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42話 死なせたくない人

 

──俺にもお前くらいのガキがいてな

 って、そんな顔するな。もうこの話は聞き飽きたってか


──もうこれで最期だ、ちゃんと聞いてくれ


──あいつは一人じゃ何もできないくせに、全部一人でやりたがる

 誰かが見ててやらねえと危なっかしい奴なんだ


──死なせたくない、立派な騎士になんてならなくていい

 あいつには女として幸せになってほしい


──お前は、一番よく見える位置にいるだろう

 俺の代わりに見ててやってくれ。無茶しようとしてたら止めてやってくれ


──頼む、敵だなんて悲しいことは言うな


──ん? あぁ……そうか。確かにまだ教えてなかったな

 オレの娘の名前はな──






「はッ……」


 なんだか物凄く苦しい。

 誰かと会話をしていた気がするが、頭が痛くてそれどころじゃない。

 それに胸部に何か、一定のリズムで圧力がかかっている。


「はぁっ、はぁ…」


 誰かの荒い息遣いが真上から聞こえた。

 息は、圧迫のリズムと重なっている。

 段々と視界がクリアになり、自分の上に馬乗りになる従者のシルエットが浮かび上がっていく。視界が開ければ頭の中も次第に冴え始め、すぐに自分がどういった状態なのか察しがついた。


「もういい! (みん)ッ」

 と、いったつもりだったが、実際はただの咳にしかならなかった。


千聖(ちあき)!」


 意識を取り戻したことに気がついた眠は直ぐに上から退けて、千聖の身体を引き起こした。全身がびしょ濡れになっている所から恐らく、あの後池に飛び込んで引き上げ、直ぐに心肺蘇生を行ってくれたのだろう。


「ありがとう」

「おぅ……心肺蘇生なんてした事無かったけどマジで生き返るもんなんだな」


 額から流れる池の水なのか汗なのかもわからない水滴を腕で拭うその顔は、見た事もないくらいに安堵していた。


「おーい! もう大丈夫だ! ありがとなー!」


 眠が声を掛けた方向に視線を向けてみれば、大きな斧を持った女の子がいる。霊夢(れむ)だ。

 斧をパッと手から放して、こちらに駆け付けてくる。

 きっと眠が蘇生してくれている間、見張ってくれていたのだろう。


「霊夢も、本当ありがとね。助かった」

「ん。大将が助かって良かった」


 これ以上の措置は不要であると判断を下したのか、眠は「はぁぁー」と大袈裟なくらいに息をつきながらその場にひっくり返り、霊無は立ったままにっこりと笑った。


「状況はどうなってる?」

「騎士団は、アランが撤退指示を出した。まだちょいと逃げ遅れたのが残ってるが問題はないだろ。お前が伸びてる間、こっちの旅団は霊夢が指揮をとった」

「南下して南の旅団と合流し帰還しろと指示を出している!」

「了解、指揮はそのままでいいよ、ありがとう霊夢」

「まったく、お前が死にかけてるなんて知ったら軍が大変なことになるだろうからな……一部にしか知らせてねえ。帰っても死にかけたなんて言うなよ」

「……わかった。眠もありがと」


 千聖の言葉を最後に、誰も、何も言わなくなる。

 眠は寝転がって空を見たまま、荒い息を整えている。

 霊夢は地面に視線を落とし、ツインテールの毛先をいじっていた。


「なぁ、レグルスは」

「オレはお前を救うので精一杯だった」


 千聖の発言を遮るように、眠は言葉をかぶせる。

 その表情は苦く、視線は肩越しに、彼の後ろにある池へと向けられていた。

 彼の態度すべてが、レグルスはまだ池の中にいるということを物語っている。


「レグルスを引き上げたい」

「だめだ千聖、今はやめよう」


 思いがけない眠の返答に、池に向いていた千聖の視線は眠へと移った。

 まるで千聖がこう言いだすとわかっていて、そのうえで反対しようと決めていたかのように、眠の返答には迷いがなかった。眠に対する反発心と同時に、“今”ってなんだろう、と千聖の中で瞬時に疑問が沸き上がる。“今とあと”でなにか状況が変わるとでもいうのか。

 第一、確実にレグルスが死んでいるかなんてわからない。

 確かに放たれた矢を見た瞬間、レグルスは死ぬだろうと予測した。

 いや、死神である自らの死すらも覚悟した。

 だが奇跡的に一命をとりとめている可能性だって捨てきれない。

 意識を失った状態で、まだこの池の中に沈んでいるかもしれない。


「死んだかどうかなんて確認しなきゃわからない……もし万が一生きているなら、今なら──」


 しかし千聖の主張は、眠に強く掴まれた肩の痛みにより中断される。

 一体何だと、文句を言おうとし──焦りを含ませた彼の瞳に面食らう。眠が焦る姿なんて、めったに見ない。


「いいか。レグルスは、お前が討った」


 まるで言い聞かせるようにして発されたその発言を、千聖はすぐに理解できなかった。


「いや、おれは討ってない」

「あぁ、オレは見てた。だからだ」

「待て、何言って──」

「明らかにおかしい、意図して殺されてんだよ、お前だって、わかるだろ」

「……それは」

「アランはお前が討ったってことにして撤退した。変な主張はしない方がいい」

「いや、だけどおれらは騎士団じゃない……関係ないだろ」

「関係ないんだから、なおさら関わらない方がいい。明らかに普通じゃないんだ。下手なこと言えば面倒なことに巻き込まれんぞ」


 眠の言っていることはごもっともだ。

 わかってはいる。

 だが、目の前の池に沈む彼には家族がいる。

 生きていても、死んでいたとしても、帰りを待っている人がいる。


 千聖は、従者の主張を振り払うかのように、自分の肩を掴むその手を払った。

 

