番外編『次のステージへ』前編
担任から呼び出されて職員室に向かう。
学生からするとなんとも不吉な響きだが健輔にとっては日常のようなものである。
魔導に傾倒し過ぎて担任たる里奈に注意されたことなど数知れず。
大らかな里奈でなければ胃に穴が空いていたであろう。
教師にそのような負荷を掛けていることなど頭から完全に抜けている男はいつものことだと特に警戒もせず真っ直ぐに目的地へと向かっていた。
少しおかしいな、と思ったのは里奈がニコニコしながら別の個室へと連れてきた辺りからだろうか。
暗いオーラを背負った美しい女性がソファに陣取っているのを見て悟る。
――あっ、これはいつもとは違う、と。
「……えーと、どちら様でしょうか」
親の仇を見るような視線。
元凶を見つけたと言いたげな視線は正か負で言えば負のオーラが籠っていた。
流石の健輔も初対面の人間にそのような目で見られるようなことをした記憶はない。
しかし、そんな当たり前のことを言って通じる空気ではなかった。
知的な瞳は鋭利な刃となり、健輔を貫いている。
「……いえ、すいません。こちらの都合で呼び出しておいて睨むのはマナー違反ですよね。つい、積りに積もった恨みが出てしまいました」
「は、はぁ? 恨み、ですか」
記憶にない人物に恨みと言われても戸惑うしかない。
いくら健輔が魔導バカであっても迷惑を掛けた人間の顔くらいは覚えている――と思っている。
必死に脳内を検索するが思い当たる節は何もなかった。
「ああ、自覚はないと思いますよ。完全にこちらの都合ではあります。ですから、私が悪いです。すいませんね」
「いや、別に構いませんけど……」
「改めてになりますが、初めまして、佐藤健輔くん。私はそうですね、研究員です。メアリー・クリプトンと言います」
「メアリー……ああ! もしかして」
「はい、多分その『メアリー』で大丈夫ですよ」
「な、なるほど……。恨みってまさか……」
メアリー・クリプトン。
健輔もこの名前は知っていた。
言うならばバックスにおける『皇帝』。
選手ではないが、技術者としての名声は飛び抜けている人物だった。
決戦術式、天昇モードなどの特異な術式の中にはメアリーの理論を使ったものがいくつもある。
美咲も尊敬する若き技術者。
技術という側面で魔導の最前線に坐す者。
「あなたのおかげで先月は見事、家に帰れなかったです」
「は、はははは。あの、その……」
大抵のことでは動じないが健輔も普通の男子高校生である。
残業というワードには罪悪感は感じてしまう。
結果、何とも言えない曖昧な態度を見せるしかなかった。
困ったような笑みで誤魔化す年下の少年に年上の女性は顔を顰める。
言うつもりはなかったが、流石に諸悪の根源がいると思うとつい零れてしまった。
年上として、あまり褒められた態度ではない。
「冗談です。あなたは自分なりの努力をしただけですからね。まあ、大人の詰まらない愚痴だと思ってください。疲れてるとやっぱりパフォーマンスは悪くなりますね……」
剣呑な雰囲気は消えて、本来の理知的な空気が出てくる。とはいっても健輔からするとやり辛いことこの上なかった。
何せ、魔導師なのにハッキリと隈が残っているのがわかるのだ。
毎日のように新しい系統を届けられたメアリーたちがどうなったのかぐらいの想像は健輔にも出来る。
辞めるつもりは毛頭ないが、せめて真摯な態度で話は聞こうと気合を入れ直すぐらいには健輔にも羞恥心は残っていた。
「肩の力は抜けましたか?」
「え、ええ、なんていうか、自由な人ですね」
「知り合いが自由人ばかりなので。稀には突っ込みを放棄したい気分でして」
「そう、ですか。……素敵な、交遊関係みたいで」
この人もイイ性格をしているのにそれ以上の人間がいる。
大人の怖さに微妙な戦慄を感じるも顔には出さずに適当な相槌を返しておく。
