籠の中の龍
影の世界には、屋敷に閉じこもりただ生を浪費するだけの愚かな王家が存在する。
王家の務めは血を守りつづけ、影の世界の象徴となり続けること。
王家の嫡流として生まれた者は、生涯この一族の所有する土地から出ることは許されない。
生まれた時から死ぬその瞬間まで、ずっとこの狭い世界の中で生かされている。
そう、生きているんじゃない。生かされているだけだ。
王家の血が薄れ、穢れることを恐れ。
その血の流出による、王家の模倣を恐れ。
無責任に政権を放棄し閉じこもることを選んだ王家。
国は、そんな彼らを元王家と呼んでおきながら、なおも国家の象徴として扱っている。
幾ら強大な力があったとて、自由がなければ何にも成せはしないだろうに。
世間を知らずして、何が象徴なのだろうか。
否、何も知らないからこそ象徴になれるとでもいうのか?
この夜が明けぬ影の世界。
見上げた空の色は、いつも通りの藍色だ。
空には、他の色があると聞いた事がある。
なんでも透き通るような青色なんだとか。
それだけじゃない。黄昏の赤色、夜明けの紫色。
そんな色の空が、本当に存在するのならば是非とも見てみたい。
──嗚呼。
何が楽しくって俺は、こんな狭い鳥籠の中に居るんだろうな。
明日など来なくても一向にかまわない。
明日をどう生きようなどと、生まれてこの方、悩んだことがないのだから──
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元王家には3つの掟がある。
【その壱、宗家の者は決して敷地の外に出ないこと】
宗家の者が持つ遺伝子は特殊であり、その身を流れる血の力は絶大である。血液のみならず、髪の毛等遺伝子情報が含まれる物質の流出を防ぐことが目的である。
【その弐、宗家の者は近親交配で血を繋ぐこと】
宗家に流れる血の神聖さ、濃さを保つためである。
宗家の子は必ず男女交互に生まれるか、もしくは男女の双子として生まれ、代々兄妹、もしくは姉弟の間で子を成し、血を繋げている。
【その参、宗家の長男には必ず「聖」の文字を名にいれること】
宗家の持つ最大の力は、その身に流れる「血」に加え、「聖」の名と「男」という性の三つが揃ってなければ継ぐことができないためである。
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先日。
元王家──龍崇家の当主が、病により呆気なくこの世を去った。
40を前にした死であったが、宗家の者は短命であることが多いため、誰も驚きはしなかった。
継いだのは、世間を一切知らぬ齢18の少年。
名は聖我という。
ボサボサの髪に、やる気のない目。
使用人たちから影で「目が死んでいる」と言われているのは本人も承知していた。
聖我は自分が当主となることに関して、特に何も感じなかった。
当主としての在り方は、幼い頃から父を見てきたから知っている。
ただここに、存在していればいいだけである。
国の祭事でも国民の前に姿を現すことはなく、こちらで用意した書面がただ読み上げられるだけ。
ただ凛としてここに居さえすればいいだけなのだから、何を気負うこともなかった。
何かあるのだとすれば、一族の掟を気持ち悪いと思う感情くらいだ。とくにふたつめの、血の繋ぎ方については、理解し難いものだった。
従来の生物は近親交配による劣性遺伝の発生を避けるため、近親者との交配を避ける本能を持っているが、龍崇家はその限りではない。遺伝子がそうさせているのだろう。
だが、聖我は更にその限りではなかった。まわりまわって従来の生物というわけだ。
代々の例にもれず、聖我には二つ下の妹がいる。
もちろん望まれているのは妹との間にできる嫡子であるが、聖我はそれを、それに至るまでの行為を「気持ち悪い」と思っていた。当たり前といえば当たり前なその感覚は、龍崇家でいえば異常であり、「突然変異」といえた。
表立った態度でそれを表していたわけではないが、その価値観を、父も母もあるいは妹も察していたんだと思う。時折遠回しに、習慣だからとまるで諭すかのように説明されていたから。
気持ちの悪い一族だと思いはしたが、決して両親と妹を嫌っているわけではない。それでもやはり、言い表せぬ微妙な距離が彼らと聖我の間にはあった。
その距離が埋まることなく父は死に、子が一家を継ぐことになってしまったのだから、最初は周囲が慌てる様子こそあった。が、それも次第に「変わり者」の聖我をどう扱ったものかという困惑に変わっていった。
宗家には婚姻という概念はなく、ただ兄妹間で子を成して次に繋げるだけ。
交配の都合上短命であることが多い故、代々10代のうちに第一子を生んでいる。
18になる聖我にも、もちろんそれが求められていた。
むしろ、それしか求められていなかった。
周囲からいくら求められたところで、嫌なものは嫌だし、気持ち悪いものは気持ち悪い。
のらりくらりと周囲の期待を受け流し、いつか諦めてくれるのを待つ毎日。
さっさと男女の子供を作れば解放される?
