第71話『喧嘩の売り方』
いつも通りに優香を伴い学校に登校する。
前日までと同じで何も変化はない日常。
実際、見ただけでわかるような変化は何もなかった。
「……なんだ、この首がチリチリする感じ」
戦場で戦う時と同じ空気を清澄な朝の気配から感じる。
学園の空気はいつも通り、一見すれば何も変わりない。
賑やかで前向きな力に溢れていた。
感じる違和感など気のせいと思っても何も問題はないだろう。
しかし、健輔の勘がこの事を見逃すことを許さない。
「……優香、変なことを聞くが違和感がないか?」
「違和感、ですか?」
隣禁止令を発令した優香だったが、登下校は例外らしく自然に健輔の隣を占有している。
麗しき蒼の乙女は、健輔から意味のわからない問いにも真剣に応対した。
健輔が意味のないことを問うとは思えない。
彼女の中に確信として根付いている想いが、健輔を疑う選択肢を自動で排除する。
表には出ていないが桜香と普通にタメを張れるレベルで健輔にやられているのだ。
優香にとっては至極自然な思考の流れだった。
思われている男も既に空気みたいなものなので、自然に受け入れている。
この空間内で常識を保つ美咲の偉大さがよくわかる光景であろう。
多少染まったくらいは仕方がないとも言える。
「ざわついている、感じでしょうか。いつもよりも魔力の流れが荒い感じがします」
「毎日同じ、って訳じゃないけどあれなんだよ、デカい魔力が増えた感じがする」
「それは……もしかして、卒業生の方々がやって来たのでは?」
「ああ、なるほど、そういうことか」
優香に言われて健輔も得心する。
周囲の魔力の流れに気を使っていた健輔は、急に増えた大きな力たちに警戒したが、原因に思い至ればいつまでも臨戦態勢である必要はなかった。
以前から言われていたより上位の卒業生の投入。
一部のチームがマスタークラスの派遣を受けているのは、健輔たちも情報として知っている。
下の底上げは望むところのため、大して気にしていなかったが、そういったレベルではない力が来るとなると話は変わる。
「もしかして、フィーネさんがいろいろと言ってたのはこれが原因かな」
「……確かに、姉さんたちに――3強に匹敵する力の大きさですね」
健輔の問いを答えを返しながら、優香の心には感嘆の念が沸々と湧き上がっていた。
学園に入り乱れる魔力の中から大きなものだけを嗅ぎ分ける嗅覚。
優香はこの事実に健輔の底知れなさを知った。
隣の少年は既に姉たちがいようとする領域に手を伸ばす手段を見つけており、後は飛翔するだけという段階まで来ている。
特に理由はないが、優香は確信していた。
証拠とばかりに、この学園に健輔の知らない強者が来たと見抜いているのだ。
恐ろしい感知能力である。
日常生活では何も役に立たないことだけは間違いない。
ならば鍛え上げられた精緻な感覚は繊細な制御力を組み合わせて戦場で活かされるのだけは分かり切っていた。
「……何かあるかもしれませんね」
「まあ、大きな事件とかではないが、何かはあるだろうな」
レジェンドと言っても、現役世代には遠い話である。
しかし、1度は頂点に近い領域まで至った魔導師が大人しくしているだろうか。
とてもではないが、そうは思えない。
誰もが自己主張が激しいからこその魔導師である。
健輔はこの手の勘を外したことはない。
必ず何かがあると踏んでいた。
「出来れば、ド派手な花火がいいな」
「……先生たちが泣きそうなので、私はなるべく穏当に収まって欲しいと思います」
2人の現役ランカーはかつてのランカーの気配を感じ取った。
彼らは極めて特殊な例であるが、何かが起こると感じている者は多い。
フィーネも、葵も、武雄も、現在日本にいる名のある魔導師たちは皆が期待していたし、不安も感じていた。
そして、たった1人。
魔力の発信源から挑発的な意思を投げつけられる存在は笑みを零していた。
「ん、桜香、大丈夫?」
「ええ、大したものではないです。ありがとうございます、香奈子さん」
一体誰なのかはわからずとも強い視線は感じている。
世界最強、現役の頂点。
離れて久しいロートルが今の水準を図るのにこの地点に挑戦しようとするのは至極当然のことだった。
普段から数多の視線を受け止める桜香にしても、ここまで苛烈な意思を受けるのはそうあることではない。
「……女神の系譜、ですかね。太陽ならば私は対応できる。皇帝ならば、もっと寛容でしょう」
受け継がれる系譜にも特徴はある。
称号の性質上、太陽、皇帝は国内で頂点に立つ。
