幕間十九 イゴール村(前)
連星の太陽が強い日差しを与え続ける荒野。地表では空気が揺らぎ、地面にはあるはずのない水の現像を映し出している。
向こうまで行けると錯覚してしまいそうなほど青い空を、3匹の飛竜が乾燥した空気を切って滑空していた。エランドヴィリリアングは、その空の青にも負けない水色のローブを盛大にはためかせ、その飛竜の背にまたがっている。
背には天水の笏、周囲に3つの青い光を従えたエランドヴィリリアングが右横を飛ぶ飛竜に視線をやった。右には必死な顔で飛竜の手綱を握る熊獣人アーチェフがいた。
「ねぇアーチェフ。無理を言って飛竜を出させてよかっただろ? 竜車じゃイゴール村に着くまでに20日はかかってしまうからね」
「猊下ぁ! だからといっておひとりで飛竜に乗るのはお止めくださいと、かれこれ100回ほどは進言申し上げておるのですがぁ!」」
アーチェフは青年を卒業してまだ日が浅いその顔から汗を飛ばして叫んだ。アーチェフは高所が苦手で、いまも気絶しそうなのだがエランドヴィリリアングのために必死で意識を保ってるのだ。
「あっはっは! わかってないなぁアーチェフ君。これが、これこそがエランちゃんじゃないか! 即断即決即行動。手段は選ばない、歴代の水の教皇にはいなかった女傑。僕好みの最高の女性だよ!」
エランドヴィリリアングの左を行く飛竜から楽しげな声が飛んできた。飛竜の背には鮮やかな翠に染められた前合わせの服をまとった虎獣人、風の教会の最高権力者である座主を務めるダライアス・ドレ・ⅩⅣがいた。
年のころはエランドヴィリリアングよりも3つ上。彼の身の丈は、大柄なエランドヴィリリアングの上を行く体躯で、小柄なアーチェフとはふた回り以上も違って見える。
「……ダライアス、ついてくるなって言ってるでしょうに」
「僕とエランちゃんの間で遠慮は無用だよ。なによりも風の神様の御意向だし、ダメって言われてもついていくさ。あははっ!」
ダライアスは心底楽しげに笑った。
「飛竜から落下すれば命はありませんよ?」
「おっと、風の神様から空の旅の安全を確保していただいてるからご安心を。もちろん、エランちゃんのもね!」
ダライアスはパチリとウインクした。
「くっ、これならば、まだあの不信心どもがついてくる方がましでした」
「あっはっは! あいつらよりも僕の方が億倍も役に立つから安心して! ねえエランちゃん」
「ダライアス殿、猊下に対して慣れ慣れすぎですぞ!」
アーチェフが眦を上げて叫んだ。
自らの左右で言い合うふたりを見て、エランドヴィリリアングは「なんでこうなった」とため息をつくしかなかった。
事の起こりは、原初の水の巫女であるロータンヴェンヘ-ザから天水の笏を渡されたエランドヴィリリアングが水の巡幸を行うと宣言したからである。
教会を二分する勢力は、当然反発した。が、先日の雷雨で失態を見せてしまった両派は強く出ることができず、付き人として教会の騎士を派遣することができなかったのである。
身の回りの世話はアーチェフが取り仕切り、最少人数のふたりだけで行くはずだった。
しかし、水の神が楽し気なことをしていると気がついた風の神が、自らの信者の同行をごり押ししたのだ。
エランドヴィリリアングは水の教会のトップではあるが神の意向には従うほかなく、それは他の神でも同じだった。
人が行使する魔法の根源は神の力だ。神の機嫌を損ねて魔法を無効化されると、魔法が前提の人々の暮らしが崩壊する。エランドヴィリリアングひとりの意思など、無きに等しい。
吹けば飛んでしまいそうなほど軽いこの男は、よりにもよって風の教会の最高権力者であり、風の神の神託も受けるほどの信奉者でもあった。無下にすると教会間での争いにもつながりかねない。
エランドヴィリリアングは渋々承諾したという経緯があった。
「あと1時間もすればイゴール村につく」
エランドヴィリリアングは荒れた地表に細い道を見つけた。道は進行方向へ頼りなく伸びている。