メアリーのプライベートなぞあまり興味がないので早く話を進めて欲しかったのだ。
「事前の情報通りというか、本当に魔導に関してのみが興味の範疇ですか。理想的な選手ですけど、アンドレイみたいな大人にはならないように注意して欲しいところですね」
「アンドレイ? もしかして」
「魔導大帝、の方がいいですか? 魔導師の中で最初に固有能力を得た最強の魔導師。まあ、多少なり誇張されていますが」
メアリーがわざわざ名前を出した意味を考える。
自由人、と単語とその後に続く魔導大帝。
意味するところを察するのは簡単だった。
「つまり、あなたの周囲にいるのは……」
「そうですね。これでも最先端魔導の一端を担ってますからね」
意味ありげな視線と言葉。
以前に届いた連絡。
この2つを繋げることで、健輔の胸にはある種の興奮が湧き上がる。
もしかして、という思いを止めることは出来そうになかった。
「この間の連絡では、何やら教えてくれるということでしたが」
熱が入っているのを自覚しながら、健輔は滑らかに口を動かす。
早く話を聞きたい、と部屋に入る前とはまるっきり違う感想を抱いていた。
「はい。いくつかありますので簡単なものから……と言いたいですが」
メアリーは言葉を途中で区切る。
早く話を進めて欲しい健輔からするとなんとも苛立つ展開だったが次の言葉がそういった想いを吹き飛ばしてしまう。
「その前に1度戦いましょうか。あなたはそうじゃないとダメなタイプでしょう?」
「へ?」
予想もしない言葉が意外な相手から飛び出す。
健輔にとってバックス系の相手はこういう機微の外にいる相手だったのだ。
期待もしていなかった展開に目を丸くするが、其処は佐藤健輔の面目躍如と言うべきであろうか。
意味を理解すれば素早く賛同の意を発する。
「後悔しないでくださいよ。あまりにも弱かったら権威とやらでも話を聞きませんよ」
「大した自信ですね。まあ、いいです。大人の怖さを教えてあげましょう」
少し顔を伏せてメアリーは口元を大きく歪めた。
佐藤健輔は強い、強いのだがその能力の性質が問題となる。
「天敵、という言葉の意味を教えてあげます」
不敵な笑みなのだが、あるものが雰囲気を台無しにしている。
「あの隈が目立って、怖いっす」
「……こういう時はスルーしましょうよ」
微妙に締まらない空気の中で『千変万化』メアリー・クラプトンと『境界の白』佐藤健輔の立ち合いは決まったのだった。
油断がなかったとは言わない。
しかし、侮ったつもりもなかった。
バックスは戦闘向きとは言い難いポジションで、健輔の戦闘能力や対処能力からすればカモと言っても良い程度には相性が良い。
それなりの警戒感で、それなりにぶつかる。
この態度を油断と言うのならばそうであろうが、健輔としては正当な評価のつもりだった。過小評価も過大評価も等しく危険である。
己の信条に沿って、健輔は正しく評価した――つもりだったのだ。
「グっ!?」
莉理子やジョシュア、それこそ美咲ですらも戦闘を『補佐』することに関しては優秀でも実際の『戦闘』では能力的には大したことがないのである。
相手が如何なる力を持っていても最後は勝つ。
実績に裏打ちされた確かな自信。確かなものであるからこそ、思いも寄らぬタイミングで慢心となってしまう。
常に警戒して備えていても嵌ってしまうからこそ、心の問題は恐ろしいのだ。
挑戦者から待ち受ける側に回った男への最初の試練。
思いも寄らぬ強敵、というある種の王道たる敵へと拳を向ける。
『マスターッ!』
「ッ――!!」
陽炎の警告に必死に身体を動かす。
いつになく鈍い身体に、いつになく重い魔力。
結果として動き辛い身体に上手く切り替えられない系統として不調は具現化する。
今まで相手の強さを潰すように戦い、時には凌駕してきた。
健輔が作り上げた勝利の方程式。
