幕間 二十一 はじめの一歩
ステンドグラスから差し込む夕日が教会内を赤く染める頃、コルキュルでは空気が夕方から夜に変わり始めていた。日中の熱が嘘のように引いていく感覚は、ここが廃墟なのだと思い出させるには十分だ。
「丸投げになってしまい誠に申し訳ありませんが、先生、よろしくお願いします!」
そんな言葉を残して、大悟一行はロータンヴェンヘ-ザとともに、霧のように姿を消した。大悟一行が現れた扉はすでに消えているからだった。大悟一行とは大悟とベンジャルヒキリとリャングランダリのことである。
もう何が起きても驚いてはいけないのだと、ワッケムキンジャルは身に染みていたので、平素を保てていた。
残されているのは、お願いごとを託されたワッケムキンジャルとお願いごとの本人であるサンライハゥンだ。
ギィはオーリヒェィとトランダルの獣人女児ペアに挟まれ、「女の子は少しでもきれいにしないといけないの」と髪をとかされている。女子のカワイイ圧にはギィも逆らえないようだった。
レパパトトスはハーフドワーフのテバサルに何かを聞かれている。ロッカポポロは一番年長のィヤナースと話している。
必然的にワッケムキンジャルはサンライハゥンと言葉を交わすのだが、お互いの集団のリーダー同士だったこともある。
「あいかわらず、砂嵐のような御仁ですなぁ」
ワッケムキンジャルは、大悟一行が消えた場所を眺めてつぶやいた。
「……あいつのお節介はいつものことなのか?」
「あのお節介のおかげで、わが娘とその友の命が助かり、今ここにいる子供らの前途をも照らしてくれました」
「前途と言っているが、孤児の働く先など――」
「えぇ、そう多くはないですし、恵まれた場所ではない。それは承知の上です」
ワッケムキンジャルは、ロッカポポロと話しをしているィヤナースを見てほほ笑んだ。
「ィヤナースは、ダイゴ殿の影響で調理に興味を持ち、実は先日それに関連するスキルを得ましてな」
「スキルを、か」
「えぇ、【切る】という、まぁよく聞くスキルなのですが、これがまだ食材を刻むにはなんとも丁度よいスキルでしてな。調理で時間がかかる作業のほとんどが食材の下ごしらえなんだとかで。その時間の短縮に大いに役立っておるとィヤナースは喜んでおります。おかげで、彼ひとりで我々はおろか困っている人々への炊き出し分も調理できておりますのじゃ」
「あいつが何かをしたわけではないだろう」
サンライハゥンはフンとは鼻を鳴らした。運が良かっただけだと、彼女は悔し紛れにそう思った
「えぇその通りですな。水神様が見てくださったわけでもないでしょう。ただ運がよかっただけ、なのだと思っております」
――運が良かったんだ。だからこの運を次に渡そうかと。
サンライハゥンは大悟の言葉を思い出していた。
気にいらない。
失った左腕を戻してくれたことには感謝をしている。ハンターには戻れないが、日常生活は格段に過ごしやすくなったのは間違いない。サンライハゥンは、そこは正直に感謝している。
だが、何かの掌でもてあそばれている気がして仕方がないのだ。ハンターの勘がそう告げている。
見えざる糸で操られているような、そんな不安がぬぐえなかった。
「ホホホ、教会で過ごしている間に、貴女の考えもまとまりましょう。そうそう、今日はりんごが採れましてな。ィヤナースがダイゴ殿から焼きリンゴを教えてもらったそうで、夕食に出したいと言っております。楽しみですな」
ワッケムキンジャルは好々爺といった笑みを浮かべている。孤児らが自らの意思で何かをするようになったことが、とても嬉しいのだ。野菜が売れるといっても手放しで喜べるほどの収入ではないが、食うものに困る心配はなくなった。
このことだけでも子供らに笑顔が増えたことを、ワッケムキンジャルは実感していた。
「……あたしが思惑通りになるとは限らないぞ?」
「うむ、そうですな。先のことはまだわかりませぬな」
ワッケムキンジャルは腰を軽く叩くと子供たちに「そろそろ教会に戻りますよ」と声をかけた。
「教会に戻る? 教会はここではないのか?」
サンライハゥンの眉根が寄る。
「寝起きはアジレラの教会ですので。ほれ、そこの扉をくぐってまた別の扉を行けばアジレラにつきますぞ」
ワッケムキンジャルが指で指し示すと、サンライハゥンは釣られて視線をやった。半開きになっている鉄の扉の向こうに、明るい空間が見えた。
「ギィちゃんいくよ! まずはお着替えだね!」
「ちょ、おれをおろせって! たかいところはやーだー!」
「ざんねーん、あたしのほうがちからがつよいもーん!」
トランダルを先頭に、まだ10歳の狼獣人女児オーリヒェィがギィを頭上に担ぎ、軽々と運んでいた。
「おい、ギィはああ見えても身体強化のスキル持ちだぞ? なんであっさり持ち上げられてるんだ?」
「オーリヒェィもスキルを得ましてな。ベンジャルヒキリと同じ【怪力】なのです。この中では一番の力持ちですじゃ」
「へぇ、【怪力】ねぇ」
「あの子はベンジャルヒキリと同じハンターになりたいと申しておりましてな」
「……ハンターは危険と背中合わせだぞ」
サンライハゥンが目を細め、左腕をさすった。
「まだ夢見がちな子供ですからな。現実を知ってなおその意志を強く持てるのか。巣立つのはそれからでも遅くはありませぬ」
そう語るワッケムキンジャルの前をロッカポポロとィヤナースが歩いて行く。レパパトトスはテバサルに手を引かれ、扉を潜っていった。
「我々もいかねば、食いっぱぐれますぞ?」
ワッケムキンジャルが扉に向かって歩き出した。扉の向こうからは優しげな光が漏れてくる。サンライハゥンも歩こうとしたが、足が動かなかった。
このまま行って良いのだろうか。自分には明るすぎやしないだろうか。
ワッケムキンジャルは歩いていく。
動かない足が、サンライハゥンの心に焦りと不安を生む。
いや、焦りと不安が足を止めているのだ。
―― 働かざる者食うべからず。俺の国に古から伝わる格言です。
また大悟の言葉が頭に浮かんだ。
気に入らないやつだが言葉には力を感じた。
左手を、強く握りしめた。
――ハンターになりたいと申しておりましてな。
ギィを運んで行った少女の姿が脳裏に浮かんだ。まだまだ無垢で、何も考えてないようにしか見えない。アレではすぐに命を落とす。誰かが教えてやらないと。
「……まったく、仕方がないな」
サンライハゥンはそう呟くと、一歩を踏み出した。




