82話 縋れる相手
──下界、帝都・ヘルヘイム城
「あれ……あいつどこいった?」
『信頼できる戦力』を誘うためユキを魔界に残し、下界へと移動した千聖だったが……
お目当ての男には、城内で心当たりのある場所を見て回っても出会えない。
入れ違いになっている可能性もあるが、狼の嗅覚を持つ彼ならすぐに匂いで千聖の存在に気が付き、向こうから会いに来てくれそうなものだ。
町に出てるのかも、なんて思って城のバルコニーから街の夜景を眺めてみたりもしたが、町にいるならなおさら見つけるのは難しいだろう。下手に動き回るより城内で待っていた方がよさそうだ。そう判断し、踵を返した時だった。
どこからかドォォンと、心臓を揺らすような低音が鳴り響く。思わず引き返し、バルコニーの手摺から身を乗り出して耳をすませる千聖。
拾った微かな残響。聞こえたのは町の方向ではない。
更に情報を得ようと引き続き収音に集中していれば、第二波はすぐに訪れた。
先ほどと同様に、鳴り響く低音。帝国城の敷地内にある、軍の演習場の方からだ。
もしかしたらアイツのことだから、鍛錬とかいって帝国の誰かとやり合ってるかもしれない。そうじゃないにしても、一旦音源の様子を見に行った方が良さそうだ。
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軍の演習場は帝国内の各地に点在しているが、この城の広大な敷地内にもいくつか設けられている。その中でも今回音が聞こえてきたのは、第三演習場と呼ばれている場所だった。
この第三演習場の特徴といえば、演習場内にある湖と、その水面から顔を覗かせる様々な形をした巨大な岩。兵士の間では月明かりに照らされたその岩々が角度によっては人の顔にみえるだのなんだの不気味がられ──水場という事もあり信憑性の薄い恐怖体験などもしばしば噂され──とにかく、嫌厭されている演習場である。
あんまり行きたくないなと思いつつ急いで駆けつけたはいいが……誰かが居る様子はない。
最悪な気分だった。誰かいると思って来たから。
死神なのに怖い? そんなのは関係ない。
魔界にいる一部の死神は、死者の魂の回収を役割としているやつだっている。
だが、そこによく言うホラー要素があれば怖いのは当たり前だ。
千聖は静まり返った湖のほとりで一人、不気味と言われる巨大な岩たちを見つめていた。
たかが岩にビビってると思われたくないから、毅然とした態度で真正面から景色を捉える。
人の顔に見えると言われればそんな気もするが……そんなことよりも。
そびえたつ岩々が、千聖が記憶していたよりも少し減っているような気がするのだ。
気がする、というより、確実に減っている。崩れている。砕かれている。
何故か目の前の光景に背筋がゾクっとする。
さきほどの音は間違いなくこれだ。
誰だこんなことをしたのは。呪われても知らんぞ。
……いや、誰もいないから、もしかしたら、勝手に崩れたんじゃ……。
体中の、毛穴という毛穴が全て、ぶわああああと泡立った。
あぁもう本当に怖い。帰りたい。
だけど、なんか気配を感じる、ような気がする。
すごく誰かに見られているような気がする。動けない。
これはもしや、金縛り──……なんて、実際のところ金縛りにあっているわけではないが、千聖は自分勝手に生み出した恐怖に足がすくんで動けなくなっていた。
そしてそんな彼は見つけてしまう。
水面の一部が不自然に揺らいだ瞬間を。
岩の影が掛かって、何かよくわからない。一体何だろうと目を凝らして観察していれば、ズズズっとゆっくり、何かが浮かんでくる。
現れたのは──人の、頭だ。
「ああぁあぁぁあぁあぁぁあッッ!!」
帝国軍将軍・龍崇千聖の悲鳴が、演習場に木霊した──。
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「大丈夫か、大将」