「権力欲しさに味方を手に掛けるような組織なんて潰してしまえばいい、レグルスには帰りを待ってる人が──」

「冷静になれいいか? お前のすることは内輪揉めしてるような騎士団(てき)を潰すことじゃねえ、帝国と王を守ること。()()()()だろ」


 強く訴え掛ける瞳に見つめられ、たまらず千聖は視線を逸らす。

 その正論を打ち返せる言葉が見つからない。いや、打ち返していい主張ではない。本来であれば従者に言われる前に、将軍である自分がその思考に至っているべきだ。


「それにお前が討ってないと主張する利点なんて特にないだろ?」


 何も返さずにいる千聖に対し、眠は諭すようにそっと、優しい口調ではあるが畳みかけるようにそういった。

 討っていないと主張する利点。

 本来であればその一言は、肯定する決定打になるようなものだろう。

 しかし今の千聖にとってその言葉は、なおさら肯定を遠ざけるものであった。

 

 おれが討ったと知ればあの子は、どう思うだろうか。

 なんて、決して口に出すことが許されない思考が駆け巡る。


 口に出すどころか、そんな思考に至ってしまうこと自体、将軍として恥ずべきことだ。

 敵国の人間に嫌われて、憎まれてナンボの世界だろう。

 顔も知らない娘のことなど、気にしてどうする。


「そうだね。利点なんて、ない……」

「あぁ」


 自分に言い聞かせるようにそう呟いて、千聖は静かに立ち上がった。


天離(あまり)のこと、探してくる」


 千聖が残したその言葉に、眠も、先ほどから一言も発さずうつむきつづける霊夢も、何も返しはしない。この場に天離がいないこと。なにより二人の態度が、予測できる最悪の結末を肯定していた。




 探さなくても直ぐにわかった。

 最後に見た場所からほぼ変わらない所に、彼女は()った。

 右手の義手は間違いなく彼女だ。


 あぁ、やっぱり、そうか。


「ごめん、遅くなった」


 千聖は地面に座り込み、そっとその身体を抱きかかえてやる。

 ピクリとも動かない彼女を見ても、不思議とそこまで驚きはない。

 あの時──右の拳を上げて見せた時、千聖の中ですでにこうなるんじゃないかという覚悟はあった。


 だけどせめてそれならそれで、まだ熱のあるうちに来てやりたかった。

 力無い少女の体を抱き締めても、わかりきってはいるが反応はない。

 千聖は自分の中に今、どういう感情が溢れているのか全くわからなかった。


 天離は、戦場でただ震えていたあの幼い少年を、敵としてみることができなかったのかも知れない。

 おびえる少年を傷つけることができなくて、その末に、隙を突かれた。

 結果は違えどそれは、千聖が昔天離にした事と同じだった。

 おそらく天離の中で昔の自分の姿と少年の姿が重なってしまい、同情してしまったのだろう。


 あの時に王が言った、“同情はどんな武器よりも強い”その言葉の意味が、今になってこうしてようやくわかった。


 同情を抱いてしまった時点で、その手に握る刃には、迷いという錆がついてしまう。



 先日買ってやったばかりの義手が、オレンジ色の空を映していた。

 体中傷だらけなのに、義手には傷一つ付いていない、綺麗な状態。

 何故? と思って直ぐに、“大切にするね!”と元気に言う天離の姿が脳裏に浮かんだ。きっと、傷がつかないよう庇って戦ったのだろう。


 かつて千聖と対峙した時の自分と重なる、目の前の少年。

 千聖からもらった、大切にしたい義手。

 その感情に上乗せされた、千聖との“指示を死守する”という約束──『殺せ』という指示。

 優しい彼女にとっては千聖との全てが迷いになり、足枷になっていたのかもしれない。


 天離と出逢ったあの時、千聖は彼女の姿を見て殺せないと思った。

 だけど、殺さねばいけない、と迷ってしまった。

 迷っていなければ、あの時反応が遅れて咄嵯に向かってくる天離の腕を切り落とすなんて事はなかった、

 彼女は義手になんてならなかった。


 そもそも出陣前、戦場に行きたいと言われた時も、断っていたならこんな事にはならなかった。


 近くにいれば何かあっても守れるかも、なんて。

 自らの立場をわかっていなかった自分の甘さ加減に嫌気が差す。

 それでも、わかってはいても、

 最後に天離を見た時、助けに入れば良かったと後悔せずには居られない。


 今日まで千聖は、ここまで大事だと思う者を亡くしたことはなかった。


 哀しみや寂しさよりも、悔しさや後悔が先に立つものなんだと初めて知った。


 

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― 新着の感想 ―
[良い点] 戦闘シーン、一気に読みました。 どうなるのか気になって、次へ次へとページを捲りました。 激しい戦闘のなかで、優しさが溢れる将軍の想いが痛かった。 この将軍には作者様の優しさがたっぷりと注が…
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