24話 姉御肌
深緑の長髪を後頭部の高い位置で一つにまとめ、いわゆるポニーテールと呼ばれる髪型をした女性がそこにいた。
紅いつり目に、第一声の口調が相まって少しキツそうな印象を受けるが、緩やかな弧を描く唇が全体のキツさを緩和している。
帝国兵なのだろうが、少なくとも上半身に軍服は身に付けておらず、黒色のビキニのような布のみというなんとも妖しい格好だ。
思わず最低限しか隠されていないその胸に視線がいってしまうルナだが、同じ女性とはいえ失礼にあたる、とあわてて視線を彼女の顔まで引き上げる。
作戦開始前に見かけた記憶のない人物だが──
「おぉ怜那久しぶり」
「おひさー。その子がルナちゃん?」
不意に呼ばれた自分の名に、驚いてもう一度怜那と呼ばれる女性を見つめた。相手が自分の事を知っているのなら、こちらにも彼女を知る機会はあったかもしれない。
目の前の彼女は誰である可能性が高いのだろうかと、記憶を辿っていくルナだが、答えに到達するよりも先に千聖が口を開く。
「そう、騎士団医療部隊長のルナさん。で、こっちがヘルフィニス帝国基地の兵士を取りまとめてる怜那少将」
「ヘルフィニスの……! この度はありがとうございます、怜那少将」
ヘルフィニスと聞いて、ルナは勢いよく立ち上がり思い切り頭を下げた。
作戦時、千聖が増援を依頼したそうで、この部隊の到着が速かったから騎士たちの負傷も少なかったとフォールハウトから聞いている。
この怜那という人物も、騎士たちにとって命の恩人となったうちの一人だ。
「いんや、こっちも色々と世話になったみたいで! 眠から聞いたよ、霊夢が助けられたって。ありがとな」
「いえ! もともとは霊夢さんがボク達のことを守ってくださっていたので……」
深々と頭を下げるルナとは対照的に、怜那は軽い調子で手をひらひらさせながらコップに口をつけ、一口飲んでからまぁ座りなよ と声を掛ける。
ルナが席に座ったのを見届けてから、千聖は怜那に話し掛けた。
「そういえば援軍がすぐに来たって聞いたけど。もしかしておれが要請出す前に軍出してた?」
「あー、そーそー。大将から要請くる前にさぁ、実は出してたんだよ。霊夢からの報告がいつまでたっても来ないもんだから、最悪とっ捕まって捕虜なんかになってたらやべーなって思って様子見さ」
そこで言葉を区切ると、目の前の皿から骨付きの肉を掴み取り、豪快に齧り付く。
男勝りな怜那の動作をルナは食い入るように見つめていた。断じて軽蔑などではない、むしろ向けているのは憧れるような眼差しだ。
やはり基地一つ任されるような者は、このくらい豪快であるべきなのかもしれない。
是非とも見習いたい、などと考えていた。
そしてあっという間に一つの肉を完食した怜那は、また飲み物を一口分流し込んでから、ニッと笑う。
「ま、オレは大将からの要請で出撃した隊と一緒に向かったから、現着したのは遅かったけどな」
「なるほど、それで一陣目がやたらと速かったのか」
二人の会話を聞きながら、ルナも先ほど怜那が掴んだ肉塊と同じものを手にしてまじまじと観察し──口に入れやすそうな部位に狙いを定めて、噛み付いてみた。
簡単な事から真似してみよう、そう思ったのだ。
「今回はおれも霊夢も運が良かったみたいだ」
「ルナちゃんがアタマじゃなかったら共同作戦自体無かったろーし、ヘルフィニスでの戦争になってたかもな」
「そうだね。だからルナさん、本当にありが……」
思いのほか硬く、なかなか噛みきれない肉に気を取られていたルナは、完全に油断していた。
二人で話し込んでいるものだから、当分コチラに話を振ってきたりはしないだろうと思っていたのに。
そんな予想も虚しく、突然千聖は体の向きをルナの方へと変えたのだ。
そして一生懸命に肉を噛み切ろうとしているルナと目が合った彼は、言おうとしていた言葉を途切らせる。
「ふんっ……う!!!」
急に話を振られたルナは焦っていた。
視線がかち合った際、千聖は驚いたのか一瞬目を見開いていた。とんでもなく恥ずかしい。
すぐに口を離したいが、まだ噛みきれていない肉から口を離すのは気がひける。
それなりに奮闘していたから、きっと噛みついていた箇所はズタズタになっているだろう。そんなモノを晒すわけにはいかない。だからといって彼の視線に晒されながら再戦に踏み切る勇気もない。
