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王牙 ―Ⅰ―

 思い出す光景は、赤かった。

 火の赤、血の赤、夕焼の赤。

 目前に広がる光景、その全てが赤かったのをよく覚えている。


 狼は吼えた。

 自分から全てを奪ったこの世界が、許せなかった。

 ただ1つ残された己の妹を抱き締めた狼の遠吠えは、瓦礫が燃え盛る(ほのお)の中で、何処までも遠く響いた。


 ***********


 下界の端っこ、空は常に黄昏のそこに、獣人の住む里はあった。


「えー、でもさぁ。オレらのご先祖様が死神王家の人に仕えてたのってすごく昔のことなんだろーっ」


 少年は、修行用にと作られた柱に拳を打ち込みながら、後ろで稽古を付けてくれている父親に問う。


「ああそうだ……王牙(おうが)、もっと脇をしめて、しっかり一歩踏み出せ」

「はーい。でもその人達、今は引きこもりになっちゃって、オレらは必要ないんだーってこの前叔父さんが言ってたよ」


 言われた通りに脇をしめ、拳を前に突き出すとともに、しっかりと一歩踏み込んだ。振り返ってちらりと父親の足元を見やれば、共にきていた妹が修行なんてやだーっと泣きながら足にしがみついている様子が視界に入る。


「先祖の誇りは捨てるもんじゃない。仕えるという事はとても名誉な事だったんだぞ」

「あー、過去の栄光ってやつー?」


 少年は気のないような返事をしながら、今度は柱に蹴りを入れ始める。

 その様子にうしろの父親は深く分かりやすい溜息を落とした。

 別に一族の過去に興味が無いわけではない。

 むしろ幼い少年にとってみればとんでもなくかっこいい話で、羨ましいくらいだった。

 どうして今は違うんだろうと思えば悔しさすらも感じた。

 だけどそんな感情を悟られるのが嫌で、あえて興味のないフリをしてしまう。


「どーして毎日毎日修行しなくちゃならないんだかー」

「今は必要なくても、鍛錬を続けていればいずれは役に立つもんだ」


 父は、息子の背中に語りかける。


「家族を守れなきゃ男とは言えないぞ。いつかお前にも大事なものができるだろう。それを守れる男になるためにも日々の鍛錬はおこたるなよ」


 わしゃわしゃと頭を撫でられる。

 素直になれずいつも思ってもない愚痴をこぼしてしまうが、本当はこうして父に稽古を付けてもらえる事が、少年にとってはなによりも嬉しいことだった。


志姫(しき)も修行しよーぜー!」

「やぁぁぁだぁぁぁ文字のお勉強するのー!」


 妹の志姫は相変わらず、べそかきながら父親の足にまとわりついてる。

 声は掛けたものの、特に妹の事は気に留めず修行に戻る少年。

 なでられた頭は、大好きで誰よりも尊敬している父に褒められたような気がして嬉しかった。

 この平凡な毎日が退屈であり、つまらなくもあり、そして幸せだと少年は感じていた。


 ***********


「王牙、志姫、来なさい。集会だって」


 自分らと年の近い子どもなど居ないこの里では、修行以外やることなんてほどんどない。遊ぶといっても探検に出かけたり、志姫のおままごとに付き合ってやったりするくらいだ。

 そんなある日の事、それぞれの修行を行っていた王牙と志姫は母親に呼ばれ、里にある集会場に向かっていた。


「えーまたぁ? 今週の集会はもーやったじゃん」

「またぁぁぁー?」

「アレ退屈なんだよなー」

「お兄ちゃんすぐ寝ちゃうもんねー!」


 兄妹は仲良く、手を繋ぎながら母親の後ろをついていく。

 集会場に入れば、里のみんなは既に集まっていたようで、自分たちで最後だったらしい。

 床の間の前、上座にいるのはこの里の長、王牙達の父親だ。


「集まったな」


 周りの大人達が正座しているのに習って、王牙と志姫も正座をする。

 父は、ぐるりと集会場を見回して全員が揃ったことを確認し、再度口を開いた。


「先の戦争──帝国と革命軍の戦には、我々獣人の一族は干渉せんとしてきたが、そうもいかない事情となった」


 その言葉に、室内が騒めいた。

 王牙の中で、今回の集会に関しては普段の退屈な内容とは違うかもしれないという期待が生まれる。無意識のうちに、少し崩しがちだった正座を正し背筋を伸ばした。


「と言うのも、我らと同じく干渉せんとしてきた元王家……龍崇(りゅうすい)家が、帝国側に肩入れする動きを見せた」


 元王家──むかし、自分たちの先祖が仕えてた死神の一族。今は、死神の象徴と言われながらも敷地から出てこない引きこもりの一族。


「龍崇家の御子息様を、近く帝国軍にやると……龍崇家当主が帝国軍の現王に、そう確約されたそうだ」


 つまり、どーゆー事だろう?と真剣に悩む王牙の耳には、外野の声も入ってくる。


「御子息様って今いくつだ?」

「確か……7つぐらいじゃないか?」

(オレと一緒だ)


「こりゃ将来的に戦況は大きく帝国側に傾くだろうな」

「革命軍も焦ってるだろう」

(そんなつえぇのか、元王家って)


 だけど、そのゴシソクサマってのが帝国軍に入るのと、オレらの一族が戦争に介入するかもしれない話ってどう繋がるっていうんだ。

 そんな疑問を込めて視線を父にぶつければ、父もまた、こちらを見ていた。


「我々一族の存在意義は、龍崇家に仕え、彼らを守ることだ。それは、今も昔も変わらない。龍崇家当主も同じお考えであられる事を示され、この度、主従契約の許可をいただいた」