「全般的にマズイ!」
万能の力でペースを乱される相手を倒したきたからこそ現状が良くないことがよくわかる。完全に主導権を奪われて、状況に対処するのに精いっぱいになっていた。
このままでは戦えてもジリ貧だと経験から察している。
「クソ……! 初撃のせいで……」
内部に存在する異物感は全ての感覚を乱す。
当然、繊細な制御を必要とする『天昇・万華鏡』は発動すらも出来ていなかった。
天昇どころか原初や他のモードも軒並み使用不能。
端的に言って不利などという次元の領域を超えている。
「こんなに身体が重いのは――」
「久しぶりだ、でしょう? まあ、術式の完全な阻害は難しいですからね。発動出来れば大抵はそれで終わりです。残りの選択肢は力技での突破ぐらいでしょうか」
姿は見えず、声だけが聞こえる。
勘に従い身体を動かすが、反応の鈍い肉体は心の焦りについていけない。
天昇・万華鏡で戦うことに慣れたからこその弊害が出ている。
かつての健輔には日常だった重さも解消してしまったからこそ枷として機能してしまう。
成長したことで逆に失われるものもあるのだと理解するのは複雑な気分だった。
「チィ!!」
身体は思い通りに動かない。
それでも意思の力で必死に避ける。同時に思考を只管に回し続けていく。
この状況に陥った理由と僅かな接敵で得た情報を統合して相手を見極める必要がある。
普段は美咲の情報に頼っているが、彼女がいない以上は健輔が見抜くしかない。
「考えろ、考えろッ!!」
試合の始まりはいつも通り。
1対1での空戦。
開始の合図が鳴り響くと共に空を舞い、油断なく『天昇・万華鏡』を発動した。
美咲が抜きでもしっかりと発動し、制御も出来るようになっているのは健輔の成長の証であり確かな成果であろう。
後の流れもそこまでセオリーから反してはいなかった。
相手はバックス。
戦闘は左程得意ではないと考えて近接戦闘を選んだ。
1番安全なのは遠距離であるがバックスということは遠距離には慣れている可能性がある。
バーストモードによる高い身体能力で終わらせよう。
判断は即決で行動も迅速だった。
健輔としては最善だったのは間違いない。
――相手のたった1つ行動で乱されなければ。
「やっぱり、あれが起点だよな」
敵がやったことは単純明快である。
発動中の術式に干渉し、不発に導いた。
ただそれだけで健輔は一気に不利になってしまったのだ。
術式への干渉。
距離も関係なく、ましてや相手の抵抗力も関係ない。
以後は全ての力に干渉させてしまい、健輔はまともに実力を発揮できなくされていた。
「今までの敵とはタイプが違う……」
己を高めて、相手を超える。
魔導師の王道たる強さの体現がかつての3強ならば、メアリーは邪道となるだろう。
もっとも、健輔としては何も言えない。
相手の能力を分析し、万能の力で隙を突く。
力が足りないならば、技で。
技で劣るのならば、力で。
力も技も足りないのならば、意思と知恵で。
やり方は時々で変えてきたが、健輔もやってきたことなのだ。つまるところ、メアリーという魔導師を表現する言葉は簡単なのである。
手段と過程に差異があるが、結論は似ている。
「単純な上位互換ではないが、俺よりもバックス的な部分が上手だな……」
解析、妨害、または支援。
そう言った部分で健輔を遥かに凌駕しているのがメアリー・クリプトン。
力で圧倒的な差がないテクニカルタイプ同士でどちらも万能性を売りにするのならば純粋に強い方が勝つ。
手数の豊富さと経験。つまりはメアリーの舞台に健輔が上がることになる。
「なるほど、これは天敵だ」
恐ろしいまでの相性の悪さ。
天敵。
試合の始まり前に送られた言葉に納得するしかない。
納得した上で、健輔は動く。
何もしなければ負けるのならば、何かして負ける方がまだマシである。
ただ負ける、などというのはプライドが認めがたい。