「よし……噛み切ろう! 思い切り!」
挙げ句の果ては、応援された。
いや、見て見ぬ振りされるよりは全然いい。
早くこの状況から抜け出さねばと本気になればなるほど、先程まで騒がしく感じていた酔っ払い達の騒ぎ声は、どんどん遠ざかっていく。
「そうだ! ルナちゃん、思い切りだ! この際歯に挟まるかもなんて考えるんじゃねーぞ! 思いっきり肉と顎を引け!」
「んんーっ」
怜那に言われた通り思い切り引けば、思いの外簡単に肉は千切れてくれた。
隣で千聖が おぉ と小さく感嘆の声を漏らす。
一口目でこれなのだから、続く二口目、三口目には不安しかない。ましてや完食など可能なのだろうか。
難しい顔で齧りかけの肉を眺めるルナに、見兼ねた怜那がニカニカ笑いながら声を掛けた。
「それ……貰おうかルナちゃん」
「うぅ……お願いします」
怜那の優しさに甘えながらも、自ら手を伸ばしておきながら他人に押し付けてしまったこの結果を受けて、ルナは自己嫌悪に陥っていた。
そしてほんの少し話しをしただけだが、うかがい知れる彼女の面倒見の良さ。
ルナ自身も面倒見がいいとほめられることはあるが、それとは違う、彼女に付いていきたいと思わせてくるような面倒見の良さだ。こーゆーのを姉御肌というのかもしれない。
「それじゃ、おれ眠のとこ行ってくるかな。放置しててもいじけそうだし」
「あっちのほうに居たぜー」
事の結末を見届けて満足したのか、近くにあったおしぼりをルナに差し出しながら、千聖が席を立つ。何故だろう? とルナが受け取ったおしぼりに気を取られているうちに、彼は怜那が顎で指した方向に消えてしまった。
怜那は相変わらずニヤニヤした顔で千聖の背中に手を振っていたが、姿が見えなくなったタイミングで急に真顔になり、ずいっと身を乗り出してルナに衝撃の事実を告げる。
「……ルナちゃん、お口についてるよ」
「っ!?」
「オレがふいてあげよっか」
そのまま、ルナの回答を待たずに手からおしぼりを取り上げて、意気揚々とルナの口元を丁寧に拭いていく。されるがままなルナの顔は、またしてもあっというまに赤くなってしまった。拭き取られているこの状況、とんでもなく恥ずかしいが、一番問題なのは千聖におしぼりを渡されたということだ。
「大将も悪い男じゃあねえからさ、もし嫌じゃないならデートくらい付き合ってやってよ」
「なっ……け、けっして……嫌というわけではっ……ですが……」
「ま、それよりも先にヘルフィニスに来たらオレともデートしてくれないかな」
「で、でも! 怜那少将、女性では……」
「デートに性別何て関係ねーさ。しっかし、合流したときに帝国兵から可愛いって聞いてたんだが本ッ当に可愛いなーあんた!」
帝国の人たちは恋愛における性別をあまり気にしない、昔誰かから聞いたそんな話を思い出した。怜那の場合は単にからかっているだけの可能性もあるが、どちらにせよ姉御肌でちょっとカッコ良さすら感じる分、タチが悪い。
それに、まさか兵士たちが自分の事をそんな風に言っていたなんて。
「あの……そういえば」
「お? 」
“兵士と合流した”との発言に、そういえば戦場に居たのならばもしかしたら見かけた可能性があるかもしれない、そんな風に思ったルナは、怜那にもステラの事を聞いてみることにした。
「医療部隊の一人に赤い髪の女の子がいるのですが……作成開始以降姿を見ていなくって……戦場ではお見掛けしませんでしたか?」
問いかけに、彼女は記憶を辿るように視線を横に向けるが──
「いや、赤髪の女子だろ……医療部隊ってカンジの子は見かけてねえけど……ここにも居ないのか?」
「はい……」
やはり怜那もステラの事は知らないみたいだった。
期待して聞いたわけではなかったが、むしろ予想通りの“知らない”との返答に、彼女の身を案じる気持ちは強まる。
怜那もルナを気遣って、ぐるりと一周、食堂内を見回した。
「人が多すぎてちょっとわかんねえな」
「そうですね……もしかしたら本当に人が多すぎるだけかもしれませんので、もう一度探してみます!」
「おぅ、オレも意識して探してみるよ」
本当に、タイミングが悪いだけですれ違っている可能性もある。
ルナは立ち上がって怜那に礼をした後、もう一度食堂内を一通りみてから、それでもいなかったら重傷者を寝かせている部屋を覗いて来ようと、その場を後にした。




