74話 繋がり
あぁ、眠っちまってたのか。
帝国の書庫で眠は、分厚い本を枕に目を覚ます。
恐夜から世界の理について聞いてからというもの、今歴代の王の思想が気になり始めた眠は歴代の王に関して記載された書物を読みあさっていた。
だが、気が付かないうちに寝てしまっていたらしい。
城にはいくつか書庫がある。
中でもここは地下にある一番小さな書庫で、集められているのは誰も読まないような内容のものばかり。普段利用する者もほとんどいないせいか、光源の松明は最低限の本数が壁に張り付いている程度で薄暗い。本を読むための部屋というよりは、いらない本を押し込むためのスペースといっても差し支えはないだろう。
下は石畳、壁も石材を積み上げてつくられているこの部屋は、真夏でもひんやりしており居心地のいい場所だった。本を開けば穏やかに揺れる松明の影が落ちる。そのうえ地下にあるため室内は静か。そんな環境下での読書。
これは完全に、眠りに誘っているといっていい。
当たり前に居眠りしていた眠は、両腕を前方に伸ばし、固まってしまった身体を伸ばす。
腹の空き具合から、夕飯時を少し過ぎたくらいだろうか。
時間にして5時間近く寝ていたらしい。最悪だ。
伸びの仕上げに自然とあくびをしたくなった眠は、大きく口を開ける。
「お前、ようやく目が覚めたのか」
深く息を吸ったその瞬間、横から響いた少女の声に眠は思わず飛び上がる。
「なんだ……霊夢か、驚かせんなよ」
ツインテールを指先でくるくると遊ばせながら口先を尖らせる軍服の少女は、しばらく前の戦でルナに命を救われ、医務室で寝ていたはずだった。
「もう体はいいのか?」
「お前、王が呼んでたぞ」
ちょっとも会話する気が感じられない霊夢は、隣で何やら厚めの本を食い入るように見つめている。読書をする印象がまるでない彼女を夢中にさせるのは一体どんな本なのか、気になって覘いてみれば、書かれた見出しは "恋占い"。
「少しは会話しろよな……」
「王がお前をまっている」
「あーはいはい」
それしか言わない霊夢に、多分どんな話題を投げかけても無駄だろうと判断した眠は、立ち上がると枕に使っていた本を適当な隙間にはめ込んだ。この本があったのはここの棚ではないことぐらい覚えているが、どうせ誰も読まないだろうから気にはしない。
そうして、早々に立ち去ろうとすれば、今度は後ろから慌てて立ち上がる音が聞こえる。
「こら! 霊夢を置いて行くな!」
「あら……? お前もしかして怖ぇーの?」
書庫の入り口でにんまりと笑ってやる眠の事を睨みつけ、それでも大急ぎで読んでいた本を適当な場所に突っ込んで追いかけてきた。
その顔はどこか名残惜しそうだ。
「まだ途中なら持って帰りゃいいだろ。誰もあんな本読まねぇよ」
「そ、その手があったか……」
やはり名残惜しそうに自分で片付けた本を見つめ、眠の服の裾をきゅっと掴む。
「取ってこいよ」
「そうだな……」
「……?」
「眠! 霊夢はこれからあの本を取ってくる。お前はここで霊夢の事を見張っていろ!」
眠は、無表情に近い慈悲の顔付きで、そんなミッションを与えてくる霊夢を見つめる。
怖いんだな。たったこれだけの距離だし灯りも付いてるのに、この地下にある普段誰もいない書庫が怖いんだな。
「わかったよ、見ててやるから」
「絶対だぞ! 有難う!」
短めの赤いスカートをひらりと翻しながらパタパタと走って取りに行く後ろ姿を見て、眠はもう一度ニヤリと笑う。
(今の隙にドア閉めてやろ)