対する女神は初代が戦闘向きではなかったところを、途中から玉座を握るようになった。
つまりは頂点でない時もあったのだ。
フィーネの先代、先々代は強かったが欧州最強ではなかった。
上を狙う、という意思を備えている唯一の称号が女神。
複数の最強が乱立する欧州だからこそ、というべきだろうか。
戦って示そうとしているのだ。
「私を踏み台にするつもり……まあ、受けて立ちましょう。私の最強は、年代程度で左右はされない」
「ん、私たちが最強のチーム」
「ええ、そうでなければ、全ての挑戦者に失礼です。私は1人だけでも、最強だと示す」
チームでの強さは勿論、桜香は単体でもチームを凌駕する。
この理を示すからこそ、彼女は胸を張って健輔と戦うことが出来るのだ。
横入りしてくる老害などに譲るつもりは欠片もない。
「伝説――その程度で私が止まると思うな」
冷たい表情を浮かべて太陽が出陣する。
伝説対最強。
どちらも自分が王者だと言う認識で戦場に向かう。
最高レベルの戦い。
来る世界大会の行方すらも決めそうな戦いの幕が上がろうとしていた。
「なるほどね。今代の最強も、昔と左程変わっていないということ。個人的には嬉しいわ。頂点には頂点たる理由がある」
挑発的に魔力を発してみたが、幾人かの反応があった。
学生よりも年上の容貌と雰囲気。
コーチとして派遣されてきたかつての伝説。
4代目女神『アルメダ・クディール』は艶やかに微笑む。
始まりがバックス系だったゆえに戦闘者としては今一だった女神を名実共に欧州最強の筆頭に押し上げたのは彼女である。
中興の祖であり、『女神』を押し上げた立役者。
つまりは、わかりやすいほどにバトルジャンキーだと言うことだった。
「彩夏、だったわね。申し訳ないけど、申請した模擬試合、今すぐに始めたいのだけど」
「……先ほど、一瞬薄く広範囲に魔力を放出されましたね。普通に行ってくださいよ。どうして挑発をするんですか」
「あら、気付いちゃうのね。ふふ、優秀で結構。ええ、少し挨拶をしておこうと思いまして。日本は、『太陽』の領域でしょう? おまけに今代の1位がそこにいる」
後は言わずともわかるだろう、と紫の瞳を細めた。
アルメダの言い分を理解して彩夏は諦めたように溜息を吐く。
彼女はともかく、挑発された側を止められる自信がない。
何より、彩夏が思ったのだ。
今後もやってくるのはこんなのばかりなのである。
だったら、ここいらで1人ぐらいは潰しておいてもらった方がいい。
「承知しました。――付いてきてください」
「ふーん、そう、あなたから見ても、そのレベル。これは、久しぶりに楽しくなりそうだわ。胸が躍る」
豊かな胸を弾ませて、アルメダは強敵の下へと赴く。
教師はマスタークラスであり、彼らから見てレジェンドの中でも上位であるアルメダに勝てると判断した。
この判断は重い。
彩夏はまだ若手だが、それでも幾人もの魔導師を見ているのだ。
審美眼では勝てないと認められる。
つまり、アルメダが勝てないと客観的に思われるほどに今代は強いということだった。
彩夏の目が節穴だ、とは思わない。
教師たちが無能なはずがないのだ。
根拠があって、アルメダの敗北を予想していると考えるのは自然の流れであった。
意図的に桜香の詳細な情報は把握しないように努めていたが、ここまで楽しめそうな相手だとは思っていない。
「嬉しいわね。これは、遣り甲斐のある仕事だわ。それほどまでに、『今』は育っているのね」
普段は研究をメインとするようになっているが、錆びない程度に身体を動かしてはいた。
直感などはどうしても錆ついているが、身体は現役と左程の違いなく動けるだろう。
調子を確かめるように魔力を回しながら、懐かしい空気に微笑んだ。
マスタークラスの同期は若い者たちと戦うことに引いていたが、アルメダの見解は異なっている。
若い時に存分に楽しみ、歳を経て違う形で携わるのだ。
再度青春の場に足を入れるのではなく、彼女がやろうとしているのは、再挑戦と言うべきだろう。
今の自分が現代で何が出来るのか、それこそが重要だった。
付けられた枷も試練と思えば、中々悪いものではない。
そのためにも、今の頂点と顔合わせはしておくべきである。
アルメダとしては一切の破綻のない理論なのだろうが、巻き込まれる方は大変だった。
もう少しやり方を考えろよ、と内心で罵倒した彩夏は悪くないだろう。
誰だってこんな風に突発的なイベントを差し込まれれば機嫌も悪くなる。
「1つだけ、ご忠告しておきます」
「あら、何かしら?」
「最初から全力でやってください。そうでなければ、あっさりと終わってしまいますよ?」
