16話 罠_2
上空からこの地全体を見下ろしたルナは、地雷の配置が迅の後ろから一直線上に、あえて道を残したものであることに気がついた。
余りにも不自然なその配置は、まるで迅の元へと誘導するかのよう。
先ほど千聖が言った“迅は武闘派だ”という情報が頭をよぎるが、いくら近接戦に持ち込むよう誘導したとしても、地雷に囲まれた場所で格闘するなんて埋めた本人でも踏み抜くリスクがある。
これは間違いなく迅本人をオトリにした罠。
迅か、もしくは迅のそばに何かしらの仕掛けがあるはずだ。
落とし穴でも掘った? などと推測しながら迅の周囲に目を凝らせば、すぐに答えは見つかった。
近くの岩や木に括りつけられたワイヤーが、少しの弛みもなく迅の周りに張り巡らされている。
光の角度によっては視認する事が難しいだろうそれは、もちろん地雷で誘導するかのように作られた直線の先にも仕掛けられていた。
ワイヤーに引っかかって転びました。で終わる話ではない。
死神の身体能力は高く、走る速度も速い。
その中でも帝国将軍はやはり帝国軍の筆頭だけあって群を抜いている。
“秩序なき神速”
一部の死神のみが使える、魔法とは別の原理で発動させる超加速。
炎のような光を足に纏った姿は、地を駆ければ一瞬の閃光としてしか他者の目には映らず、ほとんどの者は残像すら捉えることができない。
現在、騎士団で把握している限り“秩序なき神速”を行使できる死神は現将軍である千聖のみ。
“消えたようにみえる”、“見た頃には消されている”なんて噂から、符丁で彼を示す場合には“イレイザー”と呼ぶ程、騎士団の中でも有名な話だ。
いまここでそれを使わずとも、彼が先手を取るために出すスピードは、ワイヤーに引っ掛かった部位を勢いで切断するには十分なスピードだろう。
下の地雷に気を取られれば、上のワイヤーには気が付きにくい。
これは帝国将軍の為に用意された罠だという事は一目瞭然、本人に伝えなければと千聖に目を向けるが、運悪くちょうど地面を蹴ったところだった。
地雷に注意しながらも一気に迅へと迫る彼からは、やはり罠に気づいている素振りが見られない。
回避させる方法を考えるよりも先に、ルナの頭をよぎったのは、先刻彼の従者が彼を電撃からかばう為にとった行動。
気がついた時には、ルナは自ら手の中に生み出したナイフを、千聖が掛かりそうなワイヤー目掛けて放っていた。
間に合え!と強く念じて力一杯に投げられたナイフは、後ろから千聖を追うように空気を切り裂きながら飛んでいく。そして、従者の放った短剣のように彼の真横ギリギリを掠めて1つのワイヤーを切り落とした。
ワイヤーを切り落としてなお飛んで行こうとするナイフを迅の目に触れる前に消滅させてから、ルナは急降下する。
千聖は数歩後ろに下がり、後ろの気配に気が付いた迅は振り返ろうしていた。
このままいけば先制は失敗──どころか地雷が埋まったフィールドで相手の得意とする近接戦に持ち込まれるだけだ。
(注意を引きつけないと……)
気をひく方法なんて、今のルナには1つしか思い浮かばなかった。
千聖からは敵の攻撃が届かない程上空からの援護を指示されていたうえ、地面に足をつけるなとも言われたが……。
ルナはふわりと地面に降り立ち、二刀のナイフを構えて迅と正面から向かい合う。
目の前に現れた天使の姿に、迅は少々驚愕するような眼差しを向けながらも、「ほぅ」とどこか感心しているような吐息を漏らした。
「貴方を革命軍所属の迅様とお見受け致しますが……この軍の指揮官は貴方か」
「ご丁寧に正面から登場なぞ、律儀なお嬢さんもいたもんだ」
身長は2m近くあるだろうか。
上から見ていて大柄だなという感想をもったが、同じ地面に立ち、正面から向かい合うとその迫力は数段増した。
分厚い両腕に嵌められている鉄でできた籠手は、斬撃から守るためだけではなく、彼自身の拳の威力を上げるためのようにも見える。
迅は目の前に立つルナの姿に、にぃと微笑むと左手で首元を抑えながら右肩を大きく、ぐるりと回しはじめた。
「嬢ちゃんの言う通り、オレがこの軍を率いてる。嬢ちゃん、あんた騎士団のアタマだな?」