ちょっとしたいたずら心で、眠は書庫から出るとそのままドアを閉めてやった。バタンと音が響いた瞬間に、悲鳴に続き「裏切ったなー!」という叫び声が聞こえてきて、あまりの予想どおりの展開にくつくつと腹を抱えて笑う。
「くそ! 開かん! 謀ったな?」なんて怒鳴りながら、本来内側から引いて開けるドアを必死に押して開けようとする音がする。
ついに声をあげて笑いながらドアを開けてやれば、飛び出してきた霊夢は涙目だ。
ちょっとやり過ぎたか?と申し訳なくなる。
「騙したな……許さないぞ! 眠には罰が必要だ! 三日間三食お粥の刑だ! 三日三晩お粥の汁を啜りながら後悔し、そして反省しろ!」
「悪かったって!」
不貞腐れる霊夢の頭をポンポンと軽く叩いて、地下の石畳で出来た階段を登って行く。
確かに、この湿り気を帯びた石畳特有の冷たい空気と地上よりも数の少ない光源は、怖がりにとってはとんでもなく怖いかもしれない。
「霊夢が書庫くるなんて珍しいじゃん?」
「王に眠が書庫にいるだろうから呼んでこいと言われて呼びに来ただけだ。あんまりにも起きないから、気付いたら霊夢まで恋占いに興じていた」
「オレ別に恋占いには興じてねぇーけど」
「なんだと!?」
いやそれそんな驚くところか?と、驚く霊夢のリアクションに眠は驚きを隠せない。
こんな会話を繰り広げている間に気が付けば二人は階段を登りきり、帝国兵が多く行き交う食堂前の廊下に出ていた。食堂をのぞけばそこに座る大多数はすでに食事を済ませ、他愛もない話に花を咲かせている様子がうかがえる。
「ここまで来りゃ人も沢山居るし、平気だろ?」
眠の問い掛けに、フンっと鼻を鳴らしてそっぽむく霊夢。
自分で撒いたタネとはいえ、おそらくはこの件で数日はぐちぐち言われることになるだろう。めんどくせぇことになっちまったなと反省の欠片もない眠であるが、なんか機嫌をとるような行動を起こそうかどうか考え始める。
丁度食堂の前だし、晩飯でもおごろうか。
「あらら、霊夢ちゃん。あんまり歩き回っちゃダメだよ」
ふと聞こえてきた声に、霊夢も眠も、視線を前方へと向ける。
城内に施された装飾の黒色、中を歩く帝国兵が身に着ける軍服の黒色、黒が大半を占めるこの空間の中で、堂々と広げられる純白の羽根。そしてそれを背負う少女は、赤髪を揺らして品よく微笑む。
「ご無沙汰しておりました。“将軍様の従者様”」
「お前……ステラか!?」
最後の彼女と会ったのは、初対面でもあるヘーリオスで共同作戦開始の直前。会話も挨拶程度しか交わしていない。しいて言えばその後も一度出くわしてはいるが、その時は姿が見えないくらいのローブを身に纏っていたし、どういうわけか革命軍の奴を連れだっていた。眠も匂いでしか感知しておらず、顔は合わせていない。だから、ちゃんと会うのはこれが二回目だ。
「私がここに居ること、驚かないのね」
「何となく察してたからな。オレらがルナと飯食ってたとき、交渉目当てに千聖に近づいてきたのお前たちだろ?」
「知っていたのね! それは、狼の嗅覚で……?」
「あぁ。んなことより将軍様の従者様ってまどろっこしいから、眠って呼んでくれ」
「では、眠。これからよろしくお願いします」
律儀に頭を下げるステラが身に着けているのは、紛れもなく帝国の軍服。
もともと騎士団のメンバーだった彼女は、ヘーリオス戦を経て騎士団を捨て、帝国に加入した。その理由はわからないが、千聖が彼女を帝国に迎えたのだから自分も彼女の入隊を歓迎する。ただ、ステラを探していた奴がいることも知っている眠にとっては、何とも言えない複雑な気分だ。