「全然大丈夫じゃないよ。水の中でなにしてんだ、お前は」
湖のほとりで、腰を抜かしてしゃがみ込んでしまった千聖の顔を、全身びしょぬれの霊夢が覗き込む。結局この場にいたのは最初から霊夢と千聖の二人だった。
呪われた人面岩を壊したのも、何故か感じていた気配も、全部霊夢。ずっとビビりっぱなしで挙句の果てには悲鳴を上げた千聖の全てを霊夢はみていたことになる。
「隠れていた。岩を破壊したこと、怒られると思ったからだ」
「なんで岩を壊した……」
「霊夢はここで修行をしていた。ぶつかったんだ、岩に。だから、むかついて壊した」
「どうしたら湖から生えてる岩にぶつかれるんだよ……ていうかむかついたからって破壊するなよ呪われるぞ」
驚かされたとはいえ霊夢が現れてくれたことにより、先ほどまでこの場を支配していた恐怖は綺麗さっぱりなくなっていた。代わりに残ったのはビビり倒していたことへの恥ずかしさ。その羞恥に千聖は頭を抱え込みながら、それでも隣に腰かけた霊夢をジト目で睨みつける。
「大将は信じているのか! 霊夢はちっとも怖くないぞ」
「霊夢は昔から怖いものナシだよな」
「あぁ。たとえ岩を壊して呪われても怖くない。何故なら部下の失敗は上長の失敗だからだ。部下の呪いは上長の呪いなのだ! 責任の所在は大将にあるのだ!」
「ぶざけるなよ破壊した岩の責任はとらねーよ!」
なんでアイツといい霊夢といい、帝国はアホばっかなんだろう。
さっきの一連もあってか急な疲れに襲われた千聖は、頭を抱え込む姿勢からなかなか動けない。霊夢の場合はボケというか、素でいっているのだからタチが悪いし。
「で、ここで何やってたんだよ」
「む。それはだな……」
千聖からしてみればやっと入れた本題に、霊夢は立ち上がって瞼を閉じる。
千聖の視線は霊夢の顔を追ったものの、すぐに視界の下部に光を感じ、視線を霊夢の足元へと落とした。紅い光が、霊夢の足から炎の如く燃え上がる。
それをみて何をしていたのか察した千聖は、ここでようやく己の頭から手を離した。
足から上がる炎は、死神特有の技・秩序なき神速の特徴。
現帝国軍では、将軍のみが自在に使いこなせる神速。
「秩序なき神速は、水の上を走ることができる。水の上を走れてこそ、行使できたと言える。霊夢はこれを習得したくて、ここにいるのだ」
「んー、発動は問題ないみたいだけど」
「昔から発動だけはできる。だが一歩目以降は安定しないし、コントロールもできない。それで岩にぶつかる。……岩が邪魔なのだ! あれさえなければ霊夢はっ」
「落ち着いて」
だったらなんでここでやってんだ。と思わず口をついて出そうになったが、霊夢はプライドが高い奴だ。特訓しているところも、失敗しているところも、誰かに見られるのがいやなのだろう。だから普段誰も近づかないここを選んだのかもしれない。
「なるほどね。コントロールは馴れだけど……安定は多分、呼吸の仕方かなぁ」
「息の仕方だと!?」
「そう。神速使ってるとき、普通に息をしようとすると圧がかかってうまくできない。かといってずっと息を止めるのもだめだ、呼吸が乱れると次の動きに繋げにくいから。地面を蹴る時に身体が弾むだろ? そのはずみを利用して呼吸する。一歩目の弾みで吸って、二歩目で吐く、みたいに」
説明しながら千聖も腰を上げ、霊夢を追い越し湖へと近づいていく。
水際で膝を付き、左手でそっと水面に触れる。
触れられた水は、まるで意志でもあるかのようにトクンと一度脈打った。
今度は霊夢が、その様子をじっと眺めている。
「多分息苦しくなることで集中が切れて、それで二歩目が不安定なのかもしれない。あとは……そうだな、走るんじゃなくて跳ぶイメージで」
左手は水中に突っ込んだまま、千聖は振り返って霊夢を見る。