イーゴリ村は、デリアズビービュールズから北方にあり、エーテルデ川から離れる方向だ。
川から離れれば地下水脈も弱り乾燥地帯となっていくが、今向かっているイーゴリ村は砂羊の牧畜が主要産業の、砂漠にある人口は300人ほどの村だ。
砂羊は砂の中の魔力を食料とし、水を嫌う性質がある。つまり、川の近くには住まないので川から離れる必要がある。イゴール村は砂羊を育てるにはうってつけの土地だ。
砂羊からはウール、羊乳、肉などがとれ、それは人々の生活には必需品であり、特にウールは服飾原料の大半を占める。小さな村ながら紡績もあり、糸を生産している。
イゴール村は羊乳、糸を売る代わりに野菜などを買って生活をしている、小さい村ながら比較的裕福な村だ。
「ふむふむ、なるほど、それは困った状況だね」
ダライアスが誰かと会話をしているようだ。だが、彼の周りには飛竜しかいない。
「ダライアス、風の精霊が何か言ってるのかい?」
「イゴール村にいる風の精霊が来てくれてね、どうも地下水が枯れかけてるらしい。村の食糧としての農作物がヤバいって。すでに畑にまく水が確保できてないって」
「……今年はしのげても、来年はダメかもしれないね」
エランドヴィリリアングの顔が曇る。
「エランちゃんは精霊の声が聞こえないのかい?」
ダライアスがエランドヴィリリアングの周囲に浮かぶ青い光を見ている。彼にはそれが精霊だと理解できている。ふんわり軽い彼だが、神からの信頼は篤いという証左だ。
「……水神様からお借りしているだけだからね。まだそこまで信頼を勝ち取れていないのさ」
エランドヴィリリアングは飛竜が飛ぶ速度でもふわふわと漂う青い光を見つめた。
「ふーん。ならまずは今日、頑張って、実績を作っていけばいいよ! 神様は意外に僕らを見ているからね」
「それは……確かにだね。わたしも水神様からお言葉をいただけたことで、それがわかった」
「猊下、それはすばらしいことです! さすが我が猊下です!」
「アーチェフ君? エランちゃんは君のではないからね」
「何を仰るやら。我らがとは申しましたが、我などとは、心には秘めていても言葉にはできません」
「ちゃかり言葉にしてるじゃないのさー」
また言い合いが始まってしまったとうんざり気味のエランドヴィリリアングは、眼下に砂クジラの群れを見つけた。
1頭が地面から飛び出すと、続けて2頭3頭と続いて飛び出してくる。合計10頭の大きな群れだ。
「砂クジラもいるんじゃ、雨を降らせるわけにはいかないね」
エランドヴィリリアングはつぶやいた。広範囲に雨を降らせると砂羊や砂クジラが水を嫌っていなくなってしまう。砂羊は湿って掘りにくくなる砂を、砂クジラは湿ることで抵抗が増える土を嫌うのだ。
それは、砂羊で生計を立てているイゴール村にとっては廃村を意味する。何のために自分が行くのか。
水は必要なものだけど、どこでも雨を降らせてよいものではない。必要なところに必要な分を届けることが肝要だ。
ロータンヴェンヘ-ザ様は、かつてはどうされていたのだろう。
エランドヴィリリアングは砂クジラの雄大な飛翔を眺めながら、そんなことを考えていた。
飛竜は砂羊を放牧している牧場を通過中だ。放牧地は広大で、おおよそ村の敷地の50倍だ。草と違い手入が無用な土は無限に広がっている。砂羊が逃げないように、土竜にまたがった羊飼いらが走り回っていた。
「猊下、そろそろです」
「わかってる。降下開始」
「は!」
3匹の飛竜は村の上で旋回し、徐々に高度を下げていく。いきなり着陸すると村人が驚いて、場合によっては攻撃してくるからだ。
おおよそ村の中心部近くには広場がある。そこで村の集まりや祭りなどが行われるからだ。飛竜はそこをめがけて降下していた。
当然村人の姿がある。犬獣人や猫獣人、狸獣人が多く、ドワーフやエルフの姿は見当たらない。皆飛竜を指さして何か叫んでいるようだ。
そんな中、バサバサと翼をはためかせて飛竜が着地した




