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32話 一万円分くらいのアレ

 

千聖(ちあき)、ごめん」

「いや、あのまま食い下がってたら(みん)まで補修になってたし、そもそも悪いのはおれだから」


 屋上のフェンスにもたれかかり、悔しそうにパンを(かじ)る眠。

 千聖はその横に腰かけて弁当の蓋を開けた。

 テストに名前を記入し忘れ見事0点となってしまった千聖は、呼び出された職員室にて必死に交渉するも惨敗。参戦した眠も、千聖以上に担任へ食い掛っていたが、虚しく夏休み後半の補習を免れることはできなかった。


「まぁ、ほら今のところ前半は遊べるんだし……どっか行きたいって言ってなかったっけ? 遊園地とか、なんとか」


 千聖本人よりも必死に教師を説得し、本人よりも落ち込んでいる親友の姿がいたたまれなくなる。自分のために一生懸命になってくれたせめてものお礼にと、遊園地の提案を匂わせてやれば、言葉なんて必要ない程に満面の笑顔が返ってきた。

 こんなにわかりやすく顔に出されるなんて思ってもいなかった千聖は、そんな笑顔に思わず面食らう。


「行こうよ、遊園地行くくらいの時間はあるだろ」


 たった一言でここまで喜ばれたことに少しだけ照れ臭くなって、小さく言葉をつづけながらも、視線を手元の弁当に移した。

 弁当の中身は少し焦げた歪な卵焼きに、唐揚げ、冷凍のミートボール、昨日の夕食のあまりのコロッケ……ずいぶんと茶色い。今朝の弁当係は確か姉だ……これなら自分で作った方がまだ色合いがいい。なんてことを頭の片隅で考え始める。


「絶対一緒に行ってくれるって思ってオレ既にリサーチしてたんだ! それで今日も遅刻したっつーか!」

「お前……」

「ほらここ! 『夜戸(やと)メルヘンエンパイア』ってとこなんだけど──」


 あまりにも呆れてしまうような真実にツッコミをいれる間もなく、爆発的なまでに上げられたテンションのまま手渡されたスマホの画面には、とある遊園地の公式HPが映し出されていた。

 とりあえずツッコミはあとで入れるとして、まずはどんな遊園地を見つけてきたのか、その確認を優先することにした。


「ここ入園料が他より安くてさ。しかも千聖絶叫系苦手だろ? ここそーゆーのはあんましないみたいで……ここならどーかなーって」

「けどお前はそーゆーが好きなんじゃないの? いいよ好きなところ選びなよ」

「どーせ行くなら千聖も楽しめる方がいーじゃん」


 映し出されている画面をスクロールで進めていっても、紹介されている遊具はメリーゴーラウンドや観覧車のような乗り物が多く、ファミリー向けであることがうかがえる。

 確かに絶叫系が少ないのはありがたいが、男二人で行って大丈夫だろうか、浮いてしまわないだろうか。


「ここどこにあるの?」

「ちょっと遠いんだけど夜戸市ってとこ。遠いとダメか?」

「いや、別にそこは問題じゃないんだけど」


 千聖の記憶の何かに、夜戸市という響きが引っかかる。行ったことはないのだが、どこかで、何かで聞いたことがある気がする。一体なんだったか──


「何、男二人で遊園地って。やっぱアンタらって付き合ってたの?」


 スマホ画面に映し出されている『夜戸』の文字を眺めながら一生懸命思い出そうとしている最中、急に真横から聞こえてきたトゲのある少女の声。

 その人物の登場に何の気配も感じなかった千聖は、驚いた反動で箸を膝の上に落とした。

 もう少しで思い出せそうだったのに、と不満の表情を隠そうともせず、隣でしゃがみ一緒になってスマホをのぞき込む人物に顔を向ける。


挿絵(By みてみん)


「おぉ舞ちゃん、久しぶりぃ」

「お久しぶりです、(ほむら)先輩」


 千聖に対しキッと睨みを利かせつつも突然現れたその少女は、名前を呼ぶ声の方向には愛想のいい笑顔を向けた。

 綺麗な金髪に、性格のキツさを物語っているような鋭い灰色の瞳。

 シャツをぎりぎりまで解放した胸元には、校則違反にあたる規定外の派手なリボン。それから生活指導を受けてもおかしくないくらい短くされたスカート。いかにも『不良』な彼女──風華(ふうか) (まい)は、やはり校内でその名を知らない者などいないくらいの不良である。

 学年で言えば千聖と眠の一つ下の3年になるが、敬語を使わず偉そうに絡んでくるのは千聖とは家が隣同士の関係にあり、幼少期この魔界で人間として過ごした千聖にとって、彼女は幼馴染であるからだ。小さい頃は「ちあきくん、ちあきくん」なんて言ってあんなに可愛かったのに、いつの間にやら一切フォローが出来ないくらいの不良娘になってしまっていた。残念極まりない。


