77話 それだけはダメ!
(……眠れるわけがない)
見慣れぬ天井。
枕がわりの柔らかすぎるハートクッション。
布団の代わりにと渡された、いい匂いのする毛布。
さっきからグーグーと鳴り止まない腹が訴える空腹感。
何より、ベッドで安らか且つ規則正しい寝息を立てる女の子。
結局、ユキの部屋から帰るタイミングが見出せないまま千聖は、男子禁制女子寮にスリル満点なお泊りをキメる運びとなってしまった。
睡眠は取らなければならない。できれば少しでも眠っておきたい。
わかってはいるが睡魔に襲われる事なく無事に迎えた午前二時。落ち着けない千聖はとりあえずスマホに手を伸ばす。
(何かゲームでも……ってログインボーナスもデイリークエストもリセット三時かー)
いや、いやいや待て待て。
クエストを回す手は止めず、千聖はさっきから何度も考えていた事を再び考え始める。
そもそも姫は、この状況でどうして、こんなに安らかにパジャマ姿で眠っているのか。
男と二人きりで一晩!? 危機感は皆無?
触れると眠る呪いのかけられた針にでも触れた?
どうなっている。いやライス無しオムライスを作りかけるほどの天才だから何も考えていないんだろうけど、この人生よくここまで無事だったなと思う。
静かに上半身を起こし、ベッドで眠る少女の寝顔を観察する。
薄く開かれた唇、長い睫毛、綺麗な銀髪。
なんとなく興味でつん、と頬を突いても全く起きる気配はない。
「良かったな、此処にいるのがおれで」
結構大胆に突いても、グニグニしても微動だにしない。寝息も乱れない。
「ホントに起きないんだ……いや別に起こしたいわけじゃないけど」
鼻先をちょんっと触ってみる。
ちょっと面白くなってきた千聖は、完全に油断していた。
深い眠りの中に居る少女は、少しだけもぞもぞと動く。
そして一言、言葉を漏らした。
「ん、ルナ……?」
「……え」
聞き覚えのあるその名前に、ばっと慌てて手を離す。
それは、知り合いの女の子の名前だ。
まさか、ここで、彼女の口からその名前が出てくるなんてと一瞬驚いたが、よく考えなくてもルナは騎士なのだから姫と接点があってもおかしくはない。
歳も近いだろうから、仲もいいかもしれない。世間は狭いのだから。
「ルナか……」
ルナはきっと、姫が騎士団の誰かに狙われてるなんて知らないだろう。
そしてそいつを千聖が始末したとしたら。
ルナが全てを知ったとき、“仕方がない” と理解しながらも心を痛める姿は簡単に想像できる。もしかしたら、こうなる前に騎士団のメンバーとしてなんとかできたかもなんて、自分を責め出すかもしれない。
(すっげーやりにくい……)
とはいえルナがいてもいなくても、やりにくいのには変わりなかった。
元々は早々に大元を始末して終わらせようと思っていたが、喫茶店で “天使を始末する” と話した時に見せたユキの表情が気に掛かって手出し出来ず、結局襲ってくる相手を金で買収した。
これでうまくいくと思ったのもつかの間、今度は舞から大元を片付けろという命令。
板挟みもいいところだ。
舞に逆らえば彼女らと敵対することになりそうだから、選択するべきは対象の殺害もしくは無力化。もともとはそのつもりでいた千聖にとって、その選択をすることに抵抗はなかった。しかしそれは、ユキの願いとは反した選択である。
本来ユキの顔色をうかがう必要はないのだが、今回のことに関して言えば彼女からの好感度無くして円滑には進まないだろうし、政略結婚とはいえ今後のことを考えると彼女の気持ちに配慮しておいた方がいい。
(単純に、ユキの目の前でやらなきゃいいって話だよな)
相手が使うのは人間。その人間という資材は無限にも等しい。
その人間が使われれば使われるほど舞は怒るし、千聖だって疲れる。
ユキのことだって怪我を負わせることなく守り通せる確証もない。
始めてもう5日目になるこの戦いも、流石にここらが潮時だ。
明日には仕掛けてケリをつけたい。
それは多分、相手も同じ。
たった一人の抹消にちんたら時間をかけるなんて考えられない、そろそろ仕掛けてくるだろう。
******************
その翌朝。
「え、えっと、私の姿を借りる?」
「そう。おれがユキの姿を借りて敵を引きつけるからその隙に校舎入っちゃって」
その方がおれも寮出やすいし。とついでに付け足して、朝の準備をすっかり終え、登校の時間までまったりしているユキに作戦を説明した。
「いいよ、どうぞどうぞ!」