「いいよ。ぶつかりそうになったら受け止めるから」
そう促せば、意図をくみ取った霊夢はうなずいた。
濡れた頬に張り付いた長い髪を払いのけ、大きく深呼吸する。
そして水面に踏み出した一歩目。
紅い光と水しぶきだけを残し、その姿が一瞬消える。
千聖は霊夢の光を見失わないよう目の前に広がる湖を睨みつけた。
少し向こうで光った炎、それから一瞬遅れて上がる水しぶき。
二歩目はうまくいったようだ。しかし、上がった水しぶきの角度、形状から、そびえたつ岩のひとつへ向かったのがわかる。
すぐに上がった三つ目の水しぶきは、光を伴っていない。三歩目ではなく、どうやら急ブレーキのようだった。今度は、霊夢の姿もはっきりと見える。
このままいけば、岩と激突するが──。
霊夢と岩の間を割って入るように、水面から水の壁が競りあがる。
パシャンッといい音を立てて水の壁にめり込む霊夢。
結局岩とぶつかったが、水の壁が干渉したことで勢いはだいぶ削がれているようだった。
そのまま少女は、水中に姿を消していく。
「いけたじゃん、二歩目―!」
千聖は口元に手を添えて、腹から声を出し叫んだ。
コントロールはできていなかったが、二歩目の発動は安定してた。
ちゃんと聞こえたようで、水面から頭を出した霊夢は、グッと親指を立ててそれに返事する。
上手くいったことが自分の事のように嬉しく感じて、千聖は自然と笑顔になっていく。
霊夢は泳がず岩にしがみついて、何やら足場を探しているようだ。
その様子を、一体なにしてるんだろう?と頭の片隅で考えながらも、千聖は相変わらずの笑顔で見つめている。
よじ登った霊夢は岩に背中を張り付けるようにして千聖の方向に身体を向ける。
そして岩を蹴ったのか、霊夢の姿が消えた。紅い光と、「やったぞ千聖――!」という叫びだけを残して。
「って馬鹿神速でこっち来るんじゃごはぁッ!」
避ける暇などなかった。受け止められるわけもなかった。
鳩尾にがっつり霊夢の喜びのタックルを喰らい、そのまま彼女もろとも後ろの林に吹っ飛んでいく。背を木の幹に打ち付け、肺に入っていた息が強制的に吐き出される。
マジで痛い。痛い通り越して苦しい。
普段の “大将” ではなく名前呼んじゃってるあたり霊夢は勢いでやってそうだし、昔からこーゆー仲だし、今の、さり気なく安定して三歩目まで発動させてるし、それらの要素が集まった結果怒る気になれない。
霊夢が軍服ごと全身びしょ濡れのせいで、上に乗られている千聖まで湿ってくる。
よく考えてみれば水に沈むことをわかっていただろうに、何故それを考慮してないんだろうかと疑問でならない。
「どうせならもっと優しく飛び込んできてくれないか」
「よし、満足した。霊夢は帰るぞ」
「おい」
一人で勝手に立ち上がり、大将のことなど一切顧みず、振り返りもせずに去ろうとする。
さすがに引き留めようと千聖は口を開いたが、声を発する前に少女は立ち止まった。
どうやら近くの木の枝にアクセサリーを引っ掛けていたらしく、其れに手を伸ばしているようだ。
シルバーチェーンの先にぶら下がるのは、真っ白な羽根。
霊夢はそれを、大事そうに首から下げる。
「……それは?」
「ルナ様の羽根だ。大将がくれたんだろ?」
一瞬なんのことかわからなかったが、すぐにルナと霊夢の様子を見に行った際に、ルナから抜け落ちた羽根を拾って霊夢の上に乗せたんだったと思い出した。
それを思い出すついでに、霊夢が復帰したら聞こうとおもっていたことも思い出す。
「なぁ、ひとつ聞いておきたいことがあるんだけど」
視線だけで、千聖に応える霊夢。
「ヘーリオスで、何故ルナを助けた?」
問い掛けに、霊夢の視線は湖へと向いた。
その姿は何て応えようか思案しているように、千聖の目には映る。
「おれの指示は偵察だけだったはず。干渉していいなんて言ってないよな?」