「夜戸市って、結構前に物騒な事件があったトコじゃない?」

「そうだ、それ! 思い出した!」

「物騒な事件?」


 意外にも聞き覚えの答えを舞がくれたことに少しだけ驚きながらも思わず声を張ってしまった千聖に対し、舞は「うるさい」と言いたげな顔で睨みつける。

 一般生徒であれば委縮してしまうようなそんな視線にも、これまでいやというほど晒されてきた千聖はもう慣れていた。何も気に留めず、きょとんとした様子で聞き返す眠に顔を向ける。


「一時期ずっとニュースでやってた。連続で惨殺事件があったって。しかも事件の影響で一時休園してた市内の遊園地があって……もしかしなくてもそこじゃない? お前のリサーチ甘くない? 遅刻するまでリサーチしてたとか嘘でしょ?」

「惨殺事件……恐ろしいじゃねーか!」


 オーバーリアクションを取りつつ、お化け出るかもしれねぇじゃん怖ぇ~なんて言いながら紙パックの牛乳を飲みだす眠。ちなみに、横についているストローは完全に無視され、紙パックの上部が雑に開かれている状態だ。ちなみに千聖の指摘も完全に無視されている。

 絶対コイツ言うほどビビってねーだろ、なんて思いながら豪快に牛乳が飲み干されていく様子を眺めている千聖のシャツを、舞がくぃっと引っ張った。


「ねぇ千聖……犯人ってニンゲンだと思う?」

「え、なに。夜戸事件の?」


 舞は種族で分類すれば人間だが、ここ魔界で千聖と眠が“人間ではない”ということを知っている数少ない人物のうちの一人である。

 先ほどまでの睨みはどこへいったのか、微かな不安を孕んだ瞳で千聖を見てきた。


「わかんないよ。そもそもおれ、事件に関係ないし」

「関係ないって……アンタ帝国の──」

「関係ないよ、人間の世界(こっち)で起きた事件だし犯人死んでなかった? っていうか、何か用事があったからここに来たんじゃないの?」


 そんな風に聞いてやれば、あ! と声に出しながら、急にまた意地悪で、性格の悪そうな表情に戻る。さっきはちょっと可愛いなと思ったが、やっぱなしだ。


「アンタに金借りに来たの。貸しなさいよ、二万くらい」

「……結構な額だな。何に使うの?」

「聞くな変態」


 果たして返してもらえるのだろうかと疑問に思いつつも、千聖は制服のポケットに突っ込んでいた長財布に手を伸ばす。2万も入ってなかった気がする。

 ちらりと覗けば、かろうじて1万円と千円札が数枚入っていたが、やはり2万には届かない。2万なんてもってない、なんて言ったらまた悪態つかれるんだろうなーと考えはじめたところで不意に、隣に腰かけてきた眠に耳打ちされる。


「オレが千聖に1万貸そうか」

「なるほど……よかったな舞、今度ちゃんと返してよ」

「炎先輩まで、すみません……」


 千聖に対してお礼を言うことはないが、眠に対してはきっちり頭を下げるその姿がちょっと腑に落ちない。頭を下げろなんて思いはしないが、せめてありがとうの言葉くらいほしいというのが素直な気持ちだ。


「貸した金は別に現金で返さなくてもいーから」


 ムスっとしている千聖の横で、眠がニコニコしながらそんなことを言う。

 発言の意図がいまいちつかめなった二人は、眠の方へと視線を向けた。


「オレ最近女の子との出会いがなくって色々持て余してんだ! オレと一万円分くらいのアレを──」

「最ッ低!」


 この青い空の下、パァンと乾いた音が景気よく響き渡る。

  耳元ではじけた音の直後、焼けるような熱さと痛みを感じた左の頬を手で抑えたのは──千聖だった。

 眠が最後まで言わずとも、何を言おうとしたのかを悟った少女は、そのまま、2万を手にして走り去っていく。


「いってぇーッ! なんでおれッ……!」

「すっげーいい音したよな」


 痛みと理不尽さに、目に涙を浮かべながら今度は千聖が眠をにらみつける。

 口角は上がっているが、眉尻を少し困ったように下げながら眠は、少女が消えていった屋上の出入り口を眺めて、首筋を掻く。


「おれが殴られたの、お前のせいだからな」

「……千聖もさ、借りる相手を間違ったな」

「は?」

「お前に言ってんだよさっきの。舞ちゃん勘違いさせちゃったみてーだけど」


 今度はニシシっと変な声を出しながら満面の笑顔をその顔に張り付けてきた。

 眠の発言と笑顔により、不満たらったらだった千聖の表情が、一瞬で無表情へと変わる。

 もちろん、一連の発言は冗談で、からかってきているのは理解している。が、むかつくものはむかつくのだ。


「今日中に3万渡すからそれで手を打ってくれ。ついでに遊園地も却下で」


 眠のリアクションを一切気に掛けず、それだけ言い残して千聖は舞の後を追うように屋上を後にした。


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