全力なところが好きだ!
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