33話 後悔と勘違い
自宅で夕食を取ったあと二階にある自室のベッドに寝転んだ千聖は、何をするわけでもなくただぼんやりと天井を眺めていた。
思い起こしていたのはそろそろ2か月が経つ、ヘーリオスでのあの出来事。
“指揮官は後悔してはいけない”
そんな説教を、他人にした記憶がある。
ヘーリオス共闘作戦での指揮官として、自分の行動や発言には一切の後悔はなかった。
しかし千聖には今になって一つ、とんでもなく後悔していることがある。
──あの娘の連絡先くらい、聞いとくんだった。
スッと、天井に張り付く照明に手を伸ばし、ゆっくりと空気を掴むように拳を作る。
それは、歳相応の男としての後悔だった。
離れた相手と連絡をとる方法なんて、帝国や王国じゃ
“双方が交信をはかるつもりで、且つ同じタイミングで発動させる魔法”
意外に考えられないから、この場合に聞く連絡先なんて魔界の世界でのみ使えるスマホの、通話アプリのIDくらいしかない。
とはいえ彼女が魔界で生活してるかどうかなんてわからないし、むしろ帝国で役職を持っていながら魔界にいる自分たちの方が特異なのだから、彼女がこの世界にいる可能性は低そうだ。けどやっぱり、聞いてみればよかったと後悔せずにはいられなかった。
あの時は遊びにおいでだとか、デートしてほしいとか、いろいろ言ったがどうせ叶わない。
なんせ敵国の天使だ。天使にとって死神は敵で、おまけに彼らの国では死神と恋愛関係になること、体の関係を持つことは極刑に相当する罪となる。それは千聖も知っていた。
体の関係を持ちたいなんて浅ましい欲望はない。断じてない。絶対に。
ああして出会う前にも彼女の事は知っていたし、何度かその姿を目にする機会はあった。
実際に関りを持ってみて、個人的にもっと彼女を知りたいと思ったし、自分のことも知ってほしいと思った。
何よりどこか放っておけない感じがして、さらに言えば彼女の今後も心配で……。
共闘作戦が終わった今でも繋がりをもっていたかったと悩むのは、これから先も力になりたいと考えているからだ。
しかし異性として彼女を誘ったことも明確で……もしも、もしも彼女が帝国に来てくれて、デートの誘いに応じてくれてその後で万が一彼女の方から自分を求めてくるような──なんて、そんなことがあったとしたら、断れない。絶対に。
だって可愛い。見た目はおろか真面目で大人しそうなあの性格も含めてものすごく可愛い。しかしどう考えたって、あの彼女が異性を求めるなんてそんな事はないだろう。可能性はゼロといっても過言ではないくらいにありえない。大胆な姿は想像つかない。
けど……大胆ならそれはそれで──
──ヴーッヴーッ
「ッ!! おれはっ……」
脳内で始まりかけたとんでもない妄想は、着信を知らせるスマホのバイブレーションで中断された。誰に咎められたわけでもないが、その音に対し千聖は反射的に声を出しながら起き上がる。
一体何を考えているんだ。なにが浅ましい欲望なんてない、だ。
あっさり落ちたじゃないか。
自分に対しての怒り、とはまた違うが、ムッとした顔をしながら存在を主張し続けるスマホに手を伸ばし、ディスプレイに表示されている発信者を確認してから通話ボタンを押す。
「……はい」
『おー千聖、今日どうする?』
聞こえてきた親友の声に、先ほどまでのとんでもない妄想など欠片もなくなった。
リラックスしたように肩の力を抜いて、ベッド脇に足を下ろして座り直す。
「どうするって?」
『いやほら。明日土曜日だし、帝国に顔出すだろ? 今からいっちゃう?』
「あー、そーゆー……」
電話片手に立ち上がって部屋の中をぐるっと見渡し、最後に、壁に掛けている時計に目を留める。時刻は23時45分。帝国に移動したところで時差はないから、到着しても寝るだけになりそうだ。とはいえ……このまま自室で一人籠っていてもまた変な妄想をしてしまいそうだから、そんなことするよりは帝国に行った方がマシだろう。
「行こう。すぐ行く?」
『おう、行けるぜ! んじゃ、あっちでな』
眠の言葉を聞いてから通話終了のボタンを押し、それから家族宛てに『帝国に顔出してくる』とメッセージを送ってスマホをズボンのポケットへと滑らせる。
あちらじゃ通信機器としては機能しない。しかしスケジュールや時計、カメラの機能は使えるので、携帯していれば何かと便利なのだ。充電はできないけど。
他に何か持っていくものはないかと考え、なんとなくその辺にあった目薬もポケットに入れて部屋の真ん中へと移動した。
それからすぅと息を深く吸って、目を瞑って意識を研ぎ澄ませる。
足元で徐々に展開されていく、青色に光る魔法陣。
この閉ざされた部屋に風の流れなんてない。しかし、下からの光に照らされた千聖の髪が、まるで風を受けているかのように靡きはじめ──と、そこで部屋の電気を消し忘れたことに気が付いた。
このまま移動してしまうと戻った時に母親から文句を言われる。
『行くのは勝手だけど電気くらい消していってよね』このセリフ、想像に難くない。
かといって完成間近の魔法陣から出るのも億劫に感じた千聖は、静かに左手を、部屋の入口付近に取り付けられている電気の切り替えスイッチに向けてかざす。
まるで “デコピン” でもするように空気を弾いた。
弾いてからすぐにカチっと音がして部屋の電気が消え、光源が足元に広がる魔法陣からの光のみとなる。
今のも魔法の一種だ。弾いた指の周りの“空気を固める”無属性魔法と、それを“弾く”攻撃魔法の併用。力加減を誤れば電気のスイッチごと壁を吹き飛ばすことになるが、そこらへんの微妙な調整は、千聖の得意とするところだ。
死神は魔法を使えない、というのは当たり前だし、有名な話。
しかし厳密にいえば魔力の特性から不得意である、というだけの話だ。
さすがに天使やエルフには敵わないが、幼い頃から触れていればある程度は使いこなせるものである。
そうして、名前を書き忘れて補修になったことなど記憶から消えた彼は、転送魔法が発動する瞬間、光に包まれ不敵に笑ってこう思うのだ。
所詮、おれに出来ないことなんてありはしないのだ──っと。
「おやおやおやぁ千聖くん……なんっだよそのダッセー色のシャツ! レモン色!? 蛍光色のレモン色!?」
身を包む空気の変化を感じ取るより先に、その瞳に帝国の空を映すより先に。
親友──もとい、ここでは従者であるアイツの声がすぐ隣から聞こえてきた。
おそらく千聖よりもわずかにはやく転送してきたのだろう。
薄く瞼を開ければ、広がっているのは帝国の夜空と、すぐそばには白銀色に光る泉。
魔界の何処から転送しても帝国での到着先かならずこの泉のそばになる。
この美しい泉は「廻霊の泉」と呼ばれ、帝国の観光名所としても有名だ。
というのはさておき、今の発言はなんだ?