「それは……ごめん、見てたんだ。あの日」
直感でわかった。
霊夢の言うあの日が、ヘーリオスでルナを助けた日を指しているわけじゃない。
あの日は、もっと昔の事を言っている。
「大将が心配で、様子を見に行った。そしたら泣きながら名前呼んでたから」
「おれが……呼んでた……?」
「天離を抱いて泣きながら、ルナって呼んでた」
息が止まる。
さっきまであんなに苦しかったのに、その感覚すらもどこかへいった。
あの時の事を見ていただなんて、今まで一度も霊夢の口から聞いた事がない。帝国のスピーカーと呼ばれるほどにお喋りな霊夢が、一度だって言ってこなかった。
自分の身体が緊張し、どんどん強張っていくのが分かる。
「霊夢はルナが誰かわからなかった。だけどきっと天離と同じくらい、大将にとって大事な人なんだと思った。その時の大将は、ルナに縋ってるように見えたから」
霊夢はそっと、大切なものを触れるように羽根を撫でる。
「天離を守れなかったと思うのは大将だけじゃない。霊夢も同じだ。悔しかった。だからあの時大将の姿を見て、誰かは知らんが “ルナ” のことは霊夢が絶対に守ってやると己の武器に誓ったのだ。天離を守れなかったぶん、な」
誓いと共に、今度はその手に大斧を生み出した。
持ち手も含めて彼女の倍はあろうかという大きさのそれは、地面に付くなり地を鳴らす。
その重たさが振動となり、千聖に伝わってきた。
彼女の背から伝わってくる心強さに唖然とする。
別に霊夢を何も考えてない奴だなんて思ってたわけじゃない。ただ、ここまで重たい思いを抱えていたのかとびっくりしたのだ。
「ヘーリオスで観察しているうちにあの娘がルナと呼ばれてることに気が付いた。ルナのピンチを目の当たりにして、さすがに天使はと思い留まった。しかし大将のためにはならないが、千聖の縋るものを守るためだと思ったら、勝手に身体が前に出ていた」
「霊夢……」
「真実は以上だ。大将が何かに縋ったのをみたことがなかったが、それができるくらいに大切な人なんだろう、ルナは」
ふっと息を漏らして笑う彼女の横顔は、千聖の知る悪戯をする子供のような笑い方ではない。今の表情は、もっとずっと大人びていた。
「おれ自身じゃ何も気が付いてなかったけど、もしかしたら霊夢の言う通りなのかもしれな──」
「昔に一度、王牙に縋りついたのを知っているが、それ以来ないはずだ」
「……今のいらない」
「え……なんだと!? 事実のはずだ! 霊夢はうそを言っていない!」
「うん。でも今の話にはいらない」
ものすごく関心していた。それと同時に、情けないところを見られていたんだなと自分自身に嫌気がさした。そしてそれ以上に友人として、感謝していた。
でも、こーゆーところだ。霊夢のこーゆーところが、なんか色々、台無しにしている。
何故だ!?と叫び振り返る霊夢を、今度は千聖が気に留めずに立ち上がって歩き出す。
木々の陰から抜け出して、月明かりの下に出てから立ち止まった。
魔界や天界なら、陽の光にあてて乾かせるのに。
陽の光なんて知らないこの世界じゃ、服が乾くのに倍かかる。
「そんなことで死にかけられちゃ困るよ。おれにとっては仲間の命の方が大事なんだからさ。でも……守ってくれてありがと」
いつのまに横に並んだ霊夢は、腰に手を当ててフンっと鼻を鳴らした。
言葉なんて発していないが、もっと感謝したまえ、なんて心の声が聞こえてくるような気がする。
「最初は驚いたが、大将とルナ様、お似合いだと思うぞ。霊夢は二人が幸せになってくれると嬉しい」
その言葉の意図は多分、応援だとか、異種族間の交際の肯定を表すものだと思う。
彼女なりに気を使った純粋な言葉の針が、千聖の胸を深く突き刺した。
「幸せにできるなら、したいよ」
けど──
おれじゃ、無理なんだ。
最後の言葉は、音にはせずに飲み込んだ。