いや、そうしたところでこの世界は広がらない。
この血が流れている以上、ここからは出られないのだから。当主になったからと言ってその風習を変えられるとは思えない。
だったら、期待に応える必要なんてない。
檻の中で、変わらぬ空を見上げ、変わらぬ期待を受け、ただ命を浪費するだけの日々。
そんな日々に変化が訪れたのは、突然のことだった。
8畳ほどの執務室で、与えられた書面に署名するだけの簡単な作業と向き合っている最中。
「おはよーございますぅ」
なんて、どこか間の抜けた女の声が聞こえてきた。
声の方へと視線を向けて見れば、ピッタリと占められた障子の向こう側に、ちょこんと座る影が見える。
そういえば今日から、色々とわかってない自分のために、新しい教育係を付けるだとか、そんな話が上がっていた事を思い出した。誰かから直接聞いたわけじゃない。使用人同士のひそひそばなしを聞いたのだ。
あぁ、これはまた厄介なことになったなとため息がこぼれる。
視線を手元へと戻し、筆を止めてから軽く咳ばらいをし、一言どうぞと返事した。
スルスルとふすまが敷居の上を移動する音がする──と思ったがそれは最初の一瞬だけで、ガタンっと少々大きめの音を立ててつっかえた。
予想外の音に、聖我は視線をあげその様子をうかがう。
そこに居たのは、想像していたよりも若い女だった。鼠色の長髪は癖毛なのかふわふわとカールしている。大きく丸い瞳と丸い顔立ちのせいで幼く見えるが、纏う雰囲気は大人のそれ。
自分よりもいくらかは年上なのだろう。この屋敷では初めて見る顔だった。
「教育係」っぽい黒縁の丸い眼鏡を掛けているものの、だからといって知的そうな印象は持てなかった。一目見て、こいつは抜けているだろうなとという判断ができるくらい。
そんな彼女は、正座した状態で両手をふすまに添え、力いっぱい押している。びくともしないふすまに「うぅ~」なんて声を上げながら、必死に押して隙間を広げようするもガンとして動かず、ついに諦めたらしい。わずかに空いた隙間に身体を押し付け、無理くり部屋に入ってきた。そのせいでだいぶはだけた着物を治す素振りもなく、いそいそと許可も取らず側まで寄ってくる。
「しょ、聖我さまの教育係を任されました! わたくし、燐湖と言います」
「あー、そう」
この屋敷にいるのは宗家の者と使用人たちのみ。
使用人と言っても庶家のものが勤めているので、実質全員身内であり、一族の者以外は基本的にこの屋敷の敷居をまたぐことは許されない。だから、今目の前にいるということは一族の者なのだろうが、今まで一度だってこんな女は見たことがなかった。
もう一度、ちらりと気が付かれないくらい一瞬、彼女に視線を向ける。
先ほどもチラリと視界に入ってしまったのだが──はだけた着物の胸元から、覗くソレ。
非常に控えめな膨らみ。本人は気が付いていないのだろうか。
いや気が付いていたらさすがに治すか……。
「お前、俺の教育係だって?」
「はぁい、そうなんですぅ」
「何を教育しろと言われているんだ。教養は十分あるつもりだ」
「えっとぉ、龍崇家の当主として、の教育だそうで……」
そこで、聖我はわざとらしくため息をついた。