「今、この色を馬鹿にした? それともこれをチョイスしたおれ?」
「色は悪くねぇ、お前だな」
「何色着たっていいだろ、どーせ顔で他に勝てるんだから」
「あぁそーだな……オレ千聖の顔好みだ」
「整形しようかな」
はーぁ、なんてため息をつきながら、空を仰ぎ見た。
泉の光は明るいが空に散らばる星の輝きを邪魔したりはしない。
本当に、綺麗な世界。
夜空を見上げたままふと、昼間の眠とのあるやり取りを思い出した千聖は、ポケットから財布を取り出し、さらにそこから万札を三枚抜き出して、隣に佇んでいる眠にそれを差し出した。
差し出された本人は、何のことか見当つかないらしくきょとんとした顔をしている。
「昼間借りた金、返すよ」
「は? いやでもオレ貸したのって一万だけ──あ……もしかして “一万分のアレ” が嫌だったのか!?」
「あたりまえだろ! 冗談ってわかってても嫌だ!」
急に声を荒げて怒り出した千聖に対し、一瞬面食らったような顔をした眠は、何か言いにくそうに、足元へと視線を落とした。その様子を “シュンとした” 姿ととらえた千聖は冗談に対してちょっと怒り過ぎたかも、なんて逆に申し訳なくなってくる。
「なんつーか、オレ彼女とか、いねーし。夏休み普通に色々遊びに付き合ってほしいっつーか……そーゆー意味のアレ、なんだけど」
「え……?」
「ほら、遊びに行くにも金ってかかるし。一万円分くらいオレとの遊びに使ってよって意味で……つーかさ、逆になんだと思ったんだ?」
「ぇ……」
千聖の動きがピタリととまる。
「オレが一万円分の何を要求すると思ってたんだよ。冗談でも何が嫌?」
「え! いや……」
「言ってみろ、オレ気を付けるから」
真剣なまなざしで両肩を掴まれ問われる。
“一万円分のアレに付き合え”の言葉で何を想像していたのか、と。
言いたくない。幾ら金を積まれようが言いたくない、が、目の前で勘違いして落ち込んでいる親友をこのまま凹ませておくのは忍びない。親友か、恥か、天秤にかけてどちらに傾くかは明確だ。
「あの、ですね」
千聖は重たい口を開いた。親友を選んだのだ。
「お前さ、よくおれに変な冗談言うじゃん。おれそーゆーの、あんまり好きじゃなくって……だからその、今回の冗談も、てっきりいやらしい意味で──」
言いかけて見つける、悲しげな表情の奥に揺れる獣の尻尾。
本人に自覚はないのだろう。ご機嫌に、左右にぶんぶんと振れている。
申し訳なさそうに言葉を探しながら説明するこっちの反応を楽しむかのように、派手に尻尾を振っていやがる。この野郎。わざとか。そーゆーことか。
言葉を紡ぎかけたその口を静かに閉ざす。
未だ “親友に嫌われて悲しい” 風を装うその顔に、千聖は──
「転生でもして頭冷やしてこい」
綺麗な回し蹴りをぶちかまし、白銀に輝く泉へと己の親友兼従者を叩き落した。
きらりと光る水しぶきのなんと美しいことか。
この世界に生きることができて、なんて幸せなんだろう。
「よし」
王の待つ城は、ここから歩いてすぐの位置にある。
その城目指して歩き出し──千聖はおもむろに、視線を足元まで落とす。
寛いでいた自室から着の身着のまま転送してきてしまったため、その足は裸足であった。
城までの間、将軍が帝都をレモン色のシャツに裸足姿で歩くのはさすがに……。
「あーー眠、おれ靴忘れた! マジごめん、おぶって」
「貴方が落としたのは金の靴ですか銀の靴ですかそれともオレですか」
「お前です」
「いいだろう」
全身べちゃべちゃになった従者におぶられ、自らもべちゃべちゃになっていく。
因果応報という言葉を痛感したのは、丁度日付が変わるころだった。