迅の問いに、ルナは何も答えない。
答えないが、腰を低く落として深く構え、そして一言、低い声で言い放つ。
「ご覚悟を」
足元には地雷。ところどころに肉を裂かんと張り巡らされているワイヤー。対峙するのはこの戦で散々騎士団を苦しめてきた敵将。
今までなら、どんな感情よりも恐怖が心を支配していたはずの状況だが、しかし今は不思議と恐怖は感じていなかった。
地雷の位置は今のところ目視できる。
ワイヤーが仕掛けられた場所も、大方記憶した。
迅の攻撃に当たりさえしなければいい。
目的はこの後将軍が動きやすいようにワイヤーを切断すること、それから迅に一太刀加えること。
一瞬の睨み合いの末、先に動いたのはルナだった。
足元では器用にステップを踏んで地雷を避けつつ、張られたワイヤーをナイフで弾いて切断しながら迅との間合いを詰めていく。
迅の目の前に躍り出た時、まるでこちらを試すような横薙ぎの拳が迫ってくる。
その拳をしゃがんでやり過ごしつつも左手が地面についた際、握るナイフを逆手に持ち替えた。
急いでその場から飛び退けば、すぐに元いた場所に拳が振り下ろされる。
何も捉えることが出来なかった拳はそのまま地面に激突し、大きなヒビを入れた。
その威力にもひるむ事なくルナはもう一度突っ込んでいく。
今度は軽く飛び上がり、順手で握った右のナイフで迅の胸元に切りかかった。
そのまま大人しく斬り付けられてくれるわけなどなく、ナイフの刃は迅の左腕に嵌められている籠手により弾かれる。弾かれたナイフは手から外れ飛んでいき、消えて無くなってしまった。
しかしこれは作戦通りだ。
ルナはすぐに左の拳で迅の頬を殴りつけようと動く。
もちろんそんな単純な攻撃が迅に通用するはずもない、少しだけ身を反り返らせる事でいとも簡単に回避され、ルナの拳は虚しく空気を殴りつける──が、流れるようにその軌道を変えた。
そのまま切り返すように、左で逆手に握ったナイフの刃が迅の頬をねらう。
「うお……!!」
呻きながら大きく身を引く迅。
かわされたナイフは、辛うじて迅の鼻先を掠める。付けたのは、ほんの少しの切り傷程度。
だが、ルナは飛び退く迅の影から短剣で斬りかからんとする千聖の姿を捉えていた。
あれからずっと、決定的な攻撃の隙を待っていたのだろう。
彼という存在の心強さに、思わずルナはその顔にわかりやすい程安堵の色が浮かべてしまう。
その視線の動きと表情の変化を、迅は見逃さずに捉えていた。
彼女の視線の先を追ったわけではないが、たしかな殺意を背後から感じ取った迅は咄嗟に左腕を首の後ろに回す。
──キィィイィン
響いたのは金属同士がぶつかる音。
「まさか、と思うたが」
「バレたか」
迅の左腕の籠手が、千聖の斬撃を弾く。
千聖は弾かれる衝撃に逆らうことはせず、素早く後ろに下がって再び剣を構えた。
迅は一度地面に片膝をつきながらも間をおかずにゆっくりと立ち上がる。
そして背後にいる千聖を警戒しながらも、正面のルナに向き直った。
「殺し合いってのは視線と呼吸の読み合いなんだよ嬢ちゃん。残念だったな」
挟まれてもなおニヤリと笑い、顔色すら変えない迅の余裕な態度に、ルナは唇を噛む。
2対1は一見有利に思えるが、数字のまま有利に事が運ぶよりも自分が千聖の足を引っ張る展開の方が、大いにあり得る。
迅もそう読んでいるからこそこの余裕を見せているのだろう。
「しかしまぁ帝国将軍に取り入ったとなりゃあ女とはいえなかなか侮れはしないか」
肩越しに、構える千聖を眺めて薄く笑う。
千聖の見ている角度からその表情はつかめないが、ルナのことを悪し様に罵っているのは声色から十分に感じ取ることができた。
「要するにあんたもタダの男ってワケだ? 龍崇千聖よ」
「……タダの男で何が悪い」
わかりやすい煽りに乗りながら、千聖はすでに次の計算をはじめていた。
視線の先で地面の地雷を辿っていく。
ワイヤーはルナが取り除いてくれたが地面の地雷は未だにすべて埋まったまま。地面が乾く前の今なら配置場所がわかるが、そもそも本当に埋まってるのかそこがまだ不明だ。