断られる想像こそしていなかったものの、思った以上の快諾だ。
これで彼女を授業に出席させられるし、その隙にうまくいけば大元をおびき寄せユキとは離れた場所でゆっくり始末できる。で、この生活も今日で終わらせる。
我ながら完璧な作戦。
「身体写すから、ちょっと失礼」
一言断りを入れてから、千聖はユキの両手を掴んで指を絡ませるとそのまま身体を引き寄せた。
そしてなんの躊躇もなく額同士をくっつけた瞬間、まるでユキの身体全体をスキャンするかのように、千聖の魔力が重なり合った額を通してユキの爪先までをなぞった。
向かいの少女からは、微かな体温と、息を呑む音が聞こえてくる。
「ありがと」
体を離されたとき、ユキの耳が拾ったのは聞き慣れない女の子の声。
瞼を開いたユキの瞳には、千聖の制服を着た見慣れた女の子の姿が映る。
「わ、わたしだぁ! 私の声ってそんな感じなんだ! 違和感……」
ユキの姿をコピーした千聖は、腕を伸ばしたり手を開いたり閉じたりと色々具合を確かめるように動いてから、驚く本物に気付くとにっこり笑いかける。
「すごい! 完璧だよ!」
「あーでも、身体だけだよなぁ……服はこうなるよなやっぱ……」
「私が千聖の制服着てるー」
腕を目一杯伸ばしてみても、余った袖から覗くのは指先三本だけ。
靴下の先も余っているような感覚がある。
多分ズボンに関しては裾を踏んでいる状態だろうなーと考えて、実際にどのくらい余ってるか確認しようとユキの姿をした千聖はその場で立ち上がれば──
スコンッ
と景気のいい音がする。
「ん……」
微かな衝撃を足に感じ、千聖は足元を見下ろした。
まるで足の周りを囲うように見覚えのある深緑色の布が落ちている。これは制服のズボンだ。
そして地味な緑色の中央に、まるで挿し色とでと言わんばかりに鮮やかな、赤みのある紫色の布が落ちていた。制服とはまた違う材質だ。だけど、こちらも非常に見覚えがある。
(あれ、これおれの下着……?)
視線を胸元に戻す。ワイシャツの白を辿り、いきなり肌色の生足が覗いている。
「あ……」
ワイシャツが大きいお陰でいきなり足が見えている状態だがこれは……。
「あぁあぁぁぁぁぁぁッッッ! ダメダメダメダメ!!!」
理解すると同時に、悲鳴をあげたユキが飛び掛かってきた。ユキの身体ではユキ本人を受け止めきれず、千聖はそのまま押し倒される。
側から見ればユキの上にユキが乗っている状態となってしまった。
「ま、まままままさか!」
「痛っ……うぅう!!?」
押し倒された千聖は状況を把握する隙すら与えられず、間髪入れずに左の胸を鷲掴みにされて、リアクションを取ることも出来なければ言葉も出てこない。
「やっ……ぱり! 下着つけてない!」
そう言われて初めて、なにをされているのか理解が追いついてくる。
そこそこの力で鷲掴まれた左胸が結構痛い。
「あ……そ、そうですね。おれ、その、元から女性ものの下着は上も下も履いてな」
「これは流石にだめ! ワイシャツ一枚なんて変態なんだから!」
「ごめんなさい、あの、こんなつもりは」
「もう時間がないから、下着は貸す! けど見ないでね! あと、制服も洗濯終わったのがあるから、私がそれを着せます!」
「すみません……おれなりにこれは名案だと思っ」
「全部次会うときに返してくれればいいからっ。あ、洗濯とかしなくていいからね! 千聖の制服もその時渡た──意外と派手なの履くんだね千聖……」
ちらっと振り返り、大胆にもズボンの真ん中に放置されていた千聖の下着に手を伸ばすユキ。
「ちょ待って!」
止めたいが、上に乗られているため静止できず、ついになんの抵抗もなく人の下着を持ち上げて「意外……」なんて呟かれる。
「触らなくていい! 広げるんじゃない! それおれがさっきまで履いてたやt……丁寧に畳まなくていいから! てゆか早くおれに服を!」
「お、思わず派手なパンツに目を奪われちゃったよ……ごめんごめん!」
無邪気にてへへと笑っている姫に対し、目を奪われていたどころか手まで出してたじゃないかと内心では文句つけるが、やっぱりそれは口にしなかった。
こうなってしまった責任は、自分にある。
ユキは衣類を取り行ったのかバタバタとどこかへ姿を消してしまった。
一人取り残された千聖は、強く掴まれていた左胸へと視線を落とす。
そーっと己の左手をジンジンと感覚の残るそこへと伸ばし掛け──やめた。
やっぱり、そーゆーのは良くない。




