幕間二十 イゴール村(後)
「村からの要請があってきた水の教会の者です。村長さんはいらっしゃいませんか?」
いち早く飛竜から降りたアーチェフが村人に向かって声を張り上げた。エランドヴィリリアングの露払いは彼の役目だ。
「おい、水の教会からだってよ」
「ちょっと村長を呼んでくるわ!」
水の教会からだと告げると、村人がざわつき始めた。だが寄っては来ない。
エランドヴィリリアングは背に括りつけていた天水の笏を手に持ち、軽く周囲を確認した。
「井戸が見当たらないね。砂羊が嫌うとはいえ畑にまく以外に生活にも必要なはず。それはどこに……」
300人の村といえど、井戸が1か所では到底足りない。30人にひとつとしても10か所はないと足りないはずだった。
『枯れちゃった井戸は埋められちゃってるー』
エランドヴィリリアングの耳元でささやき声がした。思わず振り返ると、ふよふよ浮かぶ青い光のひとつが、彼女の目の前に漂っている。
「もしかして、あなた?」
『他に誰がいるのさー』
彼女の眼前に浮かんでいる青い光がくるりと一回転した。
「お、精霊と話ができたのかな? さすが僕のエランちゃん!」
「猊下はあなたのものではアリマセン!」
「ふふん、精霊と会話ができるって共通項を得たからね、僕の方がリードかな」
「!!」
エランドヴィリリアングの背後でふたりが騒いでいる。彼女は精霊と会話ができた喜びとため息をつきたい感情の間で困惑していたが、村長らしき老獣人が歩いてくるのを見て気を取り直した。
「水の教会から来たエランと申します、こちらはアーチェフで、そちらは風の教会から派遣されたダライアスです」
エランドヴィリリアングは本名でく略称を名乗ることにした。自分がいなくなったデリアズビービュールズでは、次の教皇を決めることで大騒ぎだろうし、ここで名乗ってもその後に違う教皇が選出されたとなると、色々問題も起こると予想したからだ。
エランドヴィリリアングはすでに教皇の地位など眼中にないのだ。
「村長のラルーシェカと申しますじゃ。遠路はるばる、ありがとうございますじゃ」
ラルーシェカがぺこりと頭を下げた。日に焼けて色がすすけてしまったが、黒かったであろう髪が見えた。デリアズビービュールズより北方だが日差しは強い。乾燥地だからこそ、砂羊が飼育しやすいのだ。
「その、水が足りないのは、どのように解決なさるのでしょうか」
ラルーシェカがおずおずと聞いてくる。教会の者の機嫌を損ねないためだろうか。
教会はいつも傲慢な対応をしているのだなと、エランドヴィリリアングの胸が痛んだ。
「早速ですが、井戸を確認したいと思います」
「井戸、ですか……実は、村に井戸は5か所あったのですが、数年前に枯れ始めて、様子を見ていたのですが水が戻ることはなく、埋めてしまいまして、残っているのは2か所のみです」
「2か所では、みなさんの飲み水も危ういのでは」
「えぇ、皆我慢をして何とかしのいでおります」
村長が絞り出す言葉にエランドヴィリリアングは頭がくらっとする思いだった。すでに限界に達していたのだ。
いま自分が来なかったら、この村は廃棄されていたのだろうか。数年前から井戸が枯れ始めていたのなら、もっと早く対応ができていたはずだ。
責めるべきは自分だった。その時の教皇は自分なのだから。
「エランちゃん、それは後まわしだよ」
エランドヴィリリアングは背後から肩を叩かれた。振り返れば、そこにはニッコリ笑顔のダライアスがいる。
「そんな暗い顔してちゃ、村の人が不安がる。いつものエランちゃんを見せてよ」
ダライアスにそう囁かれ、エランドヴィリリアングは口もとを引き絞り、顔を上げた。
「井戸が生きているならば大丈夫です。案内をお願いします」
エランドヴィリリアングが言い切ると、周囲からオオと小さな歓声が上がった。
村長に案内され、ひとつ目の井戸に来た。広場から少し離れた、村の外周部にある畑のそばだ。
「半年前までは、まだ水があったんじゃが、いまはもう底も見えてしまっておりまして……」
そう説明されたエランドヴィリリアングは、井戸を覗き見た。底がわずかに反射しており、水を確認できたが村長の言う通り底が見えてしまっている。枯れるのは時間の問題だ。
デリアズビービュールズの時の様に雨乞いをすればある程度水は回復するだろうが、それがいつまでもつのかはわからない。雨が降ったならば周辺の砂羊の放牧地にも雨が降り、砂羊が逃げてしまうだろう。村もそれは望んでいないはずだ。
