72話 『おれが守り抜く』
ユキを護衛するようになってから3日目の朝。
この日、千聖は電話が鳴る前から行動を開始していた。
まず、早めに起きて支度を済ませる。
朝食はしっかりとったし、靴下もちゃんと履いた。
崩れるであろうことは承知の上だが、髪もしっかりセットした。
身に着けているシャツは今日で3枚目。スラックスは2枚目だ。
昨日も喫茶店から出た直後に尾行がついて、結局何度か争いになった。
カタギじゃなかったのは最初の二人だけで、あとはただ喧嘩が強いだけの不良が相手だった。武器を使われることもなく殴る蹴るの戦いになってしまったので、やっぱり千聖は一昨日同様、一方的に殴られて、相手が千聖の不死身さに恐れをなして去ってくれるのを待つだけの戦いになってしまったのだ。そのせいで、着ていた制服もぼろぼろだ。
そろそろ替えもなくなってしまうから、破かないようにしなくては。
とはいえ今日は、作戦がある。
その準備のために少し早めに起きたのだ。
よし、どっからでもかかってこい! なんて気合を入れ、どこか勝ち誇った表情で千聖が出てきたのは──なんの変哲もない、ただのコンビニ。
用事を済ませるついでに購入したアイスの袋を破いて、頬張りながら熱したアスファルトの上を歩いていく。
千聖が今いるのはユキの学校の近くだ。
呼ばれる前に既に待機している状態。準備は万端。
ユキの住まいは学校の敷地内にある寮とのことだが、昨日はその敷地内にまで敵は入ってきたそうだ。きっと金で買われた人間たちは、今日も学校の敷地付近でユキの姿を探すはずだ。千聖はそう考え、学校の周辺をうろつきながら通行人を注意深く観察していた。
敵が人間を金で買い従えている。
金が欲しい人間なんて、この町にはいくらでもあふれかえっている。
つまり、資源は金がある限り無限といえるのだ。
しかし金に物をいわせるのは敵側の専売特許、なんて決まりはない。
少しだけニヒルな笑みを浮かべながら、千聖はソーダ味のアイスを齧った。
***********
ユキは驚愕した。
「これで、おれらから手を引いてくれ」
そういって千聖は、ジャケットの内ポケットから輪ゴムで束ねた札束を取り出し、地面に叩きつけたのだ。
目の前にいるのは、今日最初に襲ってきたグループ。
ユキには見覚えがあった。男二人、女一人。昨日敷地内に入ってきたやつら。
路地裏に逃げ込むまでの間、自分を追いかけまわしてくれたグループが、今日もまた学校に来た。来やがった。教室の窓から彼らの姿を発見したユキは、クラスメイトを巻き込むわけにはいかないと、昨日同様教室を、校舎を、飛び出した。
彼らを真正面からすり抜けて学校の敷地からも飛び出し、追われる形で塀の角を曲がった瞬間、なんと千聖と遭遇した。
ただ、ユキが驚いていたのは昨日の敵がまたここに来たことでも、学校を出て速攻で千聖と出会ったことでもない。この後、この路上で起こした彼の行動に対してである。
この行動の直前に繰り広げられたのは「アンタらいくらでこの話に乗ったんだ?」という千聖の質問。1人10万、先に報酬を受け取る形でユキの誘拐に乗ったと彼らは答えた。
金額を聞いて千聖は、先ほどのセリフにあわせて札束を地面に叩きつけたのだ。
まるで拾えと言わんばかりの勢いで。
ユキ以上に驚いているのは、襲ってきた人間たちだった。
恐る恐る拾い上げて、雑にまとめられた札束が本物かどうかを確かめている。
リーダーと思われる人間が一番上の一枚を抜き取って、太陽に透かして見て、千聖の顔をまじまじと見た。そして小さく漏らす「マジ?」の声。
「ねぇ……なんかおかしいって、普通じゃないよ」
「絶対関わらない方がいい。逃げよう」
リーダーにひそひそ耳打ちする二人のメンバー。
丸聞こえの会話から、意外とまともな人たちだったんだと知り、ユキはそこにも驚いた。
「俺らもらったの30万だし……こんなにいらねえよ」
「おれに30枚数えろっていってんのか! そんなに暇じゃないんだよ!」
口を開いたリーダーに、イラつく千聖。
千聖のキレポイントにも、ユキは驚きを隠せなかった。
真夏の道路で繰り広げられる「こんなにいらない」と「いいから受け取って消えろ」の押し問答。結構大きな声で騒いでいたから、近所の家からは様子をうかがう顔が覗く。
「この札束いくらなんだよ!」「50万だ!」「札束っていったら普通100じゃねえのかよ! そんなにいらないけど!」「あそこのコンビニじゃ一回に50万までしか卸せなかったんだよ!」「だからって輪ゴムはないだろ!」「束ねられてるだけいいじゃないか!」
なんて。あれ、漫才でもやってるのかな。千聖の後ろで静かにやりとりを聞いてるユキは冷静にそう思った。
そうこうしているうちに、後ろから聞こえてきたのは「あの女だ!」という新しい刺客の声。
ユキは振り返り、千聖ははっと我に返る。
「じゃあその金でおれに雇われてくれ! あいつらの足止めを頼む!」
「えっ……!? おおぉ」
あいつらといって新しい刺客を指し、千聖はユキの手を引いて依然戸惑っている3人を抜き去った。引かれるがまま走りながら、ユキは何度か後ろを振り返る。残った現場の様子をうかがえば、なんだかんだで3人は新しい刺客を足止めしてくれているようだった。
「昨日よりも新しい刺客の登場スパンが短いな……!」
「どうしよう……どんどんおおごとになってきちゃった」
今日で三日目だが、昨日よりも人数をかけてくるだろう。
きっとまたすぐに、敵の第三陣と遭遇する。
街に出れば人混みに紛れ撒きやすいかもしれないが、その分資源となりえる人間も増えるため、敵も多くなることが考えられる。
だから街には出ずにこの住宅街を中心に逃げ回る。出会う敵を片っ端から買い取っていけば、そのうち資源も尽きるだろう。
完全に尽きることはないが、街に出るよりも敵は増えない。
そう、これこそが千聖の作戦だった。
天使が金で従えた人間を、さらに上の額で釣って従わせる。
目には目を、歯には歯を──もとい、『人には人を、金には金を』作戦である。
「ちょっと銀行に寄らせてくれ!」
逃走途中、声を上げながらユキの答えも待たずに銀行に入っていった千聖。
ユキも続いて入店し、律儀に整理番号を発行する千聖の背中を見つめていた。
そして、数分後──
「この金でしばらくは持つはずだ!」
銀行から出た千聖は、両手で持った札束をセンスのように広げ、眺めていた。
広がる束は数えて10束。金額にしておよそ1000万。
ユキは、世の中結局金なのさ。なんて言って笑っている千聖の金銭感覚を心配に思った。
思考回路が、完全に悪である。
非常に心配そうな瞳をユキから向けられていることに気がつき、千聖は笑う。
「心配いらない、ユキのことはおれが守り抜く(金の力で)」
その心配の意味は、はき違えていたが……。
放った言葉の通りこの日千聖は来る敵来る敵、ことごとく買い取った。
ある者には手を引いてもらうよう交渉をし、またあるグループはそのまま雇って次の刺客の足止めに使う。敵との遭遇こそ多かったが、一切の戦闘は起こらなかった。
千聖は、派手に敵をお買い上げしていったのだ。
しかし一見順調に見えたこの作戦、はやくも翌日に天罰が下るなんてことを、誰が予想できただろうか。