まさか罠だけで確実に仕留められるとも思ってないだろうが、かといって迅に地雷の中で乱闘する気があるのかといえばそれも微妙だろう。
可能性があるとすればいくつかは本当に埋めているが、殆どはただ土を掘り起こして何も埋めずに戻しただけのハッタリ、というパターンか。
「まったく若いねぇアンタら。己の信条を捻じ曲げてまで勝ちに来たか、それともただの逢引か?」
「戯言をっ……!!」
遂に動き出したルナと受ける構えにはいる迅を、千聖はちらりと見やる。
あの二人が地雷を踏んだ場合、爆発を回避することは出来ない。
迅が踏む分にはどうぞご勝手にと思うが、ルナが誤って踏み付けてしまうのは不味い。
死にはしないだろうが大怪我を負うのは避けられないし、彼女を見捨てる事など出来ないから、つまりはその時点で負けだ。
(おれが全部踏んで爆破させてしまえば……)
地雷をすべて爆破処理してしまえば、敵がかかる可能性はなくなるが味方が負傷するリスクもなくせる。
「はっ、一撃が甘いな」
「一撃の重さよりっ、手数です……!」
「蹴りも浅い!」
剣撃に蹴りを混ぜ、連続攻撃でたたみ掛けようとするルナ。迅はそれを的確且つ最小限の動きでかわし、たまに攻撃を仕掛けては今度はルナがそれをかわす。これだけ見ていればルナの方が多少劣勢に見えるが、彼女にはまだ魔法という手段も残されていることを考えると互角か。
(いやでも待てよ、本人も被弾覚悟の飛散型の地雷だったら、ルナさんの傍で爆発するのは不味い)
二人の攻防を観察しながら一人地雷への対処に頭を悩ませる千聖は、ふと迅の足の動きに目が止まる。
ルナと繰り広げる攻防の中でも絶対に足を付けない箇所がある。
特段、他と変わった様子はないがその一箇所を避けているのは明らかだった。
避けているが離れはしない、まるでそこへの着地を誘っているような戦い方。
(あそこか……!)
気付いた千聖は二人の元へと駆け出した。
ルナは飛び上がり、斜め下にいる迅に刃を突き立てようと突っ込んでいく。
おそらく迅は半歩後退するかたちで攻撃をかわし、あの場所を跨ぐように立つだろう。
きっとルナに深追いさせて次の攻撃を誘い、横に逸れて踏ませるつもりだ。
千聖の読み通り、迅は上からの攻撃を後退することで避け、ルナにあとを追わせた。着地したルナはそのまま迅にナイフを突き立てるよう突っ込んでいき、案の定迅は横に逸れてあえてルナに次の着地場所を作る。
当然のようにルナがそこに足をつけようとする、が──
──キィンッ
「くっ」
「ぇっ……!?」
ルナの足が地面につく前に、千聖が二人の間に飛び込み、割って入った。
左半身を迅にぶつけて突き飛ばしながら、左手に持つ短剣で己の右半身をカバーするように構え、ルナの斬撃を受け止める。そのまま右手でルナの腕を掴み、その場を離脱した。
「龍崇将軍!? 一体っ……」
「迅の足元、怪しいよ。今ルナさんに踏ませようとしてた」
「ということは……あそこに地雷が」
「多分ね、他に誘導する動きはないからあそこだけだと思う。逆に踏ませてやろう」
中腰で迅を睨みつけながらそう語る千聖の顔をみて、ルナは大きく頷いた。
「次はおれが仕掛けるから、隙ついて魔法を撃って。おれのことは巻き込んでもいいからね!」
言い終わる前に駆け出していくその背中を、すぐさまルナも追う。
「おれからも言わせてもらう、覚悟しろ!」
「遂に来たなぁ!」
繰り出した短剣と、それを受ける籠手が何度もぶつかり、派手に火花を散らす。
千聖が脇腹を狙って薙ごうとすれば、迅は身をよじりながら腕の籠手で一撃を弾き、その反動を使って繰り出す右の拳を、今度は千聖はしゃがんで回避する。
頭上に拳が通過する風圧を感じながら、千聖は右手を後ろに回し、ここまで出現させてこなかった己の武器を創造した。
一方でルナは、千聖が屈んだタイミングで迅に向かってナイフを放っていた。
見事にかわされたナイフは地面に突き刺さったが、それを消滅させることなく次の狙いを定めようと視線を巡らせ──ふと映り込んだ、千聖の生み出した武器に目を奪われる。
彼の身の丈程もある大鎌。
もっとも死神らしいそれは、彼が持って生まれた武器、彼自身の魂が持つ武器だ。