井戸の水が回復すればいいんだけど、そうするには地下水脈が回復しないと無理だ。
水を作り出したとしても、何日もつだろうか。
自分は他の村や町にも行かねばならない。
村人の期待の視線が刺さってくる。
どうすればよいのか。
彼女は天水の笏を強く握った。
『地下水脈がずれてるー』
『だから井戸が枯れちゃったー』
『笏でちょちょいのちょいー』
エランドヴィリリアングの頭の中に精霊の声が響く。
「地下水脈がずれた?」
『南の方に、ちょっとずれてるー』
『土の神が遊んでたっぽいー』
『水神様がべちこーんてしてたー』
精霊が話す内容があまりに突飛なので、エランドヴィリリアングはこめかみを押さえた。
「精霊は自由だからねー。結構、大変なんだよ?」
「……そのようね」
うんうんと頷くダライアスに、エランドヴィリリアングは初めて同情した。
「精霊様、どうすればよいのか教えてください」
『えっとねー、その笏で地面を突くのー』
『その時にねー、あれを言わないとだめだよー』
『そうだよー、あれだよー』
精霊の言葉にハッとしたエランドヴィリリアングは天水の笏を天に掲げた。
「畏み畏み、禍事に苛む大地にご慈悲を賜らんことを!」
水神への奏上とともに天水の笏を地面に突き立てると、天水の笏から一筋の光が天を貫通した。
『どーん!』
『よいさー!』
『いてまえー!』
ドドドドと地鳴りがし、細かく地面が揺れだした。
「猊下!」
アーチェフはすかさずエランドヴィリリアングの傍に立ち、周囲を警戒する。ダライアスは落ち着いた様子で、周囲を見渡していた。
「ななななにごとだぁぁ!」
「地面が、揺れてる」
村人が騒ぐが、揺れは数秒で収まった。と、同時に井戸から水が勢いよく噴き出した。
「うぉぉぉぉ水だぁ!」
「やったぁぁ!」
「あああ、あまり出ると砂羊が逃げてしまう!」
水が出たら出たでまた騒ぎが起こる。
エランドヴィリリアングはおろおろしそうな心をひっぱたいて背筋を伸ばした。
不安を伝搬させてはいけない。これが起こることはわかっていたと、振舞わなければ。
『ちょっとこっちに』
『あ、いきずぎー』
『ちょいもどしで、ばっちぐー』
精霊たちが楽しそうに何かをしているのを、エランドヴィリリアングは内心ひやひやで聞いていた。エランドヴィリリアングはでは精霊の行動が理解できないのだ。
なにをしてるのよー!と叫びたかったのだが、アーチェフとダライアスの前で失態は見せられない。
『『『おっけぇぇ!!』』』
精霊の声がハモッた途端に、井戸からの噴出は止まり、水面はあふれるぎりぎりで留まっていた。
「ふぅ、うまくいきました」
実際はうまくいってはいないのだが、エランドヴィリリアングは何食わぬ顔をして額の汗をぬぐった。安堵を与えるためには演技も必要なのだ。
「おおお、井戸に水が! しかし、水位が地面よりも高くなっているのですが、これは……」
「水神様のご慈悲で、水を汲みやすくしたのでしょう」
「何という……ありがたや、ありがたや」
「感謝は水神様へお願いいたします。では次の井戸へ」
「は、すぐに!」
村長はきびきびと次の井戸へ案内し、同じように井戸に水があふれんばかりとなった。
砂羊の様子を確認しにいった村人からは、異常なしの報告も入った。
「水神様の賜りものですので、枯れることはないでしょう」
「ありがたいことです……ありがたいことです」
村長はじめ村人は深く頭を下げ感謝の意を示すが、顔色はあまり優れない様子だ。まだ不安があるのかもしれないと、エランドヴィリリアングは村長に理由を尋ねた。
「その、我らはどう感謝すれば良いのでしょう。恥ずかしながら、この村は小さいゆえに教会がひとつもありません」
村長は、心の底から申し訳なさそうに、呻くように声を絞り出した。
砂羊の産業故に貧困はないが、かといって村人が増える要因もない。今の人口が程よく釣り合っているのだ。
神職などの余剰を抱えるほど余裕があるわけではない。村人は各々信奉する神はいるが教会を求めるほどでもないのだ。
神の怒りを買って水が止まってしまったらと考えたのだろう。
「大丈夫ですよ。井戸から水を使うときに感謝を念じていただければ、それで水神様に届くと思います」
エランドヴィリリアングは、確信をもってそう伝えた。ひとつひとつは小さいかもしれないが、感謝の念はきっと届く。
ダライアスもうんうんと頷いている。
神と通ずることができる彼が賛同するならば、正解ではあるのだろう。エランドヴィリリアングの顔に笑みがこぼれた。