「陽炎!」
『再展開を――』
「させませんよ」
始まりもそうだったのだが、展開が完了した術式すらもこの女性の前には意味をなさない。何事もなかったかのように腕を振るう。
ただそれだけで健輔の必殺技は無効化されていた。
「またかッ!」
モードが展開できなければ健輔の実力は大きな下降を避けられない。
「クソッ! 陽炎、連続展開で!」
「意味がないですよ」
展開する端から無効化される。
メアリーの系統は固定と流動。
距離を無視して成し遂げるような力はないはずなのに手を翳しただけで健輔の技の全てが無力化されてしまう。
「くっ、破壊系で突破する!」
「だから、意味がないです。――魔力による効果も分解できます」
「ハアッ!?」
拳に魔力を纏って突撃するが破壊系の魔力が流動系の魔力に掻き消される。
残ったのはただのパンチ。それでは障壁の突破は不可能だった。
「おいおい、これは……」
術式の組み合わせと魔力の効果を武器にする健輔にとっては正しく鬼門と呼べる力。
改めて、思う。
『天敵』。
これほどこの単語がマッチする相手はそうはいない。
「それほど警戒しなくて構わないですよ。私の強さそのものは大したことはない。ただ、特定の相手……いえ、こう言った方が早いですかね。大抵の魔導師には負けないようになっているだけです」
「俺の魔力すらも無効化しておいて、大したことないとは言ってくれますね」
「事実ですよ。私の固有能力は解析に特化したもの。もう1つは再現に特化したもの。戦闘と言う分野で見ればそこまでの代物でもないです」
「……大事な部分を省きすぎでしょう」
メアリーの言い分は正しいが間違っている。
確かに固有能力自体は戦闘能力皆無の解析能力であるがだからこそあらゆる能力を丸裸にしてしまう力を持っていた。
情報を掴んでしまえば、後はそれをどうにかする手段があればいい。
『再現』する力はその時に脅威となる。
現在存在している魔導の発生原理や周囲への転用などが短期間で行われるのに間違いなく絡んでいる人間なのだ。
魔導の発展を支えていると言っても過言ではない。
それほどの存在が持つ固有能力が弱いはずがないのだ。
『魔導に対する優越性。マスター、この方は』
「ああ、間違いない。――俺と同じタイプの魔導師だ」
この手の相手を倒すのは簡単だ。
如何なる理屈も通じないような圧倒的な強さで超えてしまえばいい。
皇帝や、桜香のように。
もしくは、
「同じ土俵で競り勝つ。く、くくく、ははははッ! いいな、選抜戦前にイイ感じになってきた。俺は俺を超える必要がある訳だ!」
「言ったでしょう? 私は天敵だ、と。対策もなしで戦っても意味がないです」
「ああ、全くその通り。それでも、戦闘技術ならば!」
「気持ちはわかりますけど……」
大きな力の低下は認めてもそのまま敗れるような潔い男ではない。
不屈の闘志は不利な状況でこそ更に燃え上がる。
あらゆる術式がダメならば戦闘センスと経験を武器にするしかない。
「陽炎、頼む!」
『承知しました』
系統の変化を切り捨てて、近接戦闘に優れた組み合わせに固定する。
収束系と身体系。
葵と同じ組み合わせは健輔を幾たびも助けてくれた必殺の型でもある。
出力不足などの要因はあるが基礎的な使い方はいつもと同じなのだ。
まだ身体は動き、意思もハッキリとしている。
やるべきことが定まっているのならば多少の不利など心底どうでもよかった。
むしろ、久方ぶりの逆境らしい逆境である。
存分に堪能しようと思っている。
「必ず1発入れる」
「絶対に今日は防ぎきります。主に、明日以降の胃のために」
微妙にずれているがどちらもヤル気は満々だった。
片方は逆境を超えるために。
片方は最近の残業に対しての返礼と己の役割を果たすために。
両者は全力を賭してぶつかり合うのだった。