意趣返しも込めて、完璧なスマイルでアルメダに告げる。
彩夏の態度に何を思ったのか、女神の系譜は笑みを浮かべ、
「忠告、ありがたく」
素直に謝辞を示すのだった。
駆け巡った噂は大したものではない。
しかし、詳細を知る者には誰と誰が戦うのか、という情報だけで十分だった。
激突するのは2名の魔導師。
1人は、世界最強の魔導師『九条桜香』。
そして、もう1人はレジェンドクラスの1人にして、女神を欧州最強へと押し上げた魔導師『アルメダ・クディール』。
彼女たちが戦うと聞いて、模擬戦の会場にはそこそこのギャラリーが存在していた。
集まった衆目の視線を集めならが、両者は揺るがずにその場に立つ。
2人は比類なき覇者。
同類の存在を許せないとっびきりの怪物である。
「――と言ったところかの。どうよ、儂のナレーションわ」
集まったギャラリーの1人、霧島武雄はニヤニヤと笑いながら、傍らの弟子に問いかける。
「いいんじゃないですか。これだけの生徒が集まれば、1人くらいは似たようなこと思うんじゃないですか」
「無難な物言いよな。そんなのだから、健輔に先を行かれるのよ」
「彼ほど情熱に溢れている魔導師を俺は知らないですよ。我らがコーチ。その言い方は正しくない。負けるべくして、俺は負けていますよ。今は、ね」
魔導戦隊に所属する2人。
霧島武雄と正秀院龍輝は夢の対決を前にして冷静な態度で相手を推し量ろうとしていた。
「まあ、噂が広がって見世物みたいになっとるが、これはある種の篩いでもあるんじゃないかのう。儂としてはあんまり面白くない趣向だがな」
「この対決を見て、戦意を喪失しない、ですか」
「そういうじゃ。ハッキリというが、これは皇帝と太陽の一騎打ちに等しい。一言で言えばロマンよ。間違っても普通は起こり得んさ」
クリストファーと桜香がもし昨年度の世界大会でぶつかればどうなるのか。
伝説との激突は最低でもそのクラスの戦いになる。
相手も1つの時代の頂点に立ったのだ。
弱いはずがない。
「ロマンゆえに、夢を見るのと冷めてしまうのがおるじゃろうな」
「同意します。高すぎる壁は、やる気を奪うでしょう」
「そんな惰弱はよい。問題はやる気のある奴らよ。やる気があるゆえに、逆にこの戦いは……辛いだろうの」
中途半端に賢いゆえの悲劇。
折れてしまうような輩に武雄は興味はないが、戦う勇気を携えた者たちが、この戦いで試練に晒されるのは純粋に悲しく思う。
可能性はあっても、自分が信じられないのならば意味はない。
これから起こる戦いは、魔導における最上級の決戦。
届くと信じられないと、生きていけない世界の激突になる。
選抜チームだが知らないが、これで立ち上がれなくなる者もいるだろう。
「あなたが、そんなことを言うとは思わなかったよ。てっきり、先ほどのように切り捨てるのかと思った」
「ドアホが。努力をしたものが、意味なく潰れるのは面白くないわ。自分で折れるのならばともかく、こいつらの熱量に折られるのは意味がない」
「なるほど、確かに道理だな。無意味に折られる必要もないか」
要するに育て方の問題である。
健輔であっても、昨年度の頭にこの戦いを見てしまえば戦える勇気を持てたのかはわからない。
それぐらいのとびっきりの戦いになるのだ。
武雄は享楽を愛するものだが、怪物たちの余波で折れてしまう心などというものを楽しむようには出来ていない。
「何にせよ。これは1つの歴史になるぞ」
「実際に、1つの歴史同士の戦いだ。派手になる以外の選択肢がないですよ」
そんな会話を交わしている間にも、時間は進み激突の瞬間はやって来た。
武雄ですらいつもと違う空気を発する。
見逃せない、とこの場にいる強者たちが一様に会場へと視線を集中させた。
ギャラリーたちが様々な視線を送る中、妙に響いた実況のアナウンスがこの戦いを始まりを告げる。
『それでは、エキシビジョンマッチ――九条桜香対アルメダ・クディールの模擬戦闘を開始します! 両者、位置に付いて下さい!』
いつも見ている試合のように、2人は対峙してごく普通に戦い始める。
魔導機を構える両者の顔には笑顔が張り付き、空気は変わらない。
しかし、見る者は見れば、直ぐにわかる見せかけの均衡だった。
太陽も、4代目の女神も敵を潰したくて仕方がない。
『試合、開始っ!』
選抜に選ばれた凡人たちとチームを率いるバカたちが見守る中で、天災に等しい才能同士が火花を散らす。
もしかしたら将来において敵になるかもしれない者たちが、各々の立場で両雄の力を叩き付けられるのだった。