 ざわつく中でも、父の声はよく通っていた。父が話せば、みんなは静まる。


「近い未来、戦火に身を投じられるであろう御子息様を、我々は守らなければならない。かつて先祖がそうしてきたように」


 一度そこで言葉を区切る父の瞳には、見たことがないほどの、闘志の炎が揺らいで見えた。


「私はこの時を待っていた。これを機にもう一度我が一族で龍崇家に仕える未来を築きたい。これは、ただ破壊する獣に過ぎない、そう罵られ下界の隅に追いやられた挙句、散り散りになってしまった我々獣人を、もう一度繁栄に導く為の希望だと思っている」


 こんなにも力強く語る父は見たこともない。王牙は、父の話に聞き入っていた。もう一度、繁栄に導く為の希望。胸が熱くなる。これはロマンってやつだ。


「御子息様につくという事は帝国軍に加わる事と同義。だが我々が栄光と繁栄を取り戻すためであれば、一族が戦争の道に進むことをも辞さない覚悟だ」


 そう言い切った後少しの沈黙がおとずれたが、ちらほらと聞こえ始めた拍手はいつの間にか大喝采と変わっていた。そこで少し安堵した表情を見せた父だったが、せきばらいを1つしてその顔を厳しい表情へと戻す。


「ただ、主従の契約は一対一で行う事はみんな知っているだろう。そもそも今回の事に関しては、龍崇家当主が個人的に息子を帝国に置くだけで、一族として戦に関わる意志は見せていない。その為龍崇家から主従契約の許可をいただいたのは件の御子息様のみだ」


 そこで、また周りがざわざわと騒ぎ出す。聞こえてくるのは、誰が契約するのか。もし叶うなら自分が行きたい。そんな内容だ。温度が一気に上がった室内を見回して王牙は、立候補制なら自分も手を上げようと考えていた。

 ずっと聞かされ続けた先祖の話。少しだけ羨ましかった。元王家に仕える、退屈なこの里の暮らしから抜け出せる。こんなチャンスが目の前あるのなら、可能性は低くても掴み取るチャレンジくらいはしたい。


「そこで、契約に出す者だが……私の息子である王牙にしようと思う」


 勝手に立候補制だと勘違いしていた王牙は、挙手する準備をしていた右手のやり場を失い、驚いて父を見る。


「ぇ……オレ……?」

「決して父親としてではなく、里の長から見て王牙は、一族の中でも優秀だ。いずれは俺をも凌ぐ狼になるだろう。それに、年が近い方が御子息様の為にもなろう」


 畏れ多いと思う反面、昂ぶっていく気持ちにも、王牙自身気付いていた。

 周りのみんなも賛同してくれているようで、頑張れよ!だとか王牙ならやれる。だとか温かい声が掛けられ、それがさらに王牙を刺激した。


 そうして集会は、熱冷めやらぬままお開きとなった。

 自然と、王牙と父だけが、その場に残る。


「王牙」


 先程とは変わらず、胡座をかいて座る父に、正座で話を聞く息子。先程と違うのは、お互いの呼吸する音や、鼓動でさえも聞こえるのではと錯覚するほどの静けさがこの集会所を包み込んでいるという事。


「先程話した通りだ。時期は明確ではないが、単身、帝国に行って主従契約をしてもらう事になる。わかっているとは思うが、そうそう里には戻って来られない」


 息子は、まっすぐに父の目だけを見る。


「契約するとはつまり、従者になる。従者とは命を呈して主人を守り、いかなる命令にも従う。闘えと言われれば闘い、死ねと言われれば死ぬ。元王家と我々一族の主従契約は、それほどまでに重たいものだ」

「わかってる」

「お前の未来を奪う選択をした俺を許せとは言わない。ただ一族の未来をお前に託したい。宜しく頼む」

「知ってるよ、もともとオレに託そうとしてたんでしょ? ()()()だもん、オレは」


 全く臆する事のない息子の姿勢に、父は驚きを隠そうともしない。

 いや、驚き以上に父としての喜びが勝った。


「あぁ、そうだ。王の牙たる男になって欲しいと思って与えた名だ」

「父さん、教えて欲しいんだけど。死神と契約する事で繁栄できるって、どうして? オレらの一族を売名できるからって事?」

「売名……か、また随分な言葉を知ってるんだな」


 少しだけ失笑しながらも、父は教えてくれた。


「従い、守る事と引き換えに、龍崇家は血を分けてくれる」

「……血?」

「俺ら一族の事を狼男と呼ぶ傍ら、吸血鬼と呼ぶ者もいる。吸血相手にもよるが、血をもらう事で俺らの能力は一時的とはいえ、飛躍的に高まる。この事はお前も知っているだろう」


 王牙はしっかりと頷いた。

 それは、よく知っている。


「龍崇一族は分家も含めて死神の本流と言われている。特に本家の血筋は古代死神の血そのまま、エンシェントと言われるものだ。それだけあって与えられる血の力は絶大だ。従う事で、その血を分けてもらい、俺らの一族は力の真価を発揮した。つまり、従者となる代わりに、力を与えられたというわけだ」

「逆に言えば、血を貰わない限りオレらの一族は本当の力を発揮できやしないって事か」


「そうだ、王牙。この世界ではな、どれだけの自由があっても、力が足りなければ何も成せはしない、無情な世界だ」


 最後にそう言って口を閉ざした父。


“どれだけの自由があっても、力が足りなければ何も成せはしない”


 その言葉の真意は、この時の王牙には理解できなかった。



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