自らの一族の歴史なんていうのは、きっとこの屋敷の誰よりも詳しく父親から教え込まれている。彼女を差し向けた奴──おそらく母なのだが──は、これ以上自分に何を教えるつもりだというのか。大体わかっている。子を作れ、それだけだろう。
「そもそも俺以上に何かを知っているようには見えねぇんだが……」
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死神の起源とされる龍崇家の始まりは、水龍とその水龍に恋した人間との間に生まれた子だという伝承がある。あくまで伝承なので、真偽のほどはわからない。
言い伝えによれば、その水龍は「聖」とよばれた雌の龍だったそうだ。
その雌の水龍は、他の龍に比べ大層チカラが弱かったという。
人型に化け、その姿を隠しながら、住処とする滝の近くでひっそりと暮らしていた。
山奥に在るその滝の周辺を訪れる者は無く、彼女はいつも一人だった。
そんな彼女の住処に、一人の若い青年が迷い込む。
人同士の争いから逃れてきたのか、彼は大変な怪我をしていた。
見かねた龍は自らの住処に連れ込んで手当をしたのだ。
彼女の美しさに一目で惚れた彼は回復した後もそこに居座った。そうして暮らしていくうちに水龍も次第に青年に惹かれ、二人は恋に落ちたのだ。
そんな二人の間に、子供ができるのにそう時間はかからなかった。
龍は男女の双子を生んだが、出産の負担に耐えることができず、その姿を保てなくなってしまった。人型に化けることもできなければ、龍としての実体を保つことすらできなくなってしまったのだ。双子を産み落とすと姿を消してしまった彼女。青年は先に生まれた男の赤ん坊に、彼女の文字をとって名をつけ、寂しさの中で二人を可愛がった。
しかし、若い男が山奥で一人、生まれたばかりの赤子二人を育てられるわけもなく、途端に双子は弱っていった。
姿を失ってもその様子を見ていた水龍は、居てもたってもいられず、双子の魂を神の世界に連れて行った。
「以上が、龍崇家──死神の始まりとされ語り継がれた昔話だ。水龍は水を司る神といわれている。水は万物に命を与え、そして奪う。それゆえに、そんな水龍から生まれた人型である我々は、万物の生殺与奪を司る死の神と呼ばれているのかもしれない。……っつーかあんたが教育係だろう、なんで俺が説明してるんだ」
「ほぅほぅ……なるほど、それで長男には必ず“聖”の文字が入るというわけですねぇ?」
唐突に取り出したメモ帳に筆を走らせる燐湖。
いつしか正座も崩して座り、着崩れた着物からは白い太ももが顔を覗かせている。
胸元の崩れも一向に直されない。視線を向ければ見えてしまう膨らみに、聖我はついに咳ばらいをした。絶壁に近いとはいえ、晒されっぱなしだと色々困る。
「なんでしょぉか?」
「燐湖つったか……? いい加減、着物を直せ……見苦しいぞ視線に困る」
「うぉ! これは申し訳ない!」
言ってやれば、わかりやすくハッとして足を隠した。
それから、胸元の合わせも手で押さえて素早く隠す。
悲鳴を上げて急に女になるか、と予想していた聖我はその淡白な反応に、少しだけこの燐湖という女に興味が湧いた。
うちにいる他の女とはどこか違う気する。嫌いじゃない。
なかなか面白いやつかもしれない。
少しくらいこの「教育係」に付き合ってやってもいいか。
そう思えたのだ。