「あいつ、お前の事ずーっと探してたぞ。今でも探してるだろうな」
意地悪を言いたいわけじゃない。
だけど、そんなつもりはなくても裏切ることになってしまった仲間がいるってことを忘れて欲しくない。そいつと仲良くなってしまったからだろうか。裏切ったことについて、怒りとまではいかないが、なんだか心がモヤモヤするのだ。
彼女自身も心残りなのか、眠の言葉に俯いてしまった。
「絶対、いつかは今の立場で出会うことになる。その時になんて言うかは、考えておいた方がいいだろうな」
「それはわかってる。会えたらならちゃんと話をするつもり。ルナにだけは相談するべきだったって後悔もしているの。でも否定されるんじゃないかって思うと怖くて、言えな」
「ルナ様が誰かを否定するわけがない! 絶対に受け入れてくれる、大丈夫だ!」
ほんの少ししんみりした空気の中、それを切り裂くように入ってきた霊夢は、ルナ様!と叫びながら、首元から首飾りを引っ張り出して二人の目の前に付きつける。二人分の視線を惹きつけてゆらゆらと揺れるのは、丁寧に加工された真っ白な羽根。
「なんだソレ。羽根の……首飾りか?」
「そうだ! 目が覚めた時、霊夢の身体の上にこの羽根が乗せられていた! これは霊夢の命の恩人、ルナ様の羽根に違いない! 羨ましいだろう!」
「え、それ大丈夫? ただの鳥の羽根とかじゃねーの?」
「戦場で霊夢を救ってくださった、そんな女神様がステラを否定するわけがないのだ! たとえそれが、駆け落ちだったとしても、絶対応援してくれるだろう!」
「は、駆け落ち……?」
「あっ、霊夢ちゃん!」
相変わらず眠の言う事には少しも耳も貸さない霊夢。
そんな彼女の口からさらっと聞き流せない単語が放たれ、眠とステラが思わず声を上げてしまった。
「え、ってことはあの時一緒にいた革命軍の男とデキてるってことか? それで駆け落ちするために帝国に亡命? 千聖はそれ知って帝国に入れたってこと?」
「ヘーリオスで私たちを助けてくださったのが将軍様で、私たちを受け入れてくれる場所はここしかないと思って! 頼らせて頂いたっていうか……」
「千聖が助けたって、駆け落ちをか!? 全員あぶなっかしいなオイ……けどまあ嫌いじゃないぜ、そーゆーの」
ステラに向けて親指を立てつつ、霊夢が無自覚なスピーカーだから話す内容は気を付けたほうがいいぞと忠告を付け足す眠。言われたステラも「そうする」なんて笑って返した。
「そうだステラ! 恋占いの本を手に入れたんだ! 一緒に占うぞ!」
「はいはい、けどまだ完治はしてないんだから、医務室に戻ってからね」
「了解した! お前は来るなよバカお粥野郎!」
「行かねーよお粥に謝れ」
揃って医務室へと向かう二人の後姿。
途中、松葉杖をつく帝国兵とすれ違えば、ステラはなにやら声を掛けている。
そんなステラの横を、まるで姉を慕う妹のようについてあるく霊夢。
眠は二人の様子を感慨深げに眺めていた。
種族が違くたって、当たり前に仲良くできる。
それを証明してみせたヘーリオス戦では、指揮をとった千聖の活躍ばかりが褒められているが、実際にきっかけを作ったのは霊夢とルナなんだ。
霊夢が取り出した羽根の首飾り、先ほどは茶化したが本当はちゃんとルナの匂いがした。
あれをみたとき、二人が繋がっているような気がして、何故か嬉しく思った自分がいる。
アイツがあれをみたら、顔を真っ赤にして恥ずかしがるだろうな。
勝手に想像して、俯きながらへっと笑いを零す眠は、一人、王室を目指して上に続く階段へと足を向けた。